さすらいのフルーティストのブログ


 うえの 善巳 (よしみ)


フルーティスト、キーボーディスト、作・編曲 
ノージャンル
一応、桐朋行きましたが、かなりフリースタイルなフルートなので、普通の優雅なフルートを期待しないでくださいね。

普通のブログ形式での書き方ではないので読みにくいかもですが、記事の新しい順に並んでいます。



2019/07/04更新




♪ 夢は叶う ♪ 2019/07/04


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 音楽家になることは、10代後半からの夢だった。その夢は叶った。

 でも、へそ曲がり個人主義の僕は、子どもの頃から、よくあるように「イチローのような野球選手になりたい」みたいな、誰か具体的な目標とするひとがいたこと、そういう「夢」を持ったことは一度もない。
 その代わりに、シチュエーション的に「(くたばるまでに)あれいっぺんやってみたい」が、まだかなり残っているのです。

 300kmバイクのスズキ隼で、300km/hも体感してみたい。でもサーキット、それもオーバルか、飛行場跡地ででもないと無理だろうし、とりあえず隼持ってないし。愛車「だいちゃん」だと180km/hが手一杯だろうなー。



 幸せなことに叶った「いっぺんやってみたい(みたかった)」もいろいろあります。音楽絡みだと…

 中学校1年生のとき。藤沢市内の中学生を藤沢市民会館に集めて、「オーケストラ鑑賞会」があったのですね。小林研一郎先生指揮の東京交響楽団。オーケストラ板付きののちツカツカとコバケン登場。で、

 「みなさんこんにちは。東京交響楽団です。」

 むちゃくちゃカッコよかった。「小林研一郎です」なんぞとはおっしゃらずに、起立したオーケストラを背負って(まさに背負っているように見えた)、オーケストラを代表する威厳に満ちて。


 それから40ン年、あれいっぺんやってみたかった。別に指揮者になりたいと思ったわけじゃないんだけど。


 その夢が昨年叶ったのです。南白ウインドアンサンブルを率いて、老人ホーム「たちばなの園」に行ったときに。
 忘れてた。たちばなのお年寄りたちにむかって、起立したメンバーの前で「みなさんこんにちは。南白ウインドアンサンブルです。」と挨拶したとき、「あーこれこれ、俺ずーっとやってみたかったんだった」て思い出した。しかもそれが、日頃苦楽を共にしている(?)南白ウインドを背負って、であることがとても嬉しかった。この子たちが俺の望みのひとつを叶えてくれたと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになった。


 そして叶ったもうひとつ。大学4年生のとき、「ツイス・ジュニア」という発表会の、フルートオーケストラに賛助として参加したときです。
 ツイスの講師陣のおひとりである、藝大の先生だった小泉浩先生。プログラムの最後に小泉先生のソロとフルートオーケストラでカザルス(カタロニア民謡)の「鳥の歌」がプログラミングされてたんですが…

 ディープな音楽ファンはご存じだと思うんですが、フランコ政権に抗議して亡命したカザルスが、1971年に国連平和賞を受賞した時の国連デー・コンサートで「鳥の歌」を弾いた。「私の故郷であるカタロニアでは、鳥たちはピース、ピース(平和を)と鳴くんです」とのスピーチを添えて。

 で、小泉先生なんですが、僕たちは先生フルートで吹くものとばかり思ってたのに、チェロ携えて登場!左手には緑色の手袋はめて。で、中央に着席するやいなや、例のカザルスのスピーチを始めたのだ。

 1971年の時のカザルスは、フランコへの抗議から演奏活動を絶って永かったので、全盛期はとっくに過ぎていた。録音が残っているのだが、ボウイングのテクニックが衰えてしまってロングトーンは震えている。小泉先生はそれをそっくり真似て弾かれたのだ。

 この曲はリハーサルなしのぶっつけ本番。僕たちフルートオーケストラのメンバーにとってもサプライズで、おかしくて仕方ない。フルートは笑っちゃうと吹けないんで、拷問のような3分間だったわけです。おまけに最後の全音符を弾ききって、左手でピースサイン

 「これが本当のグリーンピース!」

 もう、腹が捩れるまで笑った。そして、発表会とはいえ公開の本番でここまでやる小泉先生って「なんてブッ飛んだ先生なんだろう」と思った。で、これも「いっぺんやってみたかった」わけです。

 これも南白ウインドの子どもたちに叶えてもらった。昨年の府中市青少年音楽祭で。
  曲がBad∞End∞Nightなんで、ドラムがしっかり叩けるように仕込んでおけば本番で指揮棒振り回す必要もないし。で、扮装込みでフルート吹いて踊ることにした。このときは小泉先生意識してた(笑)。

 でもチェロじゃなくてフルートだし、緑色手袋してないし。それに最後にオチ入れるわけにもいかないし。小泉先生に比べたら「俺はまだまだだな」と思いました(笑)。




 そろそろ、僕が子どもたちに夢見させてあげなければいけない立場だと思うんだが、キャラがねえ… 小林研一郎先生も、小泉浩先生も(ギャグ飛ばしたとしても)ダンディなキャラなんで、俺はむりだなぁ。「将来はへんなおじさんになりたい」って思う子どもはいないだろうなぁ(笑)。

 まいっか。夢の対象はダンディ系のオジさまに任せよう。












♪ 相性 ♪ 2019/07/01


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 「楽器との相性」。どんくらいこだわるかは個人差あるみたいだけど、自分は結構気にする。世間の高評価より自分との相性。YouTubeが重要な情報源になった現代、オモシロイものがいろいろupされていますが、その中に「ゴールウェイの教則ビデオ」みたいなのがある。本人または側近がアゲてるみたいなんですが…


 なかでも「ゴールウェイ16本のフルートを吹き比べる」っていうの、大変興味深いです。高いの安いの、現代のものビンテージもの。でもその中でゴールウェイ、「私はフルートの材質による音の違いを言い当てることは出来ない」って!これは他人の音を聴いて、ってことなんでしょうか?僕の英語ヒアリング能力の限界もあるんですが。


 だってサー・ジェイムズ・ゴールウェイてば、フルート界の帝王がランパル・ニコレの2大巨頭だった時代に彗星のごとく現れ(トシがばれるな)、その、聴けばイッパツで彼だとわかるトーンでフルートファンを魅了した人。キンキラキンのフルートは彼のトレードマークだったのに。俺たち、「金のフルートじゃなきゃあの音は出ないんだ」って思ってたのに。


 でも確かに「16本吹き比べ」を聴いてみると、そりゃ「あーこの楽器はこーいう特性なんだな」と想像出来る部分はありますが、ゼンブゴールウェイの音です。あのくらいの名人だとまさに「弘法筆を選ばず」なんだなぁ。まぁ楽器によっては少々吹きにくそうなものもありますが。





 「音響学」的には、フルートが材質によって音の違いが出る、ってことは説明出来ないらしく、ネット上には「メーカーの販売戦略だ!」って憤っている人もいる。でも自分でフルート吹く人なら、金は金の音、銀は銀の、木管は木の音がすることは誰しも感じている。たしかに他人の音をブラインドで聴いて百発百中で当てることは難しいかもしれないけど。


 しかもゴールウェイ、「僕のEX(洋銀管)がいちばんいい!」(って言ってると思う)とまで ( ̄O ̄;)



 

 ふた月ほど前から、ムラマツのDSを吹いている。なーんにもついていない素のインラインリングC。その前はメナート木管のオプションフル装備だったのに。今まで、たぶん人並み以上にあれこれと色々な楽器を試したと思う。ここ20年ほどは、「木管・波型歌口・ドイツ」に絞ってきた感はあるが、もともとの「自分で確かめないと気がすまない性格」が災いして、歴史的名器から国産・ドイツ・フランス・アメリカ・オランダ・イタリア・ROC・中国(?)。木管・銀管・洋銀管・真鍮・金・プラチナ。(オーラマイトやプラスチックも…)
 で、その経験から、自分が求める音と相性(コントロールに難があれば理想追求どころじゃないですからね)との兼ね合いが「木管・波型・ドイツ」の限定だったのですが、このDS、それらを全部吹っ飛ばしてくれやがった。「Eメカのあるなし」なんぞ、細かいことだったんだ…

 ただ、バイクと同じく新車(?)を買える経済力ないんで、よく解らない部分も残る。個体差もあるのか?他のDS吹いてないし。後天的要因?… 笛は「吹き込み」で変化すると言われるので、前オーナーの「調教」が僕の好みと合致していたのか?大名人Tさんにオーバーホールしてもらって、タンポもムラマツ新タンポではなくTさんのタンポに替えてもらったのが大きいか?リッププレートの手前がちーと低い気がするんだが、Gさん(前オーナー)少しばかり扱い荒かったから、曲げたかな?

  手元に40000番代のDNもあるんですが、出音、吹きごたえ、イントネーションの傾向がゼンゼン違う。見た目はパーツの作りやトーンホールの位置含めほとんど同じに見えるんですが… 

 吹き比べれば違いは一目(?)瞭然なのに、その理由はイマイチ客観的、数値的に説明しきれないから、材質の件含め「都市伝説」(チト違うか?)的なものがつきまとうのでしょうか?





 まったく、メーテルリンクの「青い鳥」じゃないですが、追い求めるものは身近にあった、のオチで、今のところ「名作は奥が深い」と思っております…













♪ 先生 ♪ 2019/06/11


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(画像はウチのとっぽではありません)


 ヨーロッパの人々にとって、「黒つぐみ」は特別な鳥なんでしょうか?モーツァルトは黒つぐみを「僕の先生」と言ったという。メシアンにも「黒つぐみ」というフルート作品がある。ビートルズにだって… ビートルズの「ブラックバード」の歌詞は「黒つぐみ」のことを歌ったものではないけれど。


 日本人にとって、春先は野鳥たちと親しむ季節ですよね。南白の「けやきっず」部屋の前の軒先には、毎年やってくるつばめの巣があって、警備員のおじさんは3月ころから「まだかな?まだかな?」って楽しみに待ってた。


 「KAMEN」の前日だったから、もう3週間まえ。わが14号棟わきの藪に「トッポジジョ」がやって来た。



 ねずみじゃあありません。たぶん今年はじめて囀る若いウグイス。こいつが「ホーホケキョ」じゃなくて「トッポジジョ」って鳴くんです。で、彼の名前も「トッポジジョ」(かってに命名するなって?)

 むかし、ジムニー手に入れて丹沢や奥多摩の山の中を遊びまわっていたころ、若いウグイスが「お手本」を真似て囀りが上達していく一部始終を聴いて、いたく感動した。やっぱり「お手本を真似る」は芸事上達のための基本なんだな、と。(もちろん彼らは芸事なんぞのようなお遊びで囀っているわけじゃありませんが)

 ウグイスが囀るのはなわばりを主張するため。彼らは必ずしも深い野山だけに生息するのではなく、繁殖期以外は意外に人里近くにひっそりと暮らしていたりするそうですが、さすがに団地をなわばりにするやつはあまりいないなぁ。なので3週間まえから彼一羽。「お手本」がないせいなのか、ずーっと「トッポジジョ」のまま。





 でもいい声です。ボリュームも遠達力もあって、しかもこんだけ心を和ませて、と僕のお手本です。












♪ パントマイムの音楽 ♪ 2019/05/24


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 日本を代表するパントマイミスト、清水きよしさんの「KAMEN」。さまざまな不条理を、能面を用いた6本のオムニバスで描く。もう30年以上、この「KAMEN」の音楽を担当させていただいている。


 僕が清水きよしさんの作品に音楽をつけるときにまず考えるのは「ミニマムに」ということ。終演後にお客様から、「もっと聴きたかった」と言っていただくとニンマリする。基本は僕が、少々の小道具だけで成立させるソロパントマイムに、主張の強い音は添えたくない、というところから来ている。なので、この作品の音楽はあらかじめ「作曲」(モチーフ程度ですが)してある部分と即興の部分を組み合わせるのですが、どちらも「憶えられない」ように音を配置するように考えているのです。


 普通作曲家は「お客さんの印象に残る」メロディを作ろうとするもんだが、その真逆をいこう、ってわけです。へそまがりですねぇー。


 清水さんとご一緒するようになった頃、照明家の辻本晴彦さん(故人)ともご一緒することが多かったのですが、まだ駆け出しの笛吹きだった僕のことを辻本さんはとてもかわいがってくださって、舞台、そのほかの芸術的な感覚に必要な事柄をいろいろ教わったのでした。その辻本さんがポリシーとされていたことのひとつが「印象に残らない明かりをつくる」ことだったのです。照明は舞台上の芝居・音楽を「生かす」ためのもの。照明自体が自己主張してはいけないのだと。

 パントマイムはあえて「制約」を自らに課すことによって表現する芸術です。セリフはない、大道具もない、暗転もない。清水さんご自身も、音楽に「助けてもらおう」などとはチラとも思っていない。なので、そこに添える音楽は極力シンプルに、と僕は考えます。

 ですが、音楽を使うとしてもまぁ普通は録音のソロパントマイムで、ライブの演奏家が同じ舞台上にいる、ということを生かさなければそこにいる意味がありません。

 舞台が「生き物」であるのと同じように、音楽も生きていなければ意味がない。なのでその場の空気に即応出来る即興演奏は重要な意味を持つのです。






 画像は「KAMEN」中の一話、「駝鳥」のワンシーンですが…

「先輩を先輩とも思わず」傍若無人好き勝手なヤツと思われているワタクシですが、この「駝鳥」の冒頭で駝鳥が遠くからかすかに呼ばれたような気がして振り返る、そこのモチーフにはリスペクトを込めて、ジョン・ウイリアムズの「未知との遭遇」のモチーフを借用しています。宇宙との交信を象徴している、D-E-C-C-Gってやつですね。ウイリアムズとスピルバーグは「5音で」という制約を課して、その組み合わせを死ぬほど考えたそうです。これの前半を移調してC-D-Bb。これを「呼ばれる」ことのモチーフにしています。

 パントマイムのお客さんは当然パントマイム・ファン。でも僕はもうちょっと「音楽ファン」も来ねえか?と思っているのです。フルートファンでもうえのファン(いねえか?)でもいいんだけど。コンチェルトやフランス近代作品だけがフルートソロじゃない。告知も行き届いていないとは思うのですが、守備範囲広い音楽ファンって少ない。たまには「音楽」が他の芸術、ひいては他の「世界」とどう繋がるのか、考えてみたら?と思うのです。誰か「あの駝鳥って、未知との遭遇ですよね?」って言ってくれないかな?



 8月にも都内での再演があるようなので、バックヤードネタを小出しして興味もってもらおう、という魂胆なのです。















♪ 幸が森コンサート ♪ 2019/05/20


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 もう10年近く前。当時娘が通っていた小学校の校長先生に、「うえのさん、東京は外に行ってお金を出せばなんでもあるけれど、私は子どもたちの体育館で、目の前で音楽を聴く時間を作りたいんです」と頼まれて始めたのが「幸が森コンサート」。


 「目の前に」ホンモノを出すべく、毎年趣向を凝らして、歌のおねえさんに来てもらったり、フルート+ピアノ+ベースのジャズトリオにしたり。そういえばジャズピアニストの〇〇〇くんはなかなか来ないと思ったら校門で警備員さんにつかまってたっけ(笑)。



 今年は、僕が10年以上前に参加していたバンド、「カフカフドゴシコ」に来てもらいました。「カフカフドゴシコのリズム探偵団」。彼らの活動の大きな柱のひとつが、全国の小学校での学校公演。ずいぶんあちこちに行きました。
 広島に長期滞在(?)したときは広島お好み焼き食べ比べしたっけ…

 ひとところに長居出来ない僕は数年参加して辞めたのですが、彼らはその後も(その前から)、今に至るまで30年以上ずっと、同じスタイルを貫いている。参加していたころは、僕はそもそも群れるのが嫌い、他人に指示されるのが嫌い、ひとと同じことはしたくない、なので「リズム探偵団」のような会場参加型コンサート、「さぁみんなで一緒に!」みたいなのがダメで、自己矛盾感じながらやってたわけですが、時代は変わる。今でも小・中学校は基本「みんなで心をひとつに、力をあわせて」で変わってないけど、表面ではコミュニケーションごっこをしながら実は対人不安を、子どもですら多く抱える現代、「リズム探偵団」の意味は重要性を増しているんじゃないかと。



 南白糸台小学校の子どもたち、いわゆる「いい子」傾向が強いと思う。言われたことはやる。たとえカタチだけだったとしても。でも自分で感じ、考えて行動する部分が弱いんじゃないかと。べつに南白に限ったことではないかも知れませんが。



 この子たちがどう反応するか、カフカフ時代にいろいろな小学校を見てきた経験から危惧していた部分もあったのだけど、結果は大成功。画像のようにみんなノリノリでした。まぁ最後は全員ノリノリに持っていくべく、「リズム探偵団」は練られているわけですが。





 こぎつけるまでが大変でしたが、よかったよかった。












♪ 顕在意識・潜在意識 ♪ 2018/01/22


 心理学での「顕在意識・潜在意識」とは少し違うのかもしれないけれど、楽器を演奏するとき、それにもう一段階外側の音楽を認識するときにも、顕在意識と潜在意識が深く関わっているように思える。


 楽器奏者は、初めて見る譜面、それもややこしい譜面は「譜読み」と称して、ゆっくりのテンポで、ひとつひとつの音を確認しながら鳴らしていく作業から始める。

 この作業は顕在意識でひとつひとつの音を認識しているからにほかならない。そして無意識のうちに、経験に応じて潜在領域の書庫に収納されている「スケール・アルペジオ」のデータが使える場所を摺りあわせている。そこからテンポをあげていって、指定のテンポ、本来のテンポで、理想は「居眠りしていても吹ける」(弾ける)状態を目指す。「スケール・アルペジオのデータ」をペーストした文書データ自体が潜在書庫に入っている状態。自分の場合、16分音符より細かい音符は「潜在意識コントロール」になっていなければならず、対して4分音符以上、さらにカンタービレだったりは「その場意識」が重要な気がする。ボケッと吹いていてはカンタービレにはならない。細かい音符を追いかけることは潜在意識に任せて、顕在意識のほうはその先のこと… 音楽的な表現とか、アンサンブルとか、そういうことを考えられる状態にもっていくわけですね。少なくとも僕はそう認識している。


 やっぱり、いわゆるの「潜在意識」とは違うのかもしれない。潜在意識とは、在ることはあるが、容易には水面上に持ってこられないもののようだから。だから自由連想法とか催眠療法とかがあるわけでしょ? 音楽家が楽器奏法から考えたタワゴトだと思ってください。楽器演奏の場合、運指のデータ、音のコントロールに関するデータ、それにフレーズのファイルなどが、全部は机の上には並んではいないが、書庫にきちんと整理されて収まっていて、しかもインデックスがちゃんとしていてスグに取り出せる状態でないと、みたいな感覚だから。この場合「潜在記憶」ですかね?

 それでもクラシックの場合は、書庫に収納されているのはスケールだったりアルペジオだったりなわけですが、ジャズのアドリブでは記憶してある「ジャズフレーズ」をもう少し手前に置いとかないと… アドリブコーラスが進行しているその場で記憶を繋いで並べていかなければならないわけですから、「机の上」には乗り切らないとしても、「部屋の中」にはブチまけとかないと… それでもアップテンポになると、ほとんど「身体が勝手に吹いている」状態じゃないと間に合わない。やっぱり自分的な感覚でいえば、「場所はちゃんと解っているがブチまけられている」状態で、その中を飛び回って拾い上げていく感覚。決して優等生の学級委員の部屋のように整然とはしていない。お行儀よく「廊下(この場合部屋の中ですが)は走らない」を守ってもいない。

 ヒューバート・ロウズに師事したセンパイの話しだと、ヒューバートの日課練習はコーラス単位で纏めたものを繰り返す(クラシックの練習方法に似ている)ものだそうです。この場合、「文書単位」のなぞり書き作業なわけですね。

 「お行儀よく」ない要素は発音にも関わる気がする。ジャズ・トーンはクラシックのそれのように十分に準備して、整えて発音していたらお行儀が良すぎだし、間に合わない。もっと「いい意味でザツな」吹き方じゃないと。ジャズ屋がアドリブで吹いている演奏と、それを譜面にしたものをクラシック奏者が「読んで吹く」状態が違って聴こえるのは、そのへんもある気がする。そこのところを、ここまでリクツこねて分析しなくても、聴き手は「無意識下」で、ジャズっぽい演奏とそうでない演奏を判断しているように思う。


 「知識」とか「知恵」のようなものは、顕在意識領域にあるのでしょうか? トシがいけばいくほど、特にシニアの生徒さんをみていると、自身60年、70年(もっとの人も)の経験にがんじがらめにされているように見える。「トシとってから新しいことは覚えにくい」はこのことを指しているのかな?と思う。対してまだ潜在意識コントローラーとしての顕在意識が未熟な小学生は、「よく解らないけど感覚的に捉えた」ことの染み込みが早いこと。



 3学期の練習曲として、「シング・シング・シング」に取り掛かったのですが、「ジャズ」「フルバンサウンド」に馴染みのない南白ウインドアンサンブル、フレーズのリズムを「そこはね、パースパッスパーて吹くんだよ」と「口三味線」で教えると、やれ裏拍だのシンコペだののリクツ抜きであっという間にこなす。みんな天才かと思う。それは映画「スイングガールズ」なんぞカルく超えてる、感動的な世界!!!








 この仕事してると、「事実は小説より面白い」こと、いっぱいあります。
















♪ 踊ってきました! ♪ 2017/12/20



 娘の母校でもある府中市立南白糸台小学校。ここのウインドアンサンブルは伝統ある吹奏楽部で、レヴェルの高い演奏は毎年、教育委員会表彰をいただいている。



 今回、モロモロの事情があって、急遽このウインドアンサブルのコンサートを指揮することになってしまった! ボヘミアンうえの、学校関係はいろいろと面倒くさいことがあるのでなるべく関わらないようにしていたんですが…

 ひと月前から、連日の朝練。僕も楽器組み立てて一緒にロングトーンしてスケール吹いて。いやあ新鮮な朝を過ごしました。



 いろいろな事情があってのこの状況。最初に指揮台に立った時、子供たちの目は不安の色でいっぱいだった。彼女たちはその前、音楽会を目前にしながら満足に練習が出来ない状態が続いていたわけですね。

 で、吹かせてみたらなかなか上手い。そしてみるみるうちに「やっと吹ける!」気持ちがみなぎってきて、音楽室に豊かな響きが満ちてきた。




 僕はそれを聴いていて思った。今の段階では細かいことは置いといて、彼女たち(彼ら、もごく少数いるんですが)をのびのび吹かせてあげることがいちばん大事なこと。大人の事情に振り回されて大好きな音楽を楽しむことが出来ない状況に置かれた彼女たちの、「楽器が吹きたい!」気持ちを最大限サポートしてあげよう、と。

 そして、僕自身が今まで経験してきたこと… 最初は不可能に思えたパッセージも、積み重ねでモノにできることとか、指揮の先生に信頼してもらって、僕のソロになったら指揮棒を止めて好きなように吹かせてくれたこと… それらこれらがどれだけ嬉しかったか、どれだけ感動したか… そんなことをわからなくてもいいから話して聞かせるのではなく、棒を通して表現しよう、と。



 いいコンサートになったと思います。彼女たちが自信を持つことにも繋がったようで、3学期の練習曲には難曲「スターウォーズ」を挙げてきた。よしよし、一緒に頑張ろう。



 3学期いっぱいだけど、君たちのそばにいます。よろしく。
(その後抜けられない状況に…)
















♪ 森の演劇祭雑感 ♪ 2017/11/13



 11/2〜5、島根県松江で開催された「森の演劇祭」に、もう30年来のお付き合いであるパントマイム・清水きよしさんの音楽担当として参加してきました。

 「森の演劇祭」は3年にいちど開催される国際フェスティバルで、普段は静かなところであろう松江市郊外の山中(?)4会場を使って催される本格的なイベントです… って、僕も今回初めて知ったのですが。


 行ってみてびっくり。松江市・八雲町の行政や地元の企業、それに多数のボランティアが一体になっての、素晴らしいイベントです。バブル期、そしてそのあと少しの間は「タダのお祭り騒ぎ」的なイベントは各地にありましたが、なんとかミクスの波及効果なんぞゼンゼンない現状、これだけクォリティの高いイベントが地方で行われていることはオドロキでした。文化的な分野ではいまは地方が元気な時代、の感がありますが、20年の年月をかけてこの演劇祭をここまで創りあげたプロデューサー、園山土筆さんの手腕は敬服に値すると思います。



スイスから参加したアクロバティックなクラウンマイム「Pss Pss(ぷすぷす)」のメンバー




沖縄の伝統に溢れるミュージカル、「沖縄燦燦」のメンバー





 久々に舞台観まくりました。ほかにも国内の「劇団あしぶえ」の「セロ弾きのゴーシュ」や「人形劇団むすび座」の「父と暮らせば」など。
 あらためて「セロ弾きのゴーシュ」を観て、宮沢賢治は一言も「音楽療法」とは言っていないけど、これはまさに音楽療法の話しだったんだ、と思った次第。音楽を通して、森の動物たち、それにゴーシュ自身や金星楽団の面々も進歩し、癒され、人は(動物も?)パンのみで生きるにあらず、文化と触れ合う喜びを感じるのだ、ということを賢治は表現したかったのだろうな、と再確認しました。実際に自身でチェロを嗜んだ、という宮沢賢治、本当に音楽が好きだったんですね。







 貴重な4日間でした。








 






♪ 不思議 ♪ 2017/09/10




ミラノの街中で道に迷った親子
(もう10年以上前ですね…)




 この仕事をそこそこ長くやってると、ときどき不思議なことに遭遇する。



 いまではすっかりフツーのポケピン中学生であるウチの娘。彼女がまだ4歳だったころ、イタリアでのお仕事に連れていったのですね。で、その日程のなか、今日はローマ郊外の老人ホームを訪問してミニコンサート、という日の朝、合唱団の指揮者の先生が突然、


 「うえのさん、ちょっと時間余るんで、りんちゃんによさこい踊ってもらえないかなぁ?」


 とおっしゃった。


 娘はそのころ、保育園での運動会のプログラム、「よさこい踊り」を練習していて、たしかに老人ホーム慰問とかではコドモの余興は喜ばれるんで、でもなぁ余興とはいえ音楽会ブチ壊しにならないかとも思いつつ、一応本人に訊いてみると、


 「りんこちゃん、やる!」


 で、老人ホームまでのバスの車中、遠足バスでの不良の指定席である5席並びの最後列で、ヤツはバチの代わりに割り箸を手にして踊りの最初から終わりまでの手順を確認したのち、


 「りんこちゃん、おっけ」


 と言いくさった。


 僕はそれを見ていて唖然としたのだが、なぜって僕も本番前、その日の曲の手順を脳内シュミレーションして、「おっけ」と思えてから舞台に向かいますが、それは長年、舞台やってて身につけたスキルであって、はっきり言って20代のころとかには解っていなかった。

 とうてい4歳児ができることではないと思うんですが…


 でも安心したことに(?)、今の娘の行動を見ていると、先のこと、それに周囲の空気が読めないことおびただしく、そのスキルは消え去ったようです。ではあのとき、確かに彼女がとったあの行動はなんだったのか?






 今日出会った不思議は、世田谷の教室でのレッスン。もう10年以上通ってきているお嬢さんですが、彼女は好みはっきりしていて、クラシックのレパートリーみたいな堅苦しいのは嫌い。アドリブで自由に吹くのは好きだけどメンドくさい理論的なお勉強は嫌い。でもいちばん大事なのは本人がキブンよく吹けることなんで、曲は僕が選んでジャズありポップスありラテンあり、で、うるさいこと言わずに好き勝手に吹かせてたら、ある頃から結構サマになってきた。


 彼女、結構器用な性格なんだとも思うが、モノゴトの伝承って、本来こういうものなのだと思う。正反対に、いくら理論をマスターしてもいっこうにアドリブらしくならない生徒はたくさんいる。理論書とか、フレーズ集とか、もしかしたら五線譜も、進化という名の「便利なもの」が登場して本質が見えなくなっているようにも思う。


 でもね、今日吹かせてたら、倍テンで吹くべきラテンだったのですが、「それらしい」だけでなく、あきらかにラテンアドリブの伝統的なフレーズが混じっているのですね。彼女、「メンドくさいことは嫌い」な性格なんで、決してウチで資料を聴きこんで「お勉強」したりはしない。だいたい自分が吹く以外にはCD聴いたりもしない。念のため本人にも確かめたから間違いない。ではときどきチラつく「伝統的フレーズ」はなんだ?


 僕は教えてない。僕自身の場合、そのテは「お勉強」して身につけた。だから、「エグエスがよく使ってた、マラカもときどき使う」的な説明が出来る。でも彼女、エグエスも、マラカの名前も知らないだろう。


 
 感覚的な把握であっても、何らかの「最適解」を追っていくと似たようなところに着くのか?あるいは… もしかして… ハッピーでフレンドリーなキューバ人の気質を考えるとアリえそうなんだが、リチャード・エグエスの霊が彼女に向かって微笑んでいる?(エグエスにはお会いしたことないので、実際の人物像はわかりませんが)… 4歳頃のウチの娘のように、「霊界通信」出来る能力があるのか?はたまた量子力学で説明出来るのか?

 そして、幼いころにはみんなが持っている能力を、「教育」という名の洗脳を受けたのちにも保ち続けられるのが、「天才」と呼ばれる人々なのだろうか?








 いやあ不思議なことってあるもんですね。

















♪ 黒帯 ♪  2016/11/01



 8年前、50代を目前にして、フルコンタクト空手を始めた。ことの起こりはウチのチビ娘。娘は超未熟児で生まれ、保育園時代は常にクラスいちばんのチビ。運動会のかけっこも毎回ビリ。保育園のクラスを廊下から覗いていると、集団行動のなかでなにかと遅れをとるウチの娘を、まわりの友達が助けてくれるシステムが出来上がっている。ウチのはそれをいいことにシッパイは周りに助けてもらうのがアタリマエ、とばかりひっくり返したおもちゃを自分で片付けようともしない。


 こりゃアカンと思った。このままでは周りによたれかかってばかり、他人の気持ちなどなんも感じられない大人になってしまう。わが家の家訓は 1、いいわけをしない。2、卑怯なことをしない。3、てめえのケツはてめえで拭く。なので、チビでも負けないなにかを、自分に自信がもてるなにかを身につけてもらわなければ。で、ウチからすぐの中学校の武道場でカラテをやってると聞きつけて連れていったのですね。


 べつに押し付けるつもりもないから、稽古を見学したあとで「どう?」と聞くとやってみたいという。平日の7時、送り迎えしなければならないがまぁ金曜日の夜の仕事は断るか、と。
 娘を入門させて、金曜日の7時に連れて行って1時間、稽古が終わったら連れて帰る。2週間もすると、自分が1時間なにもしないでじっとしているのが性に合わないことがよくわかった。で、自分も入門させていただいて、一緒に稽古することにしたのだ。


 そのときはなにも知らずに、娘の送り迎えのこともあるので8時からの(大人の)一般部でなく、7時の少年部に入れていただいたのだが… まぁそんなこともあるのだろうくらいに思っていたが、それ以後、少年部で稽古する大人は見たことがない。空手道講士館代表・長谷川一之師範は元全日本チャンピオン、厳しいなかにも暖かいまなざしで子供にも武道の心構えをしっかり説く方だが、柔軟な考え方も、それにユーモアのセンスもお持ちの先生で、けっこう例外的措置だったのだろうと、今では思っている。



 空手道講士館。なにもわからずに、ただウチから一番近いという単純な理由でここに入門したことが、どれだけ幸せなことだったか。娘が生まれて以降、人との出会いに恵まれるようになった… 娘が連れてきた運なのか、子供を持つということはそういうことなのか、そのへんは解らないが、素晴らしい師範、先生方や先輩に恵まれ、さんざんお世話になりながら娘は昨年、自分も先日の秋季審査会で、念願の黒帯をいただくことが出来ました。


 稽古を重ねていると、中高大学時代を通じて運動部経験いっさいなく、その後も不健康なミュージシャン生活だった僕は、自分の身体能力の低さに自分で呆れた。柔軟では固い身体に嫌気がさし、基本稽古では上がらない足に憤り、パンチの威力のなさはこりゃドラえもんとたいして変わらんな、と。


 かたや現役選手である若手の先生方は、山田先生は中量級世界チャンピオン、宮島先生は全日本2連覇と超一流。稽古の合間に先生方が技の練習をしていると、その美しい身体の動きに惚れ惚れする。そして、とても同じことをやってるとは思えずに再びガックシとなるのだ。





 それでものめり込んだ理由のひとつは、「こりゃ楽器のコントロールと根っこは一緒だな」と思えたこと。演舞の型や、試合ではその場でアタマをフル回転してやることでは間に合わず、そのために日々稽古を積み重ねて身体の記憶をつくるのですが、これって楽器と全く同じ。その身体記憶をつくるためにひたすら繰り返すことが大切なのも同じ。そしてもうひとつ好みに合ったのは、評価基準がひとつにはならない音楽と違って、試合では勝敗がはっきりしていること。まぁときにはビミョーな判定、というときもありますが。


 今の時代、どのスポーツでもそうですが20世紀に比べると科学的分析が進んだ。強いパンチ・キック、それに流れるような技の連続のためには身体のどこを使い、どこを鍛えるべきなのか。昭和の根性論とは違うアプローチをするようになっている。だから現役の選手は驚異的なパワーがありながら無駄な筋肉は持っていない。シュワルツネッガーが最強の選手ではないのだ。


 そりゃそれなりに代償も払いました。アバラにヒビはいること数回。突き指、肩肘故障数しれず。右肩はもはや完全に元通りにはならないようで、動作範囲がかなり狭くなってしまったし、これからの季節、バイクで寒風にさらされると結構痛む。右薬指の関節も元通りにはならないみたいだしなぁ。ケガするといつも師範が「うえのさん、完全に治るまで組手はやっちゃいけません。元に戻らなくなりますからね」と怖い顔でおっしゃるのだが、そうは言っても治りの遅いシニア、我慢できずに適当なところで「治りましたぁ」と組手稽古に出ていた報いなのですが。


 でも、「怪我の巧名」(文字通り)じゃないけど、ケガしてみて初めて理解した身体のしくみって、結構あるんだ。いちばん突き指しやすいのは指の第2関節ですが、ここをやっちまってもフルートは吹けるしピアノも弾ける。まぁ痛みはしますけどね。指を動かす筋肉の仕組みは複雑ですが、掌よりも総指伸筋はじめ前腕のほうが重要なことが、ケガすると解る。すると、フルートの理想的な「構え」がおのずと見えてくる。まぁこれは屁理屈の類かもしれませんが。


 音楽も仕事にするとイヤでも出くわす理不尽、ブラックな世界。まぁいつもでないとは言え、だいたいがグレー。府中道場にはこれから全日本を連覇するであろう素晴らしい選手、Y君がいるんですが、中学生時代までは空手をやっていたものの高校・大学は野球に打ち込んでいた彼が空手に戻ってきて、茶帯で足踏みしていた僕をあっという間に追い越して黒帯昇段審査を受けるまえ、師範がわざわざ僕のところへいらして「Yを先に(僕を追い越して)昇段させます」とおっしゃった。さいしょは師範何をおっしゃってるのかと思った。僕はもちろん、彼の実力から言って僕より先に黒帯になるのが当然と思っていたし、だいたいがヘロヘロな趣味のシニアと現役選手だし。いくら在籍上は僕のほうが先輩とはいえ、師範がわざわざ筋を通されたことに新鮮な感動を覚えた。そりゃ空手の世界も外ではいろいろあるが、すくなくともここ講士館の中ではわけのわからない、筋の通らないことはないのだ。






 自分が生徒たちに接する姿勢も、こうありたいと思います。
















♪ ていねいな仕事 ♪ 2015/05/23   



ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネの看板奥様



 パンとかお米って毎日食べるものじゃない?それが美味しいととっても幸せな気持ちになれるよね。


 このところ、とっても気に入っているパン屋さん。横浜の瀬谷区にあるちいさなパン屋さんなのだけど、ここのパンがハンパなく美味い。どういうふうにかって言うとですね…


 このお店はクロワッサンが一番人気で、もちろんこれも最高のクロワッサンで、「瀬谷の逸品」に認定されてる。でも俺の一番のお気に入りはバゲット。外側のクラストは実に香ばしく、内側はしっとりだが小麦の風味がしっかりしていて、ニッポンでフツーの軟弱なフランスパンより少し硬めのしっかりした焼き上がり。噛めば噛むほど旨みが口に広がる。これとハム、チーズだけあれば(僕は下戸なんでワインは不要)立派な食事で、値段もけっして高くない。

 フランス海外領土のニューカレドニアバゲットがとても美味かったことを思い出す。ここのバゲットも値段が安く、つまり庶民の日常のひとつだ。全体的に物価が高いニューカレドニアのこと、なにか訳(税率が違うとか、政治的な何かか)があるとは思うんだが…



 豊かになった現代のニッポン、お金さえ出せば美味しいものはナンボでもあります。でもそういうんじゃなく、毎日の生活の中にあるフツーのものが素晴らしい、それが豊かさなんだと思います。てか俺はそう思うんで、自分自身もなるべく日常の中の、手の届く目の前に生きた音楽を提供したいと思っています。


 オジさんこのトシになると恥じらいナイんで、自分がわからないことはスグに訊くから、トーゼンこのパン屋さんのご主人にも「どうしたらこんなに美味しいパンが焼けるんですか?」って訊いたことがある。そしたら一言、


「丁寧に作っているだけです」


 と言われて、結構オドロイタ。いや、丁寧に作ってないと思っていたわけではもちろんなく、同じセリフをその前に2回も聞いていたからだ。



 ひとりはウチの近くにあるラーメン屋のご主人。いずれ改めてご紹介しますがここのラーメンもハンパなく美味い。そしてそれがコケおどしでない証拠は、毎日でも食べたいラーメンなのだ。インパクト重視系は一口めはいいが、完食するころにはモウケッコウになるからね。もうひとりは俺の昭和ポンコツバイクをメンテナンスしてもらっている、調布市下石原のモトショップ・ダブルフットのご主人だ。33歳にもなる俺のGSが普段使い出来るのはひとえにこのひとのおかげなんだが、この2人がまるで打ち合わせでもしたかのように同じセリフを吐いたのだ。


 アリガチな、勘違いした精神論のように「技術は足りなくても気持ちで補う」ていう訳じゃない。それこそラーメン屋でままあるように「一生懸命営業中!!」なんてことを店の入口にデカデカと書いたりしない。プロが一生懸命仕事するのはアタリマエ、3人とも確実な技術を持つ、俺が本当に尊敬するその道のプロだ。でもどれだけ技術と経験に長けても、結局、いちばん大切なことはどれだけ「丁寧に仕事する」か、なのだと改めて思った次第。




 そして面白いことにこの3人に共通していることが、3人とも「一匹狼」だということだ。パン屋さんとラーメン屋さんはお店を奥様が手伝ってはいるが、「作る」ことに関しては一人でやる。ダブルフットは従業員なし。そして頑固者(皆様ごめんなさい)であることも共通している。




 バゲット、食べてみたくなったでしょう?お店の場所はここです。




ブーランジェリー ボンヌ・ジュルネ



横浜市瀬谷区阿久和西4-4-10 TEL045-391-8033 
 6:00〜18:00  日曜・月曜定休





















 ♪「笛吹きインドひとり旅」好評発売中! ♪
代替文
 うえの作家デビュー作、「笛吹きインドひとり旅」、好評いただいています。堅苦しいインドの研究書(?)やガイドブックには載っていないインドの魅力満載! イラストは、フォルクスワーゲンの専門誌等でも活躍中のイラストレーター、二宮 言氏にお願いしました。余談ですが、二宮さんと打ち合わせしていて(彼はニュービートルのオーナーなのです)、なんと同じディーラーにお世話になっていることが判明しました。(世間はせまい・・・) 6月15日には全国書店一斉発売になっております。まだお読みになっていないかたのため(販売促進のため!)ちょっとだけ見せます。


・・・インド滞在5日めにして、そろそろ腹ぐあいがアヤシくなってきた。今回、出かけるまえから考えていたのは、日本からクスリを持っていかないで、腹こわしたらインドのクスリを飲もう、いうことだ。
 食いしん坊の割には胃腸が繊細なボクは、海外で5日以上おナカがもったためしがない。とくにインドは食事が「あれ」だから・・・ つまるところ、毎日「カレー」。むこうではカレーという呼び方はしませんけど。要するにtoo much spicy, too much oilyなのですね。
 で、例のミリオンに、「腹のクスリくれる?」と頼んだら案の定、「ドコガイタイノカトイレニワナンカイイッタノカウンコハカタイノカヤワイノカ○Х△ΩФ・・・・・・」
 あまりにやかましくて閉口したんだけど、文字どおり背に腹はかえられないからね。ちゃんとクスリ買ってきてくれたのはいいんだけど、ミリオンなにを血迷ったか、やおら母性本能発揮して、ほとんど幼稚園児を看病する母親のノリになってきたのにはさらに閉口した・・・



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 「日印アナデジ対決2001」ライヴ録音CD発売中(プライヴェート盤)
 2001年10月にラケーシュ・ミシュラ氏(タブラ)、パンカジュ・ミシュラ氏(サーランギ)と共演した、武蔵野芸能劇場でのライヴ録音を限定販売しています。(なくなり次第終了)
収録曲は、・プリヤダナスリ(インド古典音楽) ・PEACE FOR WORLD 2001 (インド古典のスタイルによる新作、うえの善巳共演) ・もみじ(当日のアンコールピース)の3曲です。税込¥1000 TOPページのアドレスへメールでご注文ください。





 「クラシックmeetsダンスビート」一部収録CD発売!
 ここ数年追求(?)してきた、クラシックのメロディとイマ風のビートの合体。今回、ボクのアレンジ1曲と、クラブサウンド業界で活躍中のヴェテラン、岩見正明氏に2曲お願いしたものが完成しました。
 チャルダッシュ(モンティ)/アレンジ・岩見正明
 剣の舞(ハチャトリアン)/     同     
 だったん人の踊り(ボロディン)/アレンジ・うえの善巳
なかなかいいカンジに仕上がりました。「ぴくるす」というオムニバスCDに収録されています。これもプライヴェート版で、残念ながら流通には乗らないので、メールでご注文ください。税込¥2000


































































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