楽器博物館

 ♪ 楽器博物館!! ♪

2012/05/20
















 GWを利用して、ブリュッセルアムステルダムを廻りました。ブリュッセルにはおそらく世界最大規模であろう楽器博物館があるのです。で、そこにあった様々な楽器のなかで最も目を剥くもののひとつがこのピアノ。魚眼レンズで撮影したわけではありません(だいたい魚眼なら鍵盤が逆に曲がる)。見たことも聴いたこともない、ラウンド鍵盤ピアノ。19世紀中ごろのものです。

 しばしア然としましたが、落ち着いて考えてみれば、まぁ考えることは解る。しかし…

たしかに鍵盤の端のほうに指は届きやすくなるわな。でも実際には左端超低音域や、右端超高音域ってそんなに使うもんじゃないんだよね。これって実際弾きやすいんだろうか?



 さすがに試奏は出来なかったので、なんとも言えないのですが。








 5月の終わりに、ハープと一緒の演奏会が予定されていたので、MCネタ仕込みにちょうどよかったのが、いわゆる竪琴の範疇に入るこの楽器。ハープの仲間は世界中にあります。「ビルマの竪琴」の水島上等兵が弾いていたような竪琴。ここの博物館のスバラシイところは、音が聴ける(録音ですが)ところなのですね。この楽器の音色は、「ハープ」という楽器のイメージからはかけ離れた、「ビヨーン」的な音色。琵琶を思い出させるというか、インドの楽器にも近いような…

 たしかに考えてみれば、現代のハープのような音色を出す為には弦のテンションが相当必要で、しっかりとしたフレームと胴体がなければムリです。この楽器のように、いわゆる「棹」に弦を張った構造ではそうそう強くは張れない。で、いきおい「ビヨーン」系の音色になるのですね。








 ほかにも興味をひかれたことは、「ひとりで出来るもん」系の楽器にも歴史があるということですねー。俺も基本的に共同作業嫌いだから、腕が4本あればフルート吹きながらピアノ弾けるのにぃ、といつも思うのだが、似たようなことを考えたヒトは過去にもいて、さまざまなマルチ楽器が展示されていました。バグパイプとかも笛吹き2〜3人ぶんのシゴトをしているわけですが、ストリートオルガンに代表される自動演奏機械もいろいろ展示されていて、かなり面白かったです。









 違う日に、アムステルダム近郊の、有名なキューケンホフへ行ったのですが、エントランスから入園するとなにやら遠くのほうからニギヤカにブンチャカブンチャカ音がする。で、行ってみるとこれ。



 超大型のストリートオルガンですね。これも19世紀半ばのものですかね。この写真では大きさがよく解らないですが、クロネコヤマトの配送バンくらいの大きさはあります。裏には打楽器類もひととおり付いていて、マーチ「旧友」なんかもいいカンジで演奏してました。動力はモーターに改造されていましたが、記録紙はペーパーロール(てか、連続しているシートが折りたたまれて1曲が百科事典1冊なみの状態)のままで、1曲(1冊)は3分くらいしか持ちませんから、百科事典交換係のオジさんが裏に張り付いています。

 立派な文化遺産ですね。立派な音楽の歴史の一部ですね。でもヨーロッパの文化なわけですね。当然。日本はそのころ、徳川幕府鎖国政策の時代。

 またしてもゴーゴーの非難浴びるのを承知のうえで言わせてもらうと、いつのまにかニホン各地に出来たオルゴール博物館、あれうさん臭いと思うんだよね。俺個人としては。その時代その文化リアルタイムの時はゼンゼン接点なかった文化なのであって、ニッポンジンなら水琴窟にシシオドシ、からくり人形だろう、って。

 百歩譲って200年前のストリートオルガンではなく、明治以降に入ってきたボックスオルゴールだったとしても、それって舶来生活文化のひとつに過ぎないのであって、「オルゴール」に限定して博物館つくるほどのものか?そこには例の、「話題性デッチあげて客呼んでガッポリ儲けよう」的、底の浅いエセ文化商売のニオイがする。

 まぁ大英博物館とかもヨソからカッパラってきたものが主要な展示品なわけで、博物館てのは本来そんなもん、とも言えますが。




 オルゴールついでにもうひとつ。他人は俺をヘンクツな人間というが、まぁ認めよう。そのヘンクツさゆえに会話してて価値観あわず、「キミとボクはオトモダチにはなれないね」ってなることはしょっちゅう。

 いつぞや府中のフォーリスで、ハンドメイドの高級オルゴールの展示即売会してたんだが、そこで商品説明してくれた社長と俺との、ハナシの噛み合わんこと。

 「当社のオルゴールは伝統的なゼンマイに替えてモーター駆動とし、長時間連続演奏を可能といたしました」

 「あのーオルゴールってのはゼンマイとかドラムとかディスクの制約からくる3分とかの時間のなかで成立させる編曲とか、時空間とかが楽しむための重要な要素だと思うんですけど」

 …「それに連続演奏が可能なことで、例えばオフィスでBGMとして使っていただき、残業時間とかにも豊かさをもたらしてくれると好評いただいております」

 「そりゃ有線放送流してるよりはマシでしょうけど、そもそもBGMってのは音楽の垂れ流しだし、だいたいが残業やめて音楽会にでも行ったほうがよっぽど豊かな時間なんじゃないですかぁ」

 ウチには娘が生まれたときに、皆さんからいただいた出産祝いを投入して娘にプレゼントした、スイスの名門リュージュのオルゴールがあるのだが、

 …「例えばリュージュとかですとね、まぁ私共の目から見ますとメカニズムの精度とかに問題がありまして、定期的にオーバーホールが必要だったりするわけですが、その点当社の製品はメンテナンスフリー、収録曲も最新ヒットを取り揃えております」

 「あのねリュージュはたしかに、演奏中ときどき引っかかったりしますけど、モーツァルトヨハン・シュトラウスなんかが、ちゃんと音楽的な編曲されてるんですよ。たぶん娘がおばあちゃんになっても楽しめると思う。『千の風になって』とか(こんなダサい編曲で、とつけ加えるのはやめといた)、80年後に聴いてオモシロイと思う?」





 アミューズメントではフツー、TDLとか(に限らんが)だとスピーカーから流れるBGMだよね。てか、まあ世界的にそっちのほうが普通だ。キューケンホフでのBGMがストリートオルガンなのはレアなぜいたくだろう。今となっては主流になることはアリエナイ。でも、20世紀的な資源や電気は使いたい放題、浪費は美徳的価値観、市場経済絶対主義、効率最優先主義とかをそろそろ見直すべきなんじゃないかって、東日本大震災福島第一原発事故のときにみんな思ったんじゃなかったっけ?






 音楽家が伝えなければいけないことを改めて考えた旅でした。




























m(_ _)m