さすらいのフルーティストのブログ


 うえの 善巳 (よしみ)


フルーティスト、キーボーディスト、作・編曲 
ノージャンル
一応、桐朋行きましたが、かなりフリースタイルなフルートなので、普通の優雅なフルートを期待しないでくださいね。

普通のブログ形式での書き方ではないので読みにくいかもですが、記事の新しい順に並んでいます。



2019/07/04更新




♪ 夢は叶う ♪ 2019/07/04


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 音楽家になることは、10代後半からの夢だった。その夢は叶った。

 でも、へそ曲がり個人主義の僕は、子どもの頃から、よくあるように「イチローのような野球選手になりたい」みたいな、誰か具体的な目標とするひとがいたこと、そういう「夢」を持ったことは一度もない。
 その代わりに、シチュエーション的に「(くたばるまでに)あれいっぺんやってみたい」が、まだかなり残っているのです。

 300kmバイクのスズキ隼で、300km/hも体感してみたい。でもサーキット、それもオーバルか、飛行場跡地ででもないと無理だろうし、とりあえず隼持ってないし。愛車「だいちゃん」だと180km/hが手一杯だろうなー。



 幸せなことに叶った「いっぺんやってみたい(みたかった)」もいろいろあります。音楽絡みだと…

 中学校1年生のとき。藤沢市内の中学生を藤沢市民会館に集めて、「オーケストラ鑑賞会」があったのですね。小林研一郎先生指揮の東京交響楽団。オーケストラ板付きののちツカツカとコバケン登場。で、

 「みなさんこんにちは。東京交響楽団です。」

 むちゃくちゃカッコよかった。「小林研一郎です」なんぞとはおっしゃらずに、起立したオーケストラを背負って(まさに背負っているように見えた)、オーケストラを代表する威厳に満ちて。


 それから40ン年、あれいっぺんやってみたかった。別に指揮者になりたいと思ったわけじゃないんだけど。


 その夢が昨年叶ったのです。南白ウインドアンサンブルを率いて、老人ホーム「たちばなの園」に行ったときに。
 忘れてた。たちばなのお年寄りたちにむかって、起立したメンバーの前で「みなさんこんにちは。南白ウインドアンサンブルです。」と挨拶したとき、「あーこれこれ、俺ずーっとやってみたかったんだった」て思い出した。しかもそれが、日頃苦楽を共にしている(?)南白ウインドを背負って、であることがとても嬉しかった。この子たちが俺の望みのひとつを叶えてくれたと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになった。


 そして叶ったもうひとつ。大学4年生のとき、「ツイス・ジュニア」という発表会の、フルートオーケストラに賛助として参加したときです。
 ツイスの講師陣のおひとりである、藝大の先生だった小泉浩先生。プログラムの最後に小泉先生のソロとフルートオーケストラでカザルス(カタロニア民謡)の「鳥の歌」がプログラミングされてたんですが…

 ディープな音楽ファンはご存じだと思うんですが、フランコ政権に抗議して亡命したカザルスが、1971年に国連平和賞を受賞した時の国連デー・コンサートで「鳥の歌」を弾いた。「私の故郷であるカタロニアでは、鳥たちはピース、ピース(平和を)と鳴くんです」とのスピーチを添えて。

 で、小泉先生なんですが、僕たちは先生フルートで吹くものとばかり思ってたのに、チェロ携えて登場!左手には緑色の手袋はめて。で、中央に着席するやいなや、例のカザルスのスピーチを始めたのだ。

 1971年の時のカザルスは、フランコへの抗議から演奏活動を絶って永かったので、全盛期はとっくに過ぎていた。録音が残っているのだが、ボウイングのテクニックが衰えてしまってロングトーンは震えている。小泉先生はそれをそっくり真似て弾かれたのだ。

 この曲はリハーサルなしのぶっつけ本番。僕たちフルートオーケストラのメンバーにとってもサプライズで、おかしくて仕方ない。フルートは笑っちゃうと吹けないんで、拷問のような3分間だったわけです。おまけに最後の全音符を弾ききって、左手でピースサイン

 「これが本当のグリーンピース!」

 もう、腹が捩れるまで笑った。そして、発表会とはいえ公開の本番でここまでやる小泉先生って「なんてブッ飛んだ先生なんだろう」と思った。で、これも「いっぺんやってみたかった」わけです。

 これも南白ウインドの子どもたちに叶えてもらった。昨年の府中市青少年音楽祭で。
  曲がBad∞End∞Nightなんで、ドラムがしっかり叩けるように仕込んでおけば本番で指揮棒振り回す必要もないし。で、扮装込みでフルート吹いて踊ることにした。このときは小泉先生意識してた(笑)。

 でもチェロじゃなくてフルートだし、緑色手袋してないし。それに最後にオチ入れるわけにもいかないし。小泉先生に比べたら「俺はまだまだだな」と思いました(笑)。




 そろそろ、僕が子どもたちに夢見させてあげなければいけない立場だと思うんだが、キャラがねえ… 小林研一郎先生も、小泉浩先生も(ギャグ飛ばしたとしても)ダンディなキャラなんで、俺はむりだなぁ。「将来はへんなおじさんになりたい」って思う子どもはいないだろうなぁ(笑)。

 まいっか。夢の対象はダンディ系のオジさまに任せよう。












♪ 相性 ♪ 2019/07/01


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 「楽器との相性」。どんくらいこだわるかは個人差あるみたいだけど、自分は結構気にする。世間の高評価より自分との相性。YouTubeが重要な情報源になった現代、オモシロイものがいろいろupされていますが、その中に「ゴールウェイの教則ビデオ」みたいなのがある。本人または側近がアゲてるみたいなんですが…


 なかでも「ゴールウェイ16本のフルートを吹き比べる」っていうの、大変興味深いです。高いの安いの、現代のものビンテージもの。でもその中でゴールウェイ、「私はフルートの材質による音の違いを言い当てることは出来ない」って!これは他人の音を聴いて、ってことなんでしょうか?僕の英語ヒアリング能力の限界もあるんですが。


 だってサー・ジェイムズ・ゴールウェイてば、フルート界の帝王がランパル・ニコレの2大巨頭だった時代に彗星のごとく現れ(トシがばれるな)、その、聴けばイッパツで彼だとわかるトーンでフルートファンを魅了した人。キンキラキンのフルートは彼のトレードマークだったのに。俺たち、「金のフルートじゃなきゃあの音は出ないんだ」って思ってたのに。


 でも確かに「16本吹き比べ」を聴いてみると、そりゃ「あーこの楽器はこーいう特性なんだな」と想像出来る部分はありますが、ゼンブゴールウェイの音です。あのくらいの名人だとまさに「弘法筆を選ばず」なんだなぁ。まぁ楽器によっては少々吹きにくそうなものもありますが。





 「音響学」的には、フルートが材質によって音の違いが出る、ってことは説明出来ないらしく、ネット上には「メーカーの販売戦略だ!」って憤っている人もいる。でも自分でフルート吹く人なら、金は金の音、銀は銀の、木管は木の音がすることは誰しも感じている。たしかに他人の音をブラインドで聴いて百発百中で当てることは難しいかもしれないけど。


 しかもゴールウェイ、「僕のEX(洋銀管)がいちばんいい!」(って言ってると思う)とまで ( ̄O ̄;)



 

 ふた月ほど前から、ムラマツのDSを吹いている。なーんにもついていない素のインラインリングC。その前はメナート木管のオプションフル装備だったのに。今まで、たぶん人並み以上にあれこれと色々な楽器を試したと思う。ここ20年ほどは、「木管・波型歌口・ドイツ」に絞ってきた感はあるが、もともとの「自分で確かめないと気がすまない性格」が災いして、歴史的名器から国産・ドイツ・フランス・アメリカ・オランダ・イタリア・ROC・中国(?)。木管・銀管・洋銀管・真鍮・金・プラチナ。(オーラマイトやプラスチックも…)
 で、その経験から、自分が求める音と相性(コントロールに難があれば理想追求どころじゃないですからね)との兼ね合いが「木管・波型・ドイツ」の限定だったのですが、このDS、それらを全部吹っ飛ばしてくれやがった。「Eメカのあるなし」なんぞ、細かいことだったんだ…

 ただ、バイクと同じく新車(?)を買える経済力ないんで、よく解らない部分も残る。個体差もあるのか?他のDS吹いてないし。後天的要因?… 笛は「吹き込み」で変化すると言われるので、前オーナーの「調教」が僕の好みと合致していたのか?大名人Tさんにオーバーホールしてもらって、タンポもムラマツ新タンポではなくTさんのタンポに替えてもらったのが大きいか?リッププレートの手前がちーと低い気がするんだが、Gさん(前オーナー)少しばかり扱い荒かったから、曲げたかな?

  手元に40000番代のDNもあるんですが、出音、吹きごたえ、イントネーションの傾向がゼンゼン違う。見た目はパーツの作りやトーンホールの位置含めほとんど同じに見えるんですが… 

 吹き比べれば違いは一目(?)瞭然なのに、その理由はイマイチ客観的、数値的に説明しきれないから、材質の件含め「都市伝説」(チト違うか?)的なものがつきまとうのでしょうか?





 まったく、メーテルリンクの「青い鳥」じゃないですが、追い求めるものは身近にあった、のオチで、今のところ「名作は奥が深い」と思っております…













♪ 先生 ♪ 2019/06/11


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(画像はウチのとっぽではありません)


 ヨーロッパの人々にとって、「黒つぐみ」は特別な鳥なんでしょうか?モーツァルトは黒つぐみを「僕の先生」と言ったという。メシアンにも「黒つぐみ」というフルート作品がある。ビートルズにだって… ビートルズの「ブラックバード」の歌詞は「黒つぐみ」のことを歌ったものではないけれど。


 日本人にとって、春先は野鳥たちと親しむ季節ですよね。南白の「けやきっず」部屋の前の軒先には、毎年やってくるつばめの巣があって、警備員のおじさんは3月ころから「まだかな?まだかな?」って楽しみに待ってた。


 「KAMEN」の前日だったから、もう3週間まえ。わが14号棟わきの藪に「トッポジジョ」がやって来た。



 ねずみじゃあありません。たぶん今年はじめて囀る若いウグイス。こいつが「ホーホケキョ」じゃなくて「トッポジジョ」って鳴くんです。で、彼の名前も「トッポジジョ」(かってに命名するなって?)

 むかし、ジムニー手に入れて丹沢や奥多摩の山の中を遊びまわっていたころ、若いウグイスが「お手本」を真似て囀りが上達していく一部始終を聴いて、いたく感動した。やっぱり「お手本を真似る」は芸事上達のための基本なんだな、と。(もちろん彼らは芸事なんぞのようなお遊びで囀っているわけじゃありませんが)

 ウグイスが囀るのはなわばりを主張するため。彼らは必ずしも深い野山だけに生息するのではなく、繁殖期以外は意外に人里近くにひっそりと暮らしていたりするそうですが、さすがに団地をなわばりにするやつはあまりいないなぁ。なので3週間まえから彼一羽。「お手本」がないせいなのか、ずーっと「トッポジジョ」のまま。





 でもいい声です。ボリュームも遠達力もあって、しかもこんだけ心を和ませて、と僕のお手本です。












♪ パントマイムの音楽 ♪ 2019/05/24


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 日本を代表するパントマイミスト、清水きよしさんの「KAMEN」。さまざまな不条理を、能面を用いた6本のオムニバスで描く。もう30年以上、この「KAMEN」の音楽を担当させていただいている。


 僕が清水きよしさんの作品に音楽をつけるときにまず考えるのは「ミニマムに」ということ。終演後にお客様から、「もっと聴きたかった」と言っていただくとニンマリする。基本は僕が、少々の小道具だけで成立させるソロパントマイムに、主張の強い音は添えたくない、というところから来ている。なので、この作品の音楽はあらかじめ「作曲」(モチーフ程度ですが)してある部分と即興の部分を組み合わせるのですが、どちらも「憶えられない」ように音を配置するように考えているのです。


 普通作曲家は「お客さんの印象に残る」メロディを作ろうとするもんだが、その真逆をいこう、ってわけです。へそまがりですねぇー。


 清水さんとご一緒するようになった頃、照明家の辻本晴彦さん(故人)ともご一緒することが多かったのですが、まだ駆け出しの笛吹きだった僕のことを辻本さんはとてもかわいがってくださって、舞台、そのほかの芸術的な感覚に必要な事柄をいろいろ教わったのでした。その辻本さんがポリシーとされていたことのひとつが「印象に残らない明かりをつくる」ことだったのです。照明は舞台上の芝居・音楽を「生かす」ためのもの。照明自体が自己主張してはいけないのだと。

 パントマイムはあえて「制約」を自らに課すことによって表現する芸術です。セリフはない、大道具もない、暗転もない。清水さんご自身も、音楽に「助けてもらおう」などとはチラとも思っていない。なので、そこに添える音楽は極力シンプルに、と僕は考えます。

 ですが、音楽を使うとしてもまぁ普通は録音のソロパントマイムで、ライブの演奏家が同じ舞台上にいる、ということを生かさなければそこにいる意味がありません。

 舞台が「生き物」であるのと同じように、音楽も生きていなければ意味がない。なのでその場の空気に即応出来る即興演奏は重要な意味を持つのです。






 画像は「KAMEN」中の一話、「駝鳥」のワンシーンですが…

「先輩を先輩とも思わず」傍若無人好き勝手なヤツと思われているワタクシですが、この「駝鳥」の冒頭で駝鳥が遠くからかすかに呼ばれたような気がして振り返る、そこのモチーフにはリスペクトを込めて、ジョン・ウイリアムズの「未知との遭遇」のモチーフを借用しています。宇宙との交信を象徴している、D-E-C-C-Gってやつですね。ウイリアムズとスピルバーグは「5音で」という制約を課して、その組み合わせを死ぬほど考えたそうです。これの前半を移調してC-D-Bb。これを「呼ばれる」ことのモチーフにしています。

 パントマイムのお客さんは当然パントマイム・ファン。でも僕はもうちょっと「音楽ファン」も来ねえか?と思っているのです。フルートファンでもうえのファン(いねえか?)でもいいんだけど。コンチェルトやフランス近代作品だけがフルートソロじゃない。告知も行き届いていないとは思うのですが、守備範囲広い音楽ファンって少ない。たまには「音楽」が他の芸術、ひいては他の「世界」とどう繋がるのか、考えてみたら?と思うのです。誰か「あの駝鳥って、未知との遭遇ですよね?」って言ってくれないかな?



 8月にも都内での再演があるようなので、バックヤードネタを小出しして興味もってもらおう、という魂胆なのです。















♪ 幸が森コンサート ♪ 2019/05/20


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 もう10年近く前。当時娘が通っていた小学校の校長先生に、「うえのさん、東京は外に行ってお金を出せばなんでもあるけれど、私は子どもたちの体育館で、目の前で音楽を聴く時間を作りたいんです」と頼まれて始めたのが「幸が森コンサート」。


 「目の前に」ホンモノを出すべく、毎年趣向を凝らして、歌のおねえさんに来てもらったり、フルート+ピアノ+ベースのジャズトリオにしたり。そういえばジャズピアニストの〇〇〇くんはなかなか来ないと思ったら校門で警備員さんにつかまってたっけ(笑)。



 今年は、僕が10年以上前に参加していたバンド、「カフカフドゴシコ」に来てもらいました。「カフカフドゴシコのリズム探偵団」。彼らの活動の大きな柱のひとつが、全国の小学校での学校公演。ずいぶんあちこちに行きました。
 広島に長期滞在(?)したときは広島お好み焼き食べ比べしたっけ…

 ひとところに長居出来ない僕は数年参加して辞めたのですが、彼らはその後も(その前から)、今に至るまで30年以上ずっと、同じスタイルを貫いている。参加していたころは、僕はそもそも群れるのが嫌い、他人に指示されるのが嫌い、ひとと同じことはしたくない、なので「リズム探偵団」のような会場参加型コンサート、「さぁみんなで一緒に!」みたいなのがダメで、自己矛盾感じながらやってたわけですが、時代は変わる。今でも小・中学校は基本「みんなで心をひとつに、力をあわせて」で変わってないけど、表面ではコミュニケーションごっこをしながら実は対人不安を、子どもですら多く抱える現代、「リズム探偵団」の意味は重要性を増しているんじゃないかと。



 南白糸台小学校の子どもたち、いわゆる「いい子」傾向が強いと思う。言われたことはやる。たとえカタチだけだったとしても。でも自分で感じ、考えて行動する部分が弱いんじゃないかと。べつに南白に限ったことではないかも知れませんが。



 この子たちがどう反応するか、カフカフ時代にいろいろな小学校を見てきた経験から危惧していた部分もあったのだけど、結果は大成功。画像のようにみんなノリノリでした。まぁ最後は全員ノリノリに持っていくべく、「リズム探偵団」は練られているわけですが。





 こぎつけるまでが大変でしたが、よかったよかった。












♪ 顕在意識・潜在意識 ♪ 2018/01/22


 心理学での「顕在意識・潜在意識」とは少し違うのかもしれないけれど、楽器を演奏するとき、それにもう一段階外側の音楽を認識するときにも、顕在意識と潜在意識が深く関わっているように思える。


 楽器奏者は、初めて見る譜面、それもややこしい譜面は「譜読み」と称して、ゆっくりのテンポで、ひとつひとつの音を確認しながら鳴らしていく作業から始める。

 この作業は顕在意識でひとつひとつの音を認識しているからにほかならない。そして無意識のうちに、経験に応じて潜在領域の書庫に収納されている「スケール・アルペジオ」のデータが使える場所を摺りあわせている。そこからテンポをあげていって、指定のテンポ、本来のテンポで、理想は「居眠りしていても吹ける」(弾ける)状態を目指す。「スケール・アルペジオのデータ」をペーストした文書データ自体が潜在書庫に入っている状態。自分の場合、16分音符より細かい音符は「潜在意識コントロール」になっていなければならず、対して4分音符以上、さらにカンタービレだったりは「その場意識」が重要な気がする。ボケッと吹いていてはカンタービレにはならない。細かい音符を追いかけることは潜在意識に任せて、顕在意識のほうはその先のこと… 音楽的な表現とか、アンサンブルとか、そういうことを考えられる状態にもっていくわけですね。少なくとも僕はそう認識している。


 やっぱり、いわゆるの「潜在意識」とは違うのかもしれない。潜在意識とは、在ることはあるが、容易には水面上に持ってこられないもののようだから。だから自由連想法とか催眠療法とかがあるわけでしょ? 音楽家が楽器奏法から考えたタワゴトだと思ってください。楽器演奏の場合、運指のデータ、音のコントロールに関するデータ、それにフレーズのファイルなどが、全部は机の上には並んではいないが、書庫にきちんと整理されて収まっていて、しかもインデックスがちゃんとしていてスグに取り出せる状態でないと、みたいな感覚だから。この場合「潜在記憶」ですかね?

 それでもクラシックの場合は、書庫に収納されているのはスケールだったりアルペジオだったりなわけですが、ジャズのアドリブでは記憶してある「ジャズフレーズ」をもう少し手前に置いとかないと… アドリブコーラスが進行しているその場で記憶を繋いで並べていかなければならないわけですから、「机の上」には乗り切らないとしても、「部屋の中」にはブチまけとかないと… それでもアップテンポになると、ほとんど「身体が勝手に吹いている」状態じゃないと間に合わない。やっぱり自分的な感覚でいえば、「場所はちゃんと解っているがブチまけられている」状態で、その中を飛び回って拾い上げていく感覚。決して優等生の学級委員の部屋のように整然とはしていない。お行儀よく「廊下(この場合部屋の中ですが)は走らない」を守ってもいない。

 ヒューバート・ロウズに師事したセンパイの話しだと、ヒューバートの日課練習はコーラス単位で纏めたものを繰り返す(クラシックの練習方法に似ている)ものだそうです。この場合、「文書単位」のなぞり書き作業なわけですね。

 「お行儀よく」ない要素は発音にも関わる気がする。ジャズ・トーンはクラシックのそれのように十分に準備して、整えて発音していたらお行儀が良すぎだし、間に合わない。もっと「いい意味でザツな」吹き方じゃないと。ジャズ屋がアドリブで吹いている演奏と、それを譜面にしたものをクラシック奏者が「読んで吹く」状態が違って聴こえるのは、そのへんもある気がする。そこのところを、ここまでリクツこねて分析しなくても、聴き手は「無意識下」で、ジャズっぽい演奏とそうでない演奏を判断しているように思う。


 「知識」とか「知恵」のようなものは、顕在意識領域にあるのでしょうか? トシがいけばいくほど、特にシニアの生徒さんをみていると、自身60年、70年(もっとの人も)の経験にがんじがらめにされているように見える。「トシとってから新しいことは覚えにくい」はこのことを指しているのかな?と思う。対してまだ潜在意識コントローラーとしての顕在意識が未熟な小学生は、「よく解らないけど感覚的に捉えた」ことの染み込みが早いこと。



 3学期の練習曲として、「シング・シング・シング」に取り掛かったのですが、「ジャズ」「フルバンサウンド」に馴染みのない南白ウインドアンサンブル、フレーズのリズムを「そこはね、パースパッスパーて吹くんだよ」と「口三味線」で教えると、やれ裏拍だのシンコペだののリクツ抜きであっという間にこなす。みんな天才かと思う。それは映画「スイングガールズ」なんぞカルく超えてる、感動的な世界!!!








 この仕事してると、「事実は小説より面白い」こと、いっぱいあります。
















♪ 踊ってきました! ♪ 2017/12/20



 娘の母校でもある府中市立南白糸台小学校。ここのウインドアンサンブルは伝統ある吹奏楽部で、レヴェルの高い演奏は毎年、教育委員会表彰をいただいている。



 今回、モロモロの事情があって、急遽このウインドアンサブルのコンサートを指揮することになってしまった! ボヘミアンうえの、学校関係はいろいろと面倒くさいことがあるのでなるべく関わらないようにしていたんですが…

 ひと月前から、連日の朝練。僕も楽器組み立てて一緒にロングトーンしてスケール吹いて。いやあ新鮮な朝を過ごしました。



 いろいろな事情があってのこの状況。最初に指揮台に立った時、子供たちの目は不安の色でいっぱいだった。彼女たちはその前、音楽会を目前にしながら満足に練習が出来ない状態が続いていたわけですね。

 で、吹かせてみたらなかなか上手い。そしてみるみるうちに「やっと吹ける!」気持ちがみなぎってきて、音楽室に豊かな響きが満ちてきた。




 僕はそれを聴いていて思った。今の段階では細かいことは置いといて、彼女たち(彼ら、もごく少数いるんですが)をのびのび吹かせてあげることがいちばん大事なこと。大人の事情に振り回されて大好きな音楽を楽しむことが出来ない状況に置かれた彼女たちの、「楽器が吹きたい!」気持ちを最大限サポートしてあげよう、と。

 そして、僕自身が今まで経験してきたこと… 最初は不可能に思えたパッセージも、積み重ねでモノにできることとか、指揮の先生に信頼してもらって、僕のソロになったら指揮棒を止めて好きなように吹かせてくれたこと… それらこれらがどれだけ嬉しかったか、どれだけ感動したか… そんなことをわからなくてもいいから話して聞かせるのではなく、棒を通して表現しよう、と。



 いいコンサートになったと思います。彼女たちが自信を持つことにも繋がったようで、3学期の練習曲には難曲「スターウォーズ」を挙げてきた。よしよし、一緒に頑張ろう。



 3学期いっぱいだけど、君たちのそばにいます。よろしく。
(その後抜けられない状況に…)
















♪ 森の演劇祭雑感 ♪ 2017/11/13



 11/2〜5、島根県松江で開催された「森の演劇祭」に、もう30年来のお付き合いであるパントマイム・清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。

 「森の演劇祭」は3年にいちど開催される国際フェスティバルで、普段は静かなところであろう松江市郊外の山中(?)4会場を使って催される本格的なイベントです… って、僕も今回初めて知ったのですが。


 行ってみてびっくり。松江市・八雲町の行政や地元の企業、それに多数のボランティアが一体になっての、素晴らしいイベントです。バブル期、そしてそのあと少しの間は「タダのお祭り騒ぎ」的なイベントは各地にありましたが、なんとかミクスの波及効果なんぞゼンゼンない現状、これだけクォリティの高いイベントが地方で行われていることはオドロキでした。文化的な分野ではいまは地方が元気な時代、の感がありますが、20年の年月をかけてこの演劇祭をここまで創りあげたプロデューサー、園山土筆さんの手腕は敬服に値すると思います。



スイスから参加したアクロバティックなクラウンマイム「Pss Pss(ぷすぷす)」のメンバー




沖縄の伝統に溢れるミュージカル、「沖縄燦燦」のメンバー





 久々に舞台観まくりました。ほかにも国内の「劇団あしぶえ」の「セロ弾きのゴーシュ」や「人形劇団むすび座」の「父と暮らせば」など。
 あらためて「セロ弾きのゴーシュ」を観て、宮沢賢治は一言も「音楽療法」とは言っていないけど、これはまさに音楽療法の話しだったんだ、と思った次第。音楽を通して、森の動物たち、それにゴーシュ自身や金星楽団の面々も進歩し、癒され、人は(動物も?)パンのみで生きるにあらず、文化と触れ合う喜びを感じるのだ、ということを賢治は表現したかったのだろうな、と再確認しました。実際に自身でチェロを嗜んだ、という宮沢賢治、本当に音楽が好きだったんですね。







 貴重な4日間でした。








 






♪ 不思議 ♪ 2017/09/10




ミラノの街中で道に迷った親子
(もう10年以上前ですね…)




 この仕事をそこそこ長くやってると、ときどき不思議なことに遭遇する。



 いまではすっかりフツーのポケピン中学生であるウチの娘。彼女がまだ4歳だったころ、イタリアでのお仕事に連れていったのですね。で、その日程のなか、今日はローマ郊外の老人ホームを訪問してミニコンサート、という日の朝、合唱団の指揮者の先生が突然、


 「うえのさん、ちょっと時間余るんで、りんちゃんによさこい踊ってもらえないかなぁ?」


 とおっしゃった。


 娘はそのころ、保育園での運動会のプログラム、「よさこい踊り」を練習していて、たしかに老人ホーム慰問とかではコドモの余興は喜ばれるんで、でもなぁ余興とはいえ音楽会ブチ壊しにならないかとも思いつつ、一応本人に訊いてみると、


 「りんこちゃん、やる!」


 で、老人ホームまでのバスの車中、遠足バスでの不良の指定席である5席並びの最後列で、ヤツはバチの代わりに割り箸を手にして踊りの最初から終わりまでの手順を確認したのち、


 「りんこちゃん、おっけ」


 と言いくさった。


 僕はそれを見ていて唖然としたのだが、なぜって僕も本番前、その日の曲の手順を脳内シュミレーションして、「おっけ」と思えてから舞台に向かいますが、それは長年、舞台やってて身につけたスキルであって、はっきり言って20代のころとかには解っていなかった。

 とうてい4歳児ができることではないと思うんですが…


 でも安心したことに(?)、今の娘の行動を見ていると、先のこと、それに周囲の空気が読めないことおびただしく、そのスキルは消え去ったようです。ではあのとき、確かに彼女がとったあの行動はなんだったのか?






 今日出会った不思議は、世田谷の教室でのレッスン。もう10年以上通ってきているお嬢さんですが、彼女は好みはっきりしていて、クラシックのレパートリーみたいな堅苦しいのは嫌い。アドリブで自由に吹くのは好きだけどメンドくさい理論的なお勉強は嫌い。でもいちばん大事なのは本人がキブンよく吹けることなんで、曲は僕が選んでジャズありポップスありラテンあり、で、うるさいこと言わずに好き勝手に吹かせてたら、ある頃から結構サマになってきた。


 彼女、結構器用な性格なんだとも思うが、モノゴトの伝承って、本来こういうものなのだと思う。正反対に、いくら理論をマスターしてもいっこうにアドリブらしくならない生徒はたくさんいる。理論書とか、フレーズ集とか、もしかしたら五線譜も、進化という名の「便利なもの」が登場して本質が見えなくなっているようにも思う。


 でもね、今日吹かせてたら、倍テンで吹くべきラテンだったのですが、「それらしい」だけでなく、あきらかにラテンアドリブの伝統的なフレーズが混じっているのですね。彼女、「メンドくさいことは嫌い」な性格なんで、決してウチで資料を聴きこんで「お勉強」したりはしない。だいたい自分が吹く以外にはCD聴いたりもしない。念のため本人にも確かめたから間違いない。ではときどきチラつく「伝統的フレーズ」はなんだ?


 僕は教えてない。僕自身の場合、そのテは「お勉強」して身につけた。だから、「エグエスがよく使ってた、マラカもときどき使う」的な説明が出来る。でも彼女、エグエスも、マラカの名前も知らないだろう。


 
 感覚的な把握であっても、何らかの「最適解」を追っていくと似たようなところに着くのか?あるいは… もしかして… ハッピーでフレンドリーなキューバ人の気質を考えるとアリえそうなんだが、リチャード・エグエスの霊が彼女に向かって微笑んでいる?(エグエスにはお会いしたことないので、実際の人物像はわかりませんが)… 4歳頃のウチの娘のように、「霊界通信」出来る能力があるのか?はたまた量子力学で説明出来るのか?

 そして、幼いころにはみんなが持っている能力を、「教育」という名の洗脳を受けたのちにも保ち続けられるのが、「天才」と呼ばれる人々なのだろうか?








 いやあ不思議なことってあるもんですね。

















♪ 黒帯 ♪  2016/11/01



 8年前、50代を目前にして、フルコンタクト空手を始めた。ことの起こりはウチのチビ娘。娘は超未熟児で生まれ、保育園時代は常にクラスいちばんのチビ。運動会のかけっこも毎回ビリ。保育園のクラスを廊下から覗いていると、集団行動のなかでなにかと遅れをとるウチの娘を、まわりの友達が助けてくれるシステムが出来上がっている。ウチのはそれをいいことにシッパイは周りに助けてもらうのがアタリマエ、とばかりひっくり返したおもちゃを自分で片付けようともしない。


 こりゃアカンと思った。このままでは周りによたれかかってばかり、他人の気持ちなどなんも感じられない大人になってしまう。わが家の家訓は 1、いいわけをしない。2、卑怯なことをしない。3、てめえのケツはてめえで拭く。なので、チビでも負けないなにかを、自分に自信がもてるなにかを身につけてもらわなければ。で、ウチからすぐの中学校の武道場でカラテをやってると聞きつけて連れていったのですね。


 べつに押し付けるつもりもないから、稽古を見学したあとで「どう?」と聞くとやってみたいという。平日の7時、送り迎えしなければならないがまぁ金曜日の夜の仕事は断るか、と。
 娘を入門させて、金曜日の7時に連れて行って1時間、稽古が終わったら連れて帰る。2週間もすると、自分が1時間なにもしないでじっとしているのが性に合わないことがよくわかった。で、自分も入門させていただいて、一緒に稽古することにしたのだ。


 そのときはなにも知らずに、娘の送り迎えのこともあるので8時からの(大人の)一般部でなく、7時の少年部に入れていただいたのだが… まぁそんなこともあるのだろうくらいに思っていたが、それ以後、少年部で稽古する大人は見たことがない。空手道講士館代表・長谷川一之師範は元全日本チャンピオン、厳しいなかにも暖かいまなざしで子供にも武道の心構えをしっかり説く方だが、柔軟な考え方も、それにユーモアのセンスもお持ちの先生で、けっこう例外的措置だったのだろうと、今では思っている。



 空手道講士館。なにもわからずに、ただウチから一番近いという単純な理由でここに入門したことが、どれだけ幸せなことだったか。娘が生まれて以降、人との出会いに恵まれるようになった… 娘が連れてきた運なのか、子供を持つということはそういうことなのか、そのへんは解らないが、素晴らしい師範、先生方や先輩に恵まれ、さんざんお世話になりながら娘は昨年、自分も先日の秋季審査会で、念願の黒帯をいただくことが出来ました。


 稽古を重ねていると、中高大学時代を通じて運動部経験いっさいなく、その後も不健康なミュージシャン生活だった僕は、自分の身体能力の低さに自分で呆れた。柔軟では固い身体に嫌気がさし、基本稽古では上がらない足に憤り、パンチの威力のなさはこりゃドラえもんとたいして変わらんな、と。


 かたや現役選手である若手の先生方は、山田先生は中量級世界チャンピオン、宮島先生は全日本2連覇と超一流。稽古の合間に先生方が技の練習をしていると、その美しい身体の動きに惚れ惚れする。そして、とても同じことをやってるとは思えずに再びガックシとなるのだ。





 それでものめり込んだ理由のひとつは、「こりゃ楽器のコントロールと根っこは一緒だな」と思えたこと。演舞の型や、試合ではその場でアタマをフル回転してやることでは間に合わず、そのために日々稽古を積み重ねて身体の記憶をつくるのですが、これって楽器と全く同じ。その身体記憶をつくるためにひたすら繰り返すことが大切なのも同じ。そしてもうひとつ好みに合ったのは、評価基準がひとつにはならない音楽と違って、試合では勝敗がはっきりしていること。まぁときにはビミョーな判定、というときもありますが。


 今の時代、どのスポーツでもそうですが20世紀に比べると科学的分析が進んだ。強いパンチ・キック、それに流れるような技の連続のためには身体のどこを使い、どこを鍛えるべきなのか。昭和の根性論とは違うアプローチをするようになっている。だから現役の選手は驚異的なパワーがありながら無駄な筋肉は持っていない。シュワルツネッガーが最強の選手ではないのだ。


 そりゃそれなりに代償も払いました。アバラにヒビはいること数回。突き指、肩肘故障数しれず。右肩はもはや完全に元通りにはならないようで、動作範囲がかなり狭くなってしまったし、これからの季節、バイクで寒風にさらされると結構痛む。右薬指の関節も元通りにはならないみたいだしなぁ。ケガするといつも師範が「うえのさん、完全に治るまで組手はやっちゃいけません。元に戻らなくなりますからね」と怖い顔でおっしゃるのだが、そうは言っても治りの遅いシニア、我慢できずに適当なところで「治りましたぁ」と組手稽古に出ていた報いなのですが。


 でも、「怪我の巧名」(文字通り)じゃないけど、ケガしてみて初めて理解した身体のしくみって、結構あるんだ。いちばん突き指しやすいのは指の第2関節ですが、ここをやっちまってもフルートは吹けるしピアノも弾ける。まぁ痛みはしますけどね。指を動かす筋肉の仕組みは複雑ですが、掌よりも総指伸筋はじめ前腕のほうが重要なことが、ケガすると解る。すると、フルートの理想的な「構え」がおのずと見えてくる。まぁこれは屁理屈の類かもしれませんが。


 音楽も仕事にするとイヤでも出くわす理不尽、ブラックな世界。まぁいつもでないとは言え、だいたいがグレー。府中道場にはこれから全日本を連覇するであろう素晴らしい選手、Y君がいるんですが、中学生時代までは空手をやっていたものの高校・大学は野球に打ち込んでいた彼が空手に戻ってきて、茶帯で足踏みしていた僕をあっという間に追い越して黒帯昇段審査を受けるまえ、師範がわざわざ僕のところへいらして「Yを先に(僕を追い越して)昇段させます」とおっしゃった。さいしょは師範何をおっしゃってるのかと思った。僕はもちろん、彼の実力から言って僕より先に黒帯になるのが当然と思っていたし、だいたいがヘロヘロな趣味のシニアと現役選手だし。いくら在籍上は僕のほうが先輩とはいえ、師範がわざわざ筋を通されたことに新鮮な感動を覚えた。そりゃ空手の世界も外ではいろいろあるが、すくなくともここ講士館の中ではわけのわからない、筋の通らないことはないのだ。






 自分が生徒たちに接する姿勢も、こうありたいと思います。
















♪ ていねいな仕事 ♪ 2015/05/23   



ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネの看板奥様



 パンとかお米って毎日食べるものじゃない?それが美味しいととっても幸せな気持ちになれるよね。


 このところ、とっても気に入っているパン屋さん。横浜の瀬谷区にあるちいさなパン屋さんなのだけど、ここのパンがハンパなく美味い。どういうふうにかって言うとですね…


 このお店はクロワッサンが一番人気で、もちろんこれも最高のクロワッサンで、「瀬谷の逸品」に認定されてる。でも俺の一番のお気に入りはバゲット。外側のクラストは実に香ばしく、内側はしっとりだが小麦の風味がしっかりしていて、ニッポンでフツーの軟弱なフランスパンより少し硬めのしっかりした焼き上がり。噛めば噛むほど旨みが口に広がる。これとハム、チーズだけあれば(僕は下戸なんでワインは不要)立派な食事で、値段もけっして高くない。

 フランス海外領土のニューカレドニアバゲットがとても美味かったことを思い出す。ここのバゲットも値段が安く、つまり庶民の日常のひとつだ。全体的に物価が高いニューカレドニアのこと、なにか訳(税率が違うとか、政治的な何かか)があるとは思うんだが…



 豊かになった現代のニッポン、お金さえ出せば美味しいものはナンボでもあります。でもそういうんじゃなく、毎日の生活の中にあるフツーのものが素晴らしい、それが豊かさなんだと思います。てか俺はそう思うんで、自分自身もなるべく日常の中の、手の届く目の前に生きた音楽を提供したいと思っています。


 オジさんこのトシになると恥じらいナイんで、自分がわからないことはスグに訊くから、トーゼンこのパン屋さんのご主人にも「どうしたらこんなに美味しいパンが焼けるんですか?」って訊いたことがある。そしたら一言、


「丁寧に作っているだけです」


 と言われて、結構オドロイタ。いや、丁寧に作ってないと思っていたわけではもちろんなく、同じセリフをその前に2回も聞いていたからだ。



 ひとりはウチの近くにあるラーメン屋のご主人。いずれ改めてご紹介しますがここのラーメンもハンパなく美味い。そしてそれがコケおどしでない証拠は、毎日でも食べたいラーメンなのだ。インパクト重視系は一口めはいいが、完食するころにはモウケッコウになるからね。もうひとりは俺の昭和ポンコツバイクをメンテナンスしてもらっている、調布市下石原のモトショップ・ダブルフットのご主人だ。33歳にもなる俺のGSが普段使い出来るのはひとえにこのひとのおかげなんだが、この2人がまるで打ち合わせでもしたかのように同じセリフを吐いたのだ。


 アリガチな、勘違いした精神論のように「技術は足りなくても気持ちで補う」ていう訳じゃない。それこそラーメン屋でままあるように「一生懸命営業中!!」なんてことを店の入口にデカデカと書いたりしない。プロが一生懸命仕事するのはアタリマエ、3人とも確実な技術を持つ、俺が本当に尊敬するその道のプロだ。でもどれだけ技術と経験に長けても、結局、いちばん大切なことはどれだけ「丁寧に仕事する」か、なのだと改めて思った次第。




 そして面白いことにこの3人に共通していることが、3人とも「一匹狼」だということだ。パン屋さんとラーメン屋さんはお店を奥様が手伝ってはいるが、「作る」ことに関しては一人でやる。ダブルフットは従業員なし。そして頑固者(皆様ごめんなさい)であることも共通している。




 バゲット、食べてみたくなったでしょう?お店の場所はここです。




ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネ



横浜市瀬谷区阿久和西4-4-10 TEL045-391-8033 
 6:00〜18:00  日曜・月曜定休





















 ♪「笛吹きインドひとり旅」好評発売中! ♪
代替文
 うえの作家デビュー作、「笛吹きインドひとり旅」、好評いただいています。堅苦しいインドの研究書(?)やガイドブックには載っていないインドの魅力満載! イラストは、フォルクスワーゲンの専門誌等でも活躍中のイラストレーター、二宮 言氏にお願いしました。余談ですが、二宮さんと打ち合わせしていて(彼はニュービートルのオーナーなのです)、なんと同じディーラーにお世話になっていることが判明しました。(世間はせまい・・・) 6月15日には全国書店一斉発売になっております。まだお読みになっていないかたのため(販売促進のため!)ちょっとだけ見せます。


・・・インド滞在5日めにして、そろそろ腹ぐあいがアヤシくなってきた。今回、出かけるまえから考えていたのは、日本からクスリを持っていかないで、腹こわしたらインドのクスリを飲もう、いうことだ。
 食いしん坊の割には胃腸が繊細なボクは、海外で5日以上おナカがもったためしがない。とくにインドは食事が「あれ」だから・・・ つまるところ、毎日「カレー」。むこうではカレーという呼び方はしませんけど。要するにtoo much spicy, too much oilyなのですね。
 で、例のミリオンに、「腹のクスリくれる?」と頼んだら案の定、「ドコガイタイノカトイレニワナンカイイッタノカウンコハカタイノカヤワイノカ○Х△ΩФ・・・・・・」
 あまりにやかましくて閉口したんだけど、文字どおり背に腹はかえられないからね。ちゃんとクスリ買ってきてくれたのはいいんだけど、ミリオンなにを血迷ったか、やおら母性本能発揮して、ほとんど幼稚園児を看病する母親のノリになってきたのにはさらに閉口した・・・



・・・この先をご覧になるには「有料確認」ボタンを押してください・・・





 「日印アナデジ対決2001」ライヴ録音CD発売中(プライヴェート盤)
 2001年10月にラケーシュ・ミシュラ氏(タブラ)、パンカジュ・ミシュラ氏(サーランギ)と共演した、武蔵野芸能劇場でのライヴ録音を限定販売しています。(なくなり次第終了)
収録曲は、・プリヤダナスリ(インド古典音楽) ・PEACE FOR WORLD 2001 (インド古典のスタイルによる新作、うえの善巳共演) ・もみじ(当日のアンコールピース)の3曲です。税込¥1000 TOPページのアドレスへメールでご注文ください。





 「クラシックmeetsダンスビート」一部収録CD発売!
 ここ数年追求(?)してきた、クラシックのメロディとイマ風のビートの合体。今回、ボクのアレンジ1曲と、クラブサウンド業界で活躍中のヴェテラン、岩見正明氏に2曲お願いしたものが完成しました。
 チャルダッシュ(モンティ)/アレンジ・岩見正明
 剣の舞(ハチャトリアン)/     同     
 だったん人の踊り(ボロディン)/アレンジ・うえの善巳
なかなかいいカンジに仕上がりました。「ぴくるす」というオムニバスCDに収録されています。これもプライヴェート版で、残念ながら流通には乗らないので、メールでご注文ください。税込¥2000


































































m(_ _)m

南白ウインドアンサンブルのページ

うえの善巳ウェブサイト

★ご質問は wonder-yocchy@docomo.ne.jp または
 yocchy6456@hotmail.co.jp まで、お気軽にどうぞ。



2019/07/01


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 「Lemon」のアレンジも完成して練習に入りました。

 想定内なんですが、楽譜を配って子どもたちがそれを初めて目にしたときの戸惑いの表情ったら(笑)。「このファンク16ビートってなんだぁ?」

 「みんなが知っている曲」ですが(僕は知らなかったけど)、カラオケで「歌う」のと楽器で吹くのでは、アタマの中の使い方が少々違います。歌だったら「ファンク16ビート」なんぞ知らなくても、そっくりに歌えればOK。でも吹奏楽では楽譜を読まなければいけない。楽器を操作しなければならない。アタマの記憶に少々変換をかけてすり合わせなければならないのですね。


 シニアのフルート・オカリナ・ハーモニカ教室でも、みなさん二言目には「知ってる曲をやりたい」とおっしゃいます。ハーモニカの場合は「音を探れる」ので、記憶だけを頼りに楽譜は「見なかったことに」でも吹ける(ときどき名人芸的にハーモニカが上手いジイさんがいる理由はここにあります)のですが、ほかの楽器では多かれ少なかれそうはいかないのです。シニアもよく、「この程度は知ってるから吹けるはず」の目論見が外れて戸惑います。その表情を楽しむのがこの商売の楽しみのひとつです(性格悪いですね)。



 青少年音楽祭が終わってから取り組むことになりますが、岩田先生のご希望で、「音楽のおくりもの」をアレンジしました。小学生らしい溌剌とした曲で、岩田先生はこの曲を南白の音楽環境のシンボルにされたいそうです。こんどは「シャッフル」(笑)。



 また、配った時の表情が楽しみです(笑)。。










2019/06/17


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 たちばなの園への訪問演奏も無事終わりました。お手伝いいただいた保護者会の皆様、有難うございました。みんな本番を踏み台にしてワンランクレベルアップしました。


 曲を吹きこなすことだけでなく、本番には付き物の部長あいさつ、コンサートミストレスとしての役割、パートリーダーの責任、みんな立派に果たしました。僕からすると「へええこの子こういう事思った以上にちゃんと出来るんだ」という発見多数で、たのもしいばかりです。


 たちばなでは不参加だった新入り4年生(一部5年生)を加えてウインドアンサンブルとしての基礎練習と、8月の青少年音楽祭に向けての準備に入りました。


 本番持ち時間から言って、今年も演奏曲は2曲、1曲は岩田先生の中長期プランに沿ってスーザのマーチ「雷神」に決まっていますから、昨年のようにもう1曲、「みんながやりたい曲。なにがいい?」と訊きました。


 ウインドアンサンブルは集団行動ですから、最後は多数決で決めざるを得ません。でも自分が挙げた曲はメンバーみんなに対して、その理由を説明してくれるように頼みました。

 今では「ディベート」が日常のクラス指導の中に取り入れられているのかな?誰もなんにも言わないかと思っていたら、みんなじぶんの推薦理由をちゃんと説明していました。「学園天国」を挙げたYちゃん。僕は内心「なんで今の小学生がそんな古臭い曲を?」と思っていたのですが、彼女は「この学校の風景らしい楽しい曲を、みんなで一緒に吹いたらもっと楽しいと思いました」と。僕は聞いていてけっこう感動しました。


 で、「Lemon」に決まりました。テレビ見ない僕ははやりものは全く知らないのですが、流行っているようですね。楽譜をこしらえなければならないのですが、去年の「Bad∞End∞Night」のように、聴いてて脳が溶けそうにならなくて済みそうです。



 みんなが楽しんで吹けるように。お父さんお母さんも青少年音楽祭をお楽しみに。



 









2019/06/09


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 昨日は、南白ウインドアンサンブル年間行事の第一弾、「たちばなの園訪問演奏」でした。

 毎年、卒業生が巣立っていって初めての本番、4年生はまだ初歩の基礎練習中で戦力には加わっておらず、5.6年生だけでの演奏です。
 すべてが初めての体制。新しい部長、新しいコンサートミストレス、新しいパートリーダーでの初めての本番です。

 曲目自体は、時期からいって新曲を取り入れることは難しく、昨年、一昨年と同じ「茶色の小瓶」「上を向いて歩こう」「男はつらいよ」「ふるさと」の4曲なのですが、みんな新しいパート、新たなソリストでのチャレンジです。

 昨年は上級生の陰に隠れていられた(完全に、ではないですが)新6年生、最初のうちは新たに背負わなければならなくなった責任に直面して戸惑います。練習が進んでいくと、思い通りにいかない部分があれこれ出てきて、だんだんにアセってくる子、身体を堅くして吹くようになってしまう子、言い訳を始める子、いろいろなことが始まります。

 彼女たち(プラス彼5名)の場合、これらはほとんど無意識下(あるいは半無意識)での反応・行動です。それを「いい材料」として、ある部分は通常無意識下行動であることの「意識下コントロール」のためのエクササイズとして、別の部分は「無意識下」のまま、ポジティブな方向への習慣づけとして利用します。


 普段、「ウインド3原則」として、「卑怯なことをしない」「言い訳をしない」「自分のことは自分で責任をとる」と言っていることを、ここでの解決方法として結び付けます。自分で積極的にタイミングをとるのでなく、みんなが吹いてから遅れて吹くのは後出しジャンケン=卑怯なこと。音が出ないことを楽器のせいにするのは言い訳。(もちろんその前に楽器のコンディションと彼女の奏法をチェックしておかなければなりません)そして、自分のことは~、は「6/8本番とわかっているのだから、それまでに全部吹けるようになるように、自分の練習プラン・短期目標を考える」です。出しにくい音があると余計に身体が堅くなるので、いったん脱力してから力を入れるように念をおして、そのための発音練習をします。


 ひとりひとり性格が違います。日頃から言いわけが多い傾向の子には理路整然と言い訳を封じる方向に、「近未来イメージ」が弱い(まぁもともと小学生は苦手ですが)子には、明日、3日後、一週間後の、具体的なイメージが持てるように話します。



 もちろん、すべてが僕の思い通りに運んでくれるわけではありません。でも、ウインドの子どもたちは、また違う部分では僕の予想を上回ることをやってくれて、結果オーライになることがほとんどです。



 昨日も、3日前にはイマイチだったようなところをみんなちゃんとこなしました。南白ウインド、素晴らしいです。












2019/05/30


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 世の中の変化の加速度は増すばかりのようです。どんどん便利になるのと引き換えに、以前よりも烈しい自然災害や、不安な世相に対応していかなければならないようです。

 「音楽を通して」子どもたちに伝えるべきこと、それはいろいろあるのですが、「現代の世相に対応する」ことに関して音楽が出来ることは何かあるのか?あるんです。

 僕が所属している道場では、なにか事件があるたび、子どもたちに対して、空手を習っているからといって絶対に立ち向かおうとしないこと。素早く逃げることがいちばん大事。闘うのは最後の手段、自分のことや大切な人がそうしないと守れない時だけ、と言って聞かせます。

 ですが、この「素早く逃げる」ことが誰でも出来るとは限らない。突然の不測の事態にすくんでしまう子、事態が呑み込めず判断が下せない子。まぁどちらかと言えばそれが普通なのかも知れません。  
 
 そのことに対しては、「音楽」は何にも関与できないように、一見思えます。ところがそんなことはありません。何故ならば、「目前の事態に素早く反応する」や「的確な判断を素早く下す」は、音楽をやるうえでも重要な要素だからです。自分が吹いた音に素早く反応出来ないと「良い音」は吹けません。発音する前に用意した「マニュアル」に沿って吹くのではなく、自分自身ではよくわからないうちに「教育」として突っ込まれた習慣(これを英才教育といいます)で吹くのではなく、生き物のように吹く度に違う音に素早く反応して、微修正を加えながら吹く(弾く)のが楽器だからです。これを自分自身で無意識データに変換して、なるべく無意識に任せるのが理想的です。小学生では「よくわからないけど」覚えてもらうこともある程度は必要になってきますが…

 「無意識下」であるが故に、自分自身で「顕在意識コントロール下での無意識の訓練」は、まぁ子どもには無理です。なので、そこに繋がる訓練として、「音楽室に入るときはあいさつ」「話している相手の目を見て聞く」があるのです。子どもたちにはわかりやすく「目線」「姿勢」「返事」と言っています。校門での「挨拶運動」では、ともすると「言われたから返す」状態になりますが、ここでは自分で意識しなければならないところがミソです。決して「全体主義的」なのではなくて、音楽する上での、そして彼ら彼女たちの日常の中での、万一の危険に遭遇した時のためのトレーニングなのです。「避難訓練」的なものばかりがトレーニングではないと思います。

 友達と一緒に、わいわいがやがやおしゃべりしながら第2音楽室に来る。でも入る瞬間、スパッと切り替えて「おはようございます!」と大きな声であいさつする。僕が話しているときは、なにかをしている途中であっても中断して、僕の目を見る。言われていることに集中する。聞かれたことにはすぐに返事を返す。これらのことが無意識をトレーニングすることに繋がっているのです。


 僕がまだ空手習い始めだったころに聞いたエピソードに、合宿所で稽古中、突然大音響で雷鳴がとどろいたとき、先生方は全員、その方向に「受け」の姿勢を取っていた、というのがありました。そのころは「へーえ先生方くらいになるとそうなんだ」と思っていたわけですが、自分も最近、テレビに突然クラッシュシーンが映って衝撃音がすると、無意識にテレビに向かって「受け」ている自分に気づいて苦笑することがあります。やりゃあ出来るんです。


 必要な時に必要な動きが出来るためには、ずっと緊張していなければならない訳ではありません。そんなことをしていたら疲労してしまって、逆に肝心なときに身体が動けません。
 普段はリラックスして脱力しておいて、必要な時には素早く100パーセントの出力に持っていける身体が重要なのです。


 道場の先生は僕たちシニアの道場生に対してもよく「皆さんも武道家ですから」とおっしゃるのですが、いえいえとても武道「家」を名乗れるほどのもんじゃありません。でもたぶん、めったにいない「黒帯フルーティスト」として、音楽と武道の共通点(たぶんどのようなことでも「極める」ことは似たような次元を目指しているのだと思いますが)を、子どもたちの安全につながる教えとして話していきたいと思うのです。













2019/05/09


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 6月8日の「たちばなの園」訪問のときに演奏する、「男はつらいよ」の練習をしています。



 寅さん映画って、もしかしたら保護者のお父さん、お母さんたちにも馴染みのない映画でしょうか?僕もシリーズ中の古いほうはよく知りませんが、平成7年の第48作まである大作ですから、終わり近くのほうはリアルタイムで観ています。第45作は「マドンナ」も後藤久美子だったりだし。でもウインドの子どもたちには、後藤久美子もただの知らないオバさんなんでしょうが…



 下にある一年前のブログでも書いていますが、冒頭のトランペット。はい、るなちゃん今年も苦労しています。特にむずかしいということではなく、山本直純センセイの仕掛けたイタズラにしてやられているわけです(笑)。



 ナオズミ先生って、先生の晩年に録音の現場で何回かお会いしました。「〇永エールチョコレート」のCMにご出演されて「大きいことはいいことだ‼」ってやってたから、そのときのキャラとルックスから豪放磊落なひとだったと思われているんですが、実際は作品にも細かい趣向を凝らす、繊細な感覚をお持ちの方でした。でも同時にたっぷりの「茶目っ気」もお持ちで、この「寅さん冒頭」はナオズミ先生らしいなぁと思います。



 きっと空からるなを「イーッヒッヒ」と笑いながら眺めていらっしゃると思います。




 でもあのころ「〇永エールチョコレート」って50円だったんですよね…












2019/04/27


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アンドロメダ銀河の音」

 新年度の練習が始まりました。今年度赴任してこられた音楽専科の岩田先生に新4年生の「初歩の音だし」をお任せして、新5.6年生は6月に控えている「たちばなの園」老人ホーム訪問の練習に入りました。

 「たちばなの園」訪問は、入所していらっしゃる方々にたいへん喜ばれています。近年の老人ホームは日常生活自立度が低下してしまっている方が多いので、その場での反応は乏しいのですが、演奏後にお話ししてみるとたいへんに喜んでいただけた、楽しんでいただけたことがよくわかります。

 メンバーの子どもたちは、まだ自身のおじいちゃん、おばあちゃんにどれだけ可愛がってもらっているか、も実感ない年齢だと思いますが、練習の合間にも、たちばなのおじいちゃん、おばあちゃんたちがどんなに楽しみにしているかを話していきたいと思います。

 そして、訪問演奏を通じて、自分たちがそういうことが出来る実感を感じ、「南白ウインドアンサンブル」のメンバーであるプライドにつながっていってほしいと思っています。



 閑話休題



 時間が少ない朝練では、いわゆる「ロングトーン練習」を、みんなで一緒にユニゾンを吹くことで代用しています。音のダイナミクスを変えて吹いたり、音色コントロールのテクニックを養うために、「イメージ」を指示して吹いてもらったりします。

 ただ「フォルテ(大きく)で」と言うのではなく、「ゾウの音」なんぞと。

 子どもの誰かを指名して、「今日のデカい音、なんにする?」と訊くのですが、デリケートな年齢にさしかかりつつあるウインドのメンバー、低学年の子どもたちのように「ゾウー!」「カバー!」「キリンー!」「クジラのほうが大きいもん!!」とはなりません。指名してもまず「うーん」となって、常識的な範疇での答えが返ってきます(笑)。でも先日は、チューバのWちゃんが、「ハイハイー」と手を挙げて「アンドロメダ銀河の音!」「???(他の子どもたち)」

 あながち荒唐無稽ではありません。僕たちも、コンサートのプログラムとして練習している曲を、楽譜の背後にあるものを調べ、考え、自身の感覚を研ぎ澄まし、自分の限界まで追い込むと、あるときふっとアイディアが浮かび、あたかも作曲者が「あの世」から教えてくれたような感覚になることがあります。あるいはもっと上にある、大きな存在の意志なのかと。お断りしておきますが、僕はクリスチャンでもムスリムでも、敬虔な仏教徒でもありませんからね。自身を追い込むのは孤独な作業ですが、自分自身は決して孤独な存在なのではなく、あらゆるものと繋がれる可能性があるのだと。アンドロメダにだって、「思い」は行ける。ちいさい子どもはフツーにそのような世界に生きていますが、大人になってもそのような心って大事なんじゃ?これから反抗期に向かうウインドメンバーの子どもたちは、いっぺん「子供らしさ」を否定して価値観を再構築する時期ではありますが。


 W、自分の個性を大事に、そのまま行くんだぞ。










2019/03/11


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 3/9の土曜日に「楽器お手入れの日」を行って、今年度のウインド活動はすべて終了しました。保護者会の皆さん、お子さんたちのウインド活動へのご理解、バックアップ有難うございました。

 すでに3年生たちには担任の先生を通じて入部募集の案内が渡されていますが、ご兄弟のいらっしゃるご家庭、お友達で「ウインドやってみたーい」子を知っているお父さんお母さん、よろしくお願いします。

 現6年生22名が巣立っていきますから、同数、本当はその人数プラスアルファ、入部してほしいところです。それは南白ウインド、「メンバーが多い」ことをフルに活用しているからです。

 今の小学生、本当に器用です。40年前、いや20年前でも、小学生がこんなに「上手に吹く」ことはアリエマセンでした。子どもたちの「こなす能力」は本当に時代とともにUPしています。ですが、同じ「管楽器を吹く」でも、ソロで聴いてくださるひとを納得させるにはそれなりの技術が必要です。今年度、6年生たちにはそのへんを少しだけ体験してもらいました。その、「ひとりでは難しい」部分は逆に「人数が多い」ことでカヴァーされます。本人たちも「響き合う」ことを楽しめる。なので60人編成規模を維持したいのです。




 「器用さ」を持ち上げるばかりじゃなくて少し落としとく(笑)と…  実はなにかね、局(テレビ局ですね)でタレントたちとおシゴト付き合ってる時に感じるような感覚があるんですよ。

 あの世界で生き残っている人たちは本当に器用です。呑み込みが、理解が早いことがあの世界で生き残るための必須条件。あるあるのパターンで、「新春かくし芸大会」みたいな番組で1週間練習してバンド演奏、みたいなやつ。あの人たち「あっ」という間に覚えます。よくある「チャレンジもの」などを見ていても解りますよね。まぁテレビだから「ヤラセ」の部分もありますが、事実でもデキが早いことは確かです。


 でもね、ああいう世界で売れてる人たちはある意味「乗ってる人生」を送ってることは確かなんだが、オトモダチ付き合いしたい相手かというと…


 べつに子どもたちの変化に結び付けることはないのかもしれませんが…


 それよりも、新年度の指導をお引き受けしたことでもあるので、新年度に向けて… 別に今までと違うことをしようと思っているのではないのですが、「基本コンセプト」につながるところを補足しとこうかと思います。ここから、例によってあっちこっちに脱線しますが、よろしくお付き合いください。

 僕が高校2年生の頃、そのころ住んでいた、てか実家なんですが、地元の「藤沢市交響楽団」で演奏会のコンチェルト・ソリストを公募したんです。応募資格は「藤沢市在住のこと」だけ。本番の曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。オーディションはベートーヴェンピアノソナタから任意の曲、任意の楽章。

 全国から猛者が集まるわけじゃない。3番のコンチェルトの楽譜をざっと見て、「練習すりゃ弾けんじゃね?」と無謀にも応募したわけです。もちろんオーデション弾いただけで落ちましたが。

 「知らないこと」の強み以外の何物でもないです。音大受験生➡音大生➡音楽家(のタマゴ)の世界をなにも知らなかったから出来たこと。今ならばコンチェルトソリストがどういうものか知っていますから、先日「ラプソディ イン ブルーのソロ弾かない?」と訊かれたときは言下に断りました。あんなもん弾けるわけがない。まぁ半年他の仕事ゼンブ断って、ウインドの朝練も断ってピアノの前に固着すればカタチだけはなんとかなるかもしれませんが… それでもこたろうのほうが上手く弾くんじゃないかなぁ?

 高2の僕にはそんなことは解りませんでした。だからこそ「オーディション受けてみよう」と思ったわけですね。でもそう思えるって凄くないですか?

 小学生たちも同じように、「知らない強み」をたくさん持っています。そこを上手く伸ばしてあげようと、日々考えています。





 新年度もよろしくお願いします。












2019/02/26


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 3月3日、ひなまつりの日は、6年生たちの最後の演奏会、「スプリングコンサート」です。


 先週から、6年生だけで練習にはいりました。今年度は新たな曲をたくさん取り組んだので、レパートリーは豊富です。でも普段はフルメンバー60人で吹いていますから、6年生だけ、20名で演奏するためにあれこれ塩梅やら、すり合わせやらが必要になってきます。

 吹奏楽は、まだなにかとおぼつかない4年生、目立とう精神まんまんの5年生、引っ込み思案な6年生、みんな一緒になってひとつの音楽を楽しめるところが魅力です。それはAKBのように「人数で成り立つ」部分でもあります。大勢で一緒に吹いたほうがサマになるのですね。

 先日、僕が参加しているSDGsウインドオーケストラのコンサートで、神奈川の高校吹奏楽部2校との合同演奏が3曲ほどあったのですが、われわれ35名に70名ずつが加わって総勢170名以上!!! 大迫力でした。感動しました。なので、普段60人で吹いている曲を20人で演奏しようというには、同じように吹いていては上手くいかない部分も出てくるのですね。

 でもそこはまだ耳もアタマもやわらかいウインドの子どもたち。べつに手取り足取りしなくても、適切なヒントを与えておけばいつものようにリクツではなく感覚でとらえて、ちゃんとアジャストして吹けます。「どういう工夫してる?」と訊いても「えっと」となってうまく説明は出来ないところがオモシロイところ。



 6年生たち、3年間のウインド生活の集大成です。ぜひお楽しみに。












2019/02/07


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UFOを呼んでいるのではありません。Bad∞End∞Nightの曲中、ブレイクでスティック投げろと言ってあるので合奏前にキャッチの練習をするあやか



 2/13のウインド音楽集会に向け、「ドラゴンクエスト・メドレー」「RPG」「Bad∞End∞Night」の練習をしています。


 「ドラゴンクエスト・メドレー」は曲のイメージを膨らませるために、ストーリーでっちあげ作戦でいくことに(笑)。僕自身は「ドラクエ」やったことがなく、この曲を強力に推したゲーム少年のトランペットはるきに訊いてもよくわからないので、オリジナルの物語をでっちあげることにしました。最初は序曲。ファンファーレと共に、中世ヨーロッパ風のお城が画面に映ってタイトルロール。キャスト・・・お姫様/りょう(女子たちの推薦です・・・)、母女王/トランペットあかり。 序曲が終わると第1幕第1場「姫の部屋」です。 姫(りょう)「おかあさまおかあさま、今夜の舞踏会に履いていくはずの、先週東京靴流通センターで買った金ラメの靴がないの」女王(あかり)「あなたは自分の部屋を散らかしっ放しにしているから見つからないのよ。ベッドの周りの洋服の山の下をよく探してごらんなさい」・・・

 
 その後、曲の終わりの大広間での華やかな舞踏会に向けてお話は展開していくのですが、お母様方に呆れられること必至なのでこのへんにしておきます。すでに6年生女子たちは口あけて呆れています。


 この手法(?)は僕がピッカピカの音大一年生だったとき、ピアノのレッスンに持っていくショパンの曲をピアノ科の先輩に聴いてもらってアドヴァイスを求めた時にやられた(?)ものです。その時は「音大には変な人種がいるなぁ」と思ったのですが、40年たったら自分も同じ人種になっていた、というオチ(汗)。












2018/12/16




 今年の「森の音楽会」、大成功のうちに終了しました。


 森の音楽会は地区委員、PTA、ウインド保護者会、校長先生や先生方、大勢の方々が年度初めのころから準備を重ねての一大イベントです。そこには、「子どもたちが貴重な体験をする機会をつくろう」という情熱があふれています。


 ですが、ウインドメンバー保護者のお父さんお母さん方はお解りのことと思いますが、子どもたちの、本当に貴重な体験の時間は、昨日のステージにたどり着くまでの過程のなかにありました。

 4月に入部した4年生たちも、本当に頑張りました。8月の青少年音楽祭のときには、なかば「エアフルート」「エアクラリネット」だったチビ(失礼!)たちが、しっかり成長して立派に吹けるようになりました。それに6年生たち、今年は「6年生全員ソロ」という課題を、みんな立派にこなしてくれました。

 6年生22人、みんなそれぞれに個性が違います。引っ込み思案の子、心配性の子、おだてるとどこまでも木に登る子、それぞれの性格を考えて、誰がどこでソロをとるかを考えました。ジャズの曲では、ジャズのソロは本来アドリブソロですが、小学生にはまだそこまでは無理なので、各自のテクニックと性格に合わせたソロフレーズを作りました。ピアノが上手いこたろう君にはチューバを離れてもらってピアノソロを。エルコス(笑)にはエルコスっぽいフレーズを。おとなしくてもっと前に出て欲しいと思っている子には「気合!!」みたいなソロを。


 それぞれの課題をモノにしていく過程も、子どもたちの性格によって違います。一人で課題をこなしていけるタイプの子は最初に説明しておいて、あとはひそかに見守りながらあえてほったらかし。手取り足取りしてあげたほうがいい子はそうしつつもプッシュしておきます。出来るのに自信が持てない子には耳元で自信を持てるようなささやきを、木に登る子はひたすらおだてて。そんなこんなしているうちに、みんな自分の課題をこなしていきます。その過程こそが、彼ら彼女たちが経験した、貴重な時間だと思います。そして、それらが合わさってひとつのアンサンブルになる。それぞれに違う個性が、お互いを牽制するのではなく、レベルの高いところで合わさったものが素晴らしい集合体になる。そんなことを、もちろん無意識領域でですが、感じてもらえることが貴重な体験だと思っています。



 子どもたちの演奏に華を添えてくださったゲストの坪根剛介さん、ありがとうございました。実は「シング シング シング」の終盤、ジャンベ・フルートバトルになったのは坪根さんが突然仕掛けてきたことで、子どもたちも知らなかったこと。なので、フルート前列の5年生が文字通り「口あいて」見ていたのが目に入って、おかしくて仕方ありませんでした。音楽にはこんなこともある、という体験になってくれればと思っています。














2018/12/07



「森の音楽会」に向けて、最後の追い込みに入りました。


 明日の土曜日練を含め、あと数回しか練習の時間はありません。子どもたちは「ヤバくね?」と思っています。ですがこれは計算のうえで、ぜんぜん大丈夫です。でもこの心理作戦が効いて、今朝など目を見張るような響きです。この子たち、少し焦らせておいたほうが気合入りますから。


 昨年あった、「各楽器(紹介)コーナー」を今年はやめて、6年生全員が、各々は短いですがどこかでソロを担当するようにしました。6年生も、パートリーダーを務める子、2nd、3rdで下を支える子、その子の性格にあわせて普段は違う役割を担っていますが、森の音楽会では6年生みんなが主役です。

 でも、ここで言っておかなければならないことは「ソロには責任がある」ということ。もちろん3rdクラの末席まで、それぞれの責任はあるのですが、「ソロ」はウインドをひとりで背負って立つ責任があるわけです。そのかわり成功したときの喜びはひとしおです。これをみんなに味わってほしいと思っているのです。


 そこに絡めて、今年のゲストにはパーカッションの坪根剛介さんをお迎えすることにしました。アンサンブルの中では、「目立つけれど主役ではない」役割を果たすことが多いパーカッションですが、坪根さんは電気エフェクトを駆使して何人もがアンサンブルしているようなサウンドを、ひとりで叩き出します。堂々たる主役です。坪根さんに了解いただいて、このパフォーマンスに「ひとりで出来るもん」というタイトルをつけさせていただきました。実はこのタイトルは、やはり僕がひとりで、フルートとコンピューターを使ってのパフォーマンスのタイトルなのですが…  坪根さんも僕と同じ「一匹狼」指向の人で、彼のパフォーマンスを見たときに「これを是非ウインドの子どもたちに見せたい」と思ったのですが、今回その思いがかなうことになったものです。


 何故?子どもたちはこの先、中学校・高校と進学していくなかで、少しずつ大人の社会に近づいていきます。その過程で、「自身」「他人」の意味付けを、小学生時代からは変えていかなければならなくなりますよね? 僕が日頃から子どもたちに伝えたいと思っていることのひとつが、「しっかりした個人が集まって良い共同作業ができる」ということなのです。よたれかかるのがコミュニケーションじゃない。ハイティーン時代は、自身を確信できない不安感から、意味もなく他人とつながろうとします。まぁその過程を経て自己確立していきますが…



 ウインドの子どもたち、「みんなで吹くと素晴らしい音になる」ことを楽しんで吹いています。でもそのためには個人個人がそれぞれの責任を果たさなければならないんだよ、というアドヴァイスを込めたいのです。「仲良し」とは、大切な仲間のことを思いやること。一緒にトイレに行くことじゃねえんだぞ、と。






 そのへんの成果も含めて、子どもたちの演奏を楽しみにしていてください。










2018/11/17



 先日に引き続き、今日もジャズトランペッターの五十嵐 誠先生をお招きして、トランペットセクションのクリニック・第二回を開催しました。



 みんな、午前中は学芸会で頑張ったにもかかわらず、午後再登校での練習も頑張ってくれました。
 森の音楽会に向け、昨年からレパートリーに加わった「シング シング シング」などのジャズを楽しむために、ジャズではクラシックの曲よりもハイノートが多いので、ハイノートの出し方を重点的に1時間半ほど、みっちり教わりました。


 最後には、五十嵐先生の演奏も聴かせていただきました。「ブルース」や「アドリブ」などの、日頃聴いたことのない世界を、みんな目をまるくして聴いていました。





 音楽の世界は広いです。まだまだみんなが触れたことのない世界がたくさんあります。すこしずつ、未体験ゾーンを紹介してあげたいと思っています。














2018/10/26




 今日から「金練」(金曜日放課後練習)を始めました。原則として毎週金曜日の放課後、第2音楽室を開放して、子どもたちに好き勝手吹いてもらおう、という趣旨です。

 高校吹奏楽では、個人練習:合奏の割合がだいたい8:2くらいのところが多いでしょうか。中学校で7:3とか6:4かな?年齢が上がるほど個人練習の比率が上がるのは、本来楽器の練習は個人練習が基本であること、年齢があがるほど自分で練習を「コントロール出来る」ようになるからです。

 南白ウインドの場合、練習内容の比率は真逆で、9割が合奏練習、残り1割がパート練習と個人練習でしょうか。これは小学校吹奏楽の特殊性からくるもので、小学生ではまだなかなか「自主的に」練習出来ないからです。


 でもまぁ、「ひとりで」楽器と向き合う時間も少しはあったほうがいいです。そこからの発想が「金練」です。


 金練時間中は僕が付き添います。普段の朝練では時間がなくて、ついついそのままになっている「ここはどうやって吹いたらいいの?」を解消する時間として活用してほしいと思いますが、それよりも「思い切り吹ける環境」で「好き勝手に」吹いて楽しめる時間を送ってほしいと思います。


 子どもたちの安全のため、「金練」参加の際は、お配りした用紙に記入した「金練参加チケット(?)」を必ず持たせてください。子どもが金曜日に自分で記入するのではなく、前日におうちの方が記入してあげてください。


 よろしくお願いします。















2018/10/04



 運動会も終わり、6年生の陸上記録会も終わって、12月の「森の音楽会」に向けての練習になりました。今朝は2学期に入ってから取り組んだスーザの行進曲「士官候補生」を仕上げました。



 吹奏楽自体、以前ほどはマーチを演奏しなくなりましたが、そもそもが軍楽隊をルーツとする吹奏楽、マーチはよく似合います。南白ウインドもマーチにはあまり馴染みがなかったようで、子供たち最初のうちは慣れない2/2拍子に戸惑っていましたが、練習を重ねるうちに、いつものように期待以上の演奏をしてくれるようになりました。

 「森の音楽会」でお聴かせしたいと思っています。


 私事ですが、僕のようにフリーランスのミュージシャンというのはどこぞに「所属」はしないのですが、あちこちで「団員」「メンバー」にはなっています。今年度からは、大学の先輩である東京フィルハーモニー交響楽団のさかはし矢波さんが率いるSDGsエスディージーズ)吹奏楽団のメンバーに(も)なりました。SDGs吹奏楽団はJICA(国際協力機構)東京が運営するプロ楽団です。




 先週の土曜日、子どもたちが小雨のなか運動会を半分やってた日はJICAのイベントでお台場の特設ステージに出演、僕自身久しぶりに「錨を上げて」「旧友」「星条旗よ永遠なれ」などのマーチ(の演奏)を堪能しました。



(画像は昨年のクリスマスコンサートの時のものです)







































2018/09/15



 9/15の土曜日練習は、ホルン奏者の竹内 修先生、打楽器奏者の室本 亜弥子先生、それにクラの加藤さんにも来校していただき、パート練習を重点的に行いました。

 「士官候補生」の、慣れない2/2拍子に少々てこずっていた子供たちも、パート練習の後では見違えるように吹けるようになりました。




 練習終了後、講師の各先生から講評をいただきましたが、現在もICU付属高校吹奏楽部の指導を務めておられ、中・高校吹奏楽部指導のベテランである竹内先生からは、「子供らしく伸び伸びと吹いていて、大人の固定観念を破る音」であるとの感想をいただきました。僕が南白ウインドの特長ととらえて、大切に伸ばそうと思っている部分の認識が間違っていなかったことが確認できてうれしかったです。





 フルートパートの特訓に忙殺されて、金管・打楽器パート練習風景を撮り忘れました(謝)。















2018/08/27



 青少年音楽祭、無事に終了しました。お手伝いいただいた保護者会の皆様、裏方を担当していただいた役員の皆様、それにいつもウインドの活動を最大限にサポートしてくださっている校長先生はじめ教職員の皆様、会場スタッフはじめお世話になったすべての皆様、ありがとうございました。


 某音大の権威ジジイの講評内容は置いておいて、僕からの講評と解説を書いておきます。ばっちりです。今回も子供たち、よくやってくれました。

 昨年、ウインドの指導をお引き受けしたときに安西校長先生と、それに今年度始めに森嶋校長先生とご相談のうえ、南白ウインドアンサンブルの活動ポリシーの根幹にしようと決めたのは、あくまで「子供たちを主体者に」ということです。

 学校の名誉のためでも、何かの成績を残すためでもなく、メンバーの子供たちが3年間、音楽を楽しみ、楽器が演奏できるようになる経験をして、それがメンバー以外の南白生や地域への貢献につながるように、ということを目的としています。

 ここから先は僕の個人的な指導ポリシーになりますが、昨年11月に初めて南白ウインドの練習に立ち会って、中・高校生や、大人とは違う可能性を感じました。そこからお付き合いを重ねるなかで思ったのは、その可能性はこの時期(小4〜6)特有、ある意味最後の時期なのではないかということです。

 子供たちはこの先、身体的にもアタマの中もどんどん成長していきます。さまざまな教育の場の中を生きていきます。ですが、僕は「教育」とは同時に、持っているなにかをスポイルすることだと思っています。

 ウインドのメンバーのなかにはまだ楽譜を読むのが不得意な子もいます。彼ら彼女らなりにフリガナ(ドレミファ)をふったりしてやっていますが、そのような子を合奏に放り込むと彼らは、最大限耳をつかって聴き合わせようとします。そこを育てるために、日頃の練習でも極力、指揮棒振り回して指示するのではなく、聴いて合わせるられるように持っていきます。視覚情報を減らしてそのぶんを耳に廻す目的です。「お互い聴き合わせる」が出来ると、実は本番では指揮者なんぞ不要、ということを今回ご覧いただけましたでしょうか?


 実はこのことが、音楽する上で重要なことなのです。


 もちろん、楽譜も達者に読めることにこしたことはないのですが、順序としては「聴いて真似る」のほうが先です。西洋音楽では400年前に5線譜が確立して以来、それに作曲者の意図の伝達が最優先という事情から楽譜が最重要的な認識になっていますが、欧米以外の地での伝統音楽ではいまだに口伝主体のところはたくさんあります。例えば北インド伝統音楽(ヒンドスタニー)などもそうです。そのような音楽では、(伝達の)効率最優先に楽譜で伝達しようとしたら、音楽の根幹が伝わりません。西洋音楽とは価値観が異なるからです。でも「音楽」としては、目指すことは同じです。


 ウインドの子供たちは、楽譜に書かれている音高、リズム、そのほかにも読み取れないニュアンスを「こういうふうに吹いて」と、僕がフルートで吹いて聴かせると上手に真似られます。英会話レッスンの「Repeat after me」状態ですね。この能力はこの先どんどんスポイルされていきます。読譜力がついてくると楽譜に振り回されるようになります。まぁ大人はそこを乗り越えてその先にいかなければならないのですが… でも英会話も子供、それも読み書きできない年齢のほうが進歩はやいですよね。大人に同じやり方をするとなかなかうまくいきません。大人は人生のなかでさまざまな経験を積んで、その結果既成概念に支配されてしまっているからです。

 そのような外的要因に影響されずに、持っている能力を伸ばし続けられる一部のひとが「天才」と呼ばれる人たちなのかもしれません。凡人が同じことをやろうとすると、僕のように精神年齢の低い大人になりますからおすすめ出来ません(汗)。


 子供たちが持っているこの能力を、いま最大限に伸ばしてあげなくてどうする(笑)。ある意味今が最後なのですから。


 このことに限りませんが、彼ら彼女らにとって大切なことは、大人のブラバンとは異なると思っています。「分離のとれた、クリアなサウンド」なんぞは大人になってから(もし続けていれば)やればいいこと。いまは元気よく楽器を「鳴らして」、そしてそれが60人一緒になったときに「塊」(マッス)として響き、それを彼女たちが実感できることが大切、と思っています。


 会場で録音・録画を録られたご父兄もいらっしゃると思いますが、実際に会場でお聴きになっていた時のほうが上手に聴こえた印象をお持ちになられたのではないかと思います。府中の小学生たち、どりーむホールでリハーサル・本番を行えるのはたいへんに恵まれたことです。コンサートホールは本来、ステージ上の楽器を「発音体」として、ホール自体が楽器として響くように設計されています。ですが、この「響き」を、マイクはなかなか上手くは拾わないのです。「発音体」だけを拾ってしまいます。なのでプロによるホール録音・スタジオ録音では個々の楽器を「分離させて」録音し、あとで電気的な加工によって残響を付加する方法が一般的なのです。会場で生で聴いていると、子供たちは元気よく鳴らし切っていることでホール自体が響きます。多少音程が合っていなくても音の芯があれば響き合います。細かく音程がどうのこうのと言うよりもこっちが先、と僕は考えています。



 校長先生と合意してあることのひとつに「コンクール(的なもの)には参加しない」があります。コンクールで好成績をあげるためには、「傾向と対策」的な作戦が必要になってきます。子供たちの「今を最大限に生かす」こととは相容れない部分があると考えるからです。小器用に「こどな」的な演奏をするのではなく、また中・高校吹奏楽部の前哨戦をするのでもなく、最終期の「子供らしいアタマのなか」を持つ子供たちの能力を最大に発揮させてあげたいと思います。






 ただ、昨年の卒業生たちの話を聞いていて少し気にかかるのは、6中(に限りませんが)で吹奏楽部に入ると、そこはフツーの学校吹奏楽の空気なので、南白ウインドの雰囲気とのギャップを感じる子もいるようです。ここは僕の今後の継続課題とさせていただきたいと思っています。
















2018/08/17



 8月25日の青少年音楽祭に向け、最後の追い込みに入りました。


 順調に仕上がっています。子供たちも楽しみながら日々のチャレンジをこなしてくれている様子でひと安心。ただ、改めて4年生の保護者の皆さんにはお断りしておかなければならないかなのですが、4年生の場合、いま取り組んでいる2曲を完全に吹きこなすのは無理です。まぁ音楽はいくら追求しても「完全」はないのですが… 小学校吹奏楽の場合、4年生から3年間かけて、6年生終了時にどのくらい上達出来たか、どのくらい努力を積み重ねられたか、です。上達のペースは個人差がありますから、スロースターターには、もしかして3年間も短すぎるかもしれない。南白ウインドでの3年間で満足いかなくて、中学校でさらにチャレンジする子もいるでしょう。逆に器用な子はキャリア半年の今でもかなり吹きこなします。それぞれ違うみんなが一緒になって楽しめるのが吹奏楽です。


 本番1週間前である今日あたりからは、4年生の場合「吹かなくていい」箇所を指定していきます。6年生と同じに吹けるわけはありません。「吹けない箇所」があってもお子さんの努力が足りないわけではありません。みんな、6年生になればびっくりする位上達しています。今の6年生たちのように。



 おうちであまりアオらないでくださいね。










2018/07/20



 今朝の朝練で、1学期中の練習は終了しました。ご家庭のご協力、ありがとうございました。7/23月曜日から、夏休み練習に入ります。保護者のみなさんには付き添いお当番をお願いすることになります。よろしくお願いいたします。


 8月末の連合音楽祭では、「少年時代」「Bad∞End∞Night」の2曲を演奏します。両方とも、子供たちの希望を聞いて決めました。「少年時代」は比較的演奏テクニックも易しいので、上級生が4年生の面倒をみながら一緒に上達していけることを主目的においています。「Bad〜」は通常、吹奏楽では演奏しないタイプの曲ですが(いわゆるボカロ ボーカロイド)、イマ風の最先端です。吹奏楽だからといって古臭い曲ばかりでは面白みに欠けますし、「この曲がやりたい!」のモチベーションが高いとニンゲン頑張れます。子供たちに「がんばらないとできねーぞ」と断ったうえで、ここでがんばって上達してほしい、ここは易しくしておいて楽しもう、の両方を織り込んで編曲してあります。「ここはあの子のソロにしよう」なんて考えながら編曲する作業はなかなか楽しめました。


 日頃、10歳(ウインドの4年生ですね)から80代までの生徒さんを相手にしていますが、こちらの予想したペースを上回ってくれるのが南白ウインド。僕の見込みよりも若干早く、昨日の練習で2曲とも完奏出来ました。あとは反復して細部を仕上げていきます。



 音楽会の日が楽しみです。あ、もちろん、この子たちと過ごす夏休みの日々も。






 



2018/07/03




 7月1日、女性3人の和太鼓アンサンブル「ハルノトモ」のライブにゲストとして招かれて、「颯踏」という現代曲の篠笛を吹いて暴れて(笑)きました。


 フルート吹きが篠笛、ふつう吹かないですね。頼むほうもふつう、フルート吹きには頼まないですね。フルート吹きはたしかに誰でも篠笛、音は出せますが、楽器が違うということよりも、背負っている音楽の背景が違いますから。

 もちろん、底の浅いなんちゃってにならないように、以前には篠笛の先生に3年間みっちり教わりました。もちろん本業で吹いている方にはかないませんが、逆に「西洋クラシックも吹く、ジャズも吹く、演歌のバンドもやってた、インド音楽も勉強してきた(インドで)、小学校ブラスの指揮もする(笑)」という何でも屋の存在感は出せるかと自負しています。


 僕自身は、フルートの勉強をはじめたのは高3、それも秋になってから、とおそらくフルート吹いてメシ喰ってるニンゲンの中ではトップクラスに遅い(笑)のですが、実は高校3年間、ブラスバンド部にはいたのです。でもそこではパーカッション⇒トランペット⇒指揮者、とたらいまわしにされる人生。そのおかげで今、パーカッションのあやかが「ここってどうやるかわかりませーん」と言ってきたとき、「そこはこう叩くんだ」と見せてやることが出来ます。もちろん、そのさきあやかが練習すると彼女のほうが上手いですが(笑)。


 指揮ができるのもこの時の経験のおかげです。そのブラスバンド部の指揮をしていたコーチは桐朋学園でかの斎藤秀雄先生の弟子だった猛者でしたから、これもまたみっちり仕込まれました。だからこう見えても(?)、僕って斎藤先生の孫弟子なんですよ(笑)。


 今日から、夏の青少年音楽祭に向けて「Bad∞End∞Night」の練習にかかりましたが、このような「バンドもの」(正確にはDTMかもですが)がこなせるのも、〇〇〇〇オングバンドを始め、〇〇マリさん、演歌の〇〇悠里さんたちのバンドのメンバー、バンマス、アレンジャーを務めてきた経験があるからこそ。DTMもCMから劇伴までさんざんやりましたから。




 人生の選択肢はたくさんあると思います。そして、自らが選択したわけではなく、ある意味流されて経験したことでも、昔から言われるように、「人生、無駄な経験はない」を実感します。そして、それを僕に教えてくれた方々の恩に報いるためにも、こんどは僕が子供たちにいろいろな経験をさせてあげなければ、と思います。


 近年の、シンガポールでの教育改革の主眼になった、「Teach Less, Learn More」は、まさにそのとおりかと思います。南白ウインドでも、教え込むのでなく、子供たちが自ら考え、工夫して進歩していける土壌を作っていきたいと思っています。








2018/06/03



 昨日は老人ホーム「たちばなの園」へ。がんばって練習した4曲を聴いていただきました。


 「男はつらいよ」では小杉先生に寅さんになっていただき、セリフ入りで歌っていただきました。近年、特養に入所されているお年寄りは認知症のレヴェルが上がってきてしまっていて、反応が乏しい方が多くなっているのですが、あとでうかがってみると、その場の反応はイマイチでも(感情表現能力が低下してしまっているので)、皆さんとても楽しんでいただけたようでした。

 僕自身も、小さい子供は文句なしに可愛いトシに片足入ってきてしまっていますが、老人ホームでは子供の訪問は本当に喜ばれます。以前、社会福祉法人での音楽療法プログラムのスーパーバイザーを務めていたころは、よくウチの娘を保育園サボらせて連れて行ったものです。チャイルドセラピーといいますか孫セラピーといいますか、僕自身がフルート吹いてるよりもよっぽど喜んでいただきました。


 子供には、大人を元気にさせるパワーがあります。ウインドの子たちは、「音楽のパワー」も持っているのですからなおさらです。まぁ本人たちはよく解っていませんが(笑)





 お手伝いいただいた保護者会のお父さん、お母さん方、有難うございました。







 
 
2018/05/20



 昨日は、学校公開日にあわせて「幸が森コンサート」を開催しました。企画準備、会場設営に関わっていただいたPTA役員のお母様方、有難うございました。


 今年の「校長先生のコーナー」は、ヨーゼフ・シュトラウス作曲、「鍛冶屋のポルカ」。この曲の原題は「Feuerfest」で、これはドイツ語で「耐火性抜群」の意味です。何故?

 じつはこの曲、1869年の3月に、金庫メーカーのヴェルトハイム商会が、耐火金庫2万個の製造を記念して舞踏会と花火大会を催した際、ヨーゼフ・シュトラウスが商会から依頼されて作曲したものなのです。ヨーゼフは金庫を製造した鍛冶職人を讃えて、打楽器として金床を用いるポルカを作曲したそうです。150年前のコマソンだったのですね。実際、合唱つきのバージョンもあります。


 森嶋校長先生、やってくださいました。3のセンだろうがなんだろうが、やるときは徹底してやる。それを見せていただきました。






 ウインドの指導も、「ああしなさい、こうしなさい」と指示するのではなく、「まず大人がやってみせる」ことを大切にしたいと思っています。よろしくお願いします。










2018/04/28



 今日もいろいろ面白いことがありました。


 たちばなの園で演奏する、「男はつらいよ」の練習に入ったのですが、今日はトランペットの6年生が全員早退して、4年生はまだたちばなのメンバーには入りませんから、合奏に参加したのは5年生のみ。5年生はやはり、昨年のたちばな訪問には参加していませんから、この曲を吹くのは初めてです。


 上の画像が「男はつらいよ」の冒頭なのですが、Aのフルートとクラリネットのフレーズのあと、楽譜にTpとあるところからトランペットが入ります。ところがここがなかなかうまく入れないのです。


 それは例の(?)無意識下で、フルート・クラのフレーズをBのように聞き取ってしまっているからなのです。彼女たちの譜面には、自分たちが休みでフルート・クラが吹いているフレーズの音符は書いてありませんから、彼女たちのいままでの音楽経験から出来上がっている無意識、一種の「思い込み」でこのように感じているわけです。

 べつに楽譜を見ながら聴いているわけではないときでも、ひとは拍子やテンポを無意識下で感じながら聴いています。盆踊りでみんなが手拍子を合わせられるのはこのためです。そして、べつに4拍子だ3拍子2拍子だと考えなくても、4拍・3拍、あるいはそれ以外、音楽のなかで繰り返される「目印」(この場合耳印ですが)を感じ、それを基にリズムを感じています。これは、そのひとの音楽的な能力とかに関係なく、意識していなくても誰でもやっています。そして、それらの時間感覚は、脈拍や、歩行のリズムなど、自律神経でコントロールされるものと関連しています。それらは自律神経的には「一定」であるべきものなので、テンポのヨレた演奏を聴くと、誰でも「ヘタクソじゃね?」と感じるわけです。




 それを利用して、作曲家・編曲家はときどきイタズラを仕掛けます。聴き手が自然に感じている「拍子感」を惑わすようなことをするのですね。作・編曲家は自身の作品を聴き手に印象づけようと考える。一瞬「え?」と感じる、それは印象づけられたということですから。

 この「寅さん」テーマ曲の冒頭が耳に残っている方はけっこういらっしゃると思います。それはここに、山本直純センセイが仕掛けたイタズラの効果のせいでもあるんです。




 似たようなもうひとつの例は、「キューピー3分クッキング」のテーマ(譜例C)です。この曲はドイツの作曲家、レオン・イエッセルの「おもちゃの兵隊の行進」なのですが、オリジナルのイントロはキューピーバージョンとは違います。3分クッキングのテーマに採用されたとき、編曲した編曲家が仕掛けたイタズラだと思いますが、楽譜的にはCが正解なのですが、通常Dのように聞こえます。だまされているわけです。そのままだとこの後、テーマのメロディになった時に、無意識に感じていた拍子感とズレて「え?」と思います。


 大昔からやってます。ヘンデルテレマンの作品のなかにもあります。エッシャーの「だまし絵」みたいなものですね。



 もちろん子供たちにそんなコムズカシイ話しをしてもしょうがないので、「ちゃんと数えなさい」とだけ言いました(笑)。












2018/04/24



 21日土曜日の練習から、いよいよ4年生と、途中入部の5年生2名、新メンバーが加わっての練習になりました。

 南白ウインドとお付き合いするようになってから、子供たちの能力には何回も驚かされてきましたが、今回も2点。


 ひとつは… もちろん「個人差」というものは必ずあるので全体的に、ですが、4年生、最初の段階の飲み込みがかなり速いですね。いろいろな場面で、最近の子供たちは僕自身が歩んできた道の歩き方がそのままは当てはまらない気がしていますが(あたりまえですね、半世紀近くの世代差があるのですから)、長年、生徒さんを教えてきた経験から見ても、最近の小学生は「器用さ」を増してきているように思います。

 ただ、前にも書きましたが、「個人差」は常にあります。僕は「なにかと何かは引きかえ」と思っているので、器用なことがすべてによいとは思いません。楽器の習得は、仮に初歩の段階で少々遅れをとったとしても、1年後、あるいはもっと長いスパンで見ればほとんど差はなくなります。それに、仮に不器用であったとしても、自分のペースでよいのでこつこつと積み重ねること、そのことが彼・彼女がこのさき楽器を、音楽を、それに音楽をすることで得た経験を生かして、豊かな人生を送る材料のひとつになると思っています。

 僕自身不器用でしたから、桐朋にいるあいだずっと落ちこぼれでした。僕より上手いやつ、器用なやつはいくらでもいる。でも、昭和的価値観ではありますが、「根性」だけは誰にも負けないつもりでした。それがなかったらここまでやってこられなかっただろうと、今では思っています。



 もうひとつのびっくりは、上級生。みんなちゃんと年下の面倒を見られますね。「縦割り班」などの、日常の中での積み重ねの成果だと思いますが、期待以上で驚きました。僕を始めコーチの大人は傍らからアドヴァイスするだけで大丈夫です。これも素晴らしいことですね。


 これからも、この子たちは僕のことを次々とびっくりさせてくれることでしょう。楽しみです。





 今年度からお願いする消耗品の個人負担ですが、どこまでが学校備品に相当するかの線引きがはっきりご説明出来ていませんでした。校長先生・副校長先生・ウインド担当の先生方とも相談して、次のような線引きにしました。

 個人負担になる物品は3点です。

 クラリネット・サックスの「リード」
 フルートの「クリーニングガーゼ」(フルート内部の清掃に使います)
 クラリネット・サックスの「クリーニングスワブ


 クラリネット・サックスが使用する「クリーニングスワブ」は、現在それぞれの楽器に付属していることを確認してありますが、消耗した場合はあたらしいものを購入していただくことになります(¥1000〜¥1500程度)。金管の清掃に使うネックブラシ等は学校備品扱いになります。
 フルートの「クリーニングガーゼ」 楽器屋さんではヤ○ハ製のクリーニングガーゼが販売されていますが、ダ○ソーの「ガーゼハンカチ」で十分です。薄手の白で、フチかがりがあるものがベストです。大判の衛生ガーゼをカットして使うのでも大丈夫です。



 このほかの、スライドグリス、コルクグリス、トロンボーンのスライドオイル、ロータリーヴァルブオイルなどは学校備品となりますので、個人で購入していただく必要はありません。


★購入していただくリードについて

 クラリネットはメンバー全員、同じものになりました。指定銘柄は、
  ヴァンドーレン Bbクラリネット トラディショナル 2 1/2
です。アマゾン等で購入できますが、クラリネットの種類(Bb)、硬さ(2 1/2 = 2.5)をお間違えにならないようにご注意ください。

 アルト・テナーサックスは、
  ヴァンドーレン アルトサックス用 テナーサックス用 トラディショナル 3
 クラと同じく、サックスの種類、硬さをお間違えなく。




 ご質問おありでしたらご遠慮なく、上記メールアドレスまでご質問ください。









2018/04/19



 今日は新5年生だけでの練習でした。5年生が1年間でどのくらい進歩したかを確認する目的ですが、いいですね。「のびのびと身体を使って吹く」が出来てきていると思います。


 僕の個人レッスンのクラスには、知的障害があるひと、80代目前のひと、いろいろな方がいらっしゃいます。僕が指導上で普段こころがけていることは「身体を柔軟に全身で吹く」「顕在意識と潜在意識のバランス」の2点です。誰に対しても基本は同じですが、そのひとの状況によって処方は変わります。いっとき流行った(今でもあるのかな?)「気づきによる自己啓発セミナー」みたいなのも、同じような観点だったのかな?と思います。


 人間は常に、顕在意識(記憶)と潜在意識(記憶)をバランスさせて考えたり行動したりしますが、そのバランスの度合いは時々で、また年齢によって異なります。当然個人差もあります。思考がまだ発達途上の小学生は、大人に比べると潜在意識(本能的な感覚)優先で感じ、行動します。吹奏楽を指導していて、例えば中学生よりも「真似して吹くのが上手い」のはこのせいだと、僕は考えています。リクツとか、先入観抜きで「特徴を聴き取る」のが上手いのですね。


 もちろん、学年が進むにつれて、「考えて吹く」ことの重要性は増してきます。でも大人であっても、ともすると顕在意識先行、いわゆる「アタマでっかち」の状態になってしまって行き詰まっているケースがよく見受けられます。


 まだ心も身体も柔らかい小学生、ある意味今しかないこの年代に合った指導をこころがけていきたいと思っています。


 というわけで、ワクに嵌めるようなことは極力しない基本方針なのですが、子供たちと「3つの約束」をしてあります。それは、

  「目線」  「姿勢」  「返事」

 です。

 話している人の目を見て話しを聞く。そのときになにか他のことをしていたとしても、それを中断して目を見る。これが「集中力」のトレーニングだと思います。「姿勢」は「気を付け」のように背筋を伸ばす、ということではなく、身体の自然な状態を意識する、ということです。そして現代、はっきりした反応が感じられないタッチパネルなどが増えてきたことが、人間の行動にも影響していると僕は思っています。それ以前にあたりまえのことではありますが、なにか聞かれたら、言われたらかならず「返事」をしようと、約束しています。

 ご家庭でもご理解いただけるようにお願いしたいと思います。




 ウインドとは関係ないのですが、毎週金曜日19:00〜20:00、6中の武道場にて「空手道講士館・府中道場」で子供たちの指導をお手伝いしています。こちらも新学期を迎え新入会生を受け付けています。武道の精神は、今の時代においてより重要性を増しているのではないかと、僕は思っています。小学校1年生から可能です。最近は就学前のお子さんも増えてきました。興味おありでしたら、見学・体験稽古も随時受け付けておりますので、ぜひおいでください。









2018/04/13



 新学期になりました。新5年、6年生は少しおとなびた風貌になり、目をキラキラさせた新4年生が入部してきます。気持ちをあらたに、また音楽に取り組む日々のスタートですが、同時に指導者はアタマの痛い時期でもあります。それは、新4年生のパート決めをしなければならないからです。


 入部申込みを出してもらうときに、希望の楽器を第2希望まで書いてもらいました。それが、欠員が出たパートと一致してくれればよいのですが、だいたいは人気のある楽器に希望が集中します。


 僕の高校時代あたりは、一番人気はフルートでした。ともすると新入部員が10人来ると、10人ともフルート希望、なんてことはザラでした。チェッカーズ時代はサックス。でも最近は、希望に極端な偏りはないようです。


 今年の新4年生の希望楽器は、欠員があるパートとほぼ一致しました。指導者としてはホッと一息、というところです。子供たちの、楽器への思い入れはひとりひとり違いますが、「編成の都合から来る強制移動」は、僕個人としてはやりたくないところです。それは、自分自身が、高校時代にフルートを希望したにもかかわらず、結局吹奏楽部ではフルートを吹けなかった経験から来ています。まぁ、だからその恨み(?)で、いままでフルートにしがみついてきた、とも言えるのですが。


 本日、保護者会を行ないましたが、クラリネット・サックスのリードに関する説明で、ひとつ言い忘れました。それは1箱(10枚)のリードがどのくらい保つか、ということなのですが、多少個人差がありますが、子供たちの練習のペースだと、おそらく1箱で1年保つと思います。指定銘柄はフランスのヴァンドーレンで、お話ししたように1箱が¥3000〜3500(楽器によって異なる)くらいです。リードの硬さ(厚み)が数種類あり、お子さんの使う硬さは後日、個別に連絡票を渡します。







2018/03/15



 今日は6年生のお別れ会でした。6年生18人にはひとことずつ言葉をもらい、新部長・副部長とパートリーダーを発表してもらいました。南白ウインドは伝統的に次期正・副部長、パートリーダーは6年生が会議して決めます。任命された5年生の新部長・副部長・パートリーダーたちは驚きながらも、責任感に溢れた表情でした。4月から、彼ら彼女らはしっかり役割を果たしてくれることでしょう。


 6年生のみんなとは3ヶ月と少しのお付き合いでしたが、一緒に音楽をメイッパイ楽しみました。中学校でも吹奏楽部に入る子、ほかの部活で頑張る子、さまざまでしょう。でも楽しかったこと、しんどかったこと、南白ウインドの思い出はみんなの心にしっかりと刻まれていることと思います。


 君たちの未来が幸多かれと祈ります。











2018/03/04



 今日は車返団地・3街区集会所にて「スプリングコンサート2018」。6年生のメンバー17人に出演してもらいました。
曲目は、僕が「カミン・ホーム・ベイビー」「枯葉」クラの加藤さんにも手伝ってもらって「A列車で行こう」、ウインドは「ダンシング・クイーン」「茶色の小瓶」「シング シング シング」「上を向いて歩こう」「アフリカン・シンフォニー」。

 出来のほうは… この写真の、みんなの満面の笑顔をみていただければお解りいただけるかと思います。


 会場に設置した募金箱でお預かりした募金は、「国境なき医師団」に寄付させていただきました。







2018/03/03



映画「セッション」(原題 WHIPLASH)のワンシーン。教授のスパルタレッスンに耐える生徒


 ジャズは「お行儀の悪い」音楽です。奴隷として強制的にアメリカに連れてこられて以来、さまざまな差別に耐え忍んできた黒人の音楽をルーツとし、そこへ白人の文化がぶつかり合って生まれたミックスカルチャーです。黒人のジャズプレイヤーたちはずっと、「やってらんねえぜ」と思いながら、いわれなき差別のなかで自分たちのアイデンティティを大切にしてきた。でも基本的に、おすましして建前を語るのでなく、もっと本音が吹き出すように吹かなければジャズになりません。

 南白ウインドの子供たち、みんなお行儀良いです。でも「シング シング シング」に取り組んでから、ことあるごとに「みんなのなかにある本音で吹くんだよ」と言ってきました。

 みんな素直な良い子だから、お父さんお母さんの言うこともちゃんと聞くでしょう。でも、口に出して言わないだろうけど、「バッキャロ」って思うことってない?

 思っても口には出さないほうがいいことはいろいろある。でも思うこと自体がいけないことなのではないんだよ、と。


 で、口に出す代わりに気持ちをぶちまけるときは今でしょ、と。ジャズはそういう気持ちのなかで生まれてきた音楽なんだから。



 でもウインドの子供たち、やっぱりお行儀いいです(笑)








2018/02/22



 今朝は全体練習でした。子供たちに、「6年生が一緒に吹くのはあともう何回かしかないんだよ」と話しました。
 南白ウインドでは、上級生は下級生を気にかける、下級生は上級生を見習って上手く吹けるように真似をする、が、過度にではなく、適当にユルくうまくいっていると思います。でもこれは適切なアドヴァイスを添えて見守っていかないと崩れてしまう可能性もあります。

 音楽のルールをただ押し付けるのではなく、子供たちが自主的にこなしていけるように見守っていきたいと思います。

 6年生はもうすぐウインドを、そして南白を巣立っていきます。中学生になっても吹奏楽を続ける子、あたらしいことに取り組む子、さまざまでしょう。残り少ないウインドの活動が、彼ら彼女たちの思い出のラストを飾れるようにしたいと思っています。






2018/02/17


 先日の練習でのことです。

 その日は放課後練で、帰りの会が早く終わった4年生たちが先に音楽室に来ていました。それまでの練習で、4年生たちがどのくらいついて来られているか気になっていたので、フルートの4年生2人をつかまえて、

 「じゃあ君たち、一緒にB DURの音階吹いてみようか」
 「ええっと〜」

 というわけでかなりおぼつかず、こりゃあ時間とって4年生の強化練習しなきゃかな、と思ったのですが、

 「じゃあ次はシング シング シングを一緒に吹いてみよう。せーの」

 そうしたら、ちゃんと吹けるのです。リズムも正確、間違って吹いている音もありません。

 吹奏楽に限らずですが、アンサンブル形式のいいところは、最初、まだおぼつかない状態でも、理屈抜きでまわりと一緒に「真似をして」吹いているうちに出来るようになってくることです。これも、芸事をマスターするための基本です。昔から「習うより慣れろ」と言われていますものね。


 南白ウインドでは、そのことが上手くいっているようです。まだおぼつかないところがある4年生たちも、6年生になるころにはきっと今の6年生のように、大人が感心するくらい吹きこなせるようになっているのでしょう。








2018/02/15


 2月14日 音楽集会で、ウインドアンサンブルは演奏委員会のメンバーと一緒に演奏しました。




 ウインドアンサンブルは「茶色の小瓶」「恋」「シング シング シング」、ウインドと演奏委員+全校児童合唱で「上を向いて歩こう



 「シング シング シング」は3学期になってから練習を始めました。この曲は「森の音楽会」終了後、音楽集会にむけての選曲で子供たちから希望がありました。以前にも取り組もうとしたそうで一部のメンバーは楽譜を持っていたのですが、チェックしたところ2種類の編曲の楽譜が混在していて、あらためて、よりオリジナルに近い… つまり小学生向けに手加減されていない、難しい編曲のものを全員に配りました。この曲はジャズクラリネット奏者のベニー・グッドマンと彼の楽団が演奏して大ヒットした曲で、この編曲にはグッドマン自身のソロや、当時ベニー・グッドマン楽団に在籍した革新的なドラマー、ジーン・クルーパのソロ、難易度の高いトランペットソロが含まれています。「森の音楽会」の成果から見て、この子たちは充分にこれをこなせる能力があると見たからです。そして南白ウインドはそれをちゃんとこなしてくれました。



 音楽指導の原点は「口伝」です。音楽に限らず、芸事の伝授の基本は「口伝」だと、僕は思っています。小学校においても、現代の音楽教育は西洋音楽ベースですから、楽譜を使います。ですが欧米以外の地域での伝統音楽にはもともと「楽譜」はなく、現代でも使わない地域がたくさんあります。それは西洋文明から「遅れて」いるのではなく、価値観が違うからです。


 僕自身が師事した篠笛の先生も、当然5線の楽譜は使いませんでした。インドで見学させてもらった大御所のシタール奏者のところのレッスンもそうでした。
 西洋文明のほかの要素と同じく、楽譜は伝達の「効率」を著しくアップします。ですが、同時に切り捨てる要素もあります。微妙なニュアンスは一対一での口伝でしか伝えられません。


 西洋でも東洋でも、「レッスン」でしか伝えられない微妙なニュアンスが膨大にあるのですが、「効率がわるい」口伝がメインのシタールのレッスンでは、弟子が尊師から人前での演奏を許されるまでに20年以上かかることはザラにあります。西洋音楽では、楽譜を使って効率アップできるようになった代償として、ともすると微妙なニュアンスを軽視しがちになりました。

 楽譜通りに演奏できるようになった先に「音楽」があるのですが、「楽譜に振り回され」て本質が見失われかねないのですね。


 僕は南白ウインドを指導する際、まずは「元気よく吹いて」と言うようにしています。元気でナンボの小学生です。それに、管楽器は全身の弾力で吹くべきもの、口先だけでボソボソ吹いていたらそもそもが始まりません。楽譜のpだppだ、そのほかのニュアンスはその後です。そして、そこを理解してもらう為には、ごちゃごちゃ説明するのではなく、「吹いて聴かせる」のが、彼ら彼女らにはいちばんだと解ってきました。トランペットだろうがトロンボーンのフレーズだろうが、僕がフルート持って「こういうふうに吹いて」と吹くと、彼ら彼女らはちゃんと理解してくれます。パーカッションの場合は「口三味線」です。まさに「口伝」です。実は、これは大人にたいしてはなかなか上手くいかないことなのです。僕自身を含めて、「おとな」には、いかに思い込みや既成概念が多いかを、ウインドのメンバーを見ていると感じさせられます。


 「シング シング シング」は難曲です。予想はしていたとは言え、わずかひと月の練習で、彼ら彼女らはよくここまでこなしたと感心しています。保護者のみなさんは、お子さんを精一杯褒めてあげてくださるよう、お願いします。


















 南白ウインドアンサンブルのゼネラルプロデューサーである安西校長先生。現状でのウインドの運営は、僕は外部の人間なので音楽面のみ、ある意味気楽に棒振り回しているだけですから、事務方の仕事は全部校長先生がこなしてくださっています。子供たちのためであれば何事をも厭わない校長先生には、感謝のかぎりです。


























































































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楽器ヲタクではない楽器の選択


画像は5年間ほど愛用した1912年ボストン生まれのクラシックヘインズ。キィの形状などはまさにアートです。装飾で成立させる方向でなく、塊(マッス)と機能美、そしてほんの少しの「遊び」が融合している。絶妙なバランスです。頭部管はオリジナル含めあれこれ試して、昭和の洋銀製のものになりました。1912年当時、同じボストンのウォルサムの製品はまだ懐中時計が中心。いくつか持っていますがノンオーバーホールのままで今でもきちんと動く、素晴らしい出来です。ミルウォーキーハーレーダビットソンでは現代に繋がるVツインエンジンのモデルを発売したばかり。当時アメリカでは、バイクで100km/hを超えるとライダーの皮膚が風圧で剥がれると思われていたそうだ。いつも仕事にいくときはフルート肩からたすきがけにしてバイク乗ってくんですが、このおばあちゃんが僕の背中で「皮膚がはがれるぅー」と叫んでいるかなと想像すると笑える。










 現代のフルートは、正確にはベーム式フルートと呼ばれる。テオバルト・ベームは19世紀ミュンヘンのフルーティスト、作曲家。彫金師でもあったという。いわゆるヨーロッパタイプのインテリ、そして天才であったのでしょう。


 ベーム式フルートは、それ以前のフルートとは全く違います。我々はフツー「ベーム式フルート」のスペシャリストであり、古典フルートの吹き方をマスターしたフルーティスト以外は、ベーム式以前のフルートはスグには扱えない。序々に改良されてきたそれまでのフルートとは違い、ベームはフルートに革命的な変革をもたらしたのですね。


 いわゆるの「天然天才」的音楽家とは違い、ベームは科学的な知識も豊富で、ベーム式フルートは演奏家の単なる思いつきではなく、(当時の)音響学的な裏付けを持って全てが設計されている。そして現代のフルートでも、ベームが決定した数値から変わっていない部分もたくさんある。150年以上通用する仕事をしたわけです。


 だが、ベームの設計のすべてがキャリーオーバーされているわけではなく、歌口の形状や頭部管の設計などは、現代の要求に合わせて変化してきている(あえて改良とは言わない)。現代の要求とは、おおざっぱに言って「明快な表現」「そのための大音量」のふたつだろう。


 現代では、クラシック音楽のファンは世界的に減少傾向だ。僕はその原因のひとつは、17世紀〜19世紀的価値観がもはや現代からは遠くなりすぎたからだと思います。

 19世紀には飛行機も新幹線も、クルマもなかった。19世紀になって音楽会の観客層となった街のごく一般の人々の多くは、生まれた街の100km圏から出ることもなく一生を終えた。時の流れは現代よりもずっとゆっくりしていた。


 現代人は早い変化の中を慌ただしく生きている。ポップスの流行り廃れは加速度を増し、1年前の流行りはもはや誰も覚えていない。誰かまだ「Let it go」聴いていますか?


 そのような現代にあっては、それがクラシック音楽の18世紀の作品であっても、なにより明快な表現が求められる。作曲された当時のスタンダードな表現とは相当違うでしょう。現代のお客さん飽きっぽいんで、深遠だけどわかりにくい表現してたらみんな寝ちゃいますから。そんなこんなで、ベーム式フルートの歌口も変化してきたんだと思う。そもそもベームフルート自体が、それ以前のモコモコしたフルートに我慢ならなくなったベームが自分で吹くためにつくったものなのです。


 でもさ、ここのところ「ナントカにもほどがある」って思うこと、増えたような気がしない?やりすぎなんじゃないかって。すべての変化に加速度つきすぎだって。単に僕がトシとってついていけなくなっただけかな?


 自然と人間の関わりを大切にするスウェーデンには「Lagom」って言葉があるという。「ほどほどに」って意味だそうだ。ほどほどに、欲ばりすぎず… 日本は?バブル崩壊、そしてリーマンショック以降多少減速した感はあるが、アメリカ文化圏である日本が得意とする「突っ走る」感覚とは、かの地は異なるようです。


 1912年製ヘインズはまだベームの文献通りの部分が多く、13個のラージホールのトーンホールの直径がすべて13mmで、これはベームの設計通りの寸法です。現代の楽器は現代的表現に合わせた部分改良がなされてトーンホールの直径は大きく、それに通常左手と右手、足部管はそれぞれ直径が異なる。オールド木管ヘインズの場合、当時の工作技術の問題で直径を大きくしたくても出来なかった可能性もありますが…


 また、このおばあちゃん(フランス語では女性名詞ですから)には、ベーム製作の楽器にあるような「クラッチ」の台座を除去した跡があるのですが、ベームクラッチを推奨していたということから、当時の、というかベームの奏法でのアンブシュア、楽器の支え方を推理することが出来る。それは現代で指を速く廻す為に必須とされる三点支持、あごに押し付けるアンブシュアとは違うセッティングであった、ということだ。やはり現代とは音に対する価値観が違うのだろう。


 三点支持法は楽器の支えが安定して指の動きの影響による発音のムラが減り、発音ムラが指が廻る速さに影響するフルートの場合は、結果より速く指が廻ることになる。そしてパワフルに鳴るが引き換えとして唇やあごの自由度を多少スポイルする。基本的にあごの凹部分にリッププレートを押し付けて「埋め込む」のがベストなセッティング。フランス人のように(やはり個人差あるだろうが)下唇が薄い場合はさほど悪影響はないと思われるが、平均的なモンゴロイドの肉厚な下唇では下唇が本来持つパッシブな調節機能を殺さねばうまくいかない場合があって(当てる高さにもよりますが)、音色変化や、ダイナミクスコントロールが多少犠牲になる。現代の歌口ではそのへんもある程度は想定内だろうが… 対してクラッチ方式は、「下唇を潰さない」アンブシュアです。現代的な奏法よりも「唇をつかって吹く」割合が多いと言える。どのような選択をする場合でも、最終的にはやはりなにを重視してどちらをとるかの選択になる。その選択は価値観が変化して、18世紀半ばとは変わってきたのだろう。あくまでも私見です。



 「部分改良」とは同時にオリジナルのバランスを崩すことでもある。全面刷新フルモデルチェンジならばともかく、管体内径とかはベーム設計のままなのですから。もちろん細かい改良を加えてトータルでのパフォーマンスが向上する、現代においてはこれがウェルバランス、てこともあるとは思いますが、価値観によって異なる部分でもあるし… 天才ベームの決めたバランスをリスペクトしてデータを固守するか、時代の要請に合わせて新たなバランスをとろうとするか。そして後者は時代の変化は止められない、に連動する訳なので、つまり終わりはないわけです。



 オリジナルなバランスによるメリットは…  ベーム製作というわけではなく、ベーム&メンドラーの、あるいはルイ・ロットの「コピー」とも言えるクラシックヘインズとはいえ、現代の一般的なフルートよりもベームがイメージしてた音色・響きにはるかに近いのだと思うのだが、小口径トーンホールはある意味「ヌケがわるい」のと引き換えに、コントロール可能な範囲を拡張している部分がある。現代では切り捨てられた「明快でない」表現に関わる部分ですが。故小泉 剛先生が書いていらした、管長と口内シラブルの関係がよくわかる。最近のギャンギャン鳴る歌口の楽器ではわからない部分です。そして確かに「押し付けない」アンブシュアのほうが胴体がよく鳴る。高音域EもEメカの必要を感じない。でもまあEメカうんぬん、てハナシになるのはクローズドG#だからなんで、ここはすでにベームオリジナル設計ではないということですが。


 5年間ほど愛用したなかで、さまざまなことを学びました。すこしだけベームフルートのルーツに触れた気分です。そして、ヘインズの前にメインで吹いていたメナートに戻りました。


 この楽器はメナートの創業者、フランツ・メナートによる1960〜70年代の作と思われます。通常はない補助キィがいくつも付いていて、実験的なトライだったのかも知れません。補助キィを使っての替え指の多様さも興味深いですが、歌口が旧いドイツの楽器にありがちな波型で、もっぱら自分のアンブシュア、表現欲求と波型歌口との相性を考えていました。


 で、買い集めた波型の歌口(当然旧いものばかり)のなかに、銀管にまるで雪平鍋のような打ち出し加工をしたものがありました。フルートの管体、すくなくとも内壁は均一に滑らかであるべき、というのが常識ですが、吹いてみると悪くないのです。ただしこれはこの加工のせいなのか、他の要因なのか、それ以外の要素を揃えて比較対象実験してみないと解りません。でも鍋の場合の雪平加工も、熱伝導率を上げるためと強度を増すためですから、それらに影響していることは想像できます。

 自分の唇、吹き方には波型歌口は相性良いようです。よく「波型は音色の変化に乏しい」と言われますが、自分の場合、波型のほうが自分の思い通りの変化をつけられます。大学を受験する前に師事した木下芳丸先生、それにお会いしたことはありませんが祖母師匠(孫弟子の逆)である林リリ子先生が波型歌口を愛用されていたことを思い出します。両先生とも、胴体とはメーカーが違う頭部管を、わざわざ差し替えて使っていらした。木下先生の音、特にアタックは独特で、今にして思えばこの形状の歌口ならではだったのでは?と思います。






 現在の相棒は、


 ヤフオクで「波型歌口の楽器」漁りをしていたら、「タネフルート」のポンコツが出品されていました。タネフルートは、種子政士さんという製作者がやってた工房。ムラマツの初代から独立された方で、桜井幸一郎さんの師匠筋にあたるらしい。昭和20〜30年代の作でしょうか?

 先代村松さんの他に種子さんも波型を作っていたとどこかで読んだので、探していたのですね。

 この時代の普及品(だと思う)にありがちな、トーンホールは引き上げ切りっぱなし(カーリングなし)。全体がベッソンユーフォニアムのように梨地の仕上げなのですが、これ、どうもメッキではなく塗装くさい。胴体のほうはガタガタだし、タンポなんかラージホール含め、ワッシャー+止めネジではなく接着で止まっているらしい。で、ガタガタを直して試してみるほどの魅力は感じないので、えらく太い頭部管だけ、サンドペーパーで削ってどれかの胴体に嵌めて試そうと考えた。削りだして分かったのは、これ、真鍮製。戦後の物資不足だったいっとき、真鍮製のフルートがあったとは聞いていたが… しかも引き抜き管ではなくて巻き管。低価格品なんだか高級品だったのかよくわからない。単に引き抜き管がなかっただけなんでしょうか…


 ガリガリ削って、樽の内径が一番太いヘインズのレギュラーに挿してみると…


 第一印象は「品のない音」の印象でしたが、これはクラウンに少々ウエイトを加えて、奏法を工夫すれば解決することが分かった。それよりも、僕自身の唇との相性が、今までの経験からもストレートよりも波型のほうがよさそうとは思っていたのですが、いままでのものよりさらにピッタリなのですね。

 「唇との相性」をひとことで説明するのは難しいのですが、いろいろな要素のなかで、「基本バイアスがなるべく少なくてすむこと」が重要なのではないかと思っています。

 周辺組織を含め、唇の脱力が一番出来ているのは「寝顔」だと思うのですが、この状態のままフルート吹けるひとはいないだろう。で、筋肉の仕事(筋肉の緊張)になるわけですが、これを加えていって演奏できる状態の最小が「基本バイアス」と、僕は勝手に考えている。

 これの大小で、どんな楽器でも吹ける。でも「基本バイアス」が少なくてすむほど楽に鳴らせて、さまざまな変化を加えるにも余裕があるのは自明の理。「基本バイアス」が少なくてすむ楽器が、その人と相性がいい、と言えるんじゃないだろうか?そこがバッチリなわけです。


 それが解ると、傷だらけだろうが、リッププレートなんかメッキ(塗装?)が剥げかけていようが関係ないです。見た目はどうでもいいので。剥げにはマニキュア塗ってガードして、キブンよく吹いています。

 この楽器(頭部管)がサイコーに気に入ったもうひとつの大きな訳は、追い求めていた「木の音」がするのです。8月に韓国の居昌(コチャン)で催されたフェスティバルに持っていって、ヴェトナムから参加のフルーティスト、ディン・リンさんと知り合って一緒に遊んでいたのですが、

 ヴェトナムの伝統的なフルートは堅い木で作られているのですが、一緒に吹いて遊んでるとどっちがどっちの音か解らなくなるくらい、音質が良く似ています。facebookにいくつかupされているので聴いてみてください。




https://www.facebook.com/hana.choi.1460/videos/10209599627426050/

https://www.facebook.com/halinh.dinh.39/videos/2111406569106259/




 僕自身、ゴールドに代表される現代フルートの艶やかな音に「なんかちがう」感を覚えてあれこれと木管フルート行脚をした訳なんですが、「青い鳥」じゃないけど探し求めていた「木」の音は「木」にはなかった、というオチ。キィがリングでポルタメント的な吹きかたが出来ることも大きいとは思うんですが…

 






 僕の夢のひとつは自分で自分の楽器を制作することなのですが…  ううむ今のところイチから創るのはムリです。で、銘器から学んだことを基に、既成のものを改造・改良して、自分の個性・欲求に合った楽器にモディファイしています。



 









































 

m(_ _)m

楽器以外の相棒たち

スズキGS750G


 51歳の誕生日を迎える直前、ふと大型二輪免許を取れるのも今のうちかなあと思いました。で、思い立ったが吉日、誕生日を迎えたその日に、教習所に入校申込みに行ったのです。

 リターンライダーとなって初めて買ったピアジオmp3は発売当初、普通免許(クルマの免許)で乗れるバイクだったのですね。その後道交法が改正されてmp3にも普通自動二輪免許が必要になり、無謀にも府中試験場でいわゆる一発試験(三発でしたけどね)で取得しました。合格したときの試験、走行後に試験官が講評してくれるのですが、最後に「おめでとうございます。これからも安全運転で頑張ってください」と言ってくださったことはいまでも忘れられないオドロキでもありました。僕たちが高校生の頃は神奈川県警はニンゲン扱いしてくれなかったから。で、普通自動二輪免許を取得してから数年が経ち、若かったころには気づきもしなかったことが少しは解り、そろそろ念願の大型免許かな、と。

 僕の「大型に乗りたい」気持ちを後押ししてくれたひとは何人かいるのですが、そのうちのひとり、以前からお世話になっていた、調布市太田塚のバイク屋さん、モトショップダブルフットの岡さんに、20代のころのバイク小僧気分が抜けきらないバイク親父は質問したことがあったのです。ダブルフットは3型カタナのスペシャリスト、岡さんご自身も3型をこよなく愛し、常連のお客さんも3型はじめスズキの大型に乗っている人が多い。

「RZ250とかを手に入れれば、速さはナナハンと変わらないですよね?」
それに対して岡さんは、「たしかにタイム自体はたいして変わらないけれど、4気筒大型は加速の『質』が違うんです」



 ううむ加速の『質』?そりゃあ自分でのってみなきゃ解らんわな。


 

 で、あともう卒業検定に合格すれば晴れて大型ライダー、ってある日。例によってmp3でオシゴト行く途中、通りかかったバイク屋の店先にうずくまっていたのがコイツ。

 SUZUKIのGS750Gなのですが、その時はナナハンにも、いわゆる旧車にも詳しくなかった。1970年代のホンダCB750とか、カワサキZ2とかが一部のマニアにはえらく人気があって、40年も前の中古車なのに100万を超えるような価格で取引されている、それくらいは知っていましたが…

 このGS750Gは1981年型の立派なオジイチャンなのですが、バイク屋のオヤジに聞くとフツーに走るという。ホンダカワサキと違って所謂不人気車だから、お値段のほうもZ2とかに比べると「えっ?」て価格。おまけにトドメを刺されたのは、オヤジ「エンジンかけてみる?」って、セルボタン押すと、


 「ぶぉわん どりゅどりゅどりゅどりゅ」


 僕の脳裏にどわっと、10代のころの記憶がよみがえった。俺たちの世代は二輪免許に「中型二輪」が登場した時代で、教習所で取れるのは中型限定免許だけ、大型(限定解除)は試験場の一発試験しか方法がなく、それも1発どころか100発受けても合格しない、という難関。おまけに高校は「3ない運動」真っ最中。知ってますか?「(バイクに)乗せない、買わせない、(免許を)取らせない」 1970〜80年代は、世の中バイクブームといわれるほど2輪車が売れた時代だったのですが、神奈川県の高校生たちは、そんな理不尽な環境に置かれていたのです。ところが「中型二輪免許」が施行されたのは俺たちの1コ上の学年からだったので、高校入学時の3年生のセンパイたちのなかには、無限定免許(?)持ってたひともいたわけ。ブラバンの戸塚センパイはブラックのCB550に跨り、後ろにはカノジョ乗っけて… そりゃあカッコよくて憧れたものです。

 CB550だから、空冷4気筒。戸塚先輩、俺に「後ろ乗ってみるか?」と、乗せてくれたことがあったのです。その時の「どりゅどりゅ」いう排気音が強烈に脳裏に焼き付いていた。てか、焼き付いていたことを知った。そのバイク屋の店先でコイツの排気音聴いた時に。

 で、おもわず僕の口から出たセリフは、


   「これください」


 まったく、八百屋で大根買うようにナナハン買っちまった。なのでコイツの名前は「だいちゃん」にケッテイ。えらくデカいし、重いし。おシゴト行くのにほぼ毎日乗ってて、やっぱサイコーなのは「音」なのです。べつにスッ飛ばさなくても楽しい。制限速度プラスアルファ程度でドリュドリュ流してるのが至福の時で、気が付くとメットのなかでニヤケながら走ってる。やっぱり僕の場合は「空冷4気筒」なのです。記憶の奥底に染み付いている音は。「彼のオートバイ、彼女の島」ならバーチカルツインですが。


 ちょこまかした不具合を直しながら、1万km、1年乗ったところで、外装をお色直ししてもらいました。オリジナルの塗装はかなりヘタっていたので。1981年のデイトナ200マイルレース、ウェス・クーリーが乗って優勝したヨシムラスズキチーム34号車のカラー。欧米輸出専用だったGS1000Sのカラーでもあるので、希少車1000Sと勘違いした熟年ライダーから時々信号待ちで話しかけられることがあります。そのたびに実は1000Sではないことを言い訳しなければならないのですが、説明するまえに信号変わっちまって、ウソつきのままになることがしょっちゅうあります。











ホンダXLR125R



 ウチの号棟の隣の階段に、元バイク便ライダーのKさんが住んでいらっしゃる。Kさんは単気筒好きで、ホンダSL230やCB400S,それにカブ数台を持っていらしたのだが、あるとき、

 「うえのさん、もうあまり乗らなくなったXLR125Rがあるんだけど、乗る?ただし訳あり」

 とおっしゃるので、イチも2もなく譲っていただいた。(それもタダで!)
 訳ありの内容は、前後タイヤほぼ終了、シート破れあり、それにKさんもおっしゃっていたのだが、ときどき起こるナゾのエンスト。
 キャブまわりを一通りチェックしてもナゾのエンストは収まらない。そもそもが、それらの少々訳ありのほかは、僕なんかよりよっぽど几帳面にメンテナンスするKさんのバイクだったのだから、20年落ちの1997年式とは言え、深刻なノーメンテ箇所があるとは思えない。ネット情報をあれこれ当たると、どうもCDIが原因くさい。

 ウェビックで検索すると新品のCDIは廃番、仕方なくヤフオクを探すと中古の出品が1コだけあった。それに交換してとりあえずエンスト病完治、のはずだったんですが…

 取り替えた当初はよかったのだが、しばらく経つとまたナゾのエンストが起こるようになってきた。しかし交換前とは出現するパターンが違うので、これは他の箇所が原因だろうとあれこれ探ってたわけですね。

 キャブのヘタリかな?と、走ってはセッティングを変え、を繰り返してもいっこうに収まらない。このバイクのキャブ、PD52はエキゾーストの取り回しや、後付け(?)のセルの関係でパイロットスクリューにえらく手が届きにくい。走ってはエキパイガードを外してパイロットをイジり、ガードを戻してまた走り…
 道端で顔をしかめながら手探りでパイロットを回しているオジさんを、通りがかりのひとはさぞかし不審に思ったことだろう。


半年以上悪戦苦闘して万策尽き、白旗掲げてダブルフット岡さんに丸投げしました。


 結果は…

 「CDIでした」「ガーン!」


 ヤフオクで入手した中古CDIイカれていたということです。もともと付いていた故障CDIとは症状が違ったので、判断を誤ったということです。まぁ中古CDIがダメならば、新品は廃番なのでシロートメカニックはそこで万策尽きるわけですが。


 でもそこをなんとか出来るのがプロ。餅は餅屋。岡さんは同系列エンジンを搭載しているSL230のCDIを流用してコネクターを作り直し、みごと完治させてくれました。ポンコツバイクを楽しむためにはウデのいい主治医に出会うことが必須条件です。GS750Gだいちゃんも、パーツ流用で修理していただいた箇所が多々ありますから。

 なんだかんだで結局オフ車初体験ですが、まだ街中メインでたいしたオフロードには乗り入れていませんが、楽しいですね。
 未経験のときは「なにを好きこのんであんな足つかないバイク乗るんだろ?」と思っていましたが、その高いシートがもたらす重心高や車重、それに出力特性や例の「ホンダ車特有の素直なハンドリング」のおかげてバイクを「意のままに操れる」感強し。ナナハンは僕の体力とスキルではどうしても「乗っけられてる感」が残りますから。ただし楽すぎて、厳冬のこの冬にもそろそろある「暖かい日」には、なにもすることがないストレートとかではともすると眠くなるのがタマにキズ。


 初めてダブルフットにXLRを持ち込んだとき、岡さんは「あーあこれでGSの出番が減っちゃうなぁ」とおっしゃっていたのですが、たしかにこの半年、セッティング出しのためではあったけれど出動はほとんどXLR、完治した今も、「GSは暖かくなってからにしよ」のキブンになってしまっています。















































































m(_ _)m

楽器博物館

 ♪ 楽器博物館!! ♪
















 GWを利用して、ブリュッセルアムステルダムを廻りました。ブリュッセルにはおそらく世界最大規模であろう楽器博物館があるのです。で、そこにあった様々な楽器のなかで最も目を剥くもののひとつがこのピアノ。魚眼レンズで撮影したわけではありません(だいたい魚眼なら鍵盤が逆に曲がる)。見たことも聴いたこともない、ラウンド鍵盤ピアノ。19世紀中ごろのものです。

 しばしア然としましたが、落ち着いて考えてみれば、まぁ考えることは解る。しかし…

たしかに鍵盤の端のほうに指は届きやすくなるわな。でも実際には左端超低音域や、右端超高音域ってそんなに使うもんじゃないんだよね。これって実際弾きやすいんだろうか?



 さすがに試奏は出来なかったので、なんとも言えないのですが。








 5月の終わりに、ハープと一緒の演奏会が予定されていたので、MCネタ仕込みにちょうどよかったのが、いわゆる竪琴の範疇に入るこの楽器。ハープの仲間は世界中にあります。「ビルマの竪琴」の水島上等兵が弾いていたような竪琴。ここの博物館のスバラシイところは、音が聴ける(録音ですが)ところなのですね。この楽器の音色は、「ハープ」という楽器のイメージからはかけ離れた、「ビヨーン」的な音色。琵琶を思い出させるというか、インドの楽器にも近いような…

 たしかに考えてみれば、現代のハープのような音色を出す為には弦のテンションが相当必要で、しっかりとしたフレームと胴体がなければムリです。この楽器のように、いわゆる「棹」に弦を張った構造ではそうそう強くは張れない。で、いきおい「ビヨーン」系の音色になるのですね。








 ほかにも興味をひかれたことは、「ひとりで出来るもん」系の楽器にも歴史があるということですねー。俺も基本的に共同作業嫌いだから、腕が4本あればフルート吹きながらピアノ弾けるのにぃ、といつも思うのだが、似たようなことを考えたヒトは過去にもいて、さまざまなマルチ楽器が展示されていました。バグパイプとかも笛吹き2〜3人ぶんのシゴトをしているわけですが、ストリートオルガンに代表される自動演奏機械もいろいろ展示されていて、かなり面白かったです。









 違う日に、アムステルダム近郊の、有名なキューケンホフへ行ったのですが、エントランスから入園するとなにやら遠くのほうからニギヤカにブンチャカブンチャカ音がする。で、行ってみるとこれ。



 超大型のストリートオルガンですね。これも19世紀半ばのものですかね。この写真では大きさがよく解らないですが、クロネコヤマトの配送バンくらいの大きさはあります。裏には打楽器類もひととおり付いていて、マーチ「旧友」なんかもいいカンジで演奏してました。動力はモーターに改造されていましたが、記録紙はペーパーロール(てか、連続しているシートが折りたたまれて1曲が百科事典1冊なみの状態)のままで、1曲(1冊)は3分くらいしか持ちませんから、百科事典交換係のオジさんが裏に張り付いています。

 立派な文化遺産ですね。立派な音楽の歴史の一部ですね。でもヨーロッパの文化なわけですね。当然。日本はそのころ、徳川幕府鎖国政策の時代。

 またしてもゴーゴーの非難浴びるのを承知のうえで言わせてもらうと、いつのまにかニホン各地に出来たオルゴール博物館、あれうさん臭いと思うんだよね。俺個人としては。その時代その文化リアルタイムの時はゼンゼン接点なかった文化なのであって、ニッポンジンなら水琴窟にシシオドシ、からくり人形だろう、って。

 百歩譲って200年前のストリートオルガンではなく、明治以降に入ってきたボックスオルゴールだったとしても、それって舶来生活文化のひとつに過ぎないのであって、「オルゴール」に限定して博物館つくるほどのものか?そこには例の、「話題性デッチあげて客呼んでガッポリ儲けよう」的、底の浅いエセ文化商売のニオイがする。

 まぁ大英博物館とかもヨソからカッパラってきたものが主要な展示品なわけで、博物館てのは本来そんなもん、とも言えますが。




 オルゴールついでにもうひとつ。他人は俺をヘンクツな人間というが、まぁ認めよう。そのヘンクツさゆえに会話してて価値観あわず、「キミとボクはオトモダチにはなれないね」ってなることはしょっちゅう。

 いつぞや府中のフォーリスで、ハンドメイドの高級オルゴールの展示即売会してたんだが、そこで商品説明してくれた社長と俺との、ハナシの噛み合わんこと。

 「当社のオルゴールは伝統的なゼンマイに替えてモーター駆動とし、長時間連続演奏を可能といたしました」

 「あのーオルゴールってのはゼンマイとかドラムとかディスクの制約からくる3分とかの時間のなかで成立させる編曲とか、時空間とかが楽しむための重要な要素だと思うんですけど」

 …「それに連続演奏が可能なことで、例えばオフィスでBGMとして使っていただき、残業時間とかにも豊かさをもたらしてくれると好評いただいております」

 「そりゃ有線放送流してるよりはマシでしょうけど、そもそもBGMってのは音楽の垂れ流しだし、だいたいが残業やめて音楽会にでも行ったほうがよっぽど豊かな時間なんじゃないですかぁ」

 ウチには娘が生まれたときに、皆さんからいただいた出産祝いを投入して娘にプレゼントした、スイスの名門リュージュのオルゴールがあるのだが、

 …「例えばリュージュとかですとね、まぁ私共の目から見ますとメカニズムの精度とかに問題がありまして、定期的にオーバーホールが必要だったりするわけですが、その点当社の製品はメンテナンスフリー、収録曲も最新ヒットを取り揃えております」

 「あのねリュージュはたしかに、演奏中ときどき引っかかったりしますけど、モーツァルトヨハン・シュトラウスなんかが、ちゃんと音楽的な編曲されてるんですよ。たぶん娘がおばあちゃんになっても楽しめると思う。『千の風になって』とか(こんなダサい編曲で、とつけ加えるのはやめといた)、80年後に聴いてオモシロイと思う?」





 アミューズメントではフツー、TDLとか(に限らんが)だとスピーカーから流れるBGMだよね。てか、まあ世界的にそっちのほうが普通だ。キューケンホフでのBGMがストリートオルガンなのはレアなぜいたくだろう。今となっては主流になることはアリエナイ。でも、20世紀的な資源や電気は使いたい放題、浪費は美徳的価値観、市場経済絶対主義、効率最優先主義とかをそろそろ見直すべきなんじゃないかって、東日本大震災福島第一原発事故のときにみんな思ったんじゃなかったっけ?






 音楽家が伝えなければいけないことを改めて考えた旅でした。




























m(_ _)m

楽器=ジャンルによる使い分け

 

キューバっぽいフレーズのときはこれ。MURAMASTU STD+オリジナルヘッド。削り倒してオシャカにならなかった2本のうちのひとつ





 よく質問されることに、「クラシック音楽」と「ジャズ」(「ラテン」、て場合もあります)の違いってなんですか?というのがあります。


 ハイ、お答えします。無理を承知でひとことで言ってしまえば、「価値観の違い」ということです。( ̄□ ̄|||) 「各要素の優先順位の違い」とも言えるかもしれない。ネイティヴではない、かつ無宗教者が各地・各文化の音楽を客観的にとらえようとすれば、そういう結論にならざるを得ないと思う。ネイティヴは、その地、その文化のなかで生まれ育ち、意識無意識に伝統を受け継いでいる。それに対してヨソもののアプローチは違うべきと考える。自分の立ち位置、価値観からだけでモノゴト○×決めるから、未だに世界中紛争が絶えないんじゃ? 同じ「音楽」である以上、そして同じ「ニンゲン」の行う行為である以上、根底にあるものは一緒なのですが、クラシック(正確にはヨーロッパ古典音楽かな?)では重視することがジャズでは二の次、ジャズで重要なことがラテン、エスニックでは三の次、ということがあると思っている。


 クラシック音楽は発祥からしてヨーロッパの王侯貴族・上流・特権階級、そして教会からのもの。他の文化でも、たとえば日本の雅楽(これはルーツとしては中国から朝鮮経由…てことはもっと西にも辿れるわけですが)や北インド伝統音楽のように、「宮廷音楽」として、似たような歴史的背景を持つものがあります。そしてそれらは基本的には「お勉強」「伝承」あるいは「教育」しなければならないもの。伝統をキチンと伝えるためにも、長年の「修行」を要求するものです。対するジャズやポップス、○○音頭の類は、基本的に庶民の音楽です。いわゆる「大衆音楽(という言い方は差別用語クサくて気に入らないのですが)」。最終的にはカッコよくてナンボ、楽しんでナンボ。まぁいずれにしても何も気にせず好き勝手やっていいわけではないけれど。


 またよく質問されることではありますが、「アドリブ」(あるいは即興演奏)と「デタラメ」は違うのです。それぞれの音楽ジャンルでのアドリブはそれぞれのジャンルでの歴史を背負っていて、かならず「伝統」を感じさせるフレーズが含まれています。「庶民の」音楽であっても、例えば世襲の職業音楽家が多いハンガリーのジプシー(は現在差別用語なのですが)バンドや、キューバのバンドは世襲が多くて、つまりは親父からキビシく仕込まれている。無意識だったとしても「伝統」が刷り込まれているわけですね。

 それぞれに違う歴史・宗教・背景を背負っているのだから当然のことではあります。それらをすべて説明していると長くなるので本題に戻りますが、求めるものが違う以上、楽器に求めることがらも違ってきます。


 学校教育のおかげ(多分に偏向していると思うが)で、ある意味、一番理解されているのは「クラシック音楽的価値観」と言えますから、便宜上それと比較してお話すると、まず音、音色に対する美感・価値観が違う。ジャズフルートの伝統的な奏法では、音色の変化はさほど重視しません。個性の次元にかかる要素ではありますが、意識的に音色の変化を「拒否する」ような奏法を指向することもあります。ヒューバート・ロウズやルー・タバキンのようなフレーズ、いわゆる伝統的なバップのフレーズには、過度の音色変化は似合いません。音色の変化を意図的に抑えることによって、逆にフレーズの構築感を際立たせたい、という意図があるからです。


 ただ、過去の巨匠の演奏に関して、あえて誤解を恐れずに言えば、サックス持ち替えのジャズフルートプレイヤーは概して、フルートのアンブシュアコントロールに関しては、クラシック奏法の観点から見ると、必ずしも理想的な状態でないことが多い。音色のコントロールアンブシュアと呼吸法の協調した、時間をかけての追求が必要な、デリケートなテクニックですが、そこんところの重要度があまり高くない訳ですね。やはり価値観から言って、ヴェルカントのようなトーンはジャズにふさわしくない…という理由もあります。いかにも「鍛え上げました!」的な美声が常にベストなのか?伊集院光さんのギャグで、なんでもかんでもオペラ風に歌うの、ありましたよね。コンパクトな会場でクラシックのソプラノ歌手が歌うとその声量に圧倒されますが、だからと言って「ミスティ」をその声で歌われてはタマらない。「わたしを見て、みて、みてええええええおりゃあ!」みたいでね。サックスのアンブシュアとの妥協点、という現実的な問題もあります。ランボーな言い方ですが、いわばフルートを初めて持った中学1年ボーズのアンブシュア状態を、それを逆手にとって個性にしてしまっている、とも言えます。そしてそのスタイル・音色感が、ジャズフルートの伝統の一部になっているのです。ヒューバートはフルート専業(サックス吹かない)ですし故ジュリアス・ベイカー門下のジュリアード出身で、学校出たてのころはメトのオケでトラしてたりしたそうですから、それにはあてはまらないようですが。つまりヒューバートのプレイで感じる抑制された音色感は、テクの限界から来るものではなくて、意図的になされている、ということですね。


 これらのことを理解しないと、「クラシック上がり」の場合、持っているテクがかえって足かせになる、というジレンマを生みます。テクは教わった、身につけただけでなく、それを使って何を表現するのか…自分が何を言いたいのかに結びつかないと何の意味もない。出来るテクはゼンブ並べればいいってもんじゃないです。ヴィブラートも、つけりゃいいってもんじゃないです。ジャズのフレージングの場合、必ずしもノーヴィブラートではありませんが、つけすぎるとそれだけですべてがブチコワシ。「歌う」ために、あえてチープな音色を選択するときもある。音大生・音大卒の生徒にジャズフルートを教えるとき、ここを理解してもらわないと「どこぞのお嬢様が不釣合いな赤提灯で飲んでいらっしゃる」ようにしか見えない(聴こえない)んだな。ドレス着てヤキトリ屋に居るようなもんですね。






 ジャズの場合、一般的に、レスポンスの早い楽器、かつ抵抗感はそこそこある楽器でないと吹きにくい。モニター環境がキビシいとき、楽器の抵抗感を頼りにしますから。そして音色の変化幅は狭くていいとしても、安易に発音したときにも、一定の音色をキープしてくれるようだと有難い。クラシック音楽的美感では、ひとつひとつの音を充分に「準備」したうえで発音しますが、アドリブ主体のジャズでは「思いついたものをスグ」吹いていることが多いので。あまり「発音準備」が要る吹き方はキビシいです。クラシック音楽的美感の発音では、フレーズ集をそのまま暗譜して吹いてる…アドリブではない…ように聴こえます。それに基本マイクを通して吹きますから、いわゆる「マイク乗り」…生音と録音された音、モニターを通して聴いた音色との違いが少ないことも重要。マイクが拾いにくい倍音域てありますから。オールドのヘインズがジャズ屋に人気なのは、この辺の理由があります。


 これがラテンになると… ひとくちにラテンと言ってもこれもまた幅広いのですが、ラテンはとにかくリズムとノリが命。そのことを最優先に価値観が出来上がっています。いくらフクザツなリハモナイズしても、ノリが悪かったら意味がない。いわゆるキューバプエルトリコのスタイルは、過去長いこと、スペイン語で「シンコ・ヤーベス」(5つのキイ)と呼ぶオールドスタイルのフルートを使っていた伝統から来る音色感と、マイク(PA)がなかった時代の名残りで、使う音域がやたら高いのです。最高音F7まで、ほとんど高音域にとどまるのがスタイル。余談ですが、ジョージ・シアリングが、ジャズスタンダードをラテンアレンジでやってる昔のLP、これに参加しているフルート奏者は(名前がクレジットされていない… ヒューバートのようでもありますが)、キューバのフルート風に器用に吹いていますが、チャチャやマンボではピッコロを使っています。ナンボ音域が高いからと言って、ラテンでピッコロを使うのは邪道であります… 反対に低音域はあまり使いません。なので、とにかく高音域の発音が容易で、多様なアタックを許容する性格を持っていることが条件になります。とくにD7〜F7の最高音域は、楽器によって出しやすさがかなり違いますから。クラシックでも近代以降の作品では、D7はわりあいフツーにありますが、(プロコフィエフソナタⅠmov等をはじめとして)キューバン・ラテンの場合これらのように「一発芸」ではなくその辺りに居続けますから、あまりキツくない音色で吹けるもののほうが望ましい。シンコ・ヤーベスを吹くのはキューバでも年寄りだけになりました。お爺さん世代でも、昔からベーム式を使っているオルケスタ・アラゴンの大御所、リチャード・エグエスや、赤木りえさんは、少しでもアタックを柔らかくということなのでしょうか、リップがエボナイト象牙?黒檀?)の頭部管を使っています。プエルトリコ出身のネスター・トレスは頭部管のみグレナディラのものに替えています。デイヴ・ヴァレンティンやキューバの若手代表、マラカは普通の金属製ですね。たぶん銀。








 またまた余談ですが、マラカのバンドとは昨年キューバでのベニモレ音楽祭で対バンになりました。というよりそもそもベニモレ音楽祭のオーガナイザーのひとりがマラカだったのですけど。出番がマラカのバンドの直後で、正直やりにくいなぁ、と思っていたのですが、マラカバンド、すっかりラスベガスのショウバンドと化してて(実際1年のうちのほとんどはアメリカへの出稼ぎなのでしょう)、マラカ、歌ってるかギロこすってるかで、ゼンゼン吹かないでやんの。生マラカにケッコウ期待大きかっただけにがっくし。まぁ叩きのめされずに済んでよかったとも言えるが…








 ご質問は、yocchy6456@hotmail.co.jp まで










































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マイク・モニターの使い方


このときはジャズのカルテット… の筈が、結局吹いたのはエマヌエル・バッハ無伴奏1曲だけだったので、ドラム・ベース・ピアノは下がっていただいてノーマイク




 これもよく受ける質問。「フルートに使うマイクは何がいいですか?」


 ステージと録音では、全く選択が違ってきますが、そして録音ではフツーエンジニア任せなので、ここではステージでのことに限ってお話すると、ステージで、一番「ツブしがきく」のは、今のところ定番の、SHURE SM57のようです。その理由は…


 マイクの使い方、という中で、プレイヤー側の責任としてステージでやるべきことのひとつに、マイクとの距離の調節、があります。フルートは高音域のパワーが他の音域に比べて大きく、ラテンでの超高音域などでは、意識してマイクから離れるようにしないと、お客さんの鼓膜破りになってしまいます。エンジニアはフェーダー操作してくれますが、あまり細かい変化には対応しきれません。彼が操作しなければならないのはフルートのフェーダーだけではないからね。逆にジャズで、スローなバラード系などでは、低音域特有の音色を生かしてのソロを吹くことがあります。このようなときは、マイクの近接効果を利用するために、マイクとの距離を極力つめて(ボクは鼻先をかるく57のリング…あのギザギザのヤツ…に当てるようにしています)、息的にはffではなく、幅の広いゆったりした息で吹きます。基音成分の勝ったクリーミィな音になります。


 それらこれらを考えると、マイク側の条件としては、
① マイクが音に色付けしないこと
② 指向特性が適度に鋭いことはもちろんですが、距離に対する感度の変化がリニアなこと
③ ①とも関係しますが、ハウリング・マージンが大きいこと。
が求められます。そのへんを追求すると、現在のところ結局、定番SM57になってしまうようです。


 …余談ですが、57も58も、結構個体差があるのですね。楽器選定のように、マイクを新品状態で選定することって普通はありませんから、何本かあるうちにいいの悪いのバラつきがあったとしても、それが出荷時からのものなのか、使用過程でコンディションに差がついたのか、エンジニアならともかくプレイヤーの立場では判断が難しいですが、先日たまたま、オール新品ではないですが、使用状況・管理ともに悪くない数本を試してみて、あきらかに個体差があることを確認しました。フルートの音のリアルさを決める2k〜3kHzあたりの「抜け」があきらかに違う。EQはなるべくブースト側には使いたくないから、もともとこの帯域の特性がいいにこしたことはないのですね。その中のベスト57に、デカデカと名前を書いてマイマイクにすることにしました…


 マイク距離のコントロールをやりやすくするためにも、マイキング…マイクのポジションは重要です。先ほどお話したような、極端なオンマイクから、超高音域鼓膜破り回避のためのオフポジションを自在に行き来するためには、ブームスタンドを使って、マイクが鼻の高さ(フルートよりやや高い位置)でほぼ水平になるようにセットします。フルートを吹く息は、水平より下向きに出ますから、これだと鼻が当たるところをリミットにする限りマイクを「吹いて」しまうこともなく、フルートがマイクに当たって傷つくこともなく、マイクから「逃げる」ときも距離をつかみやすいわけです。


 逆に、もう少し「おとなしい系」の音楽で、他の楽器とのブレンドを重視する場合には、少しオフ気味(マイクを離す)で、フルートよりも高い位置、ななめ前から、頭部管の歌口よりも少しジョイント寄りを狙うようにします。こうすることによって設定した距離よりもオンマイクになることを防ぎ、さらにオフにしたいときは、マイクにメガホンが付いている状態をイメージして、その範囲から逃げるようにします。


 屋外だったり、あまりないけどジェスロ・タルのようなロックでフルート吹く(トータルでの音圧変化が少なくてマイク距離調節の必要がない)ようなときには、コンタクトマイクも便利ですね。コンタクトだと動き廻れる(踊り廻れる)からね。ボクは最近はクルマの中にいつも、YAMAHA ST5&MC7のセットを積んであります。これは必要最低限のエフェクトも積んでるから、手元でエフェクトタイプ・パラメーター変えられるしね。ただし、ST5のアウトプットはアンバラだから、すこし大掛かりなPAにつなごうとするときは、あらかじめPAさんに相談しておくか、自分でDIを持ち込む必要があります。このセットはあくまでも簡易バージョンですから、SNはあまりよろしくなく、音響さんによってはいやがられるかも。あ、イアン・アンダーソンて吹いて歌うから、マイクは共用でべつにフルート向けのセッティングしてないだろうな…


 いずれにしてもモニターから聴こえる自分の音をよく聴いて、自分で判断できない部分はエンジニアに助言を求めるか、バンドの他のメンバーに聴いてもらいます。






 ご質問は、yocchy6456@hotmail.co.jp まで
































































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