空手道講士館 府中道場のページ

 本日、緊急事態宣言が解除になりましたが、学校施設の利用がいつ再開されるかは現在まだ未定です。

 

 金曜日・6中武道場での稽古の再開が決まりましたら連絡いたします。もう少しお待ちください。

 

 埼玉県狭山市の講士館・本部道場は6/1から稽古を再開します。府中からは少々遠いですが、出稽古歓迎です。ご都合がよろしければおでかけください。本部ホームページのURLは以下の通りです。

http://www1.s-cat.ne.jp/kohsikan/news-kousikan.html

 

日曜日 10:00~  少年部 11:00~ 一般・合同です。 

 

オンライン・レッスン フルート/ジャズフルート科

2020/05/23

第7回

「カラオケに合わせて吹いてみよう」

 

 普段のレッスン、みなさんそれぞれご自分のレヴェルに応じて違う曲吹いていますが、ひとりだけで吹いてるシーンってほとんどないでしょ?僕が一緒に吹いてて二重奏になってるか、伴奏に合わせて吹いてるか。なぜかって… そのほうが楽しいから。

 楽しみながら吹いている中にも、いろいろな意味があるんです。フルートは吹き方で「音程」はどうにでもなってしまう楽器。音痴にならないためには、「耳をつかう」ことと「コントロールして吹く」ことが必要です。

 

 ひとりで吹く練習のなかで、「こう吹けばこうなる、ああ吹けばああなる」の積み重ねも大事なんですが、それが最終目的なわけではなく、そこで学んだスキルを使って曲を自分の思う通りに吹くことが目的なわけです。そしてその段階では、ひとり秘密練習(べつに秘密じゃなくていいんですが)のときに、いろんなことを考えながら、いわばアタマ優先で吹いていた状態から一歩先に行って、身体記憶(自動操縦)にすることが出来たコントロールは身体に任せるように配分します。そうじゃないと操作に忙殺されて楽しくない。

 

 さあてと、オンライン・レッスンらしく、ウェブ配信の教材使って進めますね。

 ようやく緊急事態宣言の解除も見えてきたきょうこのごろですが、音楽教室でのレッスンがすぐに以前のように出来るようになるのかはまだわかりません。みなさんそれぞれに、外出自粛に対応して、以前にはやっていなかったことに手を染めた方、多いと思います。シニアはパソコンとか、スマホの活用はまだまだ若者ほどじゃないと思うんですが、今後のためにも、これを機会にネットの活用を進めていただいたほうがいいんじゃないかと思います。伴奏のカラオケはYouTubeにアップしてあります。

 

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  ごぞんじの方が多いと思います。スペインの作曲家、ホアキン・ロドリーゴの作品「アランフェス協奏曲」の、有名な第2楽章のメロディですね。

 

 有名とは言っても、あらら聴くと見るとは大違いの16分音符だらけ、32分音符も!!

ですが、「ビビるんじゃなあーい!(笑)」テンポがすごーく遅いんで、32分音符ったってたいした速さじゃないです。

 

 ですが、逆に「すごーく遅いゆえ」の難しさも存在します。そう、テンポ、ビート感が取りにくい。

 教材なわけだから、「あえて」そういうのを選んでるの(笑)。この曲の場合、「いち、にい、さん、しい、」的に数えることはほとんど役に立たない(2拍子だけど)。ではどうするか。

 

 まず、楽譜最初の1小節のお休み、ここは前奏です。でも前奏とはいってもシンセのストリングスが「がーっ」て鳴ってるだけ。リズムを聴きとれるような様子はなにもないです。ですが、よく耳を澄ませて聴いてみると、ずっと同じように伸びているストリングスは、2小節目のアタマ(吹き始めるのと同じ場所)で打ち直して(弾きなおして)います。吹き出しはここに合わせるのですね。これが掴めればあとは「以下同文」。小節線のところ、あるいは2拍めのアタマで和音が変わりますから、そこへ合わせていくんです。

 だいたいが、4分音符40の速さということは、「ルバート的ニュアンス」… つまり伸び縮みしてナンボ。小節線超えもジャストにバチッと合わせる必要はゼンゼンないんですが、大局は見えていないと… ズレを認識できて手の内に入っていないと、ズレが蓄積してきて迷子になってしまいます。

 

 吹くまえからあまりアタマでっかちになってもいけないんで、まぁ吹いてみて。伴奏のYouTubeでの探し方は、

https://apc01.safelinks.protection.outlook.com/?url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DNfvWsJKe54I%26feature%3Dshare&data=02%7C01%7C%7Cd26e2c4d698c4401260d08d7ff115ff0%7C84df9e7fe9f640afb435aaaaaaaaaaaa%7C1%7C0%7C637258322393464402&sdata=rSb9md69AtrP1xtzadsUsssxTHA%2BRhIoM5RT%2FzSgqgY%3D&reserved=0

上のリンクをクリックするか、

 

検索エンジンで「うえの善巳」を検索

②出てきた動画一覧の中の「アランフェス・カラオケ」をクリック

で聴けるはず。再生中は上のものと同じ楽譜の画像が表示されますが、スマホの画面だと小さくてキビしいですよね。ダウンロードの方法がわからない方は郵送しますから、ご連絡ください。

 

 で、最後の段、1カッコ終わりでBにリピートしたらアドリブなんですが(笑)、

 アドリブというと、ジャズフルート科以外の方は「え、え、え、いえいえわたくしトンデモございません」とおっしゃるんですが、「ビビるんじゃなあーい!(笑)」、これもせっかくだから外出自粛中の新プロジェクト(笑)にしちまったらどうかと。詳しくは次回に。あ、参考演奏は来週あたりにアップします。録音環境が整ってないんで… (*_*)

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/10

第6回

 「楽器の持ち方・構え方おさらい」

 

 初めてフルート持つ人対象ではなくて、(現在の)ウチの生徒さん、中級レヴェルのひと対象です。何故かって、べつに「ウソも方便」じゃないんですが、まったく初めてのひととある程度経験があるひととでは、それぞれにわかりやすく理解してもらうために、こちら側も表現を変えるからなんです。本質は同じなんですけど。

 

 なので、ある程度吹ける方の、ご自身の持ち方の「再確認」と思ってくださいね。より自由に振舞えるようになるための。今現在「持ててる」「吹けてる」んですから、大改造が必要なわけではないんです。

 

 第4回に登場したベトナムの笛のような、簡素なつくりの横笛、吹いたことないですか?ないかなあ?なかなかありそうでないかもしれませんね。こんど教室に置いておきますが(笑)…

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 これはパキスタンの笛ですが、キィがないですからフクザツなことを吹こうとすると難しいけど、すぐに吹ける簡単なメロディ、あるいは「ソラシラソラシラ」みたいな、暴走族のエアホーンのような簡単なフレーズでもいいんだけど、その範疇ならばフルートよりゼンゼン易しく吹けることにオドロくはず。

 

 その理由は、

 

①楽器が小さくて軽くて持ちやすい ので手に無理がかからず、指を動かしやすい

②軽くて、とも絡みますが発音自体が容易であまりアンブシュアを気にする必要がない

 

が主な理由です。エスニックな横笛の多くは6穴で、左手親指のところに穴はないので、人差し指の付け根と対にして「むにゅ」と握ればいいんで、持ち方の苦労もないわけですね。

 

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 裏返せば、僕らのフルートの場合これらの部分を参考にすればもっとラクに吹けるようになる、と言えるわけです。で、持ち方。

 

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 フルートを上手く持って支え、両手の指を自由に動かすためには、「テコの原理」を2カ所に使います。第一テコは右手。親指が支点、小指が力点です。作用「点」がはっきりしませんが、小指を下に押すことで、歌口側が持ち上がります。軽いエスニック笛ならばほとんど意識しなくてもいい部分。でも同じことやってます。重量があるフルートの場合はちゃんと意識したほうがいいわけですね。

 

 ここでひとつ、補足説明をしておかなければなりません。フルートの持ち方・支え方にはもうひとつ、「3点支持法」と言われるものがあります。これは次に書く「第二テコ」をメインに支える方法なのですが…

 

 こちらはアンブシュアと密接に絡んできます。アンブシュアの項で、そのひとにとってのベストなアンブシュアは個人差がある、とお話しましたが、唇を引き気味にセットしたほうが吹きやすく、いい音がする、持久力もある、というひとにはこの3点支持法はメリットがあります。言い換えれば「ルーズリップ」気味のほうが吹きやすく、いい音がするひとには向かない、ということです。この続きは次の「第二テコ」のことを説明してから書きます。

 

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 上から見たの図。へたくそな絵ですみません。でもこれでお解りいただけるように(ダメ?)、左手(の人差し指の付け根)を支点として、右手全体が力点(点じゃないですね)、で作用点である唇(下あご)に押し当てる。

 左手には、フルートの重量の大部分が人差し指の第3関節にかかるのと、この第二テコの支点として人差し指の第2関節と第3関節のあいだ、垂直に近い面で力を受け止めます。合成されるとベクトルは斜めに下前方向、ということになります。現代のベームフルートは、基本的にはこのような原理で支えます。同時に少し下唇を押さえることになって、アンブシュアを安定させてもいます。

 このへんのバランスが上手くとれると、左手親指は自由になります。わりあいよく見かけるのが、親指でフルートを「押し上げて」しまっている状態。第一テコと第二テコのセッティングが上手くいけば、左手親指は楽器を支える仕事を手伝う必要はありません。

 「3点支持法」では、第一テコは使いません。右手親指先で楽器の側面を前に押すように持ちます。この場合、上図の右手部分での力点は右手親指のみで、「点」になります。

 

 これらもエスニック笛ならば、軽いがゆえに意識はしなくても大丈夫な部分。発音しやすい竹(葦)の笛でも、吹きたい音域・音量によって、唇にどのくらい押し付けたら出しやすいか、思った通りの音色(ねいろ)が出るかは演奏中常に、微妙に変化しますが、軽い・持ちやすい・振り回しやすい(?)から、出音の具合を聴いて無意識に丁度良く調節しているわけですね。

 

 さきほど「現代の」とお断りしたのは、ベームフルートも過去には、地域によっては違う支え方をしていた時代があるからです。19世紀後半~20世紀始めころの楽器には、左手の親指と人差し指の間の指の股に載せる「クラッチ(ハンドレスト)」が付いている楽器が、ドイツの木製の楽器を中心に多く見られます。ルィ・ロットをはじめとするフランス系の金属管の楽器にはあまり見られませんが、これは純粋に楽器の重さの違いと、求める音色のイメージの違いからくるアンブシュアの違いが絡むと思います。ロットは軽いからね。300g代、てのもザラですが、木管になると、僕の楽器もそうなんですが500g以上が普通です。それに加えて、この時代の奏法(正確に言えば木管のフルートを好んだひとたち)が、唇にはあまり押し付けない吹き方だったと思えるのですね。そうなると上の「第二テコ」の必要があまりないんで左手の役割は重量を受け止めるのみ、だったらハンドレストで指の股に重量かけてしまったほうが持ちやすい、てことだと思います。みなさんが最初の頃苦労した、左手人差し指の曲げ具合、とかから解放されるわけですから。逆説的には、ハンドレストを持たない現代の楽器(現代の奏法)では、「第二テコ」をつかって「ある程度」唇(下あご)に押し当てることが前提になっている、ということです。「タイトリップ」気味の奏法のひとは、左手で押し付ける方向が水平に近く・・・つまり強めに押し付けても大丈夫。3点支持法おっけです。「ルーズリップ」気味のひとは押し付けはアンブシュアの都合を優先して、下唇のかたちが変わってしまわない範囲、ということになります。3点支持法は向きません。 これらは身体的個性(唇まわりの組織、骨格の個人的特徴)で「押し」をどこで受け止めているか、によっても違うんですが…

 

 

 現代では、このころよりもはるかに速いフレーズや運動性能、ダイナミクスをこなすことが要求されるようになりました。まぁベームフルート登場以前でも、トゥルーのような超絶技巧名人はいたんですが… そうは言っても、それって音大受験生とか、プロのタマゴの話しですよねぇ。皆さんが吹きたい曲にはそこまでの性能を要求される部分はないかもしれない。でも、それだけのポテンシャルがあるわけですから、まだ追求の余地あり。もっと自由になれる世界が先にある。(*^^)v
 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/07

第5回

 

 「アンブシュア その2」

 

 楽器演奏のテクニックって、何が目的でしょうか?

 

 ひとつの表現としては、「イメージした通りの音を出すため」なんじゃないかと思います。

 だから、「イメージ先行」が大切と思うんですが、初めてフルートを持ったときは、音自体のイメージはあくまでも「聴いたことがある」フルートの音のイメージ。聴くとやるとは大違い。実際に自分で音を出してみた最初はイメージ通りに、なんて遠く及ばなかったはず。

 

 そこから練習を重ねてくると、こんどは「現実」(笑)が目の前に立ちふさがってくる。「キレイな音が出せない」「安定しない」「うまく持てない」「指が動かない」・・・

 

 現実を理解したうえで、目的は「イメージした通りに吹ける」が究極であり、テクニックはそのために必要なもの、と思います。

 

 つまり、「練習すること」が必須条件ではないわけですが、練習なし、ではアリエマセン。マトリックスのネオのように、心にイメージしただけで身体が自由自在に動いてくれれば理想的とは思いますが、「アリエマセン」。まあ脳が無意識に身体にかけているストッパーを外すように、てところは解りますが。

 

 英才教育的に、まだ脳の思考エリアが未発達そのかわりに柔軟、の12歳くらいまでなら、「よい教師の指導」と「家庭内でママゴンの監督」が備わっていれば、本人たいした理解がなくても上達します。本人が本当にフルートが好き、音楽が好き、ならばママゴンは必須ではありませんが。でもみなさんはシニア。同じ方法はベストではありません。シニアはね、子どもと比べると「身体がカタい」「新しいことを覚えにくい」のハンディキャップを逆手にとって、「亀の甲より年の功」じゃなかった、「知識のサポートを自分の練習に結び付けること」が大切になってきます。アタマで理解したことをカラダの感覚に置き換えていくわけですね。

  

 前回今回のテーマになっている「アンブシュア」絡みだと、前回に書きましたが「アンブシュアは単独で存在するにあらず」、息と口周りの連携を理解しておくことが大切です。

 

息ビームのパラメータ

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 「音が鳴る」のは純粋、物理現象ですから。空気流が持つエネルギーを音響エネルギーに変換するわけですね。 

 「息ビームの流量」は、実際のところは「息ビームの太さ」と感じるかと思います。

 

 上図で、単に「息の~」ではなくて「息ビーム」と書いたのは、ここが誤解されていることが多いからです。「息ビーム」とは、唇から吐き出されたあとの息の流れのことをいいます。

 「唇から吐き出されたあと」ですから、身体の感覚的には実はよくワカランのです。例えば、おなかちからいっぱい、でクチビルも堅く締めて、という状態。吹いている本人はさぞかし速い息を吹いているように思っていますが、楽器を唇から話して手をかざしてみると解りますが、じつはスピードの遅い息しか吐きだされていません。締めた唇が抵抗になっているからです。おなかそのまま唇を少し緩めるとガゼン息ビームの流速が上がります。流量も増えてしまいますが。

 

 そこで思い出したのが、むかしむかし、僕がフルート習いたてのころに、萩谷康一先生のところでやらされた課題。

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 フルートクラブ版アルテフルート教則本の15課に、各調でのアルペジオ練習の課題がありますよね?あれに上図のようなスラーとクレッシェンド・ディミヌエンドをつけて、8分音符60のテンポで吹きます。なのでゼンゼン指のための練習ではなく、クレッシェンド・ディミヌエンドも「音程」とかを気にしなくていいです。ひたすら意識するのは、

 

 「アパチュアのサイズをキープする」

 

アパチュアとは上下唇間の「息穴」のこと。これの大きさを変えないことが第一目的です。つまり、最初の音をキレイに出して、口周りはそのまま指だけ変えていくと途中からうまく鳴らなくなってくる。それをカヴァーするために吐き出す息の量を増やす。結果クレッシェンド・ディミヌエンドになる、というわけです。身体の感覚を呼び覚ますことが目的なので、最初の音は理想的な音、自分が出せる一番いい音、が必要ですが、上行するにつれ音程・音色ともヨロシクナイ音になってきます。それでいいんです。

 「息ビームのパラメータ」の図をもう一度見てもらうと、高い音を出すためには息ビームのスピードが必要です。アルペジオの最初の音からスラーで(ひといきで)オクターヴ上まで行くわけですが、そのためには音上行のあいだは息加速、下行に転じたら息減速、なわけですね。アパチュアのサイズが一定なので、息が加速(つまり「強く吹く」状態ですね)すると流量も増える。なので二次的にクレッシェンドになる、ということです。

 このへんを、未分化なコントロールでなんとなくこなしているところ、再確認しようよ、というのがこの課題の意図だったのですね。もちろん再確認して終わりではなく、身体の感覚(身体的記憶)に持って行っておくことがカンジンです。ここまで読んできてアタマ痛くなってきたアナタ。大丈夫です。リクツがフルート吹くわけじゃありませんから。すべては結果、つまり音がどうなったか、で判断できます。単純に、「狙った音ではなくてひっくり返った」のなら息ビーム速すぎ、「高い音が出しにくい、保つのが苦しい」ならば息ビーム遅すぎです。ではどうしたら、を考える手助けをしてくれるのが知識。固定観念にハマりこまないために、身体の感覚を柔軟に捉えられる状態を意識することも大事です。それらこれらが積み重なって、「思った通りに吹ける」カラダが手に入ってくるのだと思います。ネオみたく「念じるだけ」じゃダメなのねー (+_+)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/06

第4回

 

 第4回のテーマは、

 アンブシュア

 

 順序違くね?と思ったアナタ。正解! あえて「音の開発」を先に持ってきたんですが、それはアンブシュアを改良しようとすると、いろいろメンドくさいことが絡んでくるから。それに…

 

 アンブシュアはそれ単独での「理想」があるわけではなく、他のスキル… 楽器の持ち方・支えや呼吸のコントロール、身体全体の使い方と絡んでいます。それに… まぁ私見の要素が大きくなりますが、個人個人で異なる身体的特徴と絡む部分も大きいと僕は考えます。つまり複雑とも言えるし逆に考えすぎないほうがいいとも言えます。でね、

 

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石和橋たもとの笛吹権三郎像。洪水に流されてしまった母のことを篠笛を吹きながら探し回り、最後は自らも濁流に呑まれたという、笛吹きの神のひとりですが、銅像とはいえ、フルートのアンブシュアとほとんど同じに見えますよねぇ…(てランボーな)。

 

 もひとつ、

 

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 ハノイストリートミュージシャンたち。ベトナムって横笛を愛好する人多くて、Facebookのオトモダチにも、以前にフェスティバルで知り合ったハノイ音楽学校の先生つながりの笛吹き、大勢いるんですが、

 

 やっぱりアンブシュアは、フルートよりすこしユルいかな、って程度でほとんど同じに見えます。ユルくみえるのは実際のところ、楽器側の抵抗の問題で、ユルくても鳴るからです。横笛を「口で」吹く以上(フィジーやフィリピン、台湾やハワイには鼻で吹く横笛がありますが)、同じニンゲンの口を使って吹くんですから基本は一緒、ということです。ですからフルートの場合も、口(唇)のどこをどう使って吹く「べきか」なんぞという些末なことより、「どうやってふさわしい音を出すか?」になるわけです。

どうやって「自分が出したい音を出すか?」ですね。ですから先に、自分が出したい音のイメージを、出来る限りはつかんでおきたいわけですね。

 

 唇自体は、からだの各部のなかでもダントツに敏感で、柔軟です。かなりカタチを変えられます。ですからアンブシュアも、追求しだすと結構どうにでもなるんで、かえってワケがわからなくなるパターンに陥る… がよくあります。逆に、まぁなんとかはなってるんでそれ以上はナシで放置、もよくあるんですが。それと、初級中級のころよくあるのは、「相手(この場合クチビル、またはアンブシュア全体ね)への理解が不足で結果安定しない」ですね。

 

 ほかの要素との擦り合わせを考えないと、いつまでも結論が出せません。音を一つだけ、mfで伸ばして吹くだけならば相当にいろんな吹き方が出来ますが、たとえば「指」という要素が絡んだだけで、指使いをさまざま変えても、16分音符だ32分音符だ跳躍だ、とかが出てきても安定したアンブシュアがキープできなければなりません。そのためには「ベトナムの笛に比べると」ある程度下あごに押し付けることが必要で、そのへんも「ベトナムの笛ほどは」ユルく吹けない原因でもあります。

 

 で、このことばかり考えていては「地下鉄はどこから入れるんでしょうね?寝られなくなっちゃう」(古いか?)になってしまうので、「音のイメージ第一に」、唇のことは考えすぎないこと、になってしまうのですね。もうひとつ書き添えておくならば「無理しない(させない)こと」。お話したようにクチビルかなり柔軟なので、かなり無理ききます。短時間ならば。でも日常の行動と同じで、無理は長続きしません。このへんが「身体的特徴の個人差」に関わるところです。あごの骨格、唇組織の筋肉の違いなど、限りなく「個性」があって、ある人は唇引っ張り気味にテンションを与えたほうがいい音がする、でも違う人には「唇を引っ張る」こと自体が向かない(すぐ疲労する)ということもあります。

 多少の「トレーニング」は必要としても、追求のあまりいつのまにか「それはムリ」領域に踏み込んでいるパターンもままあるので注意。でも自分では気が付かなかったり、もアリガチです。まぁそういう時のためにわれわれのような人種がいるんですけどね。よく言われるように「独習」だとそこいらじゅうに落とし穴があって、気づかず落ちてしまうことも。「先生」はそこから救出する役割ですから。でも正確には「ひっぱりあげる」んじゃなくて「脱出法を教える」(つまり這い上がるのは自力で!)なんですが。

 

 公開の記事にしてはいますが、基本は僕の生徒さん向けの「在宅ワーク」の素材です。僕とお付き合いのある生徒さん方はご理解いただいていると思う(信じる?)んですが、あまり一般的なアプローチではないです。「一般的に」ならば、常識的なカリキュラムに従ってエチュードを段階的にこなしていけば、解らなかったこと(概念)の理解とともにスキルもついていきます。エチュードを無視するわけではないんですが… 僕自身、日課練習としてスタンダードなエチュードは必ず吹きますから。なので、偶然なにかの縁で出会った、ちーとへそ曲がりな先生の、「へそ曲がりな発想」だと思ってくださいね。常識的な内容は他にいくらでもありますから、そちらご参照を。 (*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/30
第3回

 

 それじゃあ第3回いきます。今日のテーマは、

 

 「音の開発」

 

 オイオイおそうじからいきなり難しいハナシに、って思わないでね。みなさん、何を目的にフルート吹いていますか?楽しむため。おっけ。ではどういうふうに吹けたら楽しいですか?

 

 このへん、それぞれでいいです。クラシック音楽の場合だとなんとなく「カリキュラム」のようなものがあり、フルートならアルテスの第1巻から始まってケーラー、アンデルセンベーム、ススマンのエチュード、みたいな。

 

 これらを一生懸命に(ユルくてもいいんですよ!)段階を追って吹いていくと、自然にフルートでいろいろな曲を吹きこなすスキルがついていきます。そこが伝統的な、時空を超えて受け継がれている名エチュードたるゆえん。音のコントロールも当然その中に含まれます。でもこれ、ある意味「クラシック音楽限定」スキルなんですよね。

 

 だから、「わたくしクラシックの楽曲はまったく興味ありませーん」という場合は、必須とはいいません。烏山の教室には、バッハだフォーレだとかは「なんだそれ」で、長渕剛とかをひたすら追求するオジさん、いますから(笑)。目的はそれぞれでいいんです。


 

 で、カラオケに合わせてフルート吹いてみたこと、ないですか?「川の流れのように」でも「花は咲く」でも、はたまた「イエスタディ」でもなんでもいいんだけど。それで、「なんかサマになんねーな」と思いませんでしたか?

 

 そのワケのひとつは、「クラシック音楽限定」の音で(さらに言えば価値観で)吹こうとするからなのです。美空ひばり、美しい声ですけどクラシックのオペラ歌手とは違いますよね?ベルカントと比べてしまったらむしろ「ダミ声」の部類かもしれない。でも「川の流れのように」は、あれじゃないとダメなんです。もちろん大歌手美空ひばりですから、その人の音楽性ってもんもあるんで、同じ声だけ持ってても同じように歌えるわけではもちろんないですが。

 

 クラシック音楽にはそれにふさわしい音色(ねいろ)と響き、ジャズにも、ポップスにも、キューバンラテンにもそれぞれにふさわしい音があります。それとね、「作曲家(作詞家)と演奏者、どっちがエラい?」がね、クラシックだと「ベートーヴェン交響曲第5番運命、指揮カラヤンベルリンフィル」でしょ。ポップスは「美空ひばり/川の流れのように、作曲… 誰だっけ?(見岳 章センセイです。ちなみに作詞は秋元 康ですから。AKBだけじゃないんですねぇ)バンド… 誰も知らない」でしょ。順番が違ってて、オリジナル歌唱が重要な意味を持つんですね。で、それにふさわしい音を手に入れるにはどうしたら?

 

 21世紀、現代ならではのテクノロジーにあふれています。100年前、いや20年前ですら想像もできなかったようなものが。そこでオススメするのは、

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 YouTubeの活用。でもだれちゃらがフルートで吹いてる「川の流れのように」を一生懸命聴いてもダメよ。美空ひばりのオリジナルをよーく聴くんです。もし「川の流れのように」を吹いてみたい、と思っていたら多分楽譜を手に入れてると思うんですが、はい、ここが落とし穴の入り口。クラシック「だったら」楽譜は隅から隅まで、アーテュキレイションから発想記号まで、ひとつの見落としもないように読むところから始まりますが、ポップスでは必ずしも、楽譜は「絶対」ではありません。 

 

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 市販の楽譜だと、「川の流れのように」のメロディ冒頭は上のAみたいなカンジだと思います。「KEYが違う」とかそういうことじゃなくて、音符とかアーテュキレイションとかがです。でもYouTube上にある、「美空ひばり最後の映像」をよく聴くと、どう聴いてもBのように聴こえます。
 これは「ニュアンス」のたぐいだとは思いますが、じっさいのひばりサンを聴かないでいくら楽譜で「あーでもない、こーでもない」とやっててもサマにならないことは確か。別に形態模写するわけじゃないんで、ひばりサンが歌っているニュアンスをそっくりそのまま真似る必要はないんですが、ビブラートの付け方だってクラシックの常識的なビブラートとは違うじゃない。そのへんは「よく聴けば」、サマになるように吹く方法は見えてくるってもんです。本来、芸事は「口伝」によるもの。楽譜は文字とおなじで、もし楽譜がなかったら情報伝達にはエラく時間がかかるし、文字を持たなかったインカ文明のように、後になったらなにやってたかよくわからない状態になってしまいますが、「音楽」なんだから聴くことのほうがはるかに重要度高し。

 

 

 きょうの標語。

 

 「視野は広く、思い込みはキケン」

 

 

 

 おあとがよろしいようで m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/30

第2回

 

 前回は楽器のおそうじのお話でしたが、まだおそうじしていない部分があります。

 

 そう、「頭部管」

 

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 外側はクロス拭きしているとして、普段やっていないところがここ、チムニー(ライザーとも言います)の内側。毎回掃除しなくてもいいんですが、たまにやっとかないと結構汚れてたりします。

 

 方法は、例によって綿棒に消毒用アルコールを含ませて拭く。今のご時世ぬるま湯で代用可。でもここには例のアルカリクリーンシートは使わないほうがいいかも… なんとなく。そのわけは、この部分は大変にデリケートなので、綿棒でさわる程度にとどめておきたい、ということもあります。穴のフチには絶対にさわらないように、円筒の内側を壁に沿って拭くていどにしておいてください。あ、ちなみにここの汚れって、フルート吹く前にかならず歯磨きするか否かでエラく違いますから、吹く前歯磨き習慣のない方はこの際、「一生自分の歯を使おう」のためにも習慣にすることをオススメします。ま、故吉田雅夫先生によれば、総入れ歯を入れ忘れてもフルートは吹ける(しかもいい音がする)らしいんですが…

 

 穴のフチ(エッジといいます)デリケートなんだから、ついうっかりブツけたりしないように気をつけてね。あ、それにリッププレート自体、銀製だと強く押したりすると簡単に曲がります。いちばん最初にフルート持ったときに、取り扱い方としてリッププレートの部分は握らないように、って言ってあるはずなんですが、いつの間にかわすれて思い切り握ってないか、確認してみてください。

 

 

 

 おそうじばかりでなくてそろそろレッスンらしいことを、と思いますので、次回からはそれらしくいたします( ^^) ~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/28

第1回

 

 前代未聞の事態で家に籠らなくてはならなくなってはやひと月。普段からユルい僕のクラスですから、最初のうちは「レッスン出来なきゃお休みにしといたほうがみんなも僕もウレシイじゃん」と思っていたのが、そうも言っていられなくなってきました・・・

 

 でも、日頃のレッスンを思い出していただければお解りかと思うんですが、

「個別対応・その場対応・オリジナル教材・思いつき重視」のわがクラス、ビデオチャット使ったとしてもリモートで成り立つとは思えないですよねぇ。

 

 内容もみなさんそれぞれ違っていますから、ここでは共通する、どちらかと言えば欄外のことを並べます。このへんは普段、時間がなくて説明が行き届いていないかもですから。

 

 

 記念すべき第1回のテーマは、

 

 「おそうじ」

 

 

 

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 フルートの細かいところ、キィの下の台座部分などは、普段クロスで拭くときにも届きませんから、ホコリがたまりやすいところです。ご自身の楽器のキィデザインがピントップアーム(画像のような)の場合には、キィカップとアームの境の部分にも汚れがたまりやすいですね。

 

 クロスの届かないポスト(キィを支えている円柱)や台座は市販の綿棒に消毒用アルコールを少し含ませて拭いてください。消毒用アルコールが貴重な昨今、ぬるま湯でもいいです(すぐさめるけど)。

 

 ピントップとの境は、やはり消毒用アルコールをペーパータオルに少し含ませて、親指の爪先をうまくつかって拭きます。ゴールウェイも「アルコールで拭いてキレイに保ちましょう」って言ってた。でも今、消毒用アルコールは貴重品ですよね。そこで登場するのが、

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 この手は弱アルカリ性ですから、フルート表面の黒ずみにも若干ながら効果があります。あれは酸化銀ですから、酸化還元反応で多少なりとも中和します。ピントップの陰にたまっている黒いよごれも、手の分泌物+ホコリですから酸化物。

 

 でもフルートのおそうじ、大事なことは「やりすぎないこと」。使い続けて年期が入った銀のフルートの黒ずみは完全には落ちません。リペアさんに頼んで磨いてもらえば新品同様のピカピカになりますが、だいたいが銀のフルートはいぶし銀の趣になってこそ価値がある、と以前は言ったもの。最近の若い世代は異常に変色を嫌がりますが、潔癖症世代なんでしょうねぇ…

 

 あ、ちなみに金とかプラチナの楽器は変色しませんから、ご予算に応じてどーぞ(笑)。銀の楽器用に、ケースに入れておいて変色を防ぐシートとかもあります。
 
 

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 よく見えないかもですが、キィのパイプから短くて黒い突起が生えているの、分かりますか?

 

 これはノックピンといって、キィのパイプと芯金を止めているのですが、出っ張っている部分にはよく手が触れるので、サビがちです。(メーカーによってはステンレスの場合もありますが)

 

 ここもアルカリおそうじシートで拭いておくと、多少なりともサビの進行を遅らせられます。まぁこれを抜くのはオーバーホールの時くらいなんで、リペアさんはサビてアタマがなくなっていても抜いてくれますが。

 

 

 

 おそうじ以上。質疑応答はメール、ショートメールかLINEで (*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オンライン・レッスン ピアノ・キーボード

シニア希望富・じーばーぴあの共通教材

 

2020/05/10

第3回

 前回での「はにゅうの宿・両手」はうまく弾けるようになりましたか?

・・・誰も質問してこないってことは皆さんうまく弾けるようになったということだと思うので(笑)、次に行きます。

 今回のテーマは、

 

 「メロディと和音の関係」

 

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 ここ数年、ちーとばかり小学校と関わってたんですが(昨年度で辞めたけど)、当然世代差ってもんが僕と小学生たちのあいだにははてしなくあるわけで、でも「学校教育としての音楽」だったら、流行りすたれとかには関係なく伝えていかなければならない伝統ってあるんじゃね?とよく思いました。というわけで、学校教育の場という訳ではないですが、シニアは「古い」伝統の曲をお孫ちゃんたちに伝えてもらうべく頑張ってもらおうと思います。

 

 「さくらさくら」は、「日本古謡」とクレジットされますが、要するに黒船来航以前、西洋音楽支配以前から日本に存在した「謡」ということですね。実際のところはそれほど古いものではなく、幕末ころに琴の曲として作られたらしいんですが。

 西洋音楽到来以前には、日本には「機能和声」のような概念はありませんでしたが、ごぞんじのように琴は単音だけではなく、複数の音を同時に鳴らせます。三味線などもそうですが。なので「機能和声」ではないが、例えば「ラ」と「ミ」を一緒に鳴らしてみて「相性いいんでね?」または「かっけくね?」という感覚は当然あったと思われる… というのが僕が尊敬する先輩である三味線奏者の今井田歌(とうた)さんの説ですわ。西洋音楽でいう、オクターブとか完全5°とかが「相性よく」聴こえるのは物理特性によるからで(数字で説明できます)、洋の東西とか民族性は関係ないんですね。

 でも「和音」という概念はなかった。ですから「さくらさくら」も、伴奏に和音をつけるのは後年の「和洋折衷」であることをお断りしておきます。

 

 座学のお時間はほどほどにしておいて、今回「さくらさくら」で何をしていただきたいか、というのはタイトル通り「メロディと和音の関係」なのですね。そのためには全部はいらなくて最初の2小節だけあればいいんですが、そこでおわっちまったら物足りない感ハンパないと思うんで。でもポイントは最初の2小節、正確に言えば繰り返しなんで最初の1小節だけです。簡単でしょ?

 

 さらに絞ったポイントは右手最初の音が「ラ」、次の4分音符も同じ「ラ」なのに左手の和音が変わる、というところです。まぁAmとFなんで親戚みたいなもんなんですが。これをね、例によって「えーっとラとドとミ、つぎはファとラとド」って読みながら弾くのではなくて、左手のカタチで弾けるようにしましょう、ということなのですね。カンタンですね。ただ、その1歩先があって、まぁこれもいつも言っていることなんですが「鳴った音を良く聴いてください」なんですね。シニアあせってて次に弾く音ばかりが気になって、弾いた音ちゃんと聴いてないからね。

 

 そのへんの積み重ねが、例の「左手自動操縦」の性能を上げていくことに繋がってきます。もう少し丁寧に言うと、「和音の感覚」が進歩することで、左手の「無意識領域」が拡がってくるのですね。

 

 

 

 

 この課題は右手・左手バラしての練習は不要です。和音で鳴らないと目的としている「感覚の開発」にはならないので。つっかえつっかえでいいですから、最初から両手で、全部の音を押さえて鳴った響きによく耳を澄ませてください。 (@^^)/~~~

 

   

  

 

 

 

 

 

2020/04/30

第2回

 「はにゅうの宿」右手のメロディはうまく弾けましたか?では次。左手の伴奏が付くとこうなります。

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 なんとなく両手で弾いてみて… でもスラスラとは弾けないですよね。例によって右手と左手が一緒に動いちゃうとか、どうしても和音の変わり目で立ち止まってしまう、とか。

 

 そこで左手だけの練習をします。

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 意識を集中出来るように、左手だけの楽譜にするとこうなります。これを「1段ずつ」スラスラと弾けるように練習していきます。

 いつもお話していますが、この手の曲の場合、練習が積み重なってある程度スラスラ弾けるようになってくると、その状態では脳の顕在意識のほうはほぼほぼ右手のほうへ行っています。つまり左手はほぼほぼ自動操縦になっていなければならないわけです。そのために、自動操縦コンピューターにデータを入れる作業をします。

 ですが、「最終目的地」は意識して弾いている右手に左手のほうがラクラクと追従していく状態ですから、使い物にならないデータを作っていては時間のムダです。で、

 

 「一段弾くと決めたら途中でやめない」

 「メトロノーム使用」

 

 を守ってください。もしどうしても1段続けて弾けないのであれば、いつもひっかかるところは同じところのはず。その、ひっかかる部分の前後だけ(なるべく短めに切り取って)繰り返し弾いて、指を慣らしておきます。

 

 身体に覚えさせる作業ですから、回数が勝負です。この手の練習って、だいたい回数が足りないです。「だってメロディなくてつまんないんだもーん」って、

 

 「コドモじゃないんだからガマンせい!」

 

 

 じゃなかった(汗)、両手でウツクシーく弾けるようになる日を夢見て(笑)、左手データ作成にいそしんでください。

 

 

 では健闘を祈ります(^^)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/27

第1回

 外出自粛要請もだいぶ長引いてきました。そんな中、何人かの方からは「ピアノ(キーボード)やっててよかった」の声を聞きました。ひとりで楽しめるネタをたくさん持っているほど、「時間を持て余す」ことはないですからね。自分で奏でる音楽は心を穏やかにしてくれます。ただ、どうしても運動不足気味にはなるので、「人気のない裏道でウォーキングする」(笑)とか、体力維持のための工夫をしてくださいね。

 

今日は第1回ですから、ピアノ(キーボード)を「弾きこなす」ために必要なスキルのおさらいをします。まずは、

 

「指順」(うえの造語)

 

です。まずは右手から。

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 はい、みなさんごぞんじ「はにゅうの宿」です。普段のレッスンに使う譜面には、「ニンゲン甘やかされるとダメになる」の観点から(笑)、運指記号(指番号)は最小限しか入れていませんが、今回は「指順」おさらいが目的なので、全部の音に記入してあります。

 

 念のため、「指順」をもう一回説明しておきますが、  

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 1⃣のように、弾きだす前のスタンバイとしてあらかじめ右手の親指を「ド」の上に、

小指を「ソ」の上に合わせておけば、次の音を弾くときいちいちどの指使うか考えなくても、鍵盤のうえにスタンバイしている指をしかるべきタイミングで下ろせばいいわけですね。となりの音に行く場合だけじゃなく、2⃣のようなときにも「あらかじめ」手の位置を決めておけば、あとは順番に指下ろすだけ。なので「指順」。 

 

 「はにゅうの宿」の楽譜のなか、「移動」とある場所は手の位置が移動する場所。逆に言えば次の「移動」が来るまでは、手は最初にスタンバイした位置のまま。次に弾くべき音に割り振られた指を下ろします。

 

 

 このときぃ!!!

 

 

 いつも口をすっぱくして言っていますが、視線は楽譜に。「移動」のときだけ鍵盤に目をやって次の位置に合わせてください。別に楽譜にカジりつくことが必要なのではありません。「鍵盤を見ないで弾く」が目的なのです。視覚情報に頼らないようにすることで、意識と身体の感覚との協調関係を見直すことが出来ます。あ、だから知ってるメロディだし、べつに楽譜を睨みつけなくていいです。お宅にいらっしゃる美女(笑)を眺めながらでも。

 

 

 きょうはここまで。フルート科・ジャズフルート科の教材はあとでupします。

 

 質疑応答はメール・ショートメールまたはLINEで。!(^^)!

 

 

 

さすらいのフルーティストのブログ


 うえの 善巳 (よしみ)


フルーティスト、キーボーディスト、作・編曲 
ノージャンル
一応、桐朋行きましたが、かなりフリースタイルなフルートなので、普通の優雅なフルートを期待しないでくださいね。

普通のブログ形式での書き方ではないので読みにくいかもですが、記事の新しい順に並んでいます。



2020/03/24更新




🎵 百里を行く者は 2020/03/24


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 「転んでも タダでは起きない コロナ休業」



 年末、日常よりは時間があった時に手を付けて3か月。頭部管108歳、胴体還暦のヘインズ-メナート(ネーミングの慣習に従えばメナート-ヘインズか?)ともお互いだいぶ馴染んできました。で、相手の欲求がだいたい解ったところで共同作業のためのさらなるすり合わせを模索すべく、ほーんのちょっとピッチが低い点の改善に着手することに。スタジオだと441Hzが多いのでなんとかなるが、442で吹こうとすると常にすこーしピッチ上げの操作を続けなければならないのですね。ニンゲン甘やかされるとダメになるんで、逆にこれがあまりにないと腹筋まわりがサボり気味になってかえってヨロシクないことになるんだが、常に緊張を強いられるのも余裕がなくなってミスを誘うことになりかねないわけですね。

 ルイ・ロットなどのオールドを愛好するひとたちは、オールドに魅せられたものの宿命として、「高めに吹ける」奏法を受け入れているわけですが、どのような楽器でもスイートスポットジャストが一番いい響き・ねいろが出るわけで、弊害なく(ここがなかなか難しいんですが)楽器のほうでピッチを上げられるならばそうしたい。


 まずはヘッドコルク位置を詰めて強引に左手部分だけのピッチupを試すも、ピッチ以前に響きがゼンゼン変わってしまって断念。彼女の魅力は、かなりのハイバランスから来ているようです。

 仔細に観察してみると頭部管のエンドリングに1mmほど削れる余地がありそうな… で、最終手段として、失敗したら文化遺産を破壊することになるかも、の恐怖と戦いつつ、清水の舞台から跳び下りる思いでおもいきって削りました。


 結果は上々(*^^)v  




 「上がりバイク」みたいなのってあると思う。いろいろなバイクを乗り継いで最後にたどり着くバイク。たぶんスーパーカブなんだろう。でも「上がりフルート」てあるのかな? 











🎵 十徳ナイフ 2019/12/29


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 個人差はあると思いますが、みんな自分の楽器には「思い入れ」がある。そして、「これ一本で何でも吹けたら」と夢想する・・・ と思う。

 年末年始、さすがに少し時間にゆとりがあると、普段あまり吹かずにしまい込んでいる楽器たちを改めて吹いてみたくなる。そしてそのたびに新しい発見がある。



 「木の音」に魅せられた者は、金属管のフルートに替えて、これでなんでも吹いてみたい、と思う。へそまがりうえの言うに及ばず。だって音色、響きが金属管とゼンゼン違うんだから、これでジャズ(演歌でもストリートでもなんでもいいんですが)吹いたら他人(ひと)と違うじゃん、と。

 で、いろいろ吹いてみるんですが、そのうちどツボにはまる。木の楽器、金属管に比べて不得意なところがあるわけですね。まぁ銀同士、金同士でも個性の違いはあるんだけど。で、理想の木管フルートを求めて木管フルート行脚の旅に出ることになる。

 木製ベームフルートというのは、1800年代後半から20世紀初頭にかけては割合フツーにあったんでまぁリバイバルとも言えるんですが、メーカーのほうもリバイバルするにあたって木製特有の弱点をカヴァーすべく、さまざまなアプローチしています。100年前とは楽器に求める性能も違ってきていますから。ムカシなら無理なくらい薄く作ってみたり、トーンホールが崩れないように樹脂埋めてみたり、音量かせぐためにチムニーに金を埋め込んでみたり・・・

 そういう楽器を吹いてみると、確かに最初は「おおっ!」て思います。「金属管と同じように吹けるじゃん!」って。でも実はこの「同じように」がクセモノなんですね。少し慣れてくると「木の響き」が薄いのに気づく。「金属管と同じ」なのは響きもじゃん、と。木管の音色・響きそのままに「同じように吹ける」んだったらいいんですが・・・ 金属管的な表現力、吹きやすさと引き換えに「木っぽさ」を若干差し出している。何かと何かを「引き換えている」訳ですね。そもそもこの時点で矛盾があるのは、例えば銀の楽器だって楽器によってさまざま音色・響きの違いがあるわけで、はたして「木」に固執することが意味あるのか、と。そして、「オマエは木の音と引き換えに金属管の表現力を捨てる覚悟があるのか?」と問われるわけですね。一本ですべてをカヴァー、は結局十徳ナイフみたいなもんで、すべてが中途半端になる、と。



 本当に「木の魅力」を持っている楽器は、決して銀の楽器と同じには吹けないです。そりゃそうだ。先人の仕事をリスペクトするならば、そもそも木製の弱点をカヴァーするべく金属管になったんだから。木管がフツーだった時代に登場した、薄管の軽い銀管フルートのねいろがドビュッシーや20世紀初頭フランスの作曲家のイマジネーションを刺激して、楽器・楽曲影響しあって進歩したんだから。いくら近代のエッセンスを注入したとしてもそれ以前の音色感で「なんでも」・・・ ドビュッシーも吹きたい、てのがそもそも歴史無視。それに楽器がひとりで鳴ってくれるわけではなく、吹き手と一緒になって音作っているんだから、同じように吹いたら究極は同じようになってしまうわけですね。「木の吹きかた」しないといけないような楽器じゃないと求めている音は出ない。すると、最初の「これでなんでも」はやっぱり夢物語だった、と気づくわけです。「木の吹きかた」最優先に考えないといけないわけですから。


 もちろんピアニストとかは会場のピアノを四の五の言わずに弾いて「自分の音」をださなければならない訳で、自身のテクニックを開発することは必須なわけですが、「やっぱり木の音タップリしないと意味がない」にたどり着き、そのためには木のフルートは「オールマイティ」はある程度あきらめなければならない、の結論となりました。今のところ。「昭和は良かった」の懐古主義者ながら、「進歩は夢の実現」の20世紀人でもありますから、ひょっとしたらテクノロジーの進歩で夢が実現するかも、の夢想捨てきれず、セバスチャン・ジャコーが吹いている現代木管ヘインズに興味深々だったり、もまだあるけど、ジャコーも曲によっては頭部管を金に取り換えたりしてるから、やっぱりオールマイティーじゃないんだろうな・・・
 そもそもうえの、「何でも屋」を自負する十徳プレイヤーなわけですから、常に「木の吹きかた」最優先に、「キミの魅力の前ではボクは下僕になるよ」はムリ。





 で、年末のお楽しみの結果のほうはというと、1912年製造のヘインズ木製頭部管と、フランツ・メナート制作のボディ(1960年代)の組み合わせが「木の音」(正確にはオールド木管ヘインズの音)タップリ、を発見して、ニンマリしています。1900年ころのヘインズ木管は音色は素晴らしいのですが、そのままではピッチやダイナミクスの点がゼンゼン現代の要求に合わないので実用はキビしい。これなら十徳ナイフなみはムリですが、かなり楽しめます。












🎵 老人特性(笑) 2019/12/26


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 高齢化社会だから当然なのか、偶然なのかはわかりませんが、もうここ10年以上、プライベートの生徒さんはシニアばかり。あ、ひとりだけ20代の乙女が平均年齢押し下げてくれていますが・・・

 おかげさまで、おぼろげながらシニアに共通する症状が見えてきました(笑)。こちらももう若くはないオトシゴロですから、自身のテクニックを維持、発展させるためにはたいへん参考になります。自分の弱点を知ることがモノゴトの第一歩だからね(笑)。


 最近、「無意識」というキィワードに凝っているんですが、日常のなかで「意識」(顕在意識)と「無意識」はさまざまに、バランスを取りながら協調していると感じます。テンポがゆっくりで、白玉・四分音符オンリーの曲ならば「顕在意識」オンリーで吹け(弾け)ます。なので初見でも問題ない。ですが十六分音符フレーズの連続などはあらかじめ「無意識」の記憶に入れておく(手続き記憶化しておく)必要があるんじゃないかと。ムカシからセンセーがた、「難しいフレーズは止まらずにに吹けるゆっくりから徐々にテンポを上げて」と言っていたのはこの作業なわけですね。

 プロはたとえ初見だったとしてもある程度細かいフレーズがスグ吹けるのは、えんえんとやらされた(そして今は自身の意志でやってる)スケールやアルペジオが「手続き記憶化」されていて、それを組み合わせて使っているからなわけですね。パーツは無意識下、組み合わせの采配をふるっているのは顕在意識。だから折り返すスケールなどは「折り返し点」の把握が重要なわけですね。

 ジャズではいわゆる「ジャズフレーズ」的定型文を「無意識記憶」化しておく必要があります。通称「手癖」。その蓄積がないとアドリブにはならない。まぁ他人のアドリブコーラスを「まる憶え」して再生する手もありますが、それってイマイチ、吹いてる本人が楽しくない。要するにそれではクラシックの楽曲を暗譜で吹いてるのと同じ脳のはたらき状態で、脳味噌フル回転させてアドリブひねり出すスリルがないんですね。ジャズ屋に糖尿と破滅型人格が多いのはこのせいなんじゃ?と僕は踏んでるんですが(笑)。






 で、シニア。人生120年を「健康に」送るためには、そりゃ健康管理も重要ですが、「顕在意識と無意識記憶のバランスとりなおし」を常にこころがけることが重要なんじゃ、と思っています。お医者さんには「シロートがなーにエラソーなことを」と言われかねませんが、ン10年、音楽を通してシニアを観察してきて、の感想です。「何十年住んでる自宅の階段である日突然つまずくでしょ?無意識下でアタマが出してる『足をこのくらい上げて』の信号に応える足のほうが性能落ちてるんで、顕在意識で『もっと足あげろ』って信号出さないと」って言います。

 「吹く(弾く)べきタイミングから遅れる」もよくある事態ですが、アウフタクトなどは逆にほとんどフライングして出てきます。シニアものごとすべてが若いころに比べると遅くしか出来ない自覚があるので、無意識にはやめはやめに信号だす補正をしている・・・ように見えるのですが、これがほとんど「無意識下」なので、たまさか「クスリが効きすぎて」フライングもするようなのですね。

 自身で「吹く(弾く)べきテンポ」がしっかり認識できれば、クスリの加減を自分で調節出来るので、「テンポをしっかり感じるように」のアドヴァイスは有効なんですが、「他人(若者)のペースにはついていけない」の自覚もあるので、メトロノームとかはまるで親のカタキのように敵視する傾向があるのも悩みのタネ。




 それらこれら、「明日は我が身」の精神で楽しみながらいろいろと方策を考えています。










🎵 同じニオイ 2019/11/25


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 だいぶ更新をサボりましたm(_ _)m


 木琴の小山理恵さんが主宰するバンド、きつねのトンプソンにお誘いいただいて、「ピーターと狼」バンド版プロジェクト(?)に参加することになりました。

 ご存じプロコフィエフの音楽物語「ピーターと狼」ですが、名作なだけにさまざまなアーティストがいろんなアプローチをしています。オリジナルのオーケストラ+朗読のスタイルではないチャレンジもさまざま。今回「きつねのトンプソン」では木琴・ベース・バンジョー・ドラム・フルートと「語り」(・・・浪曲?形態模写かも)で創ろうというプランなのですね。

 詳細は聴いていただいてのお楽しみにするとして、何が「同じニオイ」か?というと・・・ それは木琴のりえさんが、なのですね(向こうはそうは思っていないかも知れませんが・・・)。木琴て、まぁ子どもの玩具的なのもありますが、本来は「シロフォン」としてオーケストラのなかのパーカッションとしての一員なわけですが、りえさんはそのキャラクターから、「型にはまった」ことは「好きじゃない」のですね。「自分が表現したいこと」の実現が最優先。あ、ご本人の名誉のために書いておくと、「出来ない」のではなくて「好きじゃない」のようです。そのへんが「同じ」、正確には「似たニオイ」の元かと。

 今回は、「きつねのトンプソン」版ではありますが「アリモノ」(既成の作品)ですが、本来、曲からオリジナルであるほうが「りえワールド」が存分に発揮されることは言うまでもありません。そのブッ飛んだ世界(失礼!)は、間違いなく唯一無二のものです。そのへんは、同じ方向を指向してるな、と思いつつも、「オジさんまだまだだな」と思うところでもあります。オジさんもっとブッ飛ばないと。

 ほかにも「同じニオイ」を感じることがらはいろいろあるのですが、意味不明傾向に行きそうなので省きます。「きつねのトンプソン」のドラムはりえさんの夫君であるよしじまともひとさんですが、この人も「似たニオイ」がする人であることは言うまでもありません。そうじゃなきゃ一緒に暮らせるわけがない(さらに失礼!!)

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 ナショナルジオグラフィックチャンネルの「フリーソロ」というドキュメンタリーを観ました。スポーツ、競技であるボルダリングとはことなり、フリークライミング、それも安全確保のためのロープを使わない「フリーソロ」というスタイル。ヨセミテ国立公園にある巨岩、エル・キャピタンに挑むアレックス・オノルドの姿を淡々と追うのだが、アレックスの生い立ちや、心理描写も描いていてなかなか興味深かった。本番の、ノーロープでのチャレンジの前に、何年もかけての、ロープで確保をしたうえでの準備がある。そのなかでは、ルートや具体的なテクニックの準備のほかに、精神的な準備をしていかなければならない。本番は完璧でなければならない。ほんの些細なミスでも、それは死を意味するわけです。

 アレックスは幼少期から決して社交的な性格ではなく、自身の内面の深層と対話するタイプ。なにげなくつけていた画面に引き込まれたのは、彼の風貌がアイルトン・セナに似ているのですね。

 どちらかと言えば寡黙で、やはり内に向かう思考だったアイルトン。その、神に呼び戻されたとしか思えない最後を思い出すと、アレックスの姿にダブって見えてくる。ドキュメンタリーとして放映されているのだから最後は成功するのだろうと解っていても、モンツァの映像をリアルタイムで観た世代としては、ハラハラさせられたことは確かです。




 命の危険はないけれど、僕たちが日頃、「自分が進む道」や本番に向けての準備をするとき、同じようなことを考えます。孤独な作業ですが、一匹狼の僕はなおさらです。なので、アレックスにもなんとなく同じニオイを感じるのです。世界は違っていても、共通する部分はたくさんあるなぁと思います。もちろんそれとは違うアプローチもあるわけですが。













🎵 ビルマの竪琴 2019/08/15


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 小学生たちは、いまでも「夏休み課題図書」ってあるのかな?その課題図書で読んだ(読まされた)のかどうかまでは覚えてないんですが、僕の「読書」の原風景(座右の銘とはちょっとちがう)は「ビルマの竪琴」と「二十四の瞳」なんです。


 「ビルマの竪琴」は竹山道雄先生が、戦死した教え子を悼んで、反戦や、近代文明批判を織り込んだ児童文学として書かれたそうです。自分が子供の頃に読んだ時の印象では、例えば「歌う部隊」。他で読んだ日本陸軍の雰囲気や、「戦場」という緊迫した場でそんなことあるんかい?というものでしたが、それは子供の感覚。「ビルマの竪琴」は当時的にリアルな設定でのフィクションであり、音楽にも造詣が深かった竹山先生は、「歌う部隊」や、ジャングルの中での戦闘シーンで、「埴生の宿」で敵味方が通じあう風景を描きたかったわけですね。

 竹山先生は、「音楽が持つ力」を信じていらしたのだと思います。

 ところが、「ビルマの竪琴」を執筆された当時、竹山先生はビルマ(現ミャンマー)を、ご自身で訪れたことはなかったのだそうです。水島上等兵にはモデルとなった人物が存在すると言われ、その方が所属していた部隊の他の方から聞いたエピソードで組み立てられているとのことなのですが、そこに描かれているビルマの風景はとても印象深く、いちど訪れてみたいと思っていたのです。当時から70年経っているわけですが。


 ミャンマーはご存じのように、軍政の時代が長く、そのせいで近隣国よりも経済発展が遅れました。でもそれは、旧い風景が残っているということでもあります。道行く人々の、男性の服の9割がたは伝統のロンジー。だいたいが、ヤンゴンの市街地でも、行きかう人々はえらくノンビリしています。


 「ビルマの竪琴」で描かれる音楽はミャンマーの音楽ではなく、実際ミャンマーの僧侶は戒律で音楽は禁じられているそうなのですが、ミャンマーの人々の暮らしを垣間見ることが出来た、貴重な時間でした。


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 列車が着くたびに(車両は日本の対外援助、キハ40です)線路のうえをワラワラと人々が歩いてきます。ホテルのおねえさんに「どうして線路をあるいているのかなぁ?」と訊いたら、「外の道を歩くより近いからですがそれがなにか?」と言われました。


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 ミャンマーの伝統的な男性服、ロンジー。上がTシャツなら普段着、半そでYシャツにすればフォーマルな場でもOK。
アジア各都市に比べてヤンゴンにバイクがえらく少ないのはこの服のせいだと思う。




 きのう、クルマの中でラジオ聴いてたら、「ペリリュー 楽園のゲルニカ」の著者・武田一義さんが、「子どもたちに戦争の悲惨さを伝えようとしても、過激な表現は拒否されてしまう」とおっしゃっていた。でもね、映画もいいんですが、いまの子どもたちにもぜひ、「ビルマの竪琴」と「二十四の瞳」は本を読んでもらいたいと思います。そのことが、彼ら彼女たちが「平和とはなにか?」「幸福とはなにか?」を考える取っ掛かりになってほしい。終戦記念日の今日、そんなことを思います。














🎵 先生 2019/06/11


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(画像はウチのとっぽではありません)


 ヨーロッパの人々にとって、「黒つぐみ」は特別な鳥なんでしょうか?モーツァルトは黒つぐみを「僕の先生」と言ったという。メシアンにも「黒つぐみ」というフルート作品がある。ビートルズにだって… ビートルズの「ブラックバード」の歌詞は「黒つぐみ」のことを歌ったものではないけれど。


 日本人にとって、春先は野鳥たちと親しむ季節ですよね。南白の「けやきっず」部屋の前の軒先には、毎年やってくるつばめの巣があって、警備員のおじさんは3月ころから「まだかな?まだかな?」って楽しみに待ってた。


 「KAMEN」の前日だったから、もう3週間まえ。わが14号棟わきの藪に「トッポジジョ」がやって来た。



 ねずみじゃあありません。たぶん今年はじめて囀る若いウグイス。こいつが「ホーホケキョ」じゃなくて「トッポジジョ」って鳴くんです。で、彼の名前も「トッポジジョ」(かってに命名するなって?)

 むかし、ジムニー手に入れて丹沢や奥多摩の山の中を遊びまわっていたころ、若いウグイスが「お手本」を真似て囀りが上達していく一部始終を聴いて、いたく感動した。やっぱり「お手本を真似る」は芸事上達のための基本なんだな、と。(もちろん彼らは芸事なんぞのようなお遊びで囀っているわけじゃありませんが)

 ウグイスが囀るのはなわばりを主張するため。彼らは必ずしも深い野山だけに生息するのではなく、繁殖期以外は意外に人里近くにひっそりと暮らしていたりするそうですが、さすがに団地をなわばりにするやつはあまりいないなぁ。なので3週間まえから彼一羽。「お手本」がないせいなのか、ずーっと「トッポジジョ」のまま。





 でもいい声です。ボリュームも遠達力もあって、しかもこんだけ心を和ませて、と僕のお手本です。












🎵 パントマイムの音楽 2019/05/24


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 日本を代表するパントマイミスト、清水きよしさんの「KAMEN」。さまざまな不条理を、能面を用いた6本のオムニバスで描く。もう30年以上、この「KAMEN」の音楽を担当させていただいている。


 僕が清水きよしさんの作品に音楽をつけるときにまず考えるのは「ミニマムに」ということ。終演後にお客様から、「もっと聴きたかった」と言っていただくとニンマリする。基本は僕が、少々の小道具だけで成立させるソロパントマイムに、主張の強い音は添えたくない、というところから来ている。なので、この作品の音楽はあらかじめ「作曲」(モチーフ程度ですが)してある部分と即興の部分を組み合わせるのですが、どちらも「憶えられない」ように音を配置するように考えているのです。


 普通作曲家は「お客さんの印象に残る」メロディを作ろうとするもんだが、その真逆をいこう、ってわけです。へそまがりですねぇー。


 清水さんとご一緒するようになった頃、照明家の辻本晴彦さん(故人)ともご一緒することが多かったのですが、まだ駆け出しの笛吹きだった僕のことを辻本さんはとてもかわいがってくださって、舞台、そのほかの芸術的な感覚に必要な事柄をいろいろ教わったのでした。その辻本さんがポリシーとされていたことのひとつが「印象に残らない明かりをつくる」ことだったのです。照明は舞台上の芝居・音楽を「生かす」ためのもの。照明自体が自己主張してはいけないのだと。

 パントマイムはあえて「制約」を自らに課すことによって表現する芸術です。セリフはない、大道具もない、暗転もない。清水さんご自身も、音楽に「助けてもらおう」などとはチラとも思っていない。なので、そこに添える音楽は極力シンプルに、と僕は考えます。

 ですが、音楽を使うとしてもまぁ普通は録音のソロパントマイムで、ライブの演奏家が同じ舞台上にいる、ということを生かさなければそこにいる意味がありません。

 舞台が「生き物」であるのと同じように、音楽も生きていなければ意味がない。なのでその場の空気に即応出来る即興演奏は重要な意味を持つのです。






 画像は「KAMEN」中の一話、「駝鳥」のワンシーンですが…

「先輩を先輩とも思わず」傍若無人好き勝手なヤツと思われているワタクシですが、この「駝鳥」の冒頭で駝鳥が遠くからかすかに呼ばれたような気がして振り返る、そこのモチーフにはリスペクトを込めて、ジョン・ウイリアムズの「未知との遭遇」のモチーフを借用しています。宇宙との交信を象徴している、D-E-C-C-Gってやつですね。ウイリアムズとスピルバーグは「5音で」という制約を課して、その組み合わせを死ぬほど考えたそうです。これの前半を移調してC-D-Bb。これを「呼ばれる」ことのモチーフにしています。

 パントマイムのお客さんは当然パントマイム・ファン。でも僕はもうちょっと「音楽ファン」も来ねえか?と思っているのです。フルートファンでもうえのファン(いねえか?)でもいいんだけど。コンチェルトやフランス近代作品だけがフルートソロじゃない。告知も行き届いていないとは思うのですが、守備範囲広い音楽ファンって少ない。たまには「音楽」が他の芸術、ひいては他の「世界」とどう繋がるのか、考えてみたら?と思うのです。誰か「あの駝鳥って、未知との遭遇ですよね?」って言ってくれないかな?



 8月にも都内での再演があるようなので、バックヤードネタを小出しして興味もってもらおう、という魂胆なのです。















🎵 幸が森コンサート 2019/05/20


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 もう10年近く前。当時娘が通っていた小学校の校長先生に、「うえのさん、東京は外に行ってお金を出せばなんでもあるけれど、私は子どもたちの体育館で、目の前で音楽を聴く時間を作りたいんです」と頼まれて始めたのが「幸が森コンサート」。


 「目の前に」ホンモノを出すべく、毎年趣向を凝らして、歌のおねえさんに来てもらったり、フルート+ピアノ+ベースのジャズトリオにしたり。そういえばジャズピアニストの〇〇〇くんはなかなか来ないと思ったら校門で警備員さんにつかまってたっけ(笑)。



 今年は、僕が10年以上前に参加していたバンド、「カフカフドゴシコ」に来てもらいました。「カフカフドゴシコのリズム探偵団」。彼らの活動の大きな柱のひとつが、全国の小学校での学校公演。ずいぶんあちこちに行きました。
 広島に長期滞在(?)したときは広島お好み焼きをハシゴして食べ歩きしたっけ…

 ひとところに長居出来ない僕は数年参加して辞めたのですが、彼らはその後も(その前から)、今に至るまで30年以上ずっと、同じスタイルを貫いている。参加していたころは、僕はそもそも群れるのが嫌い、他人に指示されるのが嫌い、ひとと同じことはしたくない、なので「リズム探偵団」のような会場参加型コンサート、「さぁみんなで一緒に!」みたいなのは感覚的にダメで、自己矛盾感じながらやってたわけですが、時代は変わる。今でも小・中学校は基本「みんなで心をひとつに、力をあわせて」で変わってないけど、表面ではコミュニケーションごっこをしながら実は対人不安を、子どもですら多く抱える現代、「リズム探偵団」の意味は重要性を増しているんじゃないかと。



 南白糸台小学校の子どもたち、いわゆる「いい子」傾向が強いと思う。言われたことはやる。たとえカタチだけだったとしても。でも自分で感じ、考えて行動する部分が弱いんじゃないかと。べつに南白に限ったことではないかも知れませんが。



 この子たちがどう反応するか、カフカフ時代にいろいろな小学校を見てきた経験から危惧していた部分もあったのだけど、結果は大成功。画像のようにみんなノリノリでした。まぁ最後は全員ノリノリに持っていくべく、「リズム探偵団」は練られているわけですが。





 こぎつけるまでが大変でしたが、よかったよかった。














🎵 踊ってきました! 2017/12/20


 娘の母校でもある府中市立南白糸台小学校。ここのウインドアンサンブルは伝統ある吹奏楽部で、レヴェルの高い演奏は毎年、教育委員会表彰をいただいている。



 今回、モロモロの事情があって、急遽このウインドアンサブルのコンサートを指揮することになってしまった! ボヘミアンうえの、学校関係はいろいろと面倒くさいことがあるのでなるべく関わらないようにしていたんですが…

 ひと月前から、連日の朝練。僕も楽器組み立てて一緒にロングトーンしてスケール吹いて。いやあ新鮮な朝を過ごしました。



 いろいろな事情があってのこの状況。最初に指揮台に立った時、子供たちの目は不安の色でいっぱいだった。彼女たちはその前、音楽会を目前にしながら満足に練習が出来ない状態が続いていたわけですね。

 で、吹かせてみたらなかなか上手い。そしてみるみるうちに「やっと吹ける!」気持ちがみなぎってきて、音楽室に豊かな響きが満ちてきた。




 僕はそれを聴いていて思った。今の段階では細かいことは置いといて、彼女たち(彼ら、もごく少数いるんですが)をのびのび吹かせてあげることがいちばん大事なこと。大人の事情に振り回されて大好きな音楽を楽しむことが出来ない状況に置かれた彼女たちの、「楽器が吹きたい!」気持ちを最大限サポートしてあげよう、と。

 そして、僕自身が今まで経験してきたこと… 最初は不可能に思えたパッセージも、積み重ねでモノにできることとか、指揮の先生に信頼してもらって、僕のソロになったら指揮棒を止めて好きなように吹かせてくれたこと… それらこれらがどれだけ嬉しかったか、どれだけ感動したか… そんなことをわからなくてもいいから話して聞かせるのではなく、棒を通して表現しよう、と。



 いいコンサートになったと思います。彼女たちが自信を持つことにも繋がったようで、3学期の練習曲には難曲「スターウォーズ」を挙げてきた。よしよし、一緒に頑張ろう。



 3学期いっぱいだけど、君たちのそばにいます。よろしく。
(その後抜けられない状況に…)












🎵 森の演劇祭雑感 2017/11/13


 11/2〜5、島根県松江で開催された「森の演劇祭」に、もう30年来のお付き合いであるパントマイム・清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。

 「森の演劇祭」は3年にいちど開催される国際フェスティバルで、普段は静かなところであろう松江市郊外の山中(?)4会場を使って催される本格的なイベントです… って、僕も今回初めて知ったのですが。


 行ってみてびっくり。松江市・八雲町の行政や地元の企業、それに多数のボランティアが一体になっての、素晴らしいイベントです。バブル期、そしてそのあと少しの間は「タダのお祭り騒ぎ」的なイベントは各地にありましたが、なんとかミクスの波及効果なんぞゼンゼンない現状、これだけクォリティの高いイベントが地方で行われていることはオドロキでした。文化的な分野ではいまは地方が元気な時代、の感がありますが、20年の年月をかけてこの演劇祭をここまで創りあげたプロデューサー、園山土筆さんの手腕は敬服に値すると思います。



スイスから参加したアクロバティックなクラウンマイム「Pss Pss(ぷすぷす)」のメンバー




沖縄の伝統に溢れるミュージカル、「沖縄燦燦」のメンバー





 久々に舞台観まくりました。ほかにも国内の「劇団あしぶえ」の「セロ弾きのゴーシュ」や「人形劇団むすび座」の「父と暮らせば」など。
 あらためて「セロ弾きのゴーシュ」を観て、宮沢賢治は一言も「音楽療法」とは言っていないけど、これはまさに音楽療法の話しだったんだ、と思った次第。音楽を通して、森の動物たち、それにゴーシュ自身や金星楽団の面々も進歩し、癒され、人は(動物も?)パンのみで生きるにあらず、文化と触れ合う喜びを感じるのだ、ということを賢治は表現したかったのだろうな、と再確認しました。実際に自身でチェロを嗜んだ、という宮沢賢治、本当に音楽が好きだったんですね。







 貴重な4日間でした。








 






🎵 不思議 2017/09/10



ミラノの街中で道に迷った親子
(もう10年以上前ですね…)




 この仕事をそこそこ長くやってると、ときどき不思議なことに遭遇する。



 いまではすっかりフツーのポケピン中学生であるウチの娘。彼女がまだ4歳だったころ、イタリアでのお仕事に連れていったのですね。で、その日程のなか、今日はローマ郊外の老人ホームを訪問してミニコンサート、という日の朝、合唱団の指揮者の先生が突然、


 「うえのさん、ちょっと時間余るんで、りんちゃんによさこい踊ってもらえないかなぁ?」


 とおっしゃった。


 娘はそのころ、保育園での運動会のプログラム、「よさこい踊り」を練習していて、たしかに老人ホーム慰問とかではコドモの余興は喜ばれるんで、でもなぁ余興とはいえ音楽会ブチ壊しにならないかとも思いつつ、一応本人に訊いてみると、


 「りんこちゃん、やる!」


 で、老人ホームまでのバスの車中、遠足バスでの不良の指定席である5席並びの最後列で、ヤツはバチの代わりに割り箸を手にして踊りの最初から終わりまでの手順を確認したのち、


 「りんこちゃん、おっけ」


 と言いくさった。


 僕はそれを見ていて唖然としたのだが、なぜって僕も本番前、その日の曲の手順を脳内シュミレーションして、「おっけ」と思えてから舞台に向かいますが、それは長年、舞台やってて身につけたスキルであって、はっきり言って20代のころとかには解っていなかった。

 とうてい4歳児ができることではないと思うんですが…


 でも安心したことに(?)、今の娘の行動を見ていると、先のこと、それに周囲の空気が読めないことおびただしく、そのスキルは消え去ったようです。ではあのとき、確かに彼女がとったあの行動はなんだったのか?






 今日出会った不思議は、世田谷の教室でのレッスン。もう10年以上通ってきているお嬢さんですが、彼女は好みはっきりしていて、クラシックのレパートリーみたいな堅苦しいのは嫌い。アドリブで自由に吹くのは好きだけどメンドくさい理論的なお勉強は嫌い。でもいちばん大事なのは本人がキブンよく吹けることなんで、曲は僕が選んでジャズありポップスありラテンあり、で、うるさいこと言わずに好き勝手に吹かせてたら、ある頃から結構サマになってきた。


 彼女、結構器用な性格なんだとも思うが、モノゴトの伝承って、本来こういうものなのだと思う。正反対に、いくら理論をマスターしてもいっこうにアドリブらしくならない生徒はたくさんいる。理論書とか、フレーズ集とか、もしかしたら五線譜も、進化という名の「便利なもの」が登場して本質が見えなくなっているようにも思う。


 でもね、今日吹かせてたら、倍テンで吹くべきラテンだったのですが、「それらしい」だけでなく、あきらかにラテンアドリブの伝統的なフレーズが混じっているのですね。彼女、「メンドくさいことは嫌い」な性格なんで、決してウチで資料を聴きこんで「お勉強」したりはしない。だいたい自分が吹く以外にはCD聴いたりもしない。念のため本人にも確かめたから間違いない。ではときどきチラつく「伝統的フレーズ」はなんだ?


 僕は教えてない。僕自身の場合、そのテは「お勉強」して身につけた。だから、「エグエスがよく使ってた、マラカもときどき使う」的な説明が出来る。でも彼女、エグエスも、マラカの名前も知らないだろう。


 
 感覚的な把握であっても、何らかの「最適解」を追っていくと似たようなところに着くのか?あるいは… もしかして… ハッピーでフレンドリーなキューバ人の気質を考えるとアリえそうなんだが、リチャード・エグエスの霊が彼女に向かって微笑んでいる?(エグエスにはお会いしたことないので、実際の人物像はわかりませんが)… 4歳頃のウチの娘のように、「霊界通信」出来る能力があるのか?はたまた量子力学で説明出来るのか?

 そして、幼いころにはみんなが持っている能力を、「教育」という名の洗脳を受けたのちにも保ち続けられるのが、「天才」と呼ばれる人々なのだろうか?








 いやあ不思議なことってあるもんですね。















🎵 ていねいな仕事 2015/05/23   



ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネの看板奥様



 パンとかお米って毎日食べるものじゃない?それが美味しいととっても幸せな気持ちになれるよね。


 このところ、とっても気に入っているパン屋さん。横浜の瀬谷区にあるちいさなパン屋さんなのだけど、ここのパンがハンパなく美味い。どういうふうにかって言うとですね…


 このお店はクロワッサンが一番人気で、もちろんこれも最高のクロワッサンで、「瀬谷の逸品」に認定されてる。でも俺の一番のお気に入りはバゲット。外側のクラストは実に香ばしく、内側はしっとりだが小麦の風味がしっかりしていて、ニッポンでフツーの軟弱なフランスパンより少し硬めのしっかりした焼き上がり。噛めば噛むほど旨みが口に広がる。これとハム、チーズだけあれば(僕は下戸なんでワインは不要)立派な食事で、値段もけっして高くない。

 フランス海外領土のニューカレドニアバゲットがとても美味かったことを思い出す。ここのバゲットも値段が安く、つまり庶民の日常のひとつだ。全体的に物価が高いニューカレドニアのこと、なにか訳(税率が違うとか、政治的な何かか)があるとは思うんだが…



 豊かになった現代のニッポン、お金さえ出せば美味しいものはナンボでもあります。でもそういうんじゃなく、毎日の生活の中にあるフツーのものが素晴らしい、それが豊かさなんだと思います。てか俺はそう思うんで、自分自身もなるべく日常の中の、手の届く目の前に生きた音楽を提供したいと思っています。


 オジさんこのトシになると恥じらいナイんで、自分がわからないことはスグに訊くから、トーゼンこのパン屋さんのご主人にも「どうしたらこんなに美味しいパンが焼けるんですか?」って訊いたことがある。そしたら一言、


「丁寧に作っているだけです」


 と言われて、結構オドロイタ。いや、丁寧に作ってないと思っていたわけではもちろんなく、同じセリフをその前に2回も聞いていたからだ。



 ひとりはウチの近くにあるラーメン屋のご主人。いずれ改めてご紹介しますがここのラーメンもハンパなく美味い。そしてそれがコケおどしでない証拠は、毎日でも食べたいラーメンなのだ。インパクト重視系は一口めはいいが、完食するころにはモウケッコウになるからね。もうひとりは俺の昭和ポンコツバイクをメンテナンスしてもらっている、調布市下石原のモトショップ・ダブルフットのご主人だ。33歳にもなる俺のGSが普段使い出来るのはひとえにこのひとのおかげなんだが、この2人がまるで打ち合わせでもしたかのように同じセリフを吐いたのだ。


 アリガチな、勘違いした精神論のように「技術は足りなくても気持ちで補う」ていう訳じゃない。それこそラーメン屋でままあるように「一生懸命営業中!!」なんてことを店の入口にデカデカと書いたりしない。プロが一生懸命仕事するのはアタリマエ、3人とも確実な技術を持つ、俺が本当に尊敬するその道のプロだ。でもどれだけ技術と経験に長けても、結局、いちばん大切なことはどれだけ「丁寧に仕事する」か、なのだと改めて思った次第。




 そして面白いことにこの3人に共通していることが、3人とも「一匹狼」だということだ。パン屋さんとラーメン屋さんはお店を奥様が手伝ってはいるが、「作る」ことに関しては一人でやる。ダブルフットは従業員なし。そして頑固者(皆様ごめんなさい)であることも共通している。




 バゲット、食べてみたくなったでしょう?お店の場所はここです。




ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネ



横浜市瀬谷区阿久和西4-4-10 TEL045-391-8033 
 6:00〜18:00  日曜・月曜定休





















 ♪「笛吹きインドひとり旅」好評発売中! ♪
代替文
 うえの作家デビュー作、「笛吹きインドひとり旅」、好評いただいています。堅苦しいインドの研究書(?)やガイドブックには載っていないインドの魅力満載! イラストは、フォルクスワーゲンの専門誌等でも活躍中のイラストレーター、二宮 言氏にお願いしました。余談ですが、二宮さんと打ち合わせしていて(彼はニュービートルのオーナーなのです)、なんと同じディーラーにお世話になっていることが判明しました。(世間はせまい・・・) 6月15日には全国書店一斉発売になっております。まだお読みになっていないかたのため(販売促進のため!)ちょっとだけ見せます。


・・・インド滞在5日めにして、そろそろ腹ぐあいがアヤシくなってきた。今回、出かけるまえから考えていたのは、日本からクスリを持っていかないで、腹こわしたらインドのクスリを飲もう、いうことだ。
 食いしん坊の割には胃腸が繊細なボクは、海外で5日以上おナカがもったためしがない。とくにインドは食事が「あれ」だから・・・ つまるところ、毎日「カレー」。むこうではカレーという呼び方はしませんけど。要するにtoo much spicy, too much oilyなのですね。
 で、例のミリオンに、「腹のクスリくれる?」と頼んだら案の定、「ドコガイタイノカトイレニワナンカイイッタノカウンコハカタイノカヤワイノカ○Х△ΩФ・・・・・・」
 あまりにやかましくて閉口したんだけど、文字どおり背に腹はかえられないからね。ちゃんとクスリ買ってきてくれたのはいいんだけど、ミリオンなにを血迷ったか、やおら母性本能発揮して、ほとんど幼稚園児を看病する母親のノリになってきたのにはさらに閉口した・・・



・・・この先をご覧になるには「有料確認」ボタンを押してください・・・





 「日印アナデジ対決2001」ライヴ録音CD発売中(プライヴェート盤)
 2001年10月にラケーシュ・ミシュラ氏(タブラ)、パンカジュ・ミシュラ氏(サーランギ)と共演した、武蔵野芸能劇場でのライヴ録音を限定販売しています。(なくなり次第終了)
収録曲は、・プリヤダナスリ(インド古典音楽) ・PEACE FOR WORLD 2001 (インド古典のスタイルによる新作、うえの善巳共演) ・もみじ(当日のアンコールピース)の3曲です。税込¥1000 TOPページのアドレスへメールでご注文ください。





 「クラシックmeetsダンスビート」一部収録CD発売!
 ここ数年追求(?)してきた、クラシックのメロディとイマ風のビートの合体。今回、ボクのアレンジ1曲と、クラブサウンド業界で活躍中のヴェテラン、岩見正明氏に2曲お願いしたものが完成しました。
 チャルダッシュ(モンティ)/アレンジ・岩見正明
 剣の舞(ハチャトリアン)/     同     
 だったん人の踊り(ボロディン)/アレンジ・うえの善巳
なかなかいいカンジに仕上がりました。「ぴくるす」というオムニバスCDに収録されています。これもプライヴェート版で、残念ながら流通には乗らないので、メールでご注文ください。税込¥2000



































































m(_ _)m

No Bike, No Life

 
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これはヨメのリトルカブ



 僕はツーリングには行かない。バイクは専ら仕事に行く用。今の相棒は昭和魂満載の昭和56年式スズキGS750Gと、まぁ平成生まれですが1997年式ホンダXLR125R。でも別に「絶版車マニア」じゃない。

 娘が生まれたときから、バイクの後ろに乗せて遊びに行く、をやりたくて仕方なかった。娘が小学校に上がってそろそろ出来るかな、というときになってハタと気が付いた。僕は10代後半は神奈川県警を宿敵としていたばくおんライダーだったんですが、最初はCB50JX、そのあとは勝手に引っ張り出した弟所有の大型バイクのモロモロ。つまり自分が持っている2輪の免許は原付だけだったんですね(ごめんなさい時効ということで)。


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 ちょうどそのころ、イタリアのピアジオから3輪スクーター、mp3が発売されたんです。そのころの道交法がこの手の乗り物に対応出来ていなかったこともあって、運転に必要な免許は自動2輪ではなくてクルマの免許。ノーヘルOK(やりませんでしたけど)、購入その日から2人乗りOK。(これらはすべて、その後の道交法改正で2輪と同じ扱いになりましたが) なので「自動二輪免許取得費用をこっちの購入費用に」っていうワルダクミがムクムクと・・・


 娘乗せるのにそりゃ危険だろ、ってご意見はもちろんあると承知しています。でもそもそも2輪はひとりで乗っていても「いつ死んでもおかしくない」乗り物。100%安全、はアリエナイ。それを理解したうえで、そのリスクと引き換えに得られるものを取るのか、やめるのか。


 mp3は娘と行ったあちこちで、何物にも代えがたい思い出を作ってくれました。日野原に行って道端に留め、小川で川遊びしていたとき・・・ 向かいの農家のおばあちゃんが枝付きの柿(笑)を片手に「うちでお茶のんでけー」って(笑)。今でも思い出すたび笑みがこぼれます。チビ連れてると他人との垣根がぐっと下がるんですね。おばあちゃん、ウチのチビ相手にしたくてしょうがなかったみたいで(笑)。昼間は家族みんな八王子に仕事に行ってしまってヒマなんだって。



 娘も小学校高学年になってくると友達と遊ぶ時間が増えてあまりオヤジは相手にしてもらえなくなり、ピアジオmp3「ぴあちゃん」もイタものらしいトラブル頻発するようになり、そんじゃあ高校時代「3ない運動」のおかげで「免許取れない、なので(公には)乗れない」のウラミが今でも残るナナハンいってみよか、と。「750ライダー早川光CB750でも探してみっか、と。


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塗装はヤレてたんでクーリーカラーに塗ってもらいました。




 結局ホンダCBじゃなくて、スズキのGS750Gになってしまいましたが。この手のものって出会いは縁で、mp3でオシゴト行く途中のバイク屋さんの軒先にうずくまっていたのがコイツ。昭和の大古車は一筋縄ではいかないものですが、ウチに来た後はご近所の、スズキ旧車のエキスパート、モトショップ・ダブルフット 岡社長のおかげですっかり健康なおじいちゃんです。その腕前に惚れ込んだ3型カタナ乗りが日本中から持ち込む岡さん、その人から先日の車検の際に、「こんなに調子のいいGSは全国でも珍しいですよ」とのオコトバをいただきました。いえいえ岡さん、ひとえに岡さんのおかげです。
m(_ _)m








 









































 

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楽器博物館

 ♪ 楽器博物館!! ♪
















 GWを利用して、ブリュッセルアムステルダムを廻りました。ブリュッセルにはおそらく世界最大規模であろう楽器博物館があるのです。で、そこにあった様々な楽器のなかで最も目を剥くもののひとつがこのピアノ。魚眼レンズで撮影したわけではありません(だいたい魚眼なら鍵盤が逆に曲がる)。見たことも聴いたこともない、ラウンド鍵盤ピアノ。19世紀中ごろのものです。

 しばしア然としましたが、落ち着いて考えてみれば、まぁ考えることは解る。しかし…

たしかに鍵盤の端のほうに指は届きやすくなるわな。でも実際には左端超低音域や、右端超高音域ってそんなに使うもんじゃないんだよね。これって実際弾きやすいんだろうか?



 さすがに試奏は出来なかったので、なんとも言えないのですが。








 5月の終わりに、ハープと一緒の演奏会が予定されていたので、MCネタ仕込みにちょうどよかったのが、いわゆる竪琴の範疇に入るこの楽器。ハープの仲間は世界中にあります。「ビルマの竪琴」の水島上等兵が弾いていたような竪琴。ここの博物館のスバラシイところは、音が聴ける(録音ですが)ところなのですね。この楽器の音色は、「ハープ」という楽器のイメージからはかけ離れた、「ビヨーン」的な音色。琵琶を思い出させるというか、インドの楽器にも近いような…

 たしかに考えてみれば、現代のハープのような音色を出す為には弦のテンションが相当必要で、しっかりとしたフレームと胴体がなければムリです。この楽器のように、いわゆる「棹」に弦を張った構造ではそうそう強くは張れない。で、いきおい「ビヨーン」系の音色になるのですね。








 ほかにも興味をひかれたことは、「ひとりで出来るもん」系の楽器にも歴史があるということですねー。俺も基本的に共同作業嫌いだから、腕が4本あればフルート吹きながらピアノ弾けるのにぃ、といつも思うのだが、似たようなことを考えたヒトは過去にもいて、さまざまなマルチ楽器が展示されていました。バグパイプとかも笛吹き2〜3人ぶんのシゴトをしているわけですが、ストリートオルガンに代表される自動演奏機械もいろいろ展示されていて、かなり面白かったです。









 違う日に、アムステルダム近郊の、有名なキューケンホフへ行ったのですが、エントランスから入園するとなにやら遠くのほうからニギヤカにブンチャカブンチャカ音がする。で、行ってみるとこれ。



 超大型のストリートオルガンですね。これも19世紀半ばのものですかね。この写真では大きさがよく解らないですが、クロネコヤマトの配送バンくらいの大きさはあります。裏には打楽器類もひととおり付いていて、マーチ「旧友」なんかもいいカンジで演奏してました。動力はモーターに改造されていましたが、記録紙はペーパーロール(てか、連続しているシートが折りたたまれて1曲が百科事典1冊なみの状態)のままで、1曲(1冊)は3分くらいしか持ちませんから、百科事典交換係のオジさんが裏に張り付いています。

 立派な文化遺産ですね。立派な音楽の歴史の一部ですね。でもヨーロッパの文化なわけですね。当然。日本はそのころ、徳川幕府鎖国政策の時代。

 またしてもゴーゴーの非難浴びるのを承知のうえで言わせてもらうと、いつのまにかニホン各地に出来たオルゴール博物館、あれうさん臭いと思うんだよね。俺個人としては。その時代その文化リアルタイムの時はゼンゼン接点なかった文化なのであって、ニッポンジンなら水琴窟にシシオドシ、からくり人形だろう、って。

 百歩譲って200年前のストリートオルガンではなく、明治以降に入ってきたボックスオルゴールだったとしても、それって舶来生活文化のひとつに過ぎないのであって、「オルゴール」に限定して博物館つくるほどのものか?そこには例の、「話題性デッチあげて客呼んでガッポリ儲けよう」的、底の浅いエセ文化商売のニオイがする。

 まぁ大英博物館とかもヨソからカッパラってきたものが主要な展示品なわけで、博物館てのは本来そんなもん、とも言えますが。




 オルゴールついでにもうひとつ。他人は俺をヘンクツな人間というが、まぁ認めよう。そのヘンクツさゆえに会話してて価値観あわず、「キミとボクはオトモダチにはなれないね」ってなることはしょっちゅう。

 いつぞや府中のフォーリスで、ハンドメイドの高級オルゴールの展示即売会してたんだが、そこで商品説明してくれた社長と俺との、ハナシの噛み合わんこと。

 「当社のオルゴールは伝統的なゼンマイに替えてモーター駆動とし、長時間連続演奏を可能といたしました」

 「あのーオルゴールってのはゼンマイとかドラムとかディスクの制約からくる3分とかの時間のなかで成立させる編曲とか、時空間とかが楽しむための重要な要素だと思うんですけど」

 …「それに連続演奏が可能なことで、例えばオフィスでBGMとして使っていただき、残業時間とかにも豊かさをもたらしてくれると好評いただいております」

 「そりゃ有線放送流してるよりはマシでしょうけど、そもそもBGMってのは音楽の垂れ流しだし、だいたいが残業やめて音楽会にでも行ったほうがよっぽど豊かな時間なんじゃないですかぁ」

 ウチには娘が生まれたときに、皆さんからいただいた出産祝いを投入して娘にプレゼントした、スイスの名門リュージュのオルゴールがあるのだが、

 …「例えばリュージュとかですとね、まぁ私共の目から見ますとメカニズムの精度とかに問題がありまして、定期的にオーバーホールが必要だったりするわけですが、その点当社の製品はメンテナンスフリー、収録曲も最新ヒットを取り揃えております」

 「あのねリュージュはたしかに、演奏中ときどき引っかかったりしますけど、モーツァルトヨハン・シュトラウスなんかが、ちゃんと音楽的な編曲されてるんですよ。たぶん娘がおばあちゃんになっても楽しめると思う。『千の風になって』とか(こんなダサい編曲で、とつけ加えるのはやめといた)、80年後に聴いてオモシロイと思う?」





 アミューズメントではフツー、TDLとか(に限らんが)だとスピーカーから流れるBGMだよね。てか、まあ世界的にそっちのほうが普通だ。キューケンホフでのBGMがストリートオルガンなのはレアなぜいたくだろう。今となっては主流になることはアリエナイ。でも、20世紀的な資源や電気は使いたい放題、浪費は美徳的価値観、市場経済絶対主義、効率最優先主義とかをそろそろ見直すべきなんじゃないかって、東日本大震災福島第一原発事故のときにみんな思ったんじゃなかったっけ?






 音楽家が伝えなければいけないことを改めて考えた旅でした。




























m(_ _)m

楽器=ジャンルによる使い分け

 

キューバっぽいフレーズのときはこれ。MURAMASTU STD+オリジナルヘッド。削り倒してオシャカにならなかった2本のうちのひとつ





 よく質問されることに、「クラシック音楽」と「ジャズ」(「ラテン」、て場合もあります)の違いってなんですか?というのがあります。


 ハイ、お答えします。無理を承知でひとことで言ってしまえば、「価値観の違い」ということです。( ̄□ ̄|||) 「各要素の優先順位の違い」とも言えるかもしれない。ネイティヴではない、かつ無宗教者が各地・各文化の音楽を客観的にとらえようとすれば、そういう結論にならざるを得ないと思う。ネイティヴは、その地、その文化のなかで生まれ育ち、意識無意識に伝統を受け継いでいる。それに対してヨソもののアプローチは違うべきと考える。自分の立ち位置、価値観からだけでモノゴト○×決めるから、未だに世界中紛争が絶えないんじゃ? 同じ「音楽」である以上、そして同じ「ニンゲン」の行う行為である以上、根底にあるものは一緒なのですが、クラシック(正確にはヨーロッパ古典音楽かな?)では重視することがジャズでは二の次、ジャズで重要なことがラテン、エスニックでは三の次、ということがあると思っている。


 クラシック音楽は発祥からしてヨーロッパの王侯貴族・上流・特権階級、そして教会からのもの。他の文化でも、たとえば日本の雅楽(これはルーツとしては中国から朝鮮経由…てことはもっと西にも辿れるわけですが)や北インド伝統音楽のように、「宮廷音楽」として、似たような歴史的背景を持つものがあります。そしてそれらは基本的には「お勉強」「伝承」あるいは「教育」しなければならないもの。伝統をキチンと伝えるためにも、長年の「修行」を要求するものです。対するジャズやポップス、○○音頭の類は、基本的に庶民の音楽です。いわゆる「大衆音楽(という言い方は差別用語クサくて気に入らないのですが)」。最終的にはカッコよくてナンボ、楽しんでナンボ。まぁいずれにしても何も気にせず好き勝手やっていいわけではないけれど。


 またよく質問されることではありますが、「アドリブ」(あるいは即興演奏)と「デタラメ」は違うのです。それぞれの音楽ジャンルでのアドリブはそれぞれのジャンルでの歴史を背負っていて、かならず「伝統」を感じさせるフレーズが含まれています。「庶民の」音楽であっても、例えば世襲の職業音楽家が多いハンガリーのジプシー(は現在差別用語なのですが)バンドや、キューバのバンドは世襲が多くて、つまりは親父からキビシく仕込まれている。無意識だったとしても「伝統」が刷り込まれているわけですね。

 それぞれに違う歴史・宗教・背景を背負っているのだから当然のことではあります。それらをすべて説明していると長くなるので本題に戻りますが、求めるものが違う以上、楽器に求めることがらも違ってきます。


 学校教育のおかげ(多分に偏向していると思うが)で、ある意味、一番理解されているのは「クラシック音楽的価値観」と言えますから、便宜上それと比較してお話すると、まず音、音色に対する美感・価値観が違う。ジャズフルートの伝統的な奏法では、音色の変化はさほど重視しません。個性の次元にかかる要素ではありますが、意識的に音色の変化を「拒否する」ような奏法を指向することもあります。ヒューバート・ロウズやルー・タバキンのようなフレーズ、いわゆる伝統的なバップのフレーズには、過度の音色変化は似合いません。音色の変化を意図的に抑えることによって、逆にフレーズの構築感を際立たせたい、という意図があるからです。


 ただ、過去の巨匠の演奏に関して、あえて誤解を恐れずに言えば、サックス持ち替えのジャズフルートプレイヤーは概して、フルートのアンブシュアコントロールに関しては、クラシック奏法の観点から見ると、必ずしも理想的な状態でないことが多い。音色のコントロールアンブシュアと呼吸法の協調した、時間をかけての追求が必要な、デリケートなテクニックですが、そこんところの重要度があまり高くない訳ですね。やはり価値観から言って、ヴェルカントのようなトーンはジャズにふさわしくない…という理由もあります。いかにも「鍛え上げました!」的な美声が常にベストなのか?伊集院光さんのギャグで、なんでもかんでもオペラ風に歌うの、ありましたよね。コンパクトな会場でクラシックのソプラノ歌手が歌うとその声量に圧倒されますが、だからと言って「ミスティ」をその声で歌われてはタマらない。「わたしを見て、みて、みてええええええおりゃあ!」みたいでね。サックスのアンブシュアとの妥協点、という現実的な問題もあります。ランボーな言い方ですが、いわばフルートを初めて持った中学1年ボーズのアンブシュア状態を、それを逆手にとって個性にしてしまっている、とも言えます。そしてそのスタイル・音色感が、ジャズフルートの伝統の一部になっているのです。ヒューバートはフルート専業(サックス吹かない)ですし故ジュリアス・ベイカー門下のジュリアード出身で、学校出たてのころはメトのオケでトラしてたりしたそうですから、それにはあてはまらないようですが。つまりヒューバートのプレイで感じる抑制された音色感は、テクの限界から来るものではなくて、意図的になされている、ということですね。


 これらのことを理解しないと、「クラシック上がり」の場合、持っているテクがかえって足かせになる、というジレンマを生みます。テクは教わった、身につけただけでなく、それを使って何を表現するのか…自分が何を言いたいのかに結びつかないと何の意味もない。出来るテクはゼンブ並べればいいってもんじゃないです。ヴィブラートも、つけりゃいいってもんじゃないです。ジャズのフレージングの場合、必ずしもノーヴィブラートではありませんが、つけすぎるとそれだけですべてがブチコワシ。「歌う」ために、あえてチープな音色を選択するときもある。音大生・音大卒の生徒にジャズフルートを教えるとき、ここを理解してもらわないと「どこぞのお嬢様が不釣合いな赤提灯で飲んでいらっしゃる」ようにしか見えない(聴こえない)んだな。ドレス着てヤキトリ屋に居るようなもんですね。






 ジャズの場合、一般的に、レスポンスの早い楽器、かつ抵抗感はそこそこある楽器でないと吹きにくい。モニター環境がキビシいとき、楽器の抵抗感を頼りにしますから。そして音色の変化幅は狭くていいとしても、安易に発音したときにも、一定の音色をキープしてくれるようだと有難い。クラシック音楽的美感では、ひとつひとつの音を充分に「準備」したうえで発音しますが、アドリブ主体のジャズでは「思いついたものをスグ」吹いていることが多いので。あまり「発音準備」が要る吹き方はキビシいです。クラシック音楽的美感の発音では、フレーズ集をそのまま暗譜して吹いてる…アドリブではない…ように聴こえます。それに基本マイクを通して吹きますから、いわゆる「マイク乗り」…生音と録音された音、モニターを通して聴いた音色との違いが少ないことも重要。マイクが拾いにくい倍音域てありますから。オールドのヘインズがジャズ屋に人気なのは、この辺の理由があります。


 これがラテンになると… ひとくちにラテンと言ってもこれもまた幅広いのですが、ラテンはとにかくリズムとノリが命。そのことを最優先に価値観が出来上がっています。いくらフクザツなリハモナイズしても、ノリが悪かったら意味がない。いわゆるキューバプエルトリコのスタイルは、過去長いこと、スペイン語で「シンコ・ヤーベス」(5つのキイ)と呼ぶオールドスタイルのフルートを使っていた伝統から来る音色感と、マイク(PA)がなかった時代の名残りで、使う音域がやたら高いのです。最高音F7まで、ほとんど高音域にとどまるのがスタイル。余談ですが、ジョージ・シアリングが、ジャズスタンダードをラテンアレンジでやってる昔のLP、これに参加しているフルート奏者は(名前がクレジットされていない… ヒューバートのようでもありますが)、キューバのフルート風に器用に吹いていますが、チャチャやマンボではピッコロを使っています。ナンボ音域が高いからと言って、ラテンでピッコロを使うのは邪道であります… 反対に低音域はあまり使いません。なので、とにかく高音域の発音が容易で、多様なアタックを許容する性格を持っていることが条件になります。とくにD7〜F7の最高音域は、楽器によって出しやすさがかなり違いますから。クラシックでも近代以降の作品では、D7はわりあいフツーにありますが、(プロコフィエフソナタⅠmov等をはじめとして)キューバン・ラテンの場合これらのように「一発芸」ではなくその辺りに居続けますから、あまりキツくない音色で吹けるもののほうが望ましい。シンコ・ヤーベスを吹くのはキューバでも年寄りだけになりました。お爺さん世代でも、昔からベーム式を使っているオルケスタ・アラゴンの大御所、リチャード・エグエスや、赤木りえさんは、少しでもアタックを柔らかくということなのでしょうか、リップがエボナイト象牙?黒檀?)の頭部管を使っています。プエルトリコ出身のネスター・トレスは頭部管のみグレナディラのものに替えています。デイヴ・ヴァレンティンやキューバの若手代表、マラカは普通の金属製ですね。たぶん銀。








 またまた余談ですが、マラカのバンドとは昨年キューバでのベニモレ音楽祭で対バンになりました。というよりそもそもベニモレ音楽祭のオーガナイザーのひとりがマラカだったのですけど。出番がマラカのバンドの直後で、正直やりにくいなぁ、と思っていたのですが、マラカバンド、すっかりラスベガスのショウバンドと化してて(実際1年のうちのほとんどはアメリカへの出稼ぎなのでしょう)、マラカ、歌ってるかギロこすってるかで、ゼンゼン吹かないでやんの。生マラカにケッコウ期待大きかっただけにがっくし。まぁ叩きのめされずに済んでよかったとも言えるが…








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