うえの善巳 プロフィール

   

 一応、桐朋行きましたが中退。かなりフリースタイルなフルートなので、普通の優雅なフルートを期待しないでくださいね。群れるのは好きじゃない。長いモノに巻かれるのも好きじゃない。神… 人知を超えた存在はあると思うけど、人間は「業」を背負って生きていると思うけど、一切の宗教・思想団体、政治団体と関わりはありません(美術館コンサートの画像は富士美術館ですが… 笑)。「本当の自由、真のインディペンデンスとは」が人生のテーマ。スマホだとどこかそのへんに広告という名の不自由が出てると思いますが(笑笑)。

 ちなみに「広告↑」ですが、いまさら誰もそんなふうには思っていないかですが、ボクはこの内容に賛同しているわけでもなんでもないですからね。はてなブログ、オプション料金払って広告なし契約にしている筈なんだが…

 CMのオシゴトしていた時代、いちばん引っ掛かっていたところはそこでした。自分的には「とんでもない商品」「絶対にひとには薦めない商品」と思っているものに音楽付けなければならない。カネを出すヤツが偉いの構図。まぁそんな青臭いことを言っていてはスタジオミュージシャンのオシゴトは務まらないわけですが。でも自己矛盾は澱のように沈殿していって、このままではHAL9000になると思ったので足洗わせていただきました(笑)。

 

 フリーのスタジオミュージシャンとして数多くの録音に参加。また多くの歌手・タレントのバックバンドメンバーを務める。ジャズフルーティストとして自身のバンドでライブハウス出演、またセッションに参加。国際音楽の日ジャズフェスティバル招待出演。各地の音楽祭・演劇祭に参加。イタリア、ベラルーシ、インド、キューバ、韓国、中国、香港など各地で演奏。

      
キューバ国営放送スタジオにて 公開生放送中 photo by ♪makoto♪


美術館コンサート


あしながフルートオーケストラ
(収益をあしなが育英会に寄付するので、わたしたちの脚が長いというわけではありません… まぁたしかにボク以外は平成世代なので脚長いけど)


 「さすらいのフルーティストのブログ」は普通のブログ形式での書き方ではないので読みにくいかもですが、更新した順に並んでいます。かなり以前のもので、今でも面白いと思っていただけそうなものは抜粋で残してあります。新しい記事は更新して書き足していますから、「最新記事」とか「月別アーカイブ」とかとは時間軸が一致していませんm(_ _)m

 日常の発信はfacebookを利用しています。公開ですが、お友達申請をいただく場合にはコメントをください。

 

🎵うえの善巳フルート塾
個人レッスン・アンサンブルクラス
西武多摩川線是政駅前 お問い合わせはyocchy6456@hotmail.co.jp  まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすらいのフルーティストのブログ



2024/02/26更新

🎵 笛の音(ね)
2024/02/26

 もう4年前。ミャンマーの旧首都ヤンゴンのとある寺院で、通訳&ガイドをしてくれたミャンマーの青年。ヤンゴンの学校で日本語勉強したんだって。まぁマイルドにボられたという図式もあるんですが、彼が「お金を貯めていつか日本に行ってみたい」と言うので、喜んでボられたところであります。

 ずっと軍政が続いて、周辺国の経済発展から取り残されたミャンマー。このときは再び軍事クーデターが起きて軍政復活になる直前で、街の人々は「これからは俺たちも頑張れば豊かな生活が出来る」と、みんな目がキラキラしていた時期でした。この青年が日本を訪れるときが早く来るように心から祈っていたんですが…

  ご存知のように、ミャンマーは軍政に逆戻りしてしまった。あのとき出会ったミャンマーの人々は今どうしているのだろう。

 ウクライナも、ガザも大変です。でも世界には同じように大変な目にあっている人はあちこちにいる。シリアの子どもたちはいつになったら銃声を聞かないで済む生活が出来るのだろう。いや、一見ぬるま湯の日本だって、自然災害や個人的な事情でたいへんな思いをしているひとはたくさんいる。

 見なかったことにせず、聞かなかったことにせず、自分に出来ることをする。じゃあ音楽家に出来ることって?

 具体的な寄付とかももちろんあります。だいじです。でも基本は音楽が、笛の音(ね)に何が出来るか、そこを忘れてはいけないんだと思っています。


 日曜日の教室お隣のネパール料理屋さん。休憩時間になるといつも、ネパール人のスタッフがスマホで故郷の音楽を聴いている。
 あんなシチュエーションで聴いてもらえる音楽を、「さーて休憩明けもがんばるかぁー」と思ってもらえる音楽、音を作っていきたいと思っています。ボクたちの仕事って後方支援みたいなもんだと思うんで。





🎵 バレンタインライブ
2024/1/15

 新年早々「あけましておめでとう」と言えないようなニュースが続きました。能登では今日の時点でも救援物資が不足しているところもあるようです。一刻も早い充分な救援と、復興に向けてのモロモロが進むことを祈ります。



 次なる年間行事は節分、そしてバレンタイン・デーなわけですが、節分ライブてのはチトなんだかな(豆投げられそうだし)ですからバレンタイン・ライブをやります。12月の営業、それに我孫子でのライブで好評をいただいた新ユニット「VIPER」でございます😁

 曲目は… まだちゃんと考えてません🙇
まあ「マイ・ファニー・バレンタイン」はあるだろな。あと「オール・オブ・ミー」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」あたりか。あとは…
 相方のAKIさんとはまだ相談してないんだけど、彼はハワイアンのスペシャリストなんで、そのへんも楽しんでもらおうと思っています。フラダンスは付かないですが。ハワイの音楽というのも奥が深くて、ヒーリングミュージックとしての人気もありますよね。それは歴史的にスピリチュアルな部分を大切にしてきたからでもあるのです。(まぁ民族音楽て多かれ少なかれどれもそうなんですが…)

 会場の都合で全予約制にさせていただきました。お問い合わせ、ご予約は、

yocchy6456@hotmail.co.jp

までお願いします。オトナのためのバレンタイン・ライブ。お楽しみに😄






🎵 オブリ考
2023/12/25

 「オブリ考」ってタイトルで書き出そうとしてふと、「そういえばオブリってなんだ?」と。ボクたちよく使う単語ですが…

 クラシックだと「オブリ」と略しては言わないかな?「オブリガート」だよね。主旋律に対して副次的だけど重要な声部ですね。ジャズでもあまり言わないかなぁ?

 ポップスでの「オブリ」は歌伴ではヴォーカルに絡むフレーズのこと。歌の動きの隙間を埋めるように吹くことが多いから、英語的に正確なところは「フィル」なのかも知れない。でもボクらの感覚だと歌に絡むのがオブリで、歌が止まったところに突っ込む(?)のがフィルなんだけど。

 もちろん歌の邪魔したら駄目だけど、ある時は隙間に、ある時はハモの音へ、またある時は盛り上げ目的で歌と同時進行(やかましくならないように様子見ながら)している時もある。モーツァルトのオペラのように。われわれの場合はアドリブです。つまり、その時々の状況、ヴォーカルの歌い方その他モロモロの条件によりで、いつも同じこと、同じアプローチなわけじゃない。

 昨日のクリスマスライブがまさにこの内容だったんですが、ヴォーカルのAKIさんも、ボクも、そしてお客様も思ったのは「思ってた以上にうまくいった(笑)」。で、なんでかな、って考えてみることにしたわけ。

 だいたいが、この手を頼まれるときの相手は女性ヴォーカルです。クラシックでもフルートオブリガートを伴う曲ってほとんどソプラノのアリアだよね。そういえば「狂乱のアリア」のフルート吹きにミラノまで行ったんだった。

 昨日は、それに今月初めに違うところで営業したときも、それにお店でノンPAでリハしてた時も、声とフルートのブレンド具合が「なんか心地よくね?」だったんですね。女声との相性が良い、は固定観念だったのか?

 でもやはりいろいろな条件が重なっての成果だと思う。昨日のヴォーカルAKIさんは本当にマルチなアーティストなんですが、彼のベーシックのひとつはハワイアンなんですね。ハワイアンの男声ってファルセット的な柔らかい高音をイメージするけど、それだけではなくて「Blue Hawaii」のような声域の低い歌はトレーニングでもあるそうです。そこら辺のアプローチは楽器での「響く音の手に入れ方」と通じるものがあり、相性良くブレンドするのはそのへんの理由もあるのかな?

 ついでにこちらの事情も少々語っておくと(笑)、「独奏ソロフルート」ではなく、時により場合により前に出たり後ろに引いたりが重要なこの立場、少しの息圧コントロールでそのへんが自在に行ける楽器の選択やチューニング(ピッチじゃないです)、奏法の開発も効いてる、と自画自賛しているんですが(笑)。


 アヤしいユニット「Viper」、夏向けのレパートリーも仕込んでリゾート営業しようと、夢は膨らんでおります(大笑)。





🎵 音楽家に出来ること 2023/11/22

 もう20年になるかな?毎週フルートのレッスンを続けている女の子がいる。もう30代だから「子」は失礼なんだけど、いい意味での「子ども扱い」が出来る相手だから。知的障害があるので。

 最初は「フルートのレッスンなんて成り立つんだろうか?」と思ってた。でもお母さんが吹いているのを見ていて、どうしても自分もやってみたい、って言ったんだって。過去の経験から言って、最初の動機がそれならば必ず上手くいく。そのあとで出くわす予想外の困難を乗り越えられるように持っていくのがボクらの仕事、てもん。

 ああいう子って、「フツーの」大人がどんどん失っていく、失わざるを得ない感覚を持ち続けているんですよね。子どもも「小学校に上がるまで」は本当に素晴らしいと、ボクは思ってる。小学校に上がった途端、「社会性を身につける教育」が始まったとたんにその素晴らしさはどんどんスポイルされていくんだよね。

 かと言って学校教育の否定って訳じゃない。インドでは学校に行きたくても様々な事情で行けない子どもたちにも会った。だから枠組みとしては受け入れなければならない現実で、もしそこで音楽家が何か出来ることがあるとすればスポイル要因である「国語・算数・理科・社会」まみれの子どもたちのアタマに、違う感覚的刺激を見せる、聴かせることだと思っています。


 あ、子どものハナシじゃなかった。で、そのウチの生徒さんなんだけど、やっぱり常識に囚われない発想をするわけですね。だからそこんとこを上手く舵取りしてあげるとすごく生き生きとした、音楽的なことを吹けるのね。するとこの無手勝流、アドリブ命のセンセイの出番、ってもんで、毎週楽しく2人で吹いているわけです。

 でもね、ふと気になる時があるんだけど、自信が持てないとき、間違いの解決方法がわからないとき、付き添いで来ているお母さんに頼ろうとするんだよね。その度にボクは「自分で考えろー」って言ってるんだけど。出来るようになったことには自信を持っていいんだよと。そしてその方向へ向かえるように按配してるんだけど、あんまり変化がなかったんですよね。

 今日お母さんから聞いたところでは、彼女昼間はいわゆる授産施設に通ってるんだけど、そこでの指導方針がそうなんだと。作業も「考えずに言われた通りに作業しろ」としか言われないと。そして作業の過程で度々チェックが入り、「言われた通り」に出来ていないと「やり直し」。



 なるほどねぇ… そりゃあ自分で考えられなくなるわな。確かに「言われた通り」に作業しないと売り上げにつながる商品は出来ないかもだけど、そしてそもそもそういう施設の製品は商業化しにくいかもだけど、一般企業のように収益性命、で運営しなければいけないところか?

 もちろんボクは福祉の専門家ではないし、医学の知識があるわけでもない。そして皆さんご存知の通り商売ヘタ。でもひとりの音楽家として、障害があろうがなかろうが、音楽を通して彼女とコミュニケートしている内容が、音楽的な指導が誤っているとも思えない。音楽って「自分で感じて、考えて、楽しむ」ものだから。

 以前に音楽プログラムで関わった他の授産施設ではそんな疑問は持たなかった。みんな生き生きとして楽しそうに作業してた。逆に納得いかなくて大喧嘩してアドバイザーを辞めたワンマン専務理事のワンマン経営社会福祉法人てのもあったから、施設によるのかも知れない。現場にも現場の事情、部外者が青臭い理想論でどうこう言えるようなもんじゃない部分があるだろう。でもその大喧嘩した社会福祉法人は「すべてはひとりひとりのために」て掲げてたんだけど、とてもじゃないがその言葉通りとは思えず、「すべてはやりやすい管理のために」だったんだけど。まぁそれもおそらくは現場の労働力不足とかが絡んでいるとは思いますが…


 音楽家に出来ることってなんだろう。そこを辞めたとき、施設長が最後にボクに言った言葉はある意味全てを象徴してるのかも。それは「あなたは本当に不器用な生き方しか出来ないんだから」。

 不器用でケッコウ。不器用なことがやりたいんだ。長いモノには巻かれない。ハダカの王様はハダカに決まってる(笑)。






🎵 今日の出来事 2023/10/07

10月7日
 今日は音楽&朗読劇「黒浜沼の河童」の舞台稽古。蓮田市民ホール「ハストピア」13:00入り。

 三連休初日を甘くみたつもりはなかったんですが、東北方面はどこもかしこも大渋滞。ナビは東北道のまま行かないで浦和出口で出ろ、という。はあ東北道ずっと渋滞してるんですね。

 それでも当初は「12:50着」と出てたんですが、どうも途中から雲行きあやしくなってきて、結局ハストピア着は13:30。駐車場からダッシュしましたが客席扉の前までくると最初のお題「きっかけ合わせ」はまだ始まってない雰囲気です。13:00「入り」だからね。遅刻には違いないんですが、もう慌てても仕方ないんで、先にトイレにでも行っとくもんだろ、と扉の前をスルーしようとすると、「こども河童合唱隊」のメンバーらしい、4年生くらいの女の子がひとり、中を覗き込みながらがもじもじしている。

 「どうしたの」と声をかけると「集合時間間違えて早くきちゃったんです…」と言う。たしか合唱隊の集合時間は14:30だったよなぁ。このホールは田んぼのど真ん中にあって周囲にはなにもない。「ホールの中で待ってるしかないよね。客席にいて大丈夫だから」と言ってトイレ行ってきたら、まだロビーでもじもじしてた。

 そりゃそうだよね。地元とはいえ普段あんまり来ない場所。友達はまだひとりも来てないし、合唱隊の先生もまだいない。おっかない(失礼!)演出の先生や知らないスタッフのオジさんたちが忙しそうに動き回ってるところにひとりで入るのは勇気がいるだろう。

 ボクはきっかけ合わせに参加しなければならないので一緒にはいてあげられないから、肩を押して制作の女性のところへ連れていって「この子早く来ちゃったんで一緒にいてあげて」と頼んだ。



 その後きっかけ合わせ、通し稽古と慌ただしく時は過ぎ…



 すべてが終了して楽屋口から出ようとしたら、昼間の女の子が待っていた。合唱隊は先に解散した筈なのに…
 そしてぺこりと頭を下げると「さっきはありがとうございました。あの、これ」と言って「たけのこの里」をくれた。

 かわいそうに、よっぽど心細かったんだろう。この世界に慣れきってしまった、遅刻しててもトイレ行くボクとは違って、舞台裏でひとりぼっちのコンサートホールは、怖さすら感じるところがあったんだろう。
 あの子は「慣れっこになってしまった自分」が、わからない、慣れてないひとの不安な気持ちに対して「鈍感な自分」にならないように、を思い出させてくれた気がします。

 しかし「きちんとお礼が言える」素敵な子でした。やさしい親御さんや、あたたかい蓮田の環境に囲まれてしあわせに育っている様子がうかがえます。


 今日こんなステキな出会いがあるんだったら、ヒゲくらい剃っとくんだった。昨日アヤシいプロフィール写真撮ったままで、無精髭ボーボー、アヤしさ満点だったんで… (笑)。








🎵 個展 Ⅰ 2023/07/03

 コロナ騒動が始まってから、自主的な企画はお休みしていました。いまは大人しくしているとき、あるいは充電するときだろ、って。ここに来てようやく、お客様も不安なくいらしていただけるようになったと踏んで、小手調べに自作の曲ばかり並べるライブを企画しました。で、タイトルも「個展 Ⅰ」。Ⅱ、Ⅲに繋げたい、て思いを込めて。

 小規模なライブ、コンサートの時って、主催される団体があればそちらに「ご希望の曲は?」って聞くのがフツーだし、自分で企画するとしても半ば無意識に「通俗名曲」から選んでた。自分のではない演奏会で、行った方に感想聞くと「知らない曲ばかりで…」とおっしゃることがよくあったから。

 なので、「どの曲も誰も知らない」プログラムにはたしてお客様来てくれるのか?会場はホールでもライブハウスでもなく、カフェ… 営業はしないからイベントスペースか?ピアノはアップライトだし。そんなこんなで「定員20名要予約・投げ銭制」で敢行してみることにしたのですね。

 自分としては、そんなに耳当たりの悪い曲を作っているつもりはないんですよ。でもピアニストと伴奏合わせしてると「どうしてこの和音に行くの?」を連発されるんで、やっぱりエキセントリック味が強すぎるのかな?なんて考えたりして。でもお客様和声分析しながら聴くわけじゃないし。

 会場の特色活かすべく、考えられるネガは全部ツブして各要素はポジティブに捉えて。アップライトピアノって、決してグランドピアノの妥協品じゃない。アップライトにはアップライトの良さがある。そこを活かそう、と。だいたいこのスペースにグランドだと、それは音楽を聴く環境じゃなくてピアノ練習室ですわ。ピアノだけでなく、「客席暗く」も出来ない、素の明るさのまま(小規模なスポットはあるんですが)なので、全て逆手に取って思い切り「日常の音作り」をしようと。個人的な感覚だとアップライトは日常(近年は電子ピアノかもだけど)グランドは非日常なのですね。フルートのほうもこのスペースで丁度良くいい音になるようにチューニングしました。たしか誰かがどこかに書いていた気がするんだけど、現代のフルートって大空間対応にフルコングランドピアノ化していると思うんで。本来そういう楽器じゃないと思います。

 「日常の音楽」がコンセプトのひとつです。でもそれはひとそれぞれ。家事しながらのテレビから流れてくるドラマのテーマソングかも知れないし、自分の部屋でスマホにヘッドフォン挿して聴くお気に入りの曲かも知れない。それに対してドレスコード有りのオペラハウスに出かけるのは思い切り非日常。ボクはそんな感覚です。なのでアップライトピアノ、素あかり。


 開けてびっくり玉手箱。満員御礼(20名だけど)、反応も上々。なーんだもっと早くやっとけばよかった(笑)。
 少し前のことなんですが、長い付き合いのセンパイに「うえのくんもそろそろ本当に自分がやりたい事をやったほうがいいよ」と言われて… その時はイマイチ、ピンと来なかったんですが。だってそのセンパイって昔から「自分がやりたい事」ばかりで、「ボクはああは生きられんな」と思ってたから。でも還暦も過ぎて、その言葉を折々に思いだすと、たしかに「頼まれた仕事」をこなしてきたのがほとんどだった、と気がつきました。まぁプレイヤーって一種職人だから、それじゃなきゃギャラ貰えないわけですが。

 「本当に自分がやりたい事」はこれだった、と実感出来ました。誰が吹いても同じ曲、のアリモノではなくて自分のニュアンス満載の自分の曲、おまけに吹くたび少しずつ違う(誰にも文句言われないから)。それにお客様20名って、全員の顔が見える。大袈裟ですが、商売の基本てこれだと思うんですが。日頃感心している商売のお手本のひとつにウチの団地のなかの八百屋さんがあるんですが、どこの団地でも出来たときには団地内商店街に八百屋肉屋魚屋クリーニング屋、って揃ってたのに、ウチの団地も例外なくひとつなくなり、ふたつなくなり生き残っているのは八百屋さんだけ。でもスーパーにツブされずに生き残っているわけは、お客様全員の顔がわかっているからなのですね。
 なので迂闊なモノは売れない。モノがいいから常連はスーパーに行かずにここの八百屋に来る。自分としては肉サカナも並べて欲しいんだけど(笑)。まぁ時々、ちゃんと儲かってるのかヒトゴトながら気になったりしますが。

 効率、能率、利益第一主義ではいいモノは売れない(出来ない)、と信じます。お客様全員の顔が見えるためには200人のホールじゃ無理よね。


 今回大成功だったことに味をしめて、「個展 Ⅱ」「個展 Ⅲ」も企画していきたいと思います。もちろん他の企画も。コロナ自粛の間に暖めていたアイデアもいろいろとあるので。




アメリカンオールドフルートにはアメリカンアンティークウォッチを合わせる(笑)






はいはい、自分の世界生きてます






🎵 気ヲツケ! 2023/03/03

 「起立!気ヲツケ!礼!」っていまでも中学校とかではやるのかなぁ?

 というのは、最近生徒さんたちを後ろから見てて… ボク生徒さんが吹いているときたいてい後ろにいるんです。前に見えてるとどうしても緊張感を誘うんじゃないか、っていうボクなりの気遣い(笑)。で、どうしても背中が気になるんですが…

 背中こわばってるひと、多いですね。特にシニア。そういうひとはほとんどの場合背中だけじゃなくて「肩・背中」なんだけど。彼女(画像)の場合そんなことないですね。いいカンジに肩・背中のチカラ抜けてます(シニアじゃないからか?)。

 シニア=昭和世代。今よりも学校がモロモロ厳しかった時代。「真剣になる=気ヲツケ!」の図式が刷り込まれているのかな?


 シニアの生徒さんたちにいつも言ってることなんですが、「若いひと(ころ)は考えなくても自然に(無意識に)出来ている(いた)ことでも、今の自分のカラダに合わせて意識していかなければならないことってあるんですよ」って。ハムストリングスが衰えてくるからアシ上がらなくなってくるんだし、そうなったら「もっと脚上げて」と意識しなければ躓きます。

 みなさんが手にしているフルート、だいたい400gちょいあります。それを身体のどこで支えているか?腕ですね。で、腕はどこに付いてる?肩ですね。

 さらには、フルートは身体の前面に構えているわけだから、腕だけに留まらず、背筋が収縮して持ち上げています。カラダ前面側の、腹直筋だ横隔膜だのは呼吸法との絡みで意識が行っていますが、背中側がないがしろにされていると感じます。背骨や周辺の筋肉は前屈方向に行きやすくできているわけだから、ほんのすこし前方向に「かがんだ」背骨を背筋で「引っ張る」のが、腕その他の負担を減らすことになるわけですよね。重いもの持ち上げるときだってしゃがんで脚の筋肉のちから使わないと腰を痛めるって言うじゃない?

 たかが400gでも、身体にとってなるべく無理がない持ち方をするべきだと思う。ボク「りきみは伝染する」と思っているので、どこかに無理があると一見関係なさそうな口周りや、指の動きにも影響すると思います。


 もうひとつはめっちゃ筋トレして、「400gなんぞ小指1本で持てるわい」という路線もあるか、とも思いますが…







🎵 新しい年を迎えて 2023/01/01


昨年の夏、仕事先…だった筈の釜山へ向かう途中で
娘はアシスタントという名の社会勉強。まぁ役には立たないんですが…


 暮れに、大掃除… とまではいかないけれどいろいろと片付け事をしていて、かなり古い手紙の束が出てきたんですね。モノ捨てられない性格なんで、思わぬものとコンニチハ、はままあることなんですが、レッスンの問い合わせやら、ムカシ書いたエッセイへのファンレターというか、感想文というか… そのエッセイなんか書いたことすら忘れていたのですけど。

 もう若くない、ってことはその間たくさんのことを見て聞いて出会って… アタマ悪いんだからそら片端から忘れるわな、とも思うんですが、逆に年月を経てより鮮明になる記憶、てのもありますよね。

 おかげさまで、娘も今年、成人式を迎える歳になりました。でもその20年の間に「ウチの娘と同じくらいの歳なのに」と胸が詰まるような思いをしたことが何度かあるのです。


 一度は、インドでの「ノンヴァーバルアーツフェスティバル」に参加したときのこと。ノンヴァーバルアーツ・・・非言語的芸術の名の通り、このときはインド・アイルランドスウェーデン・韓国のパフォーマー、ミュージシャンが集まっての「国際興行集団」だったのですが、日本からの参加はボクだけ。ひとつの街での公演が終わると一同貸し切りバスに詰め込まれて次の街を目指す、というなんとも牧歌的、ピンキーとキラーズ状態だったのですが…

 ある朝、バスは出発して街道を走って行く。ボクは窓に広がるインドの農村風景を眺めていたのですが、道端のバラックの傍らに黄色のワンピースを着た5歳くらいの女の子が立っていたのです。
 黄色の、と言っても洗いざらして、とても鮮やかとはいえない黄色だったのだろうと思う。でも年月を経るにつれ、記憶の中でのそのワンピースの色が「シンドラーのリスト」のワンシーンのように、より鮮明な黄色になってくるのです。
 貧富の差激しいインド、貧困層はあらゆる場所に住んでいる。駅のホームだったり、街中の地下道だったり。街道わきにバラックを建てられるのはまだマシなほうなのかも知れない。たまたまボクの隣の席に座っていたこのフェスティバルのプロデューサー、チャテルジーさんにボクは聞いた。

 「あの子、ちゃんと毎日ご飯をおなか一杯食べられる?」

 チャテルジーさんは難しい顔で少し黙り込んでから、「無理だろうね。あの子はいつもお腹をすかせているだろう」

 それを聞いて、自分でも思いがけずに涙が溢れた。なぜならばその時、娘がちょうど彼女と同じくらいの年齢だったから。生まれた場所が違うだけで、なぜ彼女はこのような不条理を受け入れなければならないのだろう?



 もう一度は、バリ島のウブド。ウチの両親と義両親、ウチ3人という三世代珍道中だったんですが、小学生になっていた娘は両家にとって唯一の孫で、長患いしていたボクの母にとっては孫との旅行はまさに「生きる意欲」に繋がる楽しみだったのですね。

 ウブドのマーケットで女性陣がアクセサリー、お土産探しに余念ない中、男性陣は手持ち無沙汰にマーケット中庭の広場でボケっとしてたんですが、ひとりの少女が現れたんですね。ちょうどそのときのウチの娘と同じくらいの年齢。身振り手振りで「お金ください」と言ってるのは解る。旧い昭和人の父たちはすぐ追っ払おうとするけど、ボクはその子がなにか必死なことが気になったんですね。
 で、何万ルピアだったか忘れたけどまぁ普通渡す金額ではないお札を握らせたら、その子は目をまんまるにしてそのお札を見つめると、何回も何回もお辞儀をして・・・ 「年寄りたちに見つかるとうるさいから」と言って(日本語だけど)行かせようとしても何回も何回も振り返ってはまたお辞儀をして・・・

 ウチの娘は物欲にかられてアクセサリー漁りをしているときに、この子は生まれた場所が違うだけで、なぜこのような不条理を受け入れなければならないのだろう?




 インドの友人たち… 彼ら彼女らはカースト的には上位なわけだけど、ボクがスラムの子供にお金を与えることには否定的だった。それは一時しのぎにしかならず、問題の根本的な解決にはならないと。地方ではまた事情が違うのかもだけど、コルカタではその気になればビン洗いでも、親方から商品を借りての物売りでも、いくらでも仕事はあると。まぁそれも児童労働だけど、そのように自身を成長させていかないと彼ら彼女らの将来には結びつかないと。異邦人のセンチメンタリズムではなく、その地に生きる人間の考えとして、インド人として真剣にインドの将来を考えるのならばそれが正しいと思う。バリだって社会全体の問題として大きく捉えるならば、日本人観光客がお土産買い漁ったほうが社会全体で廻る経済に貢献するだろう。そしてそれが福祉の充実にも繋がるだろう。


 今年はウチの娘が成人式、ということは彼女たちもハタチくらいになっているわけ。今どうしているのだろう。貧困から抜け出せているだろうか・・・





 「グローバリゼーションは世界を救」わないと思う。貧困をなくせば「金持ち喧嘩せず」で平和になる、というのもまやかしだと思う。まぁ自分の娘に自分の思いを伝えきれなかったところにも忸怩たるものがありますが・・・



 





🎵 うえの善巳フルート塾 2022/12/05

 何か所かでフルートレッスンをしていますが、そのひとつがここ。「うえの善巳フルート塾・是政教室」毎週日曜日 西武多摩川線是政駅徒歩1分、茶房「でこ」内。

 12月になって寒さが身に染みるきょうこのごろ、生徒さんの9割以上がボクよりご年配のシニアであるわがフルート塾、お会いしてのみなさんの第一声は「もう12月ですねぇ…一年が飛ぶように…」はい、まったくです(笑)。

 フルート大国、吹奏楽大国と言われる(言われてない?)ニッポン、シニアのお姉さま方には以前お若かったころにフルートを吹いていて、理由はそれぞれで中断し、時間に少し余裕が出来たきょうこの頃、以前とは違った楽しみ方をしようかと思い立った、という方が結構いらっしゃいます。

 不肖うえの、フルートがかかわるさまざまなフィールドのあちこちに、たぶん人一倍アシ突っ込んだ自負があるので、「個人レッスン」「フルートアンサンブル」はたまた吹奏楽やオーケストラ以外の楽しみかたをご紹介できます。「塾」というと、子どもたちが受験対策に通うところ、受験テクニックの特訓を受けるところのイメージですがそうではなく、「塾」本来の意味である、学校ではないプライベートな「学びの場」を創ろうと思っています。


 みなさんが「やりたいこと」「吹きたい曲」を最優先に組み立てます。「組み立て」というのは、出来にかかわらず自己満足だけで吹くのならべつだん教わることもないか、と思うのですが、クラシックにはクラシックの、ジャズにはジャズの、ポップスにはポップスの、演歌には演歌の「ルール」があります。ルールというと堅苦しいので、「先人たちが大切にしてきたもの」と言ったほうがいいかな。フルートが楽器である以上、合理的な扱い方、吹き方というのがあります。それに、例えばお友達との集まりで「〇〇さんフルート習っているんでしょ。聞かせてよ」となったとき、物怖じせずに吹いて聴かせてあげられれば素敵ですよね。ぶっちゃけ「ひとりで(アカペラで)」サマになる吹き方、というのも存在します。そのへんのモロモロを含めて、「本当に楽しく吹くには」を追いかけていきたいと思っています。

 「ずっと始める機会を逃したきた」初めてシニアも大歓迎。個人差があるのではっきりした数字は出しにくいですが、60代から、でも大丈夫です。日常生活に差し障りなく毎日を送っていらっしゃる方ならば大丈夫です。呼吸を整えて、脳を活性化してより一層の健康を。「とりあえず試してみてから」の方のために、レンタル楽器も用意しています。

 あ、もちろんですがシニア限定ではないですからね(笑)。


 今年の夏、釜山で手に入れた「自由人」キャップ





🎵 The 生 2022/06/07

 もう35年ものお付き合いになる、日本を代表するパントマイミスト、清水きよしさんの舞台音楽を務めるときのセットアップ2022バージョン。2021バージョンとの違いは、シーケンスを入れておくデバイスがノートパソコンからiPhone(機種変更で退役した6s)になりました。

 なぜかというと、「見た目」をコンパクト化したかったから。今回はピアニカを使う演目が含まれていたのでテーブル出してますが、そうでなければ客席から見える音響機材は一式を仕込んだ「フーテンの寅さんトランク」と、マイク・iPhone用の2本のスタンドだけで済むから。
 もうひとつは、ノーパソだと操作している手元は客席からはよく見えないですが、スタンドに立てたiPhoneだと丸見えなんで、あえて「そこで操作している」を見せるためでもあります。

 これは昨年のノーパソ時代なのでPCを載せたテーブルが写っていますが、これがiPhone+スタンドに置き換わったわけですね。このトランクってのはアンプその他を生々しく見せたくないからで、足元のペダルやケーブルなどのいかんともしがたいモノが多少残りますが、「電気」や「スピーカー」的なものは極力見せないように、とのこだわりなんです。「見せたいもの」と「見せたくないもの」の仕分けですね。

 そもそも大した音圧では鳴らさないので、マイク1本立てておけばあとは会場側の音響システムに送ればいいんでね?となりますが、ここにもう一つの大きなこだわり、「バーチャル拒否」があるのですね。

 ホールでもライブハウスでも、映画館でも、スピーカーは両ソデにありますよね。映画館のマルチチャンネルでセンタースピーカーがあったとしてもプロセニアムに仕込んである。ド真ん中にあったらジャマだからね。つまりステレオにしてもマルチchにしても、スピーカーのないところに音像が定位するようになってるわけですね。


 あれキライなの。「バーチャル」っていうと聞こえいいけど、「ウソ」だろ、って。ヘンクツですねーイマドキ誰もそんなこと言いませんよね(笑)。


 「生の」舞台、「生の」音楽。「生」の定義ってなんだ?音楽の場合、クラシック系、無農薬農法信奉系のひとたちは「マイク通したら生音じゃないだろ」って言いかねませんが、コンサートじゃないからね。多目的ホールが会場だったとしても、照明吊りますから反響板はゼンブとばしてます。日頃腹筋鍛えてますから音量には自信ありますが、だからと言ってノーマイク(ノーリバーブ)でバリバリ吹いたらそれはガサツなだけ。かといって会場の音響システムに依存してバーチャルな音になるのも嫌なわけです。

 そこまでワガママ言うんだったらそう、ゼンブ自分でやるしかない。トランクに仕込んであるスピーカーからシーケンスとフルートをミックスしたものが点音源的に鳴るようにセットアップするわけです。「会場まんべんなく」なんぞには鳴らさない。「そこで鳴ってるように」聴こえるべく。そして、フィックスの「曲」部分もありますが8割方は即興の、その日その時だけのプレイ。2ステージあったら吹く音は違います。それが「生」だと思うからです。




 まぁお客様にはそのへんの苦労を説明する必要もないし、ひょっとしたら全くムダなこだわりか?とも思うんですが、先日の舞台で「そこで鳴ってる感が素敵でした」と言ってくださった方がいたので、無駄じゃなかったんだ、と(涙)。「見せる手元」のほうも、打ち上げでスタッフのひとりのオジさんが「あれはどういう仕組みなんですか?」とシツコク(笑)食い下がってきたから、してやったり、と。そこで鳴ってる、そこに生きてる、それが俺の考える「生」。






🎵 森の演劇祭雑感 2017/11/13


 11/2〜5、島根県松江で開催された「森の演劇祭」に、もう30年来のお付き合いであるパントマイム・清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。

 「森の演劇祭」は3年にいちど開催される国際フェスティバルで、普段は静かなところであろう松江市郊外の山中(?)4会場を使って催される本格的なイベントです… って、僕も今回初めて知ったのですが。


 行ってみてびっくり。松江市・八雲町の行政や地元の企業、それに多数のボランティアが一体になっての、素晴らしいイベントです。バブル期、そしてそのあと少しの間は「タダのお祭り騒ぎ」的なイベントは各地にありましたが、なんとかミクスの波及効果なんぞゼンゼンない現状、これだけクォリティの高いイベントが地方で行われていることはオドロキでした。文化的な分野ではいまは地方が元気な時代、の感がありますが、20年の年月をかけてこの演劇祭をここまで創りあげたプロデューサー、園山土筆さんの手腕は敬服に値すると思います。


スイスから参加したアクロバティックなクラウンマイム「Pss Pss(ぷすぷす)」のメンバー



沖縄の伝統に溢れるミュージカル、「沖縄燦燦」のメンバー



 久々に舞台観まくりました。ほかにも国内の「劇団あしぶえ」の「セロ弾きのゴーシュ」や「人形劇団むすび座」の「父と暮らせば」など。
 あらためて「セロ弾きのゴーシュ」を観て、宮沢賢治は一言も「音楽療法」とは言っていないけど、これはまさに音楽療法の話しだったんだ、と思った次第。音楽を通して、森の動物たち、それにゴーシュ自身や金星楽団の面々も進歩し、癒され、人は(動物も?)パンのみで生きるにあらず、文化と触れ合う喜びを感じるのだ、ということを賢治は表現したかったのだろうな、と再確認しました。実際に自身でチェロを嗜んだ、という宮沢賢治、本当に音楽が好きだったんですね。


 貴重な4日間でした。





🎵 不思議 2017/09/10



ミラノの街中で道に迷った親子
(もう10年以上前ですね…)


 この仕事をそこそこ長くやってると、ときどき不思議なことに遭遇する。


 いまではすっかりフツーのポケピン中学生であるウチの娘。彼女がまだ4歳だったころ、イタリアでのお仕事に連れていったのですね。で、その日程のなか、今日はローマ郊外の老人ホームを訪問してミニコンサート、という日の朝、合唱団の指揮者の先生が突然、


 「うえのさん、ちょっと時間余るんで、りんちゃんによさこい踊ってもらえないかなぁ?」


 とおっしゃった。


 娘はそのころ、保育園での運動会のプログラム、「よさこい踊り」を練習していて、たしかに老人ホーム慰問とかではコドモの余興は喜ばれるんで、でもなぁ余興とはいえ音楽会ブチ壊しにならないかとも思いつつ、一応本人に訊いてみると、


 「りんこちゃん、やる!」


 で、老人ホームまでのバスの車中、遠足バスでの不良の指定席である5席並びの最後列で、ヤツはバチの代わりに割り箸を手にして踊りの最初から終わりまでの手順を確認したのち、


 「りんこちゃん、おっけ」


 と言いくさった。


 僕はそれを聞いて唖然とした。なぜって僕も本番前、その日の曲の手順を脳内シュミレーションして、「おっけ」と思えてから舞台に向かいますが、それは長年、舞台やってて身につけたスキルであって、はっきり言って20代のころとかには解っていなかった。

 とうてい4歳児ができることではないと思うんですが…


 でも安心したことに(?)、今の娘の行動を見ていると、先のこと、それに周囲の空気が読めないことおびただしく、そのスキルは消え去ったようです。ではあのとき、確かに彼女がとったあの行動はなんだったのか?


 今日出会った不思議は、世田谷の教室でのレッスン。もう10年以上通ってきているお嬢さんですが、彼女は好みはっきりしていて、クラシックのレパートリーみたいな堅苦しいのは嫌い。アドリブで自由に吹くのは好きだけどメンドくさい理論的なお勉強は嫌い。でもいちばん大事なのは本人がキブンよく吹けることなんで、曲は僕が選んでジャズありポップスありラテンあり、で、うるさいこと言わずに好き勝手に吹かせてたら、ある頃から結構サマになってきた。


 彼女、結構器用な性格なんだとも思うが、モノゴトの伝承って、本来こういうものなのだと思う。正反対に、いくら理論をマスターしてもいっこうにアドリブらしくならない生徒はたくさんいる。理論書とか、フレーズ集とか、もしかしたら五線譜も、進化という名の「便利なもの」が登場して本質が見えなくなっているようにも思う。


 でもね、今日吹かせてたら、倍テンで吹くべきラテンだったのですが、「それらしい」だけでなく、あきらかにラテンアドリブの伝統的なフレーズが混じっているのですね。彼女、「メンドくさいことは嫌い」な性格なんで、決してウチで資料を聴きこんで「お勉強」したりはしない。だいたい自分が吹く以外にはCD聴いたりもしない。念のため本人にも確かめたから間違いない。ではときどきチラつく「伝統的フレーズ」はなんだ?


 僕は教えてない。僕自身の場合は、そのテは「お勉強」して身につけた。だから、「エグエスがよく使ってた、マラカもときどき使う」的な説明が出来る。でも彼女、エグエスも、マラカの名前も知らないだろう。


 
 感覚的な把握であっても、何らかの「最適解」を追っていくと似たようなところに着くのか?あるいは… もしかして… ハッピーでフレンドリーなキューバ人の気質を考えるとアリえそうなんだが、リチャード・エグエスの霊が彼女に向かって微笑んでいる?(エグエスにはお会いしたことないので、実際の人物像はわかりませんが)… 4歳頃のウチの娘のように、「霊界通信」出来る能力があるのか?はたまた量子力学で説明出来るのか?

 そして、幼いころにはみんなが持っている能力を、「教育」という名の洗脳を受けたのちにも保ち続けられるのが、「天才」と呼ばれる人々なのだろうか?



 いやあ不思議なことってあるもんですね。





🎵 ていねいな仕事 2015/05/23   



ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネの看板奥様


 パンとかお米って毎日食べるものじゃない?それが美味しいととっても幸せな気持ちになれるよね。


 このところ、とっても気に入っているパン屋さん。横浜の瀬谷区にあるちいさなパン屋さんなのだけど、ここのパンがハンパなく美味い。どういうふうにかって言うとですね…


 このお店はクロワッサンが一番人気で、もちろんこれも最高のクロワッサンで、「瀬谷の逸品」に認定されてる。でも俺の一番のお気に入りはバゲット。外側のクラストは実に香ばしく、内側はしっとりだが小麦の風味がしっかりしていて、ニッポンでフツーの軟弱なフランスパンより少し硬めのしっかりした焼き上がり。噛めば噛むほど旨みが口に広がる。これとハム、チーズだけあれば(僕は下戸なんでワインは不要)立派な食事で、値段もけっして高くない。

 フランス海外領土のニューカレドニアバゲットがとても美味かったことを思い出す。ここのバゲットも値段が安く、つまり庶民の日常のひとつだ。全体的に物価が高いニューカレドニアのこと、なにか訳(税率が違うとか、政治的な何かか)があるとは思うんだが…



 豊かになった現代のニッポン、お金さえ出せば美味しいものはナンボでもあります。でもそういうんじゃなく、毎日の生活の中にあるフツーのものが素晴らしい、それが豊かさなんだと思います。てか俺はそう思うんで、自分自身もなるべく日常の中の、手の届く目の前に生きた音楽を提供したいと思っています。


 オジさんこのトシになると恥じらいナイんで、自分がわからないことはスグに訊くから、トーゼンこのパン屋さんのご主人にも「どうしたらこんなに美味しいパンが焼けるんですか?」って訊いたことがある。そしたら一言、


「丁寧に作っているだけです」


 と言われて、結構オドロイタ。いや、丁寧に作ってないと思っていたわけではもちろんなく、同じセリフをその前に2回も聞いていたからだ。


 ひとりはウチの近くにあるラーメン屋のご主人。いずれ改めてご紹介しますがここのラーメンもハンパなく美味い。そしてそれがコケおどしでない証拠は、毎日でも食べたいラーメンなのだ。インパクト重視系は一口めはいいが、完食するころにはモウケッコウになるからね。もうひとりは俺の昭和ポンコツバイクをメンテナンスしてもらっている、調布市下石原のモトショップ・ダブルフットのご主人だ。33歳にもなる俺のGSが普段使い出来るのはひとえにこのひとのおかげなんだが、この2人がまるで打ち合わせでもしたかのように同じセリフを吐いたのだ。


 アリガチな、勘違いした精神論のように「技術は足りなくても気持ちで補う」ていう訳じゃない。それこそラーメン屋でままあるように「一生懸命営業中!!」なんてことを店の入口にデカデカと書いたりしない。プロが一生懸命仕事するのはアタリマエ、3人とも確実な技術を持つ、俺が本当に尊敬するその道のプロだ。でもどれだけ技術と経験に長けても、結局、いちばん大切なことはどれだけ「丁寧に仕事する」か、なのだと改めて思った次第。


 そして面白いことにこの3人に共通していることが、3人とも「一匹狼」だということだ。パン屋さんとラーメン屋さんはお店を奥様が手伝ってはいるが、「作る」ことに関しては一人でやる。ダブルフットは従業員なし。そして頑固者(皆様ごめんなさい)であることも共通している。


 バゲット、食べてみたくなったでしょう?お店の場所はここです。


ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネ



横浜市瀬谷区阿久和西4-4-10 TEL045-391-8033 
 9:00〜18:00  日曜・月曜定休























 


































































m(_ _)m

楽器のあれこれ

🎵 リヒャルト・ハンミッヒ 🎵 2024/02/19

 今日の最後の生徒さん、このひとの楽器は旧いオーガスト・リヒャルト・ハンミッヒなんですが、吹き始めたらいきなり「ひゃらほへー」って。あーこれはトリルキィのバネが外れたな、て思ったんで、「ちょっと貸してみ」。でもパッと見どこが外れてるかわからないんですよ。

 なんで発見しにくかったのかというとドイツものお約束のスチールバネを、それも針バネでもないごんぶとを、とーっても少ないストロークで使っているんですね。だからバネ自体もシャフトに近いし、バネ受けも凹みが小さい極小サイズ。(画像はボクのムラマツ。リヒャルトではトリルキィバネ周辺はこんなにハッキリ見えない)。

 うーん、と思わず唸る作りです。それらこれらって、今回のようにうっかり引っ掛けて外してしまう、みたいな事故のリスクは増えるとは思うんですが、精緻な作りであることには違いない。

 たしかに、鉄バネらしからぬ、金バネの必要を感じさせない軽いキィタッチです。リペアさんの仕事も効いてると思うけど。旧さから言って東ドイツ時代、リヒャルトのオヤジ(失礼!)が材料の入手にも不自由な状態、金バネなんてとーんでもない、の状況で一生懸命作った楽器なんだと思います。

 リヒャルト・ハンミッヒって、学生時代憧れの楽器だったんですよ。小泉 剛先生門下の友人が先生所蔵の楽器を借りてて吹かせてもらったんだけど、いくらでも息が入ってコントロールもちゃんと効く、っていう楽器でした。そのころは若気の至りでパワー第一主義だったからね。

 その印象が強烈だったんで、その後楽器屋さんとかで見かけるたびに試させてもらったんですが、個体差が大きいのか、精緻な作りゆえにコンディションを保ちにくいのか、残念なことに二度と同じような印象の楽器には出会わなかったのですね。あの楽器は小泉先生のパワー吹き込みの成果だったのかな?

 彼女の楽器も「息が入る」というよりは「ドイツものらしからぬ(という表現が偏見なのかもだけど)繊細な音質」です。メナートとかに近いかも知れない。


 今ボクが興味深々なのは、こういう仕事が出来る人って、どういう人となりだったんだろう、ということ。もしかしてものすごく神経質で、お茶碗お椀お箸の置き方が1mmでもズレてると怒るひとだったりして。それって家族は大変だよな🤪



🎵 コントロール 🎵 2024/02/12

 メインに吹く楽器、少し若返りました。
ムラマツ・スタンダードの21000番代。たぶん1978年の製造だと思うから、CADETよりは20年くらい新しい。天下のムラマツだから、メカに対しての不安もだいぶ減って…

 ただし、例によってですが頭部管はオリジナルではありません。形状から言ってムラマツ製だと思いますが、CADETに装着していたものとは違って銀製です。

 CADET(頭部管はムラマツ72)でトレーニングしたのは、ざっくり要約すれば「40年以上慣れ親しんだストレート歌口のアンブシュアからの脱却」と「口内圧に依らない音のコントロール」だと思う。旧いムラマツの波型頭部管って「口内圧コントロール」が効かない、効きにくい気がします。通常口内圧のコントロールで吹くべき要素を他のコントロール(この場合流速)に置き換えなければいけない。

 あ、「口内圧コントロール」や「流速コントロール」って、あくまでもボクの感覚で命名した(笑)用語ですからね。フルートが鳴るのって物理現象だから、振動数が多い(音が高い)音を発音するには息のスピードが必要なのは、ヴァイオリンの弓を見ても明らか。低音はその逆。だからこの場合の「口内圧」「流速」てのはあくまでも、物理的な原則を踏まえた上での感覚的なもの。それに、そこをコントロールしようとして付随的に変化している他の要素もあるだろし。

 現代の楽器、それもクーパー以降はフツーにこの「口内圧コントロール」を使う前提になってると思うけど、旧い歌口はそういう概念があまり(ぜんぜんとは言いません)なかったんじゃないかな?ムラマツ波型歌口ならではの特性もあるとは思うんですが。でも現代的なコントロールがほとんど効かないオールドを吹いていると、なんかタイムスリップしているような楽しさがありましたが。

 例によって多ジャンルを吹いての「ツブし」の効き加減を、あちこちの現場で吹き比べて確かめた結果が同形状の銀製への移行に。形状から来る自身の身体的条件との相性は確認済みだけど、ボディも含め銀管だとかなり「現代的なコントロール」も効くので。



 あー2本をあちこちへ持ち歩くのは重かったぁ… (他の楽器のひとに怒られそう)




🎵 肉まんの響き 🎵 2023/11/31

 CADET-72Ⅱ(ボディがベトニー・カデット、ヘッドがムラマツmodel72の2本目)、だいぶ身体に馴染んできました。コイツの持ち味は他の楽器とはかなり違った響き。その特性から、ゴリゴリ行きたいときについつい吹きすぎてコントロールを失い気味だったんですが、そのへんのツボがだいぶ飲み込めてきました。

 けっしてパワーの入らない楽器ではないのですが、他の楽器ではフツーに出来る、「硬い音色(ねいろ)でゴリゴリ吹く」は上手くいきません。鳴らし方にコツがあるというか、彼女特有の「響き」から逸脱しないようにコントロールしてあげなければなりません。

 あらためて手元にある他の楽器を引っ張り出して比べてみても、このような響きを持つ楽器はありません。で、このCADET特有の響きをなんと表現しようかと考えた結果が、

 「肉まんの響き(笑)」

 ここで「時空を超える響き」とか言うとカッコいいけど、胡散臭いだけだから。フツーの、というか、井村屋やコンビニの普通サイズの肉まんではなく、横浜中華街「江戸清」の巨大肉まん。華正楼も捨てがたいですが、江戸清のほうが皮がふわふわで厚いんです。CADETの響きはこの江戸清肉まんの皮を思い出させるんです(おまえだけだって?)。音の芯が中身の具で、特有の響きがふわふわたっぷりの皮。名付けて「肉まん奏法」。ふわふわの皮がうまく出現するように吹いてあげないといけないのですね。

 肉まんのイメージでフルートの響き考えてると、「そういえば新しい楽器ほど皮が薄いよな」と。たぶんフルートにヴォリュームが求められるようになった結果だと思うけど、みんな「具をガッツリ」で勝負しようとしている気がする。味付けも濃くなる一方のような。「濃い味付け」方向で「ピザまん」「カレーまん」「角煮まん」とかのバリエーションつけようとしている気がする。

 そのような楽器はフルートが発音している音は「具」だけと捉え、その場の空間を「皮」としてそこの空間トータルの肉まんとして響きを創るわけですが、それってコンパクトな空間では薄皮にならざるを得ず、なにより傍らで聴く音が、特にデッドな場所だと「具だけ」状態なんだよね。「出来のよい皮」は「質のよい空間」に依存することになるわけで、なんか他力本願的で好きじゃない。

 よく生徒さんたちは「大ホールのいちばん後ろまで届く音で吹きなさい」と言われるわけですが(ボク言わんけど)、それは「強力な具」(必ずしもキツい音、というわけではないですが)でホール空間を「皮として」機能させる、ということなんですね。時として誤解して「突き刺して透す」になってるけど。

 逆に楽器自身で「肉まん」として成立している響きというのはある意味大ホール向きではないと思いますが、自分の使い方からすれば問題ではないです。もっとコンパクトな空間、あるいはマイクが相手ですから。


 まぁそんなアホなこと考えながらフルート吹いてるヤツはいないよね。ほかには…





🎵 オカルト?プラセボ? 🎵 2023/06/08

 例によって楽器とはゼンゼン関係ないところから入りますが、最後はちゃんと楽器のハナシになるのでしばしお付き合いを。

 2016年、天下のトヨタが「クルマのバンパーにアルミテープを貼ると走りが変わる」と言い出しました。トヨタは実際に純正の補修用パーツとしてそれ用に成形したアルミテープを販売していますし、ノア・ヴォクシーなどは新車から装着しているそうです。リクツとしては「プラスに帯電している静電気を逃がすことでボディ表面の気流を整える」ということらしいです。ボクぜんぜん理系アタマじゃないんで、理解にモンダイあるかもしれませんが…

 この手のアクセサリーパーツって、〇ートバックスとかのカー用品店に行けばあれやこれやとあります。過去、「世紀の大発明」みたいなうたい文句で登場したけどその後消え去ったものも数知れず。クルマニアの間では「あれらはプラセボ」というところに落ち着いていますが、なかには実際に効果があるものもあるからハナシがややこしいことに。でもいずれも「劇的な変化」ではなくて「気のせいだよ」って言われると「そっかな?」ってなってしまうレベルだからと思うんですが。

 でも今回は言い出しっぺが「天下のトヨタ」ですから、信用上オカルト・プラセボレベルのものは公表しないでしょう。実際にテストした自動車評論家のセンセイたちのコメントによれば、別に「トヨタ純正部品」である必要はなく、小さいものでもそれなりに効果はあると言う。で、通勤1号車だいちゃんに貼って実証実験してみようという企画(笑)。画像がそれなんですが、フロントのカウル下側、ちょとわかりにくいと思うんですが、20mm幅の3M導電性アルミテープを40mmくらいに切って、カウル下端左右に貼ってみました。

 結論

 サプリですね。これ。効かないわけじゃない。でも「劇的」には効かないです。

 だいちゃん、極低速域(停止直前ですね)でふらつき気味になるのが気になっていて、そこに効かないかな、と期待して試してみようと思ったんですが、わずかに効きます。あと、スロットルがわずかに軽くなった気がします。フロントフォークの動きも心なしか少しスムーズになったような…

 静電気を放電(中和?)する効果って、空力的なものだけではなく、可動部分の動きをスムースにする効果もあるそうです。トヨタ以前でも経験的に「バイクのリアサスに貼ると動きがスムースになる」が知られていたそうな。これで本当に静電気が中和されているのならば、実際にふらつきに効果があるのならば、それはステアリングコラムシャフトの動きがスムースになった、てところなんじゃないか?シャフトなのかベアリングなのか、ほんの少し「動き始めに力が要る状態」になっていて、その反動でふらついてたんじゃないか?と。

 スロットルも、10年取り換えていないアクセルワイヤーがケースのなかで、静電気のせいで摩擦抵抗が増えてた?そこらへんが緩和されたんじゃないかと思います。フロントフォークもですね。空力的な部分は、アルミテープ貼り付けてから高速走ってないんでまだ解らないんですが。

 懐疑派が反論の根拠にするところは「じゃあなぜメーカーやレーシングチームはやらないのか?(トヨタは純正採用しましたが)」というところですが、やはり効果があるとしてもわずか、そこの対策するなら他の方法で、というところなんでしょう。ぶっちゃけだいちゃんは1981年式のポンコツだから、もしコラムシャフトに問題があるなら本来の対処方法はパーツ交換、てことでしょう。なんならチタンコーティングもして。「静電気」ってことは湿度その他の条件でも結果は変わって来るはずで、常に安定したデータ(?)は出ないんじゃ?F1チームにしたって不安定な静電気対策なんぞをする前に、もっとまっとうな空力追求がある、というところなんでしょうか?ニューウィー先生に直接聞いてみたいところではありますが。

 実は以前にも、アルミテープではなくて「静電気放電ナット」を試したんですが… 通常のナットにトゲトゲを溶接したもので、このトゲトゲが静電気を空中放電する、ということだそうです。これをバイクのキャブレター近くのナットと交換すると、たしかに変化があります。メリット的には高回転域のパワー感が少し増したり、デメリット的には極低回転域(スロットル開け始め)の粘り感が少し減ったり。最初はその変化を実感して「おおお!」て思うわけですが、落ち着いて考えてみると「キャブの口径upと同じじゃね?」と。デフォルトのキャブよりも口径の大きなものに替えると同じような変化になります。てことは、それを狙うならばイマイチ不確実感のある静電気対策ではなくて、キャブ口径upしたほうが確実、てなりますよね?


 お待たせしました。やっと楽器のハナシになります。先日ウィキ先生を見ていて驚いたんですが、フルートの発音原理に関しては実はまだ定説は定まっていない、と。あーらびっくり。メーカーも、われわれ奏者も「経験的」に対処してきただけで、科学的根拠には基づいてなかったんですね… (まぁ科学的だからよいとは思いませんが)
 その「経験的」なところから思ってたんですが、音量の限界のひとつって、歌口から気流が剥離するところなんじゃないか?まぁそれだけではないとも思いますが。でも静電気中和がクルマのボディ表面の気流を整える効果があるのなら、もともと導電性の材質である歌口(フルート)だってひょっとして…

で、

 ちょっと効きます… 効いてると思う。リッププレート向こう側の「息離れ」に関する部分で。ラテンのフレーズにあるパーカッシブなハイノートなどは明らかにヒットするエリアが広がったと思います。導電性である金属製のフルートが帯電するのか?楽器は人間が持っていて接地していないのですから、まぁアリエルのかも。ただ、楽器のチューニング(ピッチではなく)ってキモはは「バランス取り」だと思います。ファインチューニングの範疇ですが、交換用のクラウンや反射板、ウエイト付加用のアイテム。それらに交換して当然起こる変化がまさに自分が求めていたもの、デフォルトでは不満があったバランスの取り直しになるならばいいですが、世の中そんなに都合の良いことばかりじゃなく、が現実でしょ?単純に楽器のウエイトが増えれば傾向としてはfのパワー(感だけだったりするけど)増大、音の深み増す方向、でもデメリットとしてはレスポンスの悪化とか、pでの響き悪化がよくあるパターンかと。いずれにしても、「取り付けただけ(交換しただけ)」で全てが良くなる魔法のアイテム、なんぞ存在するわけがありません。もし「方向性として」それを「採用」したほうがよさげ、の場合でも他の部分もチューニングしてバランス取り直しが必要なはずです。メーカーが纏めたバランスを「崩す」のですから。

 販売されているものには見向きもせず(笑)、自作のチューニングアイテムを複数ブチ込んでいますが、アルミテープ貼り付け以前の状態からはあちこちでバランス取り直しする必要が生じました。どこをどうしたのかはすみません企業秘密なので…

 究極バランスが取れているのはやはりメーカーが出荷したオリジナルの状態だと思います。でもメーカーのバランス取りの段階でボクの唇とか息は要素に入ってないからね。ボクのように口端が上がらない(上がりにくい)唇はメーカーが想定のアンブシュアには含まれていない気がします(あるいはあくまで少数派として切り捨てられている)。工房系で製作者と相談してハンドメイドで作ってもらえば、とも言われますが、自分でもよくわからないアタマの中の音、音楽のイメージを言葉で説明できるとも思えず、「吹いて聴かせてもらえば」と言われても毎日違うことをやってる人生、「・・・・」とならざるを得ず。長年の「ひとりでできるもん」追求の結果、ベースにどういうものを選べばよいか、どこをどうイジれば好みのバランスになるか、もだいたい把握しましたから、自分でやります… 自分の◯◯は自分で拭く。





🎵 笛の音(ね) 🎵  2021/11/13



 世界中の祭礼・式典でさまざまな笛が使われます。楽器の種類としては打楽器と笛(タテヨコ含め)の仲間が一番登場頻度が高いように思われます。

 物語にもよく登場します。「ハーメルンの笛吹き男」は有名ですが、インドのクリシュナ神も横笛を吹いて羊飼いの娘たちをうっとりさせた、と伝えられていますし、「魔笛」のタミーノも笛の音で野獣たちを手なずけた。ドラクエにも「妖精の笛」があるし、プリキュアの笛は娘が持ってた(笑)。

 打楽器、太鼓、パーカッションの類いって「身体で聴く」イメージがあるけど、「笛の音」にもなにか、そのような「魂」なのか「無意識」なのかに訴えかける効果があるんじゃないか?と笛吹きの自分は思っているのですね。そもそもが自分自身がそれにヤられて笛吹きしてるのかも知れないのですが。

 幼稚園とか保育園で子供たちにフルート吹いて聴かせると、まぁ毎回ではないですがかなりの頻度で、終わったあと「スススー」って寄ってきて「ピトー」ってくっついてはなれない女の子が現れます。小学校でもいたなぁ。共通しているのは活発でよく喋る子ではないということです。なにかうまく言葉にはできないことを訴えている感じです。

 今の時代、下手するとセクハラに間違われかねないのでこっちが慌てるんですが、たびたびともなると彼女たちが何を感じているのかを是非知りたいのです。

 もうひとつの忘れられないエピソードは、悲しいことにお弟子さんのひとり(僕より年上ではありましたが)が亡くなっての告別式で、頼まれて吹いた時のこと。吹き始めるやスグに、風もないのに本堂の窓が全部ガタガタと鳴り始め… こちとらタイタニックの楽士じゃないですが途中でやめるわけにもいかず… そのうちに周りの会葬者がざわついてきて「きっと〇〇さん(故人)が聴きにきたのよ」と。


 〇〇さん、もうすこし静かに現れてくんないかなぁ(笑)。あるいはご本尊様が「テメー下手糞な笛吹くんじゃねえ!」てお怒りだったか?いずれにしても「笛の音」にはなにか不思議な力があるんじゃ?とますます思える今日このごろ。「笛の音」だけではなく「音楽」になのかもしれませんが… 納得できる答えを知りたいです。




🎵 鈴効果 🎵  2021/04/05



 「鈴」ってだれでも身近に2~3個はころがってるもんじゃないかと思いますが…


 ボク以前から不思議に思っているんですが、あれってサイズの割に音大きくないですか?まぁモノによってさまざまでもあるし、サイズもいろいろありますが。
 
 商売柄、「音の出るモノ」すべてに興味があります。そのなかで「サイズの割に」と感じるものって、自身の音を効率よく出すことの参考になるんじゃないかって、特に興味が湧きます。
 
 例えば「鳥のさえずり」。特にウグイス(シツレイ、「モノ」じゃないですね)。やたらと「透る」じゃない?もう一昨年になってしまいましたが、ウチのそばに「トッポジジョ!!」て囀るウグイスが縄場って、毎日楽しませてくれたんですが、居場所を変えながら、かなり遠くのほうで囀っていてもはっきり聞こえます。フルートなかなかああはいかん(汗)。

 で、「鈴」も、「この大きさでこんなに大きな音が」の部分にとても惹かれるのですね。オマケにフルートと同じく、大きさによって、は、まぁ想像つくとしても、材質やつくりによっても音は違う。そういえば仏壇の「りん」も、教会のカリヨンもお寺の梵鐘も、音がよく透りますよね。梵鐘なんか成分的にはけっこう低い周波数帯域だろうに。


 ウチの生徒さんのおひとりに、「とんでもないこと」(笑)考えついたひとがいて、ボクも面白がって一緒にあれこれ試してるんですが(笑)… 公表するにはまだチトはやいかな(笑)。
今のところ、「鈴効果エフェクター」とだけ言っておこう。楽器に取り付けるアイテムって基本的に邪道だと思ってるんですが、あくまでも「ボクの好み」には合うかもです。この手ってエンジンオイル添加剤と同じで(笑)「気のせい」なのか「実際に効果あり」なのかの見極めがムズカシイと思うんですが、研究成果報告はデータ(?)が出そろってからということで(笑笑)。






🎵 ジャルマ・ジュリオ 🎵  2020/12/25



 コロナ禍でウチにいる時間が増えたおかげで、楽器庫(=押し入れ)の楽器をあれこれ引っ張り出してきて彼女たちの個性の違いを楽しむ時間が増えました(笑)。


 フランスのジャルマ・ジュリオ。オールドフレンチ界ではロット、ボンヴィル、ルブレと共にトップ4と言われる(言われないって?)楽器ですが・・・

 オールドフレンチって基本的に興味なかったんですよね。自分自身の音の好みから言っても「楽器はドイツだろ」って思い込みもあったし。メナート、それもフランツ時代の旧い半木管メナートを愛用していた時間、長かったですし。

 でもあるときふと、「フレンチを知らずに終わるのもなんだかな」と思い立ち、お気軽に手に入れたのがこれ。ロットやボンヴィルじゃ、とてもじゃないですけど「お気軽に」は買えないですから。


 ジャルマ・ジュリオのマイショー製・カバード(?)C足トーンホールハンダ付け。オールドのフレンチって、洋銀管(今の洋銀とは成分が違うそうなんですが…)でもソルダードのトーンホールってけっこうあるんですね。まぁ当然とこととしてトーンホール引き抜きの技術が開発される前はソルダードで造るしかなかった訳ですが…

 1950〜55年くらいの製作と思われ、コンディションは、入手したときから悪くなかったです。あまり酷使されていなかった(そういうのを選んでいるんですが)雰囲気で、パッドも割合最近に交換されているようです。微調整と、使うことでの馴染みで済む状態。

 「工芸品のような」と形容されるロットとは違い、ポイントアームの造形は粗いし、Gキィのポストなんか若干傾いて立ってる(タンポは合わせてある)けど、その辺は二の次にされているようですね。


 で、肝心の音のほうなんですが、ソルダードトーンホールの影響がすべて、とは思いませんが、いやぁ個性的、というか、ドイツものとも日本製とも違いますね(あたりまえ?)。「本来はこうよ」と楽器に言われているような息の入れかたをすると、いわゆるのフレンチらしい、古い録音で聴いたような音がしますが、微細な、わざと支えていないような息を入れても(邪道だとは思いますが)そこそこ反応します。なのでジャズ・ポップスで使うウィスパー的な発音が結構やりやすいです。
 「個性的」は肯定的な表現ですが、ネガティブ表現での「クセ」も満載です。ある意味だれにでもフレンドリーになってきた(販売戦略でもあるけれど)現代の「モノ」とは違い、モノにもっと主張があった時代の楽器は、製作者の意図から外れるとうまく鳴ってくれませんが、それを上手く探り当てられると楽器が、製作者が「そうそう」とほほ笑んでくれているような感覚があります。この楽器の場合、前述のような邪道的扱いでも許してくれる部分もあるので、めちゃくちゃ頑固なおばあちゃん、というわけではありませんが…
 オールドフレンチでよく言われる「中音C#が高い」はたしかにその通り。ほんの少しだけキィの開きを詰めてみましたがまだ高い。速いパッセージはともかく、4分音符以上では替え指必須。でもこんなことはC#ホール位置の設計でどうにでもなるはずなんで、なにか他の要素、C#以外でここを開放するフィンガリングとの絡みでそちらを優先したとしか思えません。おそらくここを変えるとオールドフレンチに共通する音色感、おおげさに言えば世界観が変わってしまうのでしょう。

 上手く扱わないとただの音程悪い、線の細い、息の入らない楽器ですが、音楽的だし音量も必要充分ですね。


 たしかに、オールドフレンチの音を形容するときによく言う、「粉砂糖振りかけたお砂糖菓子のような音」です。で、これでごりごりジャズなんか吹いていると、なんかイケナイことをしているような、子供時代のイタズラやらかしてた時みたいな気分のような、あるいはパイ投げでもしているような破壊的爽快感がありますが、度を越すと楽器に拒否られる感触は当然あります。当然現代の、それもゴールドの楽器とかには及ばない部分もあるわけで、どっち取るかですね。



 フランス人やるなぁ。






🎵 キィワーク 🎵  2020/11/17



 アメリカ製のオールド、ベトニー・カデット。
 パッと見、目につくのはメナートの金属管のように、ポストリブを持たないポスト・管体直付けというところです。「メナートの」説明によれば、管の響きを止めないように、とのことですが、銀管だとやはりキィポストの設置方法としては少々華奢で、キィバランスが狂いやすい、という評判がこのタイプのメナートにはあるようです。コイツは肉厚の洋銀なのでまぁ大丈夫かと。他の楽器の扱いに増して衝撃を与えないように、とは気をつかっていますが・・・

 よく見ないと解らないところにもいろいろあります(笑)。画像で解るかどうかなんですが、キィカップとシャフトが同一平面上にありません。カップに対してシャフトが低い位置にあります。


 これが意図した意味をいろいろ考えてみたのですが、たぶんシャフト側と反対側でタンポがトーンホールに接触する時間差を少なくしようとしたのではないかと。その効果は… うーむ、ある気もしますが、他を同一条件でここだけ変えたものと比べないと、正確なところは解らない、というところがホンネです。もうひとつは、このキィの形状によって右手は指先以外の部分が楽器に触れにくい。自然と教則本的な「まるみを保った指のかたち」になる傾向があります。指から見るとキィカップが前傾していることになるので、カヴァードキィであることもあってたまさか見かける「伸びた指」になりにくい… 「CADET」はベトニーのステューデントモデルの位置づけですから、「正しい手のかたち」の習得のため?深読みしすぎかな?このことでタンポ合わせがやりにくい… のかどうかは、自分でやらないでいつもお世話になっている田村フルートさんにお願いしたのでわかりません。たぶんやりにくかったと思います。いつも有難うございます・・・


 Bettoney-CADETは生産が続いていたあいだにコストダウンの為どんどんデザインが変わっていったようで、ボクのは足部管のダブルローラーキィや、キィカップのデザインから言って1955年よりもう少し旧いかも知れません。求むデータ(笑)。シリアルNoは7935です。ロットのように100年選手とまではいかないとしても、ボクよりお年寄りなことは確かです。






🎵 オイル管理 🎵  2020/07/23


 キィのオイル管理なんですが、

 海外製の、しかもイイお歳だと、けっこう悩み事が多いです。国産大手メーカーの楽器で、フツーのキィオイルを使って問題が出なければべつだん悩むこともないですが、われわれって、キィタッチのビミョーな反応で「あ、そろそろオイル切れかな?」て判断するじゃない。でもこのメナートの場合、フツーに注油してても、「また抜けた感」が出るのが早いんじゃね?と。

 もう10年以上のお付き合いで、いままでとくにキィ周りのトラブルは出ていないんだから気にしなくてもいいかとも言えるんですが、先日、Aisレバーの動きがちとニブいかな、と感じたついでに、オイルの廻り具合をチェックしてみることにしたんですね。

 木管フルートって、ちょっとしたキィの動きのニブさを甘くみているとヒドい目に会います。キィの動きが悪くなるのは、どうやらボディが「ゆがむ」ことからくるらしい。「チィーと動きが悪いかな?」を放置しとくと、湿度の低いホールや、スポットライトの直撃を受けるライブハウスで突如固着します。過去、他の楽器でどんだけヒドいめに遭ったか。温度、湿度の変化で伸びたり縮んだり、反ったりあくびしたり(?)しているらしいんですね。木の「枯れ具合」とも絡むらしく100年もののオールドとかにはこの症状はあまりなく(まぁキィクリアランスも大きくなっているんでしょうが)、新しいものほど目立ちます。このメナートボディは推定年齢60歳くらいなので、「枯れる」までにはもう少し、ということなんでしょうか。

 いつもと同じように注油してから、少し時間をおいてキィの連結調整ネジ部の、ネジ頭と連絡プレートの間に「メンズフェイスあぶらとりフィルム」の細片を挟んでどのくらいオイルが滲んでくるかを見ます。(上の画像のFis連結部に挟んであるんですが、見えないですよね…)


 高価な「和紙なんちゃら」の必要はなく、この合成素材フィルムのものが一番よく吸ってくれます。

 で、結果はというと、

 画像のFis連結部は何回取り換えても漏れおさまらず、つまりオイルは充分に廻っている(この場所には注油していないので)ということなんですが、逆に過剰注油状態かと。でも例の「オイル切れた?」感に従ってなんで、さほど過剰な頻度とは思えない。
 うーむ、現代の楽器と比べたらやはりクリアランスが大きいか?てことは「旧いバイクには堅めのオイル」と一緒で、もう少し粘度が高いもののほうがいいのか?

 Y社のキィオイルだと、クラリネット用の、もうすこし粘度が高いものが手に入るので、それにしてしばらく様子を見ることにします・・・





 
🎵 使い分け 🎵  2010/01/07



 よく質問されることに、「クラシック音楽」と「ジャズ」(「ラテン」、「ポップス」て場合もあります)の違いってなんですか?というのがあります。

 ハイ、お答えします。無理を承知でひとことで言ってしまえば、「価値観の違い」ということです。( ̄□ ̄|||) 「各要素の優先順位の違い」とも言えるかもしれない。ネイティヴではない、かつ無宗教者が各地・各文化の音楽を客観的にとらえようとすれば、そういう結論にならざるを得ないと思う。ネイティヴは、その地、その文化のなかで生まれ育ち、意識無意識に伝統を受け継いでいる。それに対してヨソもののアプローチは違うべきと考える。

 自分の立ち位置、価値観だけでモノゴト○×決めるから、未だに世界中紛争が絶えないんじゃ? 同じ「音楽」である以上、そして同じ「ニンゲン」の行う行為である以上、根底にあるものは一緒なのですが、クラシック(正確にはヨーロッパ古典音楽かな?)では重視することがジャズでは二の次、ジャズで重要なことがラテン、エスニックでは三の次、ということがあると思っている。


 クラシック音楽は発祥からしてヨーロッパの王侯貴族・上流・特権階級、そして教会からのもの。他の文化でも、たとえば日本の雅楽(これはルーツとしては中国から朝鮮経由…てことはもっと西にも辿れるわけですが)や北インド伝統音楽のように、「宮廷音楽」として、似たような歴史的背景を持つものがあります。そしてそれらは基本的には「お勉強」「伝承」あるいは「教育」しなければならないもの。伝統をキチンと伝えるためにも、長年の「修行」を要求するものです。対するジャズやポップス、○○音頭の類は、基本的に庶民の音楽です。いわゆる「大衆音楽(という言い方は差別用語クサくて気に入らないのですが)」。最終的にはカッコよくてナンボ、楽しくてナンボ。まぁいずれにしても何も気にせず好き勝手やっていいわけではないですが。

 また、これもよく質問されることではありますが、「アドリブ」(あるいはインプロビゼイション=即興演奏)と「デタラメ」は違うのです。それぞれの音楽ジャンルでのアドリブはそれぞれのジャンルでの歴史を背負っていて、かならず「伝統」を感じさせるフレーズが含まれています。
 「庶民の」音楽であっても、例えば世襲の職業音楽家が多いハンガリーのジプシー(は現在差別用語なのですが)バンドや、キューバのバンドは世襲が多くて、つまりは親父からキビシく仕込まれている。無意識だったとしても「伝統」が刷り込まれているわけですね。オヤジやセンパイが吹いていたフレーズが受け継がれているわけです。


 それぞれに違う歴史・宗教・背景を背負っているのだから当然のことではあります。それらをすべて説明していると長くなるので本題に戻りますが、求めるものが違う以上、楽器に求めることがらも違ってきます。

 学校教育のおかげ(多分に偏向していると思うが)で、ある意味、一番理解されているのは「クラシック音楽的価値観」と言えますから、便宜上それと比較してお話しすると、まず音、音色に対する美感・価値観が違う。それによって奏法が変わります。ジャズフルートの伝統的な奏法では、音色の変化はさほど重視しません。個性の次元にかかる要素でもありますが、意識的に音色の変化を「拒否する」指向もあります。ヒューバート・ロウズやルー・タバキンのようなフレーズ、いわゆる伝統的なバップのフレーズには、過度の音色変化は似合いません。音色の変化を意図的に抑えることによって、逆にフレーズの構築感を際立たせたい、という意図があるからです。


 ただ、過去の巨匠の演奏に関して、あえて誤解を恐れずに言えば、サックス持ち替えのジャズフルートプレイヤーは概して、フルートのアンブシュアコントロールに関しては、クラシック奏法の観点から見ると、必ずしも理想的な状態でないことが多い。「フルートの音」が欲しいときにフルートに持ち替えるんで、「パワフル」とか「泣き」のときはサックスでやればいいわけですから。音色のコントロールアンブシュアと呼吸法の協調した、時間をかけての追求が必要な、デリケートなテクニックですが、そこらへんの重要度があまり高くない訳ですね。

 やはり価値観から来ますが、ヴェルカントのようなトーンはジャズにふさわしくない…という理由もあります。いかにも「鍛え上げました!」的な美声が常にベストなのか?

  伊集院光さんのギャグで、なんでもかんでもオペラ風に歌うの、ありましたよね。コンパクトな会場でクラシックのソプラノ歌手が歌うとその声量に圧倒されますが、だからと言って「ミスティ」をその声で歌われてはタマらない。「わたしを見て、みて、みてええええええおりゃあ!」みたいでしょ。
 サックスのアンブシュアとの妥協点、という現実的な問題もあります。ランボーな言い方ですが、いわばフルートを初めて持った中学1年ボーズのアンブシュア状態を、それを逆手にとって個性にしてしまっている、とも言えます。そしてそのスタイル・音色感が、ジャズフルートの伝統の一部になっている考えています。
 
 ヒューバートはフルート専業(サックス吹かないらしい)ですし故ジュリアス・ベイカー門下のジュリアード出身で、学校出たてのころはメトのオケでトラしてたりしたそうですから、それにはあてはまらないようですが。ということはヒューバートのプレイで感じる抑制された音色感は、テクの限界から来るものではなくて、意図的になされている、ということですね。

 これらのことを理解しないと、「クラシック上がり」の場合、持っているテクがかえって足かせになる、というジレンマを生みます。テクは教わった、身につけただけでなく、それを使って何を表現するのか…自分が何を言いたいのかに結びつかないと何の意味もない。出来るテクはゼンブ並べればいいってもんじゃないです。ヴィブラートも、つけりゃいいってもんじゃないです。ジャズのフレージングの場合、必ずしもノーヴィブラートではありませんが、つけすぎるとそれだけですべてがブチコワシ。
 「歌う」ために、あえてチープな音色を選択するときもある。音大生・音大卒の生徒にジャズフルートを教えるとき、ここを理解してもらわないと「どこぞのお嬢様が不釣合いな赤提灯で飲んでいらっしゃる」ようにしか見えない(聴こえない)んだな。ドレス着てヤキトリ屋に居るようなもんですね。

 ジャズの場合、一般的に、レスポンスの早い楽器、かつ抵抗感はそこそこある楽器でないと吹きにくい。モニター環境がキビシいとき、楽器の抵抗感を頼りにしますから。あまり抵抗感がない、息を入れやすい楽器だと意図せずオーバーブロウになりやすいからだと思います。唇から出た後の息ビームは大気解放(?)なんで、実際には押し返してくるわけじゃないですよね。モニターからではなく聴こえづらいとしてもリアル聴こえる(もっぱら歌口からの)レスポンスということですね。
 そして音色の変化幅は狭くていいとしても、安易に発音したときにも、一定の音色をキープしてくれるようだと有難い。クラシック音楽的美感では、ひとつひとつの音を充分に「準備」したうえで発音しますが、アドリブ主体のジャズでは「思いついたものをスグ」吹きたいので。それでも破綻しないでくれると有難い。あまり「発音準備」が要る吹き方はキビシいです。反応が早いほうがいいです。現実問題ヤマハ211Sのほうがやりやすかったりするのはこの辺の事情から。クラシック音楽的美感そのままの発音では、フレーズ集をそのまま暗譜して吹いてる…アドリブではない…ように聴こえます。
 それに基本マイクを通して吹きますから、いわゆる「マイク乗り」…生音と録音された音、モニターを通して聴いた音色との違いが少ないことも重要。マイクはどうもフルートの基音成分を拾いにくい気がします。オールドのヘインズがジャズ屋に人気なのは、この辺の理由なのかな?

 これがラテンになると… ひとくちにラテンと言ってもこれもまた幅広いのですが、ラテンはとにかくリズムとノリが命。そのことを最優先に価値観が出来上がっています。いくらフクザツなリハモナイズしても、ノリが悪かったら意味がない。
 いわゆるキューバプエルトリコのスタイルは、過去長いこと、スペイン語で「シンコ・ヤーベス」(5つのキイ)と呼ぶオールドスタイルのフルートを使っていた伝統から来る音色感と、マイク(PA)がなかった時代の名残りで、使う音域がやたら高いのです。最高音F7まで、ほとんど高音域にとどまるのがスタイル。反対に低音域はあまり使いません。なので、とにかく高音域(超高音域)の発音が容易で、多様なアタックを許容する性格を持っていることが条件になります。とくにD7〜F7の最高音域は、楽器によって出しやすさがかなり違いますから。クラシックでも近代以降の作品では、D7はわりあいフツーにありますが、(プロコフィエフソナタⅠmov等をはじめとして)キューバン・ラテンの場合これらのように「一発芸」ではなくその辺りに居続けますから、なるべく「口先吹き」で高音域が吹きやすく、あまりキツくない音色で吹けるものが望ましい。

 あ、でもね、キューバの連中ヘッドコルクを動かしていわば「高音域専用機」にしてますから、ノーマルのセッティングで対抗しようとするとアンブシュア壊します。
 
 シンコ・ヤーベスを吹くのはキューバでも年寄りだけになりました。お爺さん世代の、昔からベーム式を使っているオルケスタ・アラゴンの大御所、リチャード・エグエスや、峰岸門下の先輩でもある赤木りえさんは、少しでも音質を柔らかくということなのでしょうか、リップがエボナイト象牙?黒檀?樹脂?)の頭部管を使っています。エグエスの場合は単に入手しやすかった楽器が東側の、ドイツ風樹脂リップの楽器だったからなのかも知れませんが。プエルトリコ出身のネスター・トレスは頭部管のみグレナディラのものに替えています。デイヴ・ヴァレンティンやキューバの若手代表、マラカは普通の金属製ですね。たぶん銀。


 そのマラカなんですが、マラカのバンドとは昨年キューバでのベニモレ音楽祭で対バンになりました。というより行くまで知らなかったけどベニモレ音楽祭のオーガナイザーのひとりがマラカだったのですね。出番がマラカのバンドの直後で、正直やりにくいなぁ、と思っていたのですが、マラカバンド、すっかりラスベガスのショウバンドと化してて(実際1年のうちのほとんどはアメリカへの出稼ぎなのでしょう)、マラカ、歌ってるかギロこすってるかで、ゼンゼン吹かないでやんの。生マラカにケッコウ期待大きかっただけにがっくし。まぁ叩きのめされずに済んでよかったとも言えるが…









 ご質問は、yocchy6456@hotmail.co.jp まで





















































m(_ _)m 

空手道講士館 府中道場掲示板

2024/03/25更新

 

3・4月の稽古予定

講士館府中道場(6中武道場)2024年3・4月の稽古予定は下記の通りです。

3/1,8,15,22,29

4/5,12,19,26

 

19:00~20:00 少年部(中学生まで)

20:00~21:00 一般部・選手稽古 

 

 

★稽古中、武道場内の換気を行います。一部の窓・扉を開放した状態で稽古しますのでご協力よろしくお願いします。

 

★水筒の忘れ物が多くあります。戸締り時に発見(笑)したものはお預かりします。記名をよろしくお願いします。

 

★「サポーターないない事件」がしばしば発生します。みんなおなじものを持っていますから、外してちょっと目を離すともう自分のものがわからなくなってしまいます。手・脚サポーターともに、マジックで名前を書いてください。道着・帯にもお願いします。

 

 

 

★見学・体験稽古は随時受け付けています。動きやすい服装で金曜日19:00までに府中第6中学校武道場へお越しください(体育棟1F)。水分とタオルをご持参ください。

 

 稽古の予定が急に変更になる場合がありますので、変更の際はご記入いただいている携帯番号へショートメールでお知らせします。その際にはお友達同士でご確認いただけると助かります。まだ連絡用名簿作成用紙にご記入を済ませていない場合、ショートメールでの連絡が届いていない場合はお知らせください。

 

 

 ご不明な点はお問合せください。

空手道講士館 事務担当 上野善巳

yocchy6456@hotmail.co.jp    090-4727-5470

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学習塾だけが塾じゃない‼

 うえの善巳フルート塾

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 「フルート吹いてみたい」気持ち、お手伝いします。始めてみたい方、どうぞお気軽に。レンタル楽器もあります。

 「けっこう長いこと吹いているけどなかなか上達しない…」「一生懸命なのに上手くいかない…」方々もお任せあれ。上手く吹けない理由は何かを一緒に考えます。受験に特化した学習塾のような「塾」ではなく、「私的な学びの場」という本来の意味から「塾」を名乗ることにしました。「上手く吹けない」のには必ず「ワケ」があります。

 ボク自身、クラシックから始めてその後フュージョンサウンドにハマり、ひょんなことからソンのバンドで吹くようになり(これでキューバツアーにも行きました)、舞台劇伴とかも(これも世界中行きました)。録音仕事では演歌、CMと色々な音楽を、演奏することを楽しんできましたから、皆さんが好きな曲、吹いてみたい音楽をモノにするお手伝いが出来ると思います。スタジオミュージシャンを長く務めた経験を生かして「コンスタントに吹くには」「臨機応変に吹くには」をアドバイスします。ジャズプレイヤーとしてライブハウス、ジャズフェスで吹いてきた経験を生かして、「アタマでっかちでないアドリブを吹くには」をアドバイスします。でもひとはそれぞれですから、アタマでっかちがお好きな方には理屈マシマシで、「難しいことはキライ」な方には感覚最優先で進めます。

 

 人並み外れて(笑)節操のない笛吹きを自負していますから、たぶんどのような指向のかたでも一緒に楽しんでいただけると思います。クラシック・ジャズ・ラテン・ポピュラー・童謡唱歌、自作自演、どのようなご希望でも対応できると思います。そりゃあいろいろな仕事を吹いてきましたから。でもボク自身がいちばんやりたいことは「自作自演」なので、「自分で曲作ってみよう」と思う方にはご自分のイメージを曲にする作曲のお手伝いも。でも音大受験生とかには向かないですね… 

 自分自身がただ「楽しく吹ける」「楽しく聴いてもらえる」を追求してきたバカちんで、何のコネクションもありませんし… (笑)

 

 初心者OK! お子さんでもシニアでも。お子さんの場合は、楽器を持てる身長の目安が一応135cm以上です。今は頭部管をU字にしてそれ以下の身長でも持てるようにした楽器もありますが、必要な息の量や唇の大きさは同じだし、小さいお子さんではそもそも持って支えるのが難しいので、小学校1~3年のお子さんの場合は、ボクはオカリナを薦めています。リコーダーは小学校3年から学校でやるからね。シニアは、70代から始めてモノにする方、多くいらっしゃいます。音楽がお好きな方であれば、ほかには何の条件もありません。

 

現在、3ヶ所でレッスンしています。

 ★世田谷教室 (京王線千歳烏山駅 歩3分 メロディアスタジオ内)

毎週月曜日 個人レッスン30分月4回

月謝¥10000〜

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★是政教室(西武多摩川線是政駅 歩1分 豆茶房 でこ 内)

毎週日曜日 

アンサンブルクラス 9:00〜12:00

個人レッスン 13:00〜 (おひとり1h)

月4回レッスン 月謝¥6000〜(アンサンブルクラス・個人レッスン共)

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★戸塚教室 老人福祉センター横浜市戸塚柏桜荘「うえのフルートアンサンブル」(アンサンブルクラスのみ)

第1,3水曜日 11:50〜13:.40

月会費¥4000 (65歳以上で横浜市在住・在勤、楽器をお持ちの経験者に限ります)

 

 

 ご質問、お問い合わせどうぞご遠慮なく。

    yocchy6456@hotmail.co.jp  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

No Bike, No Life

2023/08/18更新

🏍荷物の積みかた

 リターンして初めて乗ったのはピアジオの3輪スクーターでした。スクーターの積載能力ってスゴくて、車体のトランクスペース+ジビの45lボックスも付けてたから、フルートにタキシード、自分用のAERアンプにその他ケーブル、小物モロモロ、全部積んでオシゴト行けました。その後ネイキッドのバイクになりましたが、これはAERとガーメントバッグ両方は無理だなぁ… 

 いまもナナハンにはリアボックス付けていますが、カブはいろいろ試した結果、放り込んでOKのカゴがベストかと思っています。速度遅いから。高速とかを走るバイクは荷物はちゃんと蓋がしまるボックスに入れるか、タンデムシートに念入りに括り付けないと風圧で飛ばしかねないですが。

 で、リトルカブにはプラスチックのバスケットを付けてたんですが、酷使と紫外線の影響で崩壊しそうな雰囲気になってきたので、こんどはカブらしくちーとレトロ感を強調してみっか、とボテ箱探してみました。骨董のくくりなんで結構いいお値段ですね…



 こんどはどんくらい保ってくれるかなぁ… 





🏍見たほうへ曲がるわけ

 だいぶ前にアげた、「なぜバイクは見たほうへ曲がる(と言われる)のか?」について、自分なりにオトシマエつけたのでご報告(笑)します。

 ええっと、「望む望まざるとにかかわらず」と申しますが、それによって違うようです。「望む」ばあいは… バイク、意識して目線を遠くに置かないとどうしても近くの路面ばかり見る傾向になる。で、コーナーの至近しか見ていないとコーナー全体、それにコーナー抜けた後の状況に目が行かない。コーナー全体のイメージを掴むことで、そのコーナリングに必要な身体のバランスが意識・無意識に整うんじゃないかと。ブラインドコーナーはペースダウンする必要があるのは危険性予知ができないのと、このことからもあるんじゃと思います。

 「望まざる」ばあいってのは、コーナーに侵入してから「やべ、オーバースピードだった」ってなって、突進する先のガードレールから目を離せずにそのまま突っ込む、ってやつですね。これはガードレールに突っ込むイメージから身体が緊張して堅くなり、そもそもコーナリング出来る身体のバランスじゃなくなるからだと思います。ヒドい場合はアタマカラダがパニくって固まってるかも。


 今となっては「目ヂカラ」とかではなくて、ちゃんとリクツが伴うんだと解りますが、ケッコー悩んだからねぇ。ベテラン諸氏からすれば「何をいまさらそんなことを」かもだけど。でもあちこちに「見たほうに曲がる」とは書かれているけど、それが何故かまでは書いてなかったよなぁ… (ボクは見つけられなかっただけか?)





🏍カブ旅

 このところ、「50ccのリトルカブでどこまでオシゴトに行けるか」にチャレンジしています(笑)。デカいアンプなどの機材やタキシードなどの大物衣装がいらないとき、といくつかの条件はありますが、将来的にはカブで全国行脚してまわりたい、と思っているのでその小手調べに。


 いろいろ気が付きましたが、まずは「入り時間が朝の通勤時間帯だとクルマやデカいバイクより速い」。その理由は、個人的にはすり抜け走行の範疇ではない「渋滞中のクルマの横を通って前に出る」から。大きなバイクだと遠慮してるんで。

 昨日は昭島市民会館に行きました。毎年恒例、毎年この時期に呼んでくださる昭島の幼稚園のオシゴトです(昨年は中止でしたが)。

 私立の幼稚園・保育園・こども園って意欲的なイベント行うところ、多いですね。先月はパントマイム・清水きよしさんにお供して相模原のこども園に行きました。そのときもカブで。

 で、昭島からの帰りにはいつも、あきる野の温泉に寄ることにしています。「毎年この時期」なんで、露天の温泉に浸かるにはいちばんいい季節です。

 リトルカブで来たのは初めてです。後ろのボックスにオシゴトの衣装とタオル放り込んで「トポポポポ」てのは牧歌的でグーなんですが、うーむ片側2車線の五日市街道とかはチトきついですね。クルマにはどんどん抜いてもらうとしてもタイミングとかがあるからね。結構気をつかいます。

 ヨメと、もしかして娘も近々免許取って乗るやもしれず、で50ccリトルカブなんですが、大型もオフ車も卒業して1台に纏めるならば110のカブがいいですね。今のと同じベージュのがいいなぁ。でもミニマリズム的な楽しみ方としては、やっぱりカブは50ccが原点なのかも。






🏍3輪車

 

 15年前にフロント2輪スクーターの先駆者、ピアジオmp3RL・250を購入しました。これって実に楽しいバイクで、まだチビだった娘のっけてずいぶんあちこち行ったもんです。手放したなかでは唯一の、また乗りたいバイクです。

 mp3で特に記憶に残ることは、「知らないひとから声をかけられることが多かった」です。それもバイクに詳しいひとではなくて、コンビニで会ったおばあちゃんとか、畑のオジちゃんとかですね。
 たしかに「3輪車」ですから、見た目変わってることはたしかなんですが、そのひとたち「シロートさん」(シツレイ!)のセリフは、

 「キレイなバイクですね」

 そうなんです。ボク個人的には、この手の「産業革命モノ」のデザインセンスは、「イタリア人とフランス人には逆立ちしてもかなわない」と思っています。伝統文化のなかには素晴らしいもの世界各地にありますが。
 写真に撮るのがムズカシイです。実物は画像よりもっとゼンゼン魅力的で、曲線美、色彩感覚、バランス感覚それに実際に乗ってみてのライディングプレジャー、これもデザインのうちだと思ってるんですが、スバラシイんです。バイクに全く興味がないおばあちゃんやオジちゃんにも伝わる普遍的なものを持ってるんですね。バアちゃんオジさん乗ってはいないですが。

 シットしますね。分野違うとはいえ、音楽家も「普遍的に伝わること」を模索して日々努力しているわけですから。

 6年、6万キロ超まで乗りました。車体は基本ビクスクですし、45リットルのジビも付けましたから収納スペースは充分。電車苦手なボクが仕事行くのに乗って行くのがほとんどなわけですが、このころ使ってた旧い木管ヘインズの保温・保冷対策してなおかつ本番用の衣装一式積むのも楽勝。でも、なんで乗り換えることになったかといいますと、バイク好きクルマ好きな方々は想像ついていらっしゃるんじゃないかと思うんですが、

 「イタものお約束・トラブル頻発」

 だいたいがね、納車後早々に冷却水漏れ、ナゾのバッテリーあがり連発。前者はエンジンの組立て精度の問題らしく、各部増し締めなんぞでは治らず、(早くも)最終手段、ホルツのクーラント漏れ止め剤でゴーインに解決。後者は、あーだこーだしてもさっぱり原因解らず、途方に暮れて座り込んだときに見えたのは、点灯しっぱなしのトランク照明。そりゃバッテリー上がるわ。スイッチの不良でした。ボッシュなのに(怒)。安く買った平行輸入車で保証ついてなかったんで、自分で直しました。

 夏場には駐輪場の舗装にナゾのオイル染み。でもエンジン、サスのどこ探してもオイルなんぞ漏れてない。外装まで剥がしてやっと発見したのは、

「フットボードの組付けシリコングリス山盛り」

 イタリア人やってくれるなぁ。思わずチカラ抜けるオチですが、これらのオチャメなトラブルを笑い飛ばせなければイタものなんぞには乗れません。
 でもキロ数重ねるにつれトラブルのほうもオチャメなものばかりではなくなってきます。フロントサスのロールロック機構の故障たびたび、それに燃料ポンプの故障もたびたび。燃料ポンプなんか故障したら交換ですから、修理費用もたまったもんじゃありません。で、泣く泣くお別れすることに…


 「添い遂げる」ことは出来ませんでしたが、いままでに乗ったなかでは一番楽しいヤツだったかも知れないです…







2020/06/20
🏍CBX400F

 緊急事態宣言が解除になり、3か月ぶりの出張レッスンに行く途中。

 横浜市瀬谷区の阿久和の県道で、1台のバイクに追いついた。前の信号が赤になって徐々に距離が詰まってくると、どうも1983年くらいのCBX400Fらしい。うーむ確か超人気絶版車ですごい値段するはずだけど… まぁ出会うこともあるかとは思うんですが、さらに接近してわかったのは、後ろ姿から言って、どうもライダーは女性らしい。

 ばくおん系のライダーに人気のCBXではありますが、彼女は正統派ライダー系のウエア。旧めのオートバイ然としたバイクのフォルムによく似合っている。旧車金満シニアライダーのようにブランドが走ってます、みたいなんじゃなくてカジュアルっぽいシックな黒基調の上下。唯一正統派的でないのはスニーカーソックスくらい。で、ボクは次の交差点で右折するので、右折車線に入って並んでみてびっくり!!

 ハタチそこそこ(だと思う)の姫ライダー!彼女はボクとGSを見てフルヘルの中からにっこりと微笑んだ。

 好き好んで旧いバイク、自分より年上のバイクに乗るってことはそうとうな好きモノ、あるいは筋金入りだよねぇ。まぁカレシ、ショップその他のブレーンが付いているとは思うが… バイク好きな若者、ましてや女の子なんてイマドキめったにいないのに… イマドキもっとらくちんに乗れる新車はいくらでもあるのに…

 素直に「カッコいいね」と言うとまたニッコリして、ボクとGSを指差して「カッコいいですね」と返してきた。旧車好きなら、ボクのは彼女の愛車よりもさらに一世代旧いGSだってことも解ってるかな?(ライダーのほうもかなり旧いですが)


 信号が青になって、「気をつけて」とだけ言葉をかけて別れた。なにか、すごくすがすがしい気分になって。まるで片岡義男の世界。

 でも、ひとつだけ心残りがあるんです。

 ボクの愛車は、スズキGS750Gなんだけど、外装はGS1000Sレプリカになってる。GS1000Sは輸出専用で、アメリカでのレース戦績もあって、旧車好きには名車のひとつに数えられている。
 彼女、仲間に「きょうね、GS1000Sのオジさんに会ったの!」って言ってなきゃいいんだけど。なんか騙したみたいで寝覚めが悪い。






2020/01/07
🏍遍歴

 僕はツーリングには行かない。地方でのお仕事に乗っていって帰りに寄り道することはあるけど。バイクは専ら仕事に行く用。今の相棒は昭和魂満載の昭和56年式スズキGS750Gと、まぁ平成生まれですが1997年式ホンダXLR125R。でも別に「絶版車マニア」じゃない。

 娘が生まれたときから、バイクの後ろに乗せて遊びに行く、をやりたくて仕方なかった。娘が小学校に上がってそろそろ出来るかな、というときになってハタと気が付いた。僕は10代後半は神奈川県警を宿敵としていたばくおんライダーだったんですが、最初はCB50JX、そのあとは勝手に引っ張り出した弟所有の大型バイクのモロモロ。つまり自分が持っている2輪の免許は原付だけだったんですね(ごめんなさい時効ということで)。

 娘が小学生になるちょうどそのころ、イタリアのピアジオから3輪スクーター、mp3が発売されたんです。そのころの道交法がこの手の乗り物に対応出来ていなかったこともあって、運転に必要な免許は自動2輪ではなくてクルマの免許。ノーヘルOK(やりませんでしたけど)、購入その日から2人乗りOK。(これらはすべて、その後の道交法改正で2輪と同じ扱いになりましたが) なのでアタマの中で「自動二輪免許取得費用をこっちの購入費用に」っていうワルダクミがムクムクと・・・


 娘乗せるのにそりゃ危険だろ、ってご意見はもちろんあると承知しています。でもそもそも2輪はひとりで乗っていても「いつ死んでもおかしくない」乗り物。100%安全、はアリエナイ。それを理解したうえで、そのリスクと引き換えに得られるものを取るのか、やめるのか。

 mp3は娘と行ったあちこちで、かけがえの無い思い出を作ってくれました。そのひとつ。檜原村に行って道端に留め、小川で川遊びしていると・・・ 向かいの農家のおばあちゃんが枝付きの柿(笑)を片手に「うちでお茶のんでけー」って(笑)。お茶いただいておやきまでご馳走になって。今でも思い出すたびに頬が緩んでしまう。チビ連れてると他人との垣根がぐっと下がるんですね。おばあちゃん、ウチのチビを相手にしたくてしょうがなかったみたいで(笑)。昼間は家族みんな八王子に仕事に行ってしまってひとりでヒマ持て余してるんだって。


 娘も小学校高学年になってくると友達と遊ぶ時間が増えてあまりオヤジは相手にしてもらえなくなり、ピアジオmp3「ぴあちゃん」もイタものらしいトラブル頻発するようになり、そんじゃあ高校時代「3ない運動」のおかげで「免許取れない、なので(公には)乗れない」のウラミが今でも残るナナハンいってみよか、と。「750ライダー早川光CB750でも探してみっか、と。


塗装はヤレてたんでクーリーカラーに塗ってもらいました。

 結局ホンダCBじゃなくて、スズキのGS750Gになってしまいました。この手のものって出会いは縁で、mp3でオシゴト行く途中のバイク屋さんの軒先にうずくまっていたのがコイツ。昭和の大古車は一筋縄ではいかないものですが、ウチに来た後はご近所の、スズキ旧車のエキスパート、モトショップ・ダブルフット 岡社長のおかげですっかり健康なおじいちゃんです。その腕前に惚れ込んだ3型カタナ乗りが日本中から持ち込む岡さんのお店、ダブルフット。その人から先日の車検の際に、「こんなに調子のいいGSは全国でも珍しいですよ」とのオコトバをいただきました。いえいえ岡さん、ひとえに岡さんのおかげです。
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これはヨメのリトルカブ🛵ヨメぜんぜん乗らないんでボクが乗り回してます。

 

















































 

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オンライン・レッスン じーばーぴあの

第2回 2021/02/18

 首都圏の新規感染者は減少してきていますが、医療機関はまだまだ大変な情況のようです。昨日からワクチン接種も始まったようですが、今はまだ、「ウチで出来ることをする」が自分たちに出来ることであるようです。

 で、今日のお題は、

 

「指をもうすこし思い通りに

         動かすには」

 

 アタマでっかちになったって弾けないんですが、指が動く仕組みをすこしだけ知っておくと、自分が練習している時に「これやっちゃマズい」を理解しやすくなります。

 

 指が動くしくみにはたくさんの筋肉が関わっていて、知れば知るほど「よくこんなものが出来上がったもんだ」と感心します。まぁ神様が、とは言いませんが生命の神秘、みたいなものを感じます。

 

 ボクはこのへんの専門家じゃないですから、あまり聞いたことの受け売りではなくて自身の実感に基づいたおはなしに止めますが、ピアノ弾くときって、指を曲げる筋肉と伸ばす(戻す)筋肉を使っていることは容易に想像出来ますよね?

 指を曲げるための筋肉はもっぱら3種類あるのですが、そのうちの2つは実は手のひらの範囲だけではなく、上腕までにわたっています。浅指屈筋と深指屈筋です。

 

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浅指屈筋

 

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深指屈筋

 

 

 

 ついでに言うと、指を「伸ばす」(戻す)筋肉も上腕にあります。

 

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指伸筋 

 

 

 手の甲がわの指をさわってみると「ホネカワスジエモン」状態で筋肉の存在が感じられませんよね。つまり指を伸ばす側の筋肉は「手の内」にはないのです。

 

 あまり人体標本ばかり見ていると中学校の理科室に舞い戻ったようなキブンになりますからもういいか、ですが、ここからわたしたちが知らなければならないのは、「ウデがつっぱっていたら指は動かない」だと思います。ボクがこのへんを実感したのはフルコン空手で「手をケガしても指は動くが、ウデを痛めると動かない」を経験したからなんですが…(汗) 「正しい姿勢」「脱力」の意味はここにあります。みなさん集中力は若いモンには引けを取らない(笑)ですが、ともすると行き過ぎて「個室状態」になります。周辺への注意力が減少してしまうのですね。目前の「鍵盤」「楽譜」だけに対する注視だけではなく、「リラックス出来ているか?」が大切な理由もこれなのです。決して「もっとラクして~(テキトーに)」ってことじゃないんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回 2021/02/01

 緊急事態宣言下、自宅で過ごす時間が増えました。さあー事態を逆手にとって、日頃あまり手を付けていない練習をじっくりやるチャンス。楽器の練習って、「目標がないと気合がはいらない」て面もたしかにありますが、時間や予定に追っかけられないでジックリ追求できる時間は貴重ですし、本来そこに本当の楽しみがある、と僕は思います( ^^) _U~~

 

 といっても一方通行のオンラインレッスン(てかオンライン・アドヴァイスですかね?)、あまり小難しいことを書いてもスルーされちゃうだけと思いますので、今日のお題はひとつだけ、

 

 「手探りの練習」

 

 初めて言い放つわけでなく、以前からお話していますが、ピアノの練習を重ねて身につく内容って、そらたくさんありますが、そのうちのひとつがここでやろうとしている「鍵盤感覚」なんじゃないかと思います。訓練されたクラシックのピアニストは、目を閉じたままで88鍵のいちばん左のラでも、右端のドでも弾けます。そこまでの「人ピ一体感覚(?)」はまぁ無理としても、出来る範囲でもっと感覚を開発できる部分があります。

 

 いつもお話しているように、鍵盤上での手の動きは、「クモがはい回るように(『クモ歩き』)」…なるべく鍵盤から手を浮かさずに、一定の距離を保って動くときと、「離陸・着陸(『ジャンプ』)」を繰り返すときがあります。弾こうとしているフレーズによって、これを顕在意識が明確に認識してから「カラダの記憶」に入れないと、その部分を安定して弾くことが出来ません。

 

 そのひとの手の大きさ(シニアは手がひらくか)にもよりますが、次の音が1オクターブ、8度以内の距離ならば「クモ」「ジャンプ」両方可能なわけですが、「クモ」だったとしても鍵盤を「目視」しなければ弾けないのでは、「クモ」効果は半減以下。「クモ歩き(弾き)」は見ないでも弾けることがメリットなのですから。

 

 で、必要になってくるのが「鍵盤感覚」です。見なくても、手探りで「ドーミ」と弾けるように。

 

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 ドに左手親指をおいて目を閉じてください。そのまま小指でミの音を弾きます。

 

 違う音だったら「ありゃま」と目をあけて確認してから、また目を閉じて同じことを繰り返します。

 

 100発100中、ミを押さえられるようになったら同じように、薬指でファ、中指でソ、人差し指でラ、にトライしてみます。「シ」の鍵盤は空けてあるのがミソ。指先の、鍵盤に「触れている」感覚を感じてください。自分が弾いた音をよく聴いて。「大切なものは目に見えない」

 

 

 かんたんでしょ。ゲーム感覚でチャレンジしてみて。もちろん右手の感覚開発にも有効です。