オンライン・レッスン フルート/ジャズフルート科

2020/06/25

第8回
「カラオケに合わせて吹いてみよう」その2

 

 老人福祉センターなどでのクラスも、7月からは再開できそうな雰囲気になってきました。再開を待ち望んでいらっしゃる声は聞こえてきていましたから、ようやくお応えできるようになってきたかと。

 

 3月ころに、ライブハウスでのクラスター感染が報じられたあたり、仲間うちでよく話題に上がっていたのは、「楽器を持って電車に乗ると白い目で見られる、避けられる」ということ。ギター・ベースの場合が多かったようですけど。

 

 新種のウイルスによる感染症ですから、専門家ですら対応に定説はまだ出来上がっていない状態。知識に乏しいとなおさら不安感いっぱいになるのがニンゲンの心理ってもんでしょうが、なんなんでしょうねぇ。

 

 株式会社ヤマハミュージックジャパンが、管楽器を演奏している時の飛沫拡散状況の可視化実験を行いました。結果は、まぁ想像した通りと言えますが、トランペットなどの金管楽器クラリネットなどの(リード)木管楽器に比べ、フルートの場合は「はっきりとしゃべっているときと同じ程度」の飛沫の拡散が確認されるそうです。最大1mほど飛ぶそうです。飛沫対策が対応のすべてとは思えませんが、フルートの場合、「対面で吹かない」「隣の人との距離を取る」がポイントになるかと思います。練習(演奏)後、飛沫飛散範囲の床を清掃(消毒)すればカンペキか?さらには「定点で吹く」つまり、吹く場所をあまり変えない、動き回りながら吹かない、かなぁ。え、ふつう動き回らないって?僕は踊りながら吹くのがフツーだからキビしいけど…

 

で、今日の本題です。

 

「アドリブってなに?」

 

 わかりやすくヒトコトで言うと、「明石家さんまさん」ですね。台本(楽譜)通りに喋る(吹く)んじゃなくて、その場の思い付きで吹く。でもただ自分勝手に、ではなくて周囲に反応してコミュニケーション取りながら、です。音楽の場合、周囲とはバッキングのリズムだったり、ハーモニー、さらには他のミュージシャンとのアイコンタクトだったりなわけですが、カラオケにはアイコンタクトはないわな。

 で、ここが最大のポイントですが、「面白くなければダメ」。つまりいくら理論的にどう、パーカーのフレーズがどう、とやっても面白くなかったら、カッコよくなかったらアウト。ギョーカイでは「成立してない」と申します。

 

 ということは逆説的にはリクツまったく抜きでも、カッコよく聴こえればおっけーなわけです。そんなことアリエナイって?僕も以前はそう思っていました。ところが、いま現在の生徒さんに、まったくリクツ抜きにそこそこちゃんと吹く、カッコよく吹くひとがいるんです。あり得るんですね。もちろん彼女も今日からスグにプロのジャズフルーティストとして独り立ち出来る、ってわけじゃありません。でもジャズアドリブの必要最低限(以上?)のことはこなしてるし、なにより本人楽しそうなのがいちばん。趣味のフルート、楽しむためにやってるんですから。

 

 とは言っても、楽器屋の書棚に並んでいる売らんかな本のタイトルのような、「1週間で吹ける~」みたいなことをここでやろうとしているのではありません。ジャズ理論、アドリブスタディー習得には膨大な時間と労力が必要です。でもアドリブは理論と知識と記憶だけで吹くもんじゃなく、そこへ「感覚的なもの」がうまいバランスでミックスされないと成立しません。その「感覚的なもの」を開発しようよ、そっちから手をつけようよ、てのが今回の趣旨です。それに、ジャズに必須の「スピリッツ」(まぁジャズに限らないんですが。用語が違うだけ)があれば、それこそ「ド」の音だけでもジャズになるんですが、生まれついてのジャズファンでもなければ、ある意味ニホンジンの日常性からは遠いと思われるので、このへんの垣根を取っ払ってみようか、と。さきほどの生徒さんの例だと、彼女、やはり感覚が鋭いんだと思います。もうひとつは、過度に周囲を気にしない(他人とは違うことを良しとする)ところが平均的ニホンジンではないかな、と。彼女の日常からすると特になにか変わったトレーニングこなしてたり、環境的なものではなかったりと、まぁ持って生まれたものだと思うんですが、他人の持ち物羨んでいても仕方ない。で、最低限の知識を入れとくところから始めましょう。

 

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 あらためて「アランフェス」の楽譜ですが、この中の登場するコードネームの、最低線だけ知っておいてもらいます。

 

② 

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 ええっと、手元にキーボードを用意してください。独立したお子さんが昔弾いてたピアノでも、カシオトーンでもピアニカでもいいです。なにもなかったらリサイクルショップで数千円のキーボード買ってください。ミニ鍵盤のものでもいいです。もちろん理想はベヒシュタインのグランドピアノですが(笑)。そして、まず上の②の楽譜のコードを押さえて、響きをよく聴いてください。

 

 次の段階は、「アランフェス」の楽譜のBを、コードネームに従って、②の和音で続けて押さえてみてください。分数コード(Bm/Dみたいなの)は今回、分母は無視して、Bmと読んでください。

 コードネームには「読み方の法則(?)」があるんですが、今回それは省きます。単純に「アランフェス」の進行に3和音(一部4和音)を当てはめて、続けて押さえていってください。たどたどしくていいです。たどたどしくていいんですが慣れてください。いつまでも「カンペキに弾く」ことにばかり囚われているとカンジンの、弾いた和音を聴いていません。その和音の進行をキーボードでバッチリ弾けるようにすることが目的なのではなくて、「和音の感覚」を開発するためにやってるんですから。

 

 そこまで下ごしらえしたら、フルート持ってカラオケに合わせて「アドリブ」します。台本を読むのではなく自分の言葉でしゃべります。吹くまえにイメージを持つようにしてください。会話でも、アタマの中で言いたいことをまとめてから喋らないと、なに言ってるか意味不明になりますよね。テーマ(楽譜のメロディ)吹いたあと、リピートしてBに戻ったところからがアドリブです。Cの直前のスケール駆け上がりからふたたび楽譜通りに吹きます。

 難しく考えないで。最初から難しいこと吹こうとしないで(無理だから(笑))。「シ」の音だけでもカッコ良く吹く方法もあるんですよ。

 

 さっき、曲のコード進行はキーボードで押さえてみましたが、フルート持ったら「ええっとここのコードはシとレとファ#」って考えないほうがいいです。さっきのキーボードでの練習は、シツコイですが「感覚を開発」するためのものだったので。シニアの傾向としてこのへんが苦手なんですが、「あたまでっかち」状態では身体が動きません。むかし、エラい先生のだれぞが言ったのは、

「演奏者には2つのタイプがある。ひとつは『リクツはなーんにもわかってないけど、実際うまく吹く』タイプと『知識は人一倍あるがうまくない』タイプである」

じっさいのところはこの2つの中間がほとんどだとは思いますが、このことは「アタマ(思考)とカラダ(感覚)の関係」を言っているのだと思います。

 

 シニアの場合「知識はあるけどアタマデッカチ」タイプは一緒なんですが、もうひとつは「わからないから見なかったことに」かな。たしかに人生、すべてにこだわって、引っかかっていたらココロを病んじゃうんで、「流すスキル」を身に着けてきたとは思うんですが、現時点で「なんかさ、よくわかんないけどうまく吹けるんだよね」以外の方は、最低線の知識としてキーボードでの和音押さえる練習してください。それが感覚を手助けします。「正しい知識は身体を助ける」

 

 

 とぅーびーこんてぃにゅーど

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/23

第7回

「カラオケに合わせて吹いてみよう」

 

 普段のレッスン、みなさんそれぞれご自分のレヴェルに応じて違う曲吹いていますが、ひとりだけで吹いてるシーンってほとんどないでしょ?僕が一緒に吹いてて二重奏になってるか、伴奏に合わせて吹いてるか。なぜかって… そのほうが楽しいから。

 楽しみながら吹いている中にも、いろいろな意味があるんです。フルートは吹き方で「音程」はどうにでもなってしまう楽器。音痴にならないためには、「耳をつかう」ことと「コントロールして吹く」ことが必要です。あと「音程感覚」、いわゆる音感の開発ですね。

 

 ひとりで吹く練習のなかで、「こう吹けばこうなる、ああ吹けばああなる」の積み重ねも大事なんですが、それが最終目的なわけではなく、そこで学んだスキルを使って曲を自分の思う通りに吹くことが目的なわけです。そしてその段階では、ひとり秘密練習(べつに秘密じゃなくていいんですが)のときに、いろんなことを考えながら、いわばアタマ優先で吹いていた状態から一歩先に行って、身体記憶(自動操縦)にすることが出来たコントロールは身体に任せるように配分します。そうじゃないと操作に忙殺されて楽しくない。

 

 さあてと、オンライン・レッスンらしく、ウェブ配信の教材使って進めますね。

 ようやく緊急事態宣言の解除も見えてきたきょうこのごろですが、音楽教室でのレッスンがすぐに以前のように出来るようになるのかはまだわかりません。みなさんそれぞれに、外出自粛に対応して、以前にはやっていなかったことに手を染めた方、多いと思います。シニアはパソコンとか、スマホの活用はまだまだ若者ほどじゃないと思うんですが、今後のためにも、これを機会にネットの活用を進めていただいたほうがいいんじゃないかと思います。伴奏のカラオケはYouTubeにアップしてあります。

 

 

 

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 ごぞんじの方が多いと思います。スペインの作曲家、ホアキン・ロドリーゴの作品「アランフェス協奏曲」の、有名な第2楽章のメロディですね。

 

 有名とは言っても、あらら聴くと見るとは大違いの16分音符だらけ、32分音符も!!

ですが、「ビビるんじゃなあーい!(笑)」テンポがすごーく遅いんで、32分音符ったってたいした速さじゃないです。

 

 ですが、逆に「すごーく遅いゆえ」の難しさも存在します。そう、テンポ、ビート感が取りにくい。

 教材なわけだから、「あえて」そういうのを選んでるの(笑)。この曲の場合、「いち、にい、さん、しい、」的に数えることはほとんど役に立たない(2拍子だけど)。ではどうするか。

 

 まず、楽譜最初の1小節のお休み、ここは前奏です。でも前奏とはいってもシンセのストリングスが「がーっ」て鳴ってるだけ。リズムを聴きとれるような様子はなにもないです。ですが、よく耳を澄ませて聴いてみると、ずっと同じように伸びているストリングスは、2小節目のアタマ(吹き始めるのと同じ場所)で打ち直して(弾きなおして)います。吹き出しはここに合わせるのですね。これが掴めればあとは「以下同文」。小節線のところ、あるいは2拍めのアタマで和音が変わりますから、そこへ合わせていくんです。

 だいたいが、4分音符40の速さということは、「ルバート的ニュアンス」… つまり伸び縮みしてナンボ。小節線超えもジャストにバチッと合わせる必要はゼンゼンないんですが、大局は見えていないと… ズレを認識できて手の内に入っていないと、ズレが蓄積してきて迷子になってしまいます。

 

 吹くまえからあまりアタマでっかちになってもいけないんで、まぁ吹いてみて。伴奏のYouTubeでの探し方は、

https://apc01.safelinks.protection.outlook.com/?url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DNfvWsJKe54I%26feature%3Dshare&data=02%7C01%7C%7Cd26e2c4d698c4401260d08d7ff115ff0%7C84df9e7fe9f640afb435aaaaaaaaaaaa%7C1%7C0%7C637258322393464402&sdata=rSb9md69AtrP1xtzadsUsssxTHA%2BRhIoM5RT%2FzSgqgY%3D&reserved=0

上のリンクをクリックするか、

 

検索エンジンで「うえの善巳」を検索

②出てきた動画一覧の中の「アランフェス・カラオケ」をクリック

で聴けるはず。再生中は上のものと同じ楽譜の画像が表示されますが、スマホの画面だと小さくてキビしいですよね。ダウンロードの方法がわからない方は郵送しますから、ご連絡ください。

 

 で、最後の段、1カッコ終わりでBにリピートしたらアドリブなんですが(笑)、

 アドリブというと、ジャズフルート科以外の方は「え、え、え、いえいえわたくしトンデモございません」とおっしゃるんですが、「ビビるんじゃなあーい!(笑)」、これもせっかくだから外出自粛中の新プロジェクト(笑)にしちまったらどうかと。詳しくは次回に。あ、参考演奏は来週あたりにアップします。録音環境が整ってないんで… (*_*)

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/10

第6回

 「楽器の持ち方・構え方おさらい」

 

 初めてフルート持つ人対象ではなくて、(現在の)ウチの生徒さん、中級レヴェルのひと対象です。何故かって、べつに「ウソも方便」じゃないんですが、まったく初めてのひととある程度経験があるひととでは、それぞれにわかりやすく理解してもらうために、こちら側も表現を変えるからなんです。本質は同じなんですけど。

 

 なので、ある程度吹ける方の、ご自身の持ち方の「再確認」と思ってくださいね。より自由に振舞えるようになるための。今現在「持ててる」「吹けてる」んですから、大改造が必要なわけではないんです。

 

 第4回に登場したベトナムの笛のような、簡素なつくりの横笛、吹いたことないですか?ないかなあ?なかなかありそうでないかもしれませんね。こんど教室に置いておきますが(笑)…

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 これはパキスタンの笛ですが、キィがないですからフクザツなことを吹こうとすると難しいけど、すぐに吹ける簡単なメロディ、あるいは「ソラシラソラシラ」みたいな、暴走族のエアホーンのような簡単なフレーズでもいいんだけど、その範疇ならばフルートよりゼンゼン易しく吹けることにオドロくはず。

 

 その理由は、

 

①楽器が小さくて軽くて持ちやすい ので手に無理がかからず、指を動かしやすい

②軽くて、とも絡みますが発音自体が容易であまりアンブシュアを気にする必要がない

 

が主な理由です。エスニックな横笛の多くは6穴で、左手親指のところに穴はないので、人差し指の付け根と対にして「むにゅ」と握ればいいんで、持ち方の苦労もないわけですね。

 

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 裏返せば、僕らのフルートの場合これらの部分を参考にすればもっとラクに吹けるようになる、と言えるわけです。で、持ち方。

 

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 フルートを上手く持って支え、両手の指を自由に動かすためには、「テコの原理」を2カ所に使います。第一テコは右手。親指が支点、小指が力点です。作用「点」がはっきりしませんが、小指を下に押すことで、歌口側が持ち上がります。軽いエスニック笛ならばほとんど意識しなくてもいい部分。でも同じことやってます。重量があるフルートの場合はちゃんと意識したほうがいいわけですね。

 

 ここでひとつ、補足説明をしておかなければなりません。フルートの持ち方・支え方にはもうひとつ、「3点支持法」と言われるものがあります。これは次に書く「第二テコ」をメインに支える方法なのですが…

 

 こちらはアンブシュアと密接に絡んできます。アンブシュアの項で、そのひとにとってのベストなアンブシュアは個人差がある、とお話しましたが、唇を引き気味にセットしたほうが吹きやすく、いい音がする、持久力もある、というひとにはこの3点支持法はメリットがあります。言い換えれば「ルーズリップ」気味のほうが吹きやすく、いい音がするひとには向かない、ということです。この続きは次の「第二テコ」のことを説明してから書きます。

 

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 上から見たの図。へたくそな絵ですみません。でもこれでお解りいただけるように(ダメ?)、左手(の人差し指の付け根)を支点として、右手全体が力点(点じゃないですね)、で作用点である唇(下あご)に押し当てる。

 左手には、フルートの重量の大部分が人差し指の第3関節にかかるのと、この第二テコの支点として人差し指の第2関節と第3関節のあいだ、垂直に近い面で力を受け止めます。合成されるとベクトルは斜めに下前方向、ということになります。現代のベームフルートは、基本的にはこのような原理で支えます。同時に少し下唇を押さえることになって、アンブシュアを安定させてもいます。

 このへんのバランスが上手くとれると、左手親指は自由になります。わりあいよく見かけるのが、親指でフルートを「押し上げて」しまっている状態。第一テコと第二テコのセッティングが上手くいけば、左手親指は楽器を支える仕事を手伝う必要はありません。

 「3点支持法」では、第一テコは使いません。右手親指先で楽器の側面を前に押すように持ちます。この場合、上図の右手部分での力点は右手親指のみで、「点」になります。

 

 これらもエスニック笛ならば、軽いがゆえに意識はしなくても大丈夫な部分。発音しやすい竹(葦)の笛でも、吹きたい音域・音量によって、唇にどのくらい押し付けたら出しやすいか、思った通りの音色(ねいろ)が出るかは演奏中常に、微妙に変化しますが、軽い・持ちやすい・振り回しやすい(?)から、出音の具合を聴いて無意識に丁度良く調節しているわけですね。

 

 さきほど「現代の」とお断りしたのは、ベームフルートも過去には、地域によっては違う支え方をしていた時代があるからです。19世紀後半~20世紀始めころの楽器には、左手の親指と人差し指の間の指の股に載せる「クラッチ(ハンドレスト)」が付いている楽器が、ドイツの木製の楽器を中心に多く見られます。ルィ・ロットをはじめとするフランス系の金属管の楽器にはあまり見られませんが、これは純粋に楽器の重さの違いと、求める音色のイメージの違いからくるアンブシュアの違いが絡むと思います。ロットは軽いからね。300g代、てのもザラですが、木管になると、僕の楽器もそうなんですが500g以上が普通です。それに加えて、この時代の奏法(正確に言えば木管のフルートを好んだひとたち)が、唇にはあまり押し付けない吹き方だったと思えるのですね。そうなると上の「第二テコ」の必要があまりないんで左手の役割は重量を受け止めるのみ、だったらハンドレストで指の股に重量かけてしまったほうが持ちやすい、てことだと思います。みなさんが最初の頃苦労した、左手人差し指の曲げ具合、とかから解放されるわけですから。逆説的には、ハンドレストを持たない現代の楽器(現代の奏法)では、「第二テコ」をつかって「ある程度」唇(下あご)に押し当てることが前提になっている、ということです。「タイトリップ」気味の奏法のひとは、左手で押し付ける方向が水平に近く・・・つまり強めに押し付けても大丈夫。3点支持法おっけです。「ルーズリップ」気味のひとは押し付けはアンブシュアの都合を優先して、下唇のかたちが変わってしまわない範囲、ということになります。3点支持法は向きません。 これらは身体的個性(唇まわりの組織、骨格の個人的特徴)で「押し」をどこで受け止めているか、によっても違うんですが…

 

 

 現代では、このころよりもはるかに速いフレーズや運動性能、ダイナミクスをこなすことが要求されるようになりました。まぁベームフルート登場以前でも、トゥルーのような超絶技巧名人はいたんですが… そうは言っても、それって音大受験生とか、プロのタマゴの話しですよねぇ。皆さんが吹きたい曲にはそこまでの性能を要求される部分はないかもしれない。でも、それだけのポテンシャルがあるわけですから、まだ追求の余地あり。もっと自由になれる世界が先にある。(*^^)v
 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/07

第5回

 

 「アンブシュア その2」

 

 楽器演奏のテクニックって、何が目的でしょうか?

 

 ひとつの表現としては、「イメージした通りの音を出すため」なんじゃないかと思います。

 だから、「イメージ先行」が大切と思うんですが、初めてフルートを持ったときは、音自体のイメージはあくまでも「聴いたことがある」フルートの音のイメージ。聴くとやるとは大違い。実際に自分で音を出してみた最初はイメージ通りに、なんて遠く及ばなかったはず。

 

 そこから練習を重ねてくると、こんどは「現実」(笑)が目の前に立ちふさがってくる。「キレイな音が出せない」「安定しない」「うまく持てない」「指が動かない」・・・

 

 現実を理解したうえで、目的は「イメージした通りに吹ける」が究極であり、テクニックはそのために必要なもの、と思います。

 

 つまり、「練習すること」が必須条件ではないわけですが、練習なし、ではアリエマセン。マトリックスのネオのように、心にイメージしただけで身体が自由自在に動いてくれれば理想的とは思いますが、「アリエマセン」。まあ脳が無意識に身体にかけているストッパーを外すように、てところは解りますが。

 

 英才教育的に、まだ脳の思考エリアが未発達そのかわりに柔軟、の12歳くらいまでなら、「よい教師の指導」と「家庭内でママゴンの監督」が備わっていれば、本人たいした理解がなくても上達します。本人が本当にフルートが好き、音楽が好き、ならばママゴンは必須ではありませんが。でもみなさんはシニア。同じ方法はベストではありません。シニアはね、子どもと比べると「身体がカタい」「新しいことを覚えにくい」のハンディキャップを逆手にとって、「亀の甲より年の功」じゃなかった、「知識のサポートを自分の練習に結び付けること」が大切になってきます。アタマで理解したことをカラダの感覚に置き換えていくわけですね。

  

 前回今回のテーマになっている「アンブシュア」絡みだと、前回に書きましたが「アンブシュアは単独で存在するにあらず」、息と口周りの連携を理解しておくことが大切です。

 

息ビームのパラメータ

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 「音が鳴る」のは純粋、物理現象ですから。空気流が持つエネルギーを音響エネルギーに変換するわけですね。 

 「息ビームの流量」は、実際のところは「息ビームの太さ」と感じるかと思います。

 

 上図で、単に「息の~」ではなくて「息ビーム」と書いたのは、ここが誤解されていることが多いからです。「息ビーム」とは、唇から吐き出されたあとの息の流れのことをいいます。

 「唇から吐き出されたあと」ですから、身体の感覚的には実はよくワカランのです。例えば、おなかちからいっぱい、でクチビルも堅く締めて、という状態。吹いている本人はさぞかし速い息を吹いているように思っていますが、楽器を唇から話して手をかざしてみると解りますが、じつはスピードの遅い息しか吐きだされていません。締めた唇が抵抗になっているからです。おなかそのまま唇を少し緩めるとガゼン息ビームの流速が上がります。流量も増えてしまいますが。

 

 そこで思い出したのが、むかしむかし、僕がフルート習いたてのころに、萩谷康一先生のところでやらされた課題。

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 フルートクラブ版アルテフルート教則本の15課に、各調でのアルペジオ練習の課題がありますよね?あれに上図のようなスラーとクレッシェンド・ディミヌエンドをつけて、8分音符60のテンポで吹きます。なのでゼンゼン指のための練習ではなく、クレッシェンド・ディミヌエンドも「音程」とかを気にしなくていいです。ひたすら意識するのは、

 

 「アパチュアのサイズをキープする」

 

アパチュアとは上下唇間の「息穴」のこと。これの大きさを変えないことが第一目的です。つまり、最初の音をキレイに出して、口周りはそのまま指だけ変えていくと途中からうまく鳴らなくなってくる。それをカヴァーするために吐き出す息の量を増やす。結果クレッシェンド・ディミヌエンドになる、というわけです。身体の感覚を呼び覚ますことが目的なので、最初の音は理想的な音、自分が出せる一番いい音、が必要ですが、上行するにつれ音程・音色ともヨロシクナイ音になってきます。それでいいんです。

 「息ビームのパラメータ」の図をもう一度見てもらうと、高い音を出すためには息ビームのスピードが必要です。アルペジオの最初の音からスラーで(ひといきで)オクターヴ上まで行くわけですが、そのためには音上行のあいだは息加速、下行に転じたら息減速、なわけですね。アパチュアのサイズが一定なので、息が加速(つまり「強く吹く」状態ですね)すると流量も増える。なので二次的にクレッシェンドになる、ということです。

 このへんを、未分化なコントロールでなんとなくこなしているところ、再確認しようよ、というのがこの課題の意図だったのですね。もちろん再確認して終わりではなく、身体の感覚(身体的記憶)に持って行っておくことがカンジンです。ここまで読んできてアタマ痛くなってきたアナタ。大丈夫です。リクツがフルート吹くわけじゃありませんから。すべては結果、つまり音がどうなったか、で判断できます。単純に、「狙った音ではなくてひっくり返った」のなら息ビーム速すぎ、「高い音が出しにくい、保つのが苦しい」ならば息ビーム遅すぎです。ではどうしたら、を考える手助けをしてくれるのが知識。固定観念にハマりこまないために、身体の感覚を柔軟に捉えられる状態を意識することも大事です。それらこれらが積み重なって、「思った通りに吹ける」カラダが手に入ってくるのだと思います。ネオみたく「念じるだけ」じゃダメなのねー (+_+)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/05/06

第4回

 

 第4回のテーマは、

 アンブシュア

 

 順序違くね?と思ったアナタ。正解! あえて「音の開発」を先に持ってきたんですが、それはアンブシュアを改良しようとすると、いろいろメンドくさいことが絡んでくるから。それに…

 

 アンブシュアはそれ単独での「理想」があるわけではなく、他のスキル… 楽器の持ち方・支えや呼吸のコントロール、身体全体の使い方と絡んでいます。それに… まぁ私見の要素が大きくなりますが、個人個人で異なる身体的特徴と絡む部分も大きいと僕は考えます。つまり複雑とも言えるし逆に考えすぎないほうがいいとも言えます。でね、

 

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石和橋たもとの笛吹権三郎像。洪水に流されてしまった母のことを篠笛を吹きながら探し回り、最後は自らも濁流に呑まれたという、笛吹きの神のひとりですが、銅像とはいえ、フルートのアンブシュアとほとんど同じに見えますよねぇ…(てランボーな)。

 

 もひとつ、

 

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 ハノイストリートミュージシャンたち。ベトナムって横笛を愛好する人多くて、Facebookのオトモダチにも、以前にフェスティバルで知り合ったハノイ音楽学校の先生つながりの笛吹き、大勢いるんですが、

 

 やっぱりアンブシュアは、フルートよりすこしユルいかな、って程度でほとんど同じに見えます。ユルくみえるのは実際のところ、楽器側の抵抗の問題で、ユルくても鳴るからです。横笛を「口で」吹く以上(フィジーやフィリピン、台湾やハワイには鼻で吹く横笛がありますが)、同じニンゲンの口を使って吹くんですから基本は一緒、ということです。ですからフルートの場合も、口(唇)のどこをどう使って吹く「べきか」なんぞという些末なことより、「どうやってふさわしい音を出すか?」になるわけです。

どうやって「自分が出したい音を出すか?」ですね。ですから先に、自分が出したい音のイメージを、出来る限りはつかんでおきたいわけですね。

 

 唇自体は、からだの各部のなかでもダントツに敏感で、柔軟です。かなりカタチを変えられます。ですからアンブシュアも、追求しだすと結構どうにでもなるんで、かえってワケがわからなくなるパターンに陥る… がよくあります。逆に、まぁなんとかはなってるんでそれ以上はナシで放置、もよくあるんですが。それと、初級中級のころよくあるのは、「相手(この場合クチビル、またはアンブシュア全体ね)への理解が不足で結果安定しない」ですね。

 

 ほかの要素との擦り合わせを考えないと、いつまでも結論が出せません。音を一つだけ、mfで伸ばして吹くだけならば相当にいろんな吹き方が出来ますが、たとえば「指」という要素が絡んだだけで、指使いをさまざま変えても、16分音符だ32分音符だ跳躍だ、とかが出てきても安定したアンブシュアがキープできなければなりません。そのためには「ベトナムの笛に比べると」ある程度下あごに押し付けることが必要で、そのへんも「ベトナムの笛ほどは」ユルく吹けない原因でもあります。

 

 で、このことばかり考えていては「地下鉄はどこから入れるんでしょうね?寝られなくなっちゃう」(古いか?)になってしまうので、「音のイメージ第一に」、唇のことは考えすぎないこと、になってしまうのですね。もうひとつ書き添えておくならば「無理しない(させない)こと」。お話したようにクチビルかなり柔軟なので、かなり無理ききます。短時間ならば。でも日常の行動と同じで、無理は長続きしません。このへんが「身体的特徴の個人差」に関わるところです。あごの骨格、唇組織の筋肉の違いなど、限りなく「個性」があって、ある人は唇引っ張り気味にテンションを与えたほうがいい音がする、でも違う人には「唇を引っ張る」こと自体が向かない(すぐ疲労する)ということもあります。

 多少の「トレーニング」は必要としても、追求のあまりいつのまにか「それはムリ」領域に踏み込んでいるパターンもままあるので注意。でも自分では気が付かなかったり、もアリガチです。まぁそういう時のためにわれわれのような人種がいるんですけどね。よく言われるように「独習」だとそこいらじゅうに落とし穴があって、気づかず落ちてしまうことも。「先生」はそこから救出する役割ですから。でも正確には「ひっぱりあげる」んじゃなくて「脱出法を教える」(つまり這い上がるのは自力で!)なんですが。

 

 公開の記事にしてはいますが、基本は僕の生徒さん向けの「在宅ワーク」の素材です。僕とお付き合いのある生徒さん方はご理解いただいていると思う(信じる?)んですが、あまり一般的なアプローチではないです。「一般的に」ならば、常識的なカリキュラムに従ってエチュードを段階的にこなしていけば、解らなかったこと(概念)の理解とともにスキルもついていきます。エチュードを無視するわけではないんですが… 僕自身、日課練習としてスタンダードなエチュードは必ず吹きますから。なので、偶然なにかの縁で出会った、ちーとへそ曲がりな先生の、「へそ曲がりな発想」だと思ってくださいね。常識的な内容は他にいくらでもありますから、そちらご参照を。 (*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/30
第3回

 

 それじゃあ第3回いきます。今日のテーマは、

 

 「音の開発」

 

 オイオイおそうじからいきなり難しいハナシに、って思わないでね。みなさん、何を目的にフルート吹いていますか?楽しむため。おっけ。ではどういうふうに吹けたら楽しいですか?

 

 このへん、それぞれでいいです。クラシック音楽の場合だとなんとなく「カリキュラム」のようなものがあり、フルートならアルテスの第1巻から始まってケーラー、アンデルセンベーム、ススマンのエチュード、みたいな。

 

 これらを一生懸命に(ユルくてもいいんですよ!)段階を追って吹いていくと、自然にフルートでいろいろな曲を吹きこなすスキルがついていきます。そこが伝統的な、時空を超えて受け継がれている名エチュードたるゆえん。音のコントロールも当然その中に含まれます。でもこれ、ある意味「クラシック音楽限定」スキルなんですよね。

 

 だから、「わたくしクラシックの楽曲はまったく興味ありませーん」という場合は、必須とはいいません。烏山の教室には、バッハだフォーレだとかは「なんだそれ」で、長渕剛とかをひたすら追求するオジさん、いますから(笑)。目的はそれぞれでいいんです。


 

 で、カラオケに合わせてフルート吹いてみたこと、ないですか?「川の流れのように」でも「花は咲く」でも、はたまた「イエスタディ」でもなんでもいいんだけど。それで、「なんかサマになんねーな」と思いませんでしたか?

 

 そのワケのひとつは、「クラシック音楽限定」の音で(さらに言えば価値観で)吹こうとするからなのです。美空ひばり、美しい声ですけどクラシックのオペラ歌手とは違いますよね?ベルカントと比べてしまったらむしろ「ダミ声」の部類かもしれない。でも「川の流れのように」は、あれじゃないとダメなんです。もちろん大歌手美空ひばりですから、その人の音楽性ってもんもあるんで、同じ声だけ持ってても同じように歌えるわけではもちろんないですが。

 

 クラシック音楽にはそれにふさわしい音色(ねいろ)と響き、ジャズにも、ポップスにも、キューバンラテンにもそれぞれにふさわしい音があります。それとね、「作曲家(作詞家)と演奏者、どっちがエラい?」がね、クラシックだと「ベートーヴェン交響曲第5番運命、指揮カラヤンベルリンフィル」でしょ。ポップスは「美空ひばり/川の流れのように、作曲… 誰だっけ?(見岳 章センセイです。ちなみに作詞は秋元 康ですから。AKBだけじゃないんですねぇ)バンド… 誰も知らない」でしょ。順番が違ってて、オリジナル歌唱が重要な意味を持つんですね。で、それにふさわしい音を手に入れるにはどうしたら?

 

 21世紀、現代ならではのテクノロジーにあふれています。100年前、いや20年前ですら想像もできなかったようなものが。そこでオススメするのは、

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 YouTubeの活用。でもだれちゃらがフルートで吹いてる「川の流れのように」を一生懸命聴いてもダメよ。美空ひばりのオリジナルをよーく聴くんです。もし「川の流れのように」を吹いてみたい、と思っていたら多分楽譜を手に入れてると思うんですが、はい、ここが落とし穴の入り口。クラシック「だったら」楽譜は隅から隅まで、アーテュキレイションから発想記号まで、ひとつの見落としもないように読むところから始まりますが、ポップスでは必ずしも、楽譜は「絶対」ではありません。 

 

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 市販の楽譜だと、「川の流れのように」のメロディ冒頭は上のAみたいなカンジだと思います。「KEYが違う」とかそういうことじゃなくて、音符とかアーテュキレイションとかがです。でもYouTube上にある、「美空ひばり最後の映像」をよく聴くと、どう聴いてもBのように聴こえます。
 これは「ニュアンス」のたぐいだとは思いますが、じっさいのひばりサンを聴かないでいくら楽譜で「あーでもない、こーでもない」とやっててもサマにならないことは確か。別に形態模写するわけじゃないんで、ひばりサンが歌っているニュアンスをそっくりそのまま真似る必要はないんですが、ビブラートの付け方だってクラシックの常識的なビブラートとは違うじゃない。そのへんは「よく聴けば」、サマになるように吹く方法は見えてくるってもんです。本来、芸事は「口伝」によるもの。楽譜は文字とおなじで、もし楽譜がなかったら情報伝達にはエラく時間がかかるし、文字を持たなかったインカ文明のように、後になったらなにやってたかよくわからない状態になってしまいますが、「音楽」なんだから聴くことのほうがはるかに重要度高し。

 

 

 きょうの標語。

 

 「視野は広く、思い込みはキケン」

 

 

 

 おあとがよろしいようで m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/30

第2回

 

 前回は楽器のおそうじのお話でしたが、まだおそうじしていない部分があります。

 

 そう、「頭部管」

 

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 外側はクロス拭きしているとして、普段やっていないところがここ、チムニー(ライザーとも言います)の内側。毎回掃除しなくてもいいんですが、たまにやっとかないと結構汚れてたりします。

 

 方法は、例によって綿棒に消毒用アルコールを含ませて拭く。今のご時世ぬるま湯で代用可。でもここには例のアルカリクリーンシートは使わないほうがいいかも… なんとなく。そのわけは、この部分は大変にデリケートなので、綿棒でさわる程度にとどめておきたい、ということもあります。穴のフチには絶対にさわらないように、円筒の内側を壁に沿って拭くていどにしておいてください。あ、ちなみにここの汚れって、フルート吹く前にかならず歯磨きするか否かでエラく違いますから、吹く前歯磨き習慣のない方はこの際、「一生自分の歯を使おう」のためにも習慣にすることをオススメします。ま、故吉田雅夫先生によれば、総入れ歯を入れ忘れてもフルートは吹ける(しかもいい音がする)らしいんですが…

 

 穴のフチ(エッジといいます)デリケートなんだから、ついうっかりブツけたりしないように気をつけてね。あ、それにリッププレート自体、銀製だと強く押したりすると簡単に曲がります。いちばん最初にフルート持ったときに、取り扱い方としてリッププレートの部分は握らないように、って言ってあるはずなんですが、いつの間にかわすれて思い切り握ってないか、確認してみてください。

 

 

 

 おそうじばかりでなくてそろそろレッスンらしいことを、と思いますので、次回からはそれらしくいたします( ^^) ~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020/04/28

第1回

 

 前代未聞の事態で家に籠らなくてはならなくなってはやひと月。普段からユルい僕のクラスですから、最初のうちは「レッスン出来なきゃお休みにしといたほうがみんなも僕もウレシイじゃん」と思っていたのが、そうも言っていられなくなってきました・・・

 

 でも、日頃のレッスンを思い出していただければお解りかと思うんですが、

「個別対応・その場対応・オリジナル教材・思いつき重視」のわがクラス、ビデオチャット使ったとしてもリモートで成り立つとは思えないですよねぇ。

 

 内容もみなさんそれぞれ違っていますから、ここでは共通する、どちらかと言えば欄外のことを並べます。このへんは普段、時間がなくて説明が行き届いていないかもですから。

 

 

 記念すべき第1回のテーマは、

 

 「おそうじ」

 

 

 

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 フルートの細かいところ、キィの下の台座部分などは、普段クロスで拭くときにも届きませんから、ホコリがたまりやすいところです。ご自身の楽器のキィデザインがピントップアーム(画像のような)の場合には、キィカップとアームの境の部分にも汚れがたまりやすいですね。

 

 クロスの届かないポスト(キィを支えている円柱)や台座は市販の綿棒に消毒用アルコールを少し含ませて拭いてください。消毒用アルコールが貴重な昨今、ぬるま湯でもいいです(すぐさめるけど)。

 

 ピントップとの境は、やはり消毒用アルコールをペーパータオルに少し含ませて、親指の爪先をうまくつかって拭きます。ゴールウェイも「アルコールで拭いてキレイに保ちましょう」って言ってた。でも今、消毒用アルコールは貴重品ですよね。そこで登場するのが、

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 この手は弱アルカリ性ですから、フルート表面の黒ずみにも若干ながら効果があります。あれは酸化銀ですから、酸化還元反応で多少なりとも中和します。ピントップの陰にたまっている黒いよごれも、手の分泌物+ホコリですから酸化物。

 

 でもフルートのおそうじ、大事なことは「やりすぎないこと」。使い続けて年期が入った銀のフルートの黒ずみは完全には落ちません。リペアさんに頼んで磨いてもらえば新品同様のピカピカになりますが、だいたいが銀のフルートはいぶし銀の趣になってこそ価値がある、と以前は言ったもの。最近の若い世代は異常に変色を嫌がりますが、潔癖症世代なんでしょうねぇ…

 

 あ、ちなみに金とかプラチナの楽器は変色しませんから、ご予算に応じてどーぞ(笑)。銀の楽器用に、ケースに入れておいて変色を防ぐシートとかもあります。
 
 

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 よく見えないかもですが、キィのパイプから短くて黒い突起が生えているの、分かりますか?

 

 これはノックピンといって、キィのパイプと芯金を止めているのですが、出っ張っている部分にはよく手が触れるので、サビがちです。(メーカーによってはステンレスの場合もありますが)

 

 ここもアルカリおそうじシートで拭いておくと、多少なりともサビの進行を遅らせられます。まぁこれを抜くのはオーバーホールの時くらいなんで、リペアさんはサビてアタマがなくなっていても抜いてくれますが。

 

 

 

 おそうじ以上。質疑応答はメール、ショートメールかLINEで (*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽器博物館

 ♪ 楽器博物館!! ♪

2012/05/20
















 GWを利用して、ブリュッセルアムステルダムを廻りました。ブリュッセルにはおそらく世界最大規模であろう楽器博物館があるのです。で、そこにあった様々な楽器のなかで最も目を剥くもののひとつがこのピアノ。魚眼レンズで撮影したわけではありません(だいたい魚眼なら鍵盤が逆に曲がる)。見たことも聴いたこともない、ラウンド鍵盤ピアノ。19世紀中ごろのものです。

 しばしア然としましたが、落ち着いて考えてみれば、まぁ考えることは解る。しかし…

たしかに鍵盤の端のほうに指は届きやすくなるわな。でも実際には左端超低音域や、右端超高音域ってそんなに使うもんじゃないんだよね。これって実際弾きやすいんだろうか?



 さすがに試奏は出来なかったので、なんとも言えないのですが。








 5月の終わりに、ハープと一緒の演奏会が予定されていたので、MCネタ仕込みにちょうどよかったのが、いわゆる竪琴の範疇に入るこの楽器。ハープの仲間は世界中にあります。「ビルマの竪琴」の水島上等兵が弾いていたような竪琴。ここの博物館のスバラシイところは、音が聴ける(録音ですが)ところなのですね。この楽器の音色は、「ハープ」という楽器のイメージからはかけ離れた、「ビヨーン」的な音色。琵琶を思い出させるというか、インドの楽器にも近いような…

 たしかに考えてみれば、現代のハープのような音色を出す為には弦のテンションが相当必要で、しっかりとしたフレームと胴体がなければムリです。この楽器のように、いわゆる「棹」に弦を張った構造ではそうそう強くは張れない。で、いきおい「ビヨーン」系の音色になるのですね。








 ほかにも興味をひかれたことは、「ひとりで出来るもん」系の楽器にも歴史があるということですねー。俺も基本的に共同作業嫌いだから、腕が4本あればフルート吹きながらピアノ弾けるのにぃ、といつも思うのだが、似たようなことを考えたヒトは過去にもいて、さまざまなマルチ楽器が展示されていました。バグパイプとかも笛吹き2〜3人ぶんのシゴトをしているわけですが、ストリートオルガンに代表される自動演奏機械もいろいろ展示されていて、かなり面白かったです。









 違う日に、アムステルダム近郊の、有名なキューケンホフへ行ったのですが、エントランスから入園するとなにやら遠くのほうからニギヤカにブンチャカブンチャカ音がする。で、行ってみるとこれ。



 超大型のストリートオルガンですね。これも19世紀半ばのものですかね。この写真では大きさがよく解らないですが、クロネコヤマトの配送バンくらいの大きさはあります。裏には打楽器類もひととおり付いていて、マーチ「旧友」なんかもいいカンジで演奏してました。動力はモーターに改造されていましたが、記録紙はペーパーロール(てか、連続しているシートが折りたたまれて1曲が百科事典1冊なみの状態)のままで、1曲(1冊)は3分くらいしか持ちませんから、百科事典交換係のオジさんが裏に張り付いています。

 立派な文化遺産ですね。立派な音楽の歴史の一部ですね。でもヨーロッパの文化なわけですね。当然。日本はそのころ、徳川幕府鎖国政策の時代。

 またしてもゴーゴーの非難浴びるのを承知のうえで言わせてもらうと、いつのまにかニホン各地に出来たオルゴール博物館、あれうさん臭いと思うんだよね。俺個人としては。その時代その文化リアルタイムの時はゼンゼン接点なかった文化なのであって、ニッポンジンなら水琴窟にシシオドシ、からくり人形だろう、って。

 百歩譲って200年前のストリートオルガンではなく、明治以降に入ってきたボックスオルゴールだったとしても、それって舶来生活文化のひとつに過ぎないのであって、「オルゴール」に限定して博物館つくるほどのものか?そこには例の、「話題性デッチあげて客呼んでガッポリ儲けよう」的、底の浅いエセ文化商売のニオイがする。

 まぁ大英博物館とかもヨソからカッパラってきたものが主要な展示品なわけで、博物館てのは本来そんなもん、とも言えますが。




 オルゴールついでにもうひとつ。他人は俺をヘンクツな人間というが、まぁ認めよう。そのヘンクツさゆえに会話してて価値観あわず、「キミとボクはオトモダチにはなれないね」ってなることはしょっちゅう。

 いつぞや府中のフォーリスで、ハンドメイドの高級オルゴールの展示即売会してたんだが、そこで商品説明してくれた社長と俺との、ハナシの噛み合わんこと。

 「当社のオルゴールは伝統的なゼンマイに替えてモーター駆動とし、長時間連続演奏を可能といたしました」

 「あのーオルゴールってのはゼンマイとかドラムとかディスクの制約からくる3分とかの時間のなかで成立させる編曲とか、時空間とかが楽しむための重要な要素だと思うんですけど」

 …「それに連続演奏が可能なことで、例えばオフィスでBGMとして使っていただき、残業時間とかにも豊かさをもたらしてくれると好評いただいております」

 「そりゃ有線放送流してるよりはマシでしょうけど、そもそもBGMってのは音楽の垂れ流しだし、だいたいが残業やめて音楽会にでも行ったほうがよっぽど豊かな時間なんじゃないですかぁ」

 ウチには娘が生まれたときに、皆さんからいただいた出産祝いを投入して娘にプレゼントした、スイスの名門リュージュのオルゴールがあるのだが、

 …「例えばリュージュとかですとね、まぁ私共の目から見ますとメカニズムの精度とかに問題がありまして、定期的にオーバーホールが必要だったりするわけですが、その点当社の製品はメンテナンスフリー、収録曲も最新ヒットを取り揃えております」

 「あのねリュージュはたしかに、演奏中ときどき引っかかったりしますけど、モーツァルトヨハン・シュトラウスなんかが、ちゃんと音楽的な編曲されてるんですよ。たぶん娘がおばあちゃんになっても楽しめると思う。『千の風になって』とか(こんなダサい編曲で、とつけ加えるのはやめといた)、80年後に聴いてオモシロイと思う?」





 アミューズメントではフツー、TDLとか(に限らんが)だとスピーカーから流れるBGMだよね。てか、まあ世界的にそっちのほうが普通だ。キューケンホフでのBGMがストリートオルガンなのはレアなぜいたくだろう。今となっては主流になることはアリエナイ。でも、20世紀的な資源や電気は使いたい放題、浪費は美徳的価値観、市場経済絶対主義、効率最優先主義とかをそろそろ見直すべきなんじゃないかって、東日本大震災福島第一原発事故のときにみんな思ったんじゃなかったっけ?






 音楽家が伝えなければいけないことを改めて考えた旅でした。




























m(_ _)m

マイク・モニターの使い方


このときはジャズのカルテット… の筈が、結局吹いたのはエマヌエル・バッハ無伴奏1曲だけだったので、ドラム・ベース・ピアノは下がっていただいてノーマイク




 これもよく受ける質問。「フルートに使うマイクは何がいいですか?」


 ステージと録音では、全く選択が違ってきますが、そして録音ではフツーエンジニア任せなので、ここではステージでのことに限ってお話すると、ステージで、一番「ツブしがきく」のは、今のところ定番の、SHURE SM57のようです。その理由は…


 マイクの使い方、という中で、プレイヤー側の責任としてステージでやるべきことのひとつに、マイクとの距離の調節、があります。フルートは高音域のパワーが他の音域に比べて大きく、ラテンでの超高音域などでは、意識してマイクから離れるようにしないと、お客さんの鼓膜破りになってしまいます。エンジニアはフェーダー操作してくれますが、あまり細かい変化には対応しきれません。彼が操作しなければならないのはフルートのフェーダーだけではないからね。逆にジャズで、スローなバラード系などでは、低音域特有の音色を生かしてのソロを吹くことがあります。このようなときは、マイクの近接効果を利用するために、マイクとの距離を極力つめて(ボクは鼻先をかるく57のリング…あのギザギザのヤツ…に当てるようにしています)、息的にはffではなく、幅の広いゆったりした息で吹きます。基音成分の勝ったクリーミィな音になります。


 それらこれらを考えると、マイク側の条件としては、
① マイクが音に色付けしないこと
② 指向特性が適度に鋭いことはもちろんですが、距離に対する感度の変化がリニアなこと➡︎これらはマイクからの距離、角度を変えてヴォリュームを調整するので。
③ ①とも関係しますが、ハウリング・マージンが大きいこと。
が求められます。そのへんを追求すると、現在のところ結局、定番SM57になってしまうようです。


 …余談ですが、57も58も、結構個体差があるのですね。楽器選定のように、マイクを新品状態で選定することって普通はありませんから、何本かあるうちにいいの悪いのバラつきがあったとしても、それが出荷時からのものなのか、使用過程でコンディションに差がついたのか、エンジニアならともかくプレイヤーの立場では判断が難しいですが、先日たまたま、オール新品ではないですが、使用状況・管理ともに悪くない数本を試してみて、あきらかに個体差があることを確認しました。フルートの音のリアルさを決める2k〜3kHzあたりの「抜け」があきらかに違う。EQはなるべくブースト側には使いたくないから、もともとこの帯域の特性がいいにこしたことはないのですね。その中のベスト57に、デカデカと名前を書いてマイマイクにすることにしました…


 マイク距離のコントロールをやりやすくするためにも、マイキング…マイクのポジションは重要です。先ほどお話したような、極端なオンマイクから、超高音域鼓膜破り回避のためのオフポジションを自在に行き来するためには、ブームスタンドを使って、マイクが鼻の高さ(フルートよりやや高い位置)でほぼ水平になるようにセットします。フルートを吹く息は、水平より下向きに出ますから、これだと鼻が当たるところをリミットにする限りマイクを「吹いて」しまうこともなく、フルートがマイクに当たって傷つくこともなく、マイクから「逃げる」ときも距離をつかみやすいわけです。


 逆に、もう少し「おとなしい系」の音楽で、他の楽器とのブレンドを重視する場合には、少しオフ気味(マイクを離す)で、フルートよりも高い位置、ななめ前から、頭部管の歌口よりも少しジョイント寄りを狙うようにします。こうすることによって設定した距離よりもオンマイクになることを防ぎ、さらにオフにしたいときは、マイクにメガホンが付いている状態をイメージして、その範囲から逃げるようにします。


 屋外だったり、あまりないけどジェスロ・タルのようなロックでフルート吹く(トータルでの音圧変化が少なくてマイク距離調節の必要がない)ようなときには、コンタクトマイクも便利ですね。コンタクトだと動き廻れる(踊り廻れる)からね。ボクは最近はクルマの中にいつも、YAMAHA ST5&MC7のセットを積んであります。これは必要最低限のエフェクトも積んでるから、手元でエフェクトタイプ・パラメーター変えられるしね。ただし、ST5のアウトプットはアンバラだから、すこし大掛かりなPAにつなごうとするときは、あらかじめPAさんに相談しておくか、自分でDIを持ち込む必要があります。このセットはあくまでも簡易バージョンですから、SNはあまりよろしくなく、音響さんによってはいやがられるかも。最近ではST5のエフェクトを使うことも減ったので、代わりのコンタクト(あるいは至近距離用)としてゼンハイザーのE608を検討しています。


 いずれにしてもモニターから聴こえる自分の音をよく聴いて、自分で判断できない部分はエンジニアに助言を求めるか、バンドの他のメンバーに聴いてもらいます。






 ご質問は、yocchy6456@hotmail.co.jp まで
































































m(_ _)m

フルートとバンスリ・篠笛


 北インドの伝統音楽で使う、「バンスリ」という葦の笛があります。「神の笛」とも呼ばれ、いろいろな音域のものがあって、低音用のものはアルトフルートなみに太くて長く、当然キィワークはありませんから、手の小さいボクは指孔をふさぎきれない。インドの名手、パンディド・ハリプラサド・チュウラシアの手にかかると、この低音バンスリは、この世のものとは思えないような深遠な響きを奏でます。まさに神の世界へといざなうような… と、シロートのように感心しているばかりではなくて、フルーティストとして、わがフルートとの違いを仔細に観察してみると…


 歌口は、うすい素材にアナあけただけの当然として、フルートでいう「チムニー」(ライザー)は、ホールの直径に比してえらく低く、結果レスポンスはえらく早い。反面ダイナミックレンジは狭い。管体の材質が密度の低い材質であることもあって、微細な息にはすぐ反応しますが頭打ちが早い。アナの数は基本、世界の民族系横笛によくある6穴です。ペンタトニック・スケールなら6穴で充分なのですが、過去にイスラム文化や、イギリス統治時代にヨーロッパの影響も受けている北インド伝統音楽のスケールはペンタトニックではありません。導音を多用することや、特徴的なクォータートーン微分音)のことを考えれば多様なフィンガリングの可能性があったほうがいいようにも思いますが、奏法として指穴のハーフオープンや、口でもいわゆるメリ・カリをやりますから、孔を増やして指使いが煩雑になるよりは、音程のアジャストはそっちでやるほうが現実的、というところでしょう。指のほうにはかなり「早弾き」的なフレーズもあるので。ただ、先程「基本6穴」と書きましたが、バンスリには開端近く、こんなとこ指がとどかないダロ、ってところにも音孔があり、(中国の笛子にもある)普段はふさがないのですが、前出のハリプラサド・チュウラシアはえらく手がでかく、この孔を小指で開閉してのプレイが、彼の特徴だそうです。


 材料は、いわゆる葦のような、篠竹のような… えらく薄くて軽くフシもなく、さきほどの低音バンスリだったとしても、その重量はびっくりするほど軽いのです。


 面白いのは、一流のプロが使うようなランクの楽器でも、コルカタの楽器屋にならんでいる新品の時点ではたいした値段じゃないんです。ところが、名手が長年使い込んだものは、目玉が飛び出すような値段が付く。吹かせてもらうと確かに、新品とはまるで違う音がするんです。
 日本の篠笛・能管や、インド楽器でも例えばシタールサロード等と比較すると非常に簡素なつくりで、筒の片端をコルク状のものでふさいで、あとは火箸かなんかで孔あけただけです。実際、指孔の周りはコゲてる。表面の仕上げも、なにもしていない。なにも塗ってないし、オイリングもしていない。それだけに、新品のときはいわば「半完成状態」で、使い込まれていくうちに楽器・発音体として成熟していく部分が大きいのでしょう。
 木のフルート吹くようになって初めて実感しましたが、木や竹の天然素材の場合、水分や油分が音に及ぼす影響って大きいんですね。木管のフルートの場合よく言われるんですが、ケースから出して組み立ててスグ、は「鳴らない」。しばし吹いていて、水の分子が木の繊維組織のなかに入り込んだであろう時点で、おそらく含水率が演奏中の数値になってはじめて本来の鳴りになる。ブラウンが金ライザーを入れるのは、それを嫌ってのことだからだそうな。知人でプラハ交響楽団のピッコロ奏者、そして最近はピッコロ製作者でもあるスタニスラフ・フィンダさんも、木管フルートに関しては、チムニーに金属を入れないと「センシティヴ」すぎて吹きにくい、って言ってた。このヒト自作のピッコロは、「ボアオイル」てレベルなんかでなく「オイル漬け」にして保管するんだけど、それって繊維組織のなかを、水分子が入り込む前にオイルの分子で満たしてしまおう、って作戦なんダロな、と想像しています。でも行き過ぎてフヤけないのかな?


 で、ここからはタブンに想像の世界ですが、「手づかみ」で食事するインドのバヤイ、おててがかなり「オイリー」なわけですね。最初のころ、インドツアーしてて一番困ったのがこれ。モチロン食事の前と後にはちゃんと手を洗ってますし、インド製ニベア石鹸の洗浄力を信用してないから、ニッポン製牛乳石鹸も持参しているのですが、それでも毎回手づかみでカレー喰ってると、やっぱりおてては「スベスベ」になってきて、メシ喰ったあとで金属のフルートだと持っててすべるのなんの。特にゴールドってスベるよね。バンスリでは管の素材から言ってそういうことはないわけね。やっぱり文化はすべてが絡み合って成立してる…


 …というのは冗談としても、使い込んでいく過程でゼッタイ「オイリング」されてる。内側も外側も。木管のフルートやトラヴェルソ、リコーダーでもオイリングは音に影響する重要な要素だし。連中そういう風には考えてはいないだろうけど、もし日本でもっぱら和食のニホンジンが使い込んだとしたらインドとは音違うダロなぁー。 


 対して日本の篠笛・能管ですが、仕上げに「漆」を塗ります。塗膜がかなり厚くなるまで、内側は棒の先に付けたタンポを使って、管の内面を覗きこみがら、繰り返し塗るそうです。結果、笛師は長年やってると目を悪くするのだとか…
 能管の場合はさらに、高級なものは「割竹」という製法もとることがあり、これは竹をわざわざ一度縦割りにして、それを裏返しにしたうえで一本にまとめる、という製法です。その上にやはり漆を塗って「固め」ます。やはり文化、楽器はそれぞれの地に根ざしているなあと思うのは、漆は水分によって固化するという点です。合成樹脂を含めても最強の樹脂と言われる漆ですが、多湿な気候の日本にピッタリな素材でもあるわけですね。




 繊維の上に樹脂を塗って固める、というのは、現代のFRPと同じわけで、先人の知恵を感じる部分でもありますし、現代フィンランドのフルート製作者、マティットの「カーボンファイバーフルート」とも、いわば管体は同じような組成と言えるわけで、オモシロイですね。硬化した漆の内壁が生み出す「透る音」が、日本人の感性が求めた音だったわけですね。そしてそれは、見かけは同じ6穴の横笛でも、バンスリとは、求める世界観がかなり異なっていた結果なわけです。









































































m(_ _)m

スタジオミュージシャンのおシゴト

 一般の方から想像しにくい世界っていろいろあるけど、「スタジオミュージシャン」もそのうちのひとつじゃないかな?この20年、ご他聞に漏れず、このギョーカイもずいぶんと構造改革(?)があって、いわゆる「フリーのスタジオミュージシャン」は、ずいぶん居場所を失った。以前は「インペク屋さん」と呼ばれる、ミュージシャンをブッキングする事務所からおシゴトを依頼されることがほとんどだったけど、生録音の総量の減少と、従来の形態にはそぐわないスタイルが増えたことで、アレンジャーが懇意にしているプレイヤーに直接発注することが多くなったんだよね。予算減少のせいもあるけど。

 実際の録音現場に至るまではですねえ、インペク屋またはアレンジャーから、「○月○日の何時、空いてる?」というデンワを受けるところから始まる。そこで「すみませんその日はNGです」だと、「あ、そう。じゃまたよろしくね」となってしまうのがフリーランスの悲しいところ。要するにダレでもいいんだよね。(もちろん実績があるなかからのセレクトではありますが)諸センパイ方見てても、トシいくにつれ「指名入札」のカタチで仕事したいと思うようになる。自らのアイデンティティの確認のためにも。まあ「職人芸的」な世界だともいえるのですが…

 指定された○月○日、○○○スタジオ○○STには、遅くても30分まえには着くように出かけます。仕事始めた当初、センパイ方から一番にうるさく言われたのがこれ。「スタジオミュージシャンは時間厳守」 ニホンは録音ギョーカイもハイテク=高コストだから、スタジオ使用料は時間あたり、大きいところだと何10万円にもなるわけ。時間内終了は絶対命題なのです。
 スタジオのメインルームの入り口には、その日の録音の配置図が掲示されてる。それを確認して、「FLUTE」と書かれているブースに入り、楽器のケースを開ける。編成がデカくてブースが足りなかったりすると、フルートってそんなに音でかくないから、メインルームへ通じる二重扉のあいだに入れられちゃったりする。建替えるまえの昔のキ○グレコードのスタジオなんて狭くて、「ここも使うんかい!」みたいなところまでブ−スとして使ってたから、本番中にそば屋の出前持ちが扉開けちゃったことがあったっけ… 木管のフルートを使うようになってから、それまでよりも早めにスタジオ入りするようになった。木管の楽器はその場の気温・湿度に慣らして、しばし吹きこまないと鳴ってこないんだ。とくにボクのはおじいちゃんだから、寝起き悪いからね。ニンゲンの年寄りとは違って。

 そのころ到着する譜面をチェックしつつ、ウォームアップしてると、アシスタントがマイク位置を合わせにくる。そういえば最近はマイクの感度がよくなったのか、以前ほどオンマイク(マイクが近い)ではなくなったから、キィノイズとか、ブレスノイズにさほど神経質にならなくてもよくなったなぁ。昔は少しでもキィノイズがするようになったら楽器屋さんで調整してもらわなければならなかったから、しょっちゅう通う必要がありました。そのせいで、ボクのガタガタヘインズとかは使いづらく、録音にはキィワークの出来がいい○○マツDNを持っていくことが多かったですね。

 で、時間になると、ディレクターの「おはようございます。それでは一度お願いします」の声がイヤホンから流れて、ドンカマが鳴り出したら間発入れず、ドラムのプレイヤーがカウントを始める。たまに生徒とかを見学に連れてくと、みんなオドロクのはこの進行の早さ。このペースについていけないとスタジオミュージシャンは務まらない。長年やってるとみんな、性格まで短気になってくる。常に時間に追われてるから、当然早メシ早○○芸のうち。カラダによくないですねー。指揮台の上では、たいていアレンジャーが指揮します。ブースから直接見通せない場合はモニターがありますが、あんまりマジメに見ててはいけません(?)。でも最後の音の切りは指揮見てないと。コンマスの弓見てないと合わないことも多いけど。
 一度演奏した後は、アレンジャーはコントロール・ルームに戻って、ディレクターやプロデューサー、立ち会ってる歌手本人と最終確認。この段階ではもう大変更はないけど、テンポが多少変わったり、アーテュキレイションやオクターブの変更はある。だいたいポピュラー奏法では、アーテュキレイションはプレイヤーの責任だから、音楽のスタイルによってのあるべきアーテュキレイションを知っていることが必要だし、イヤホン越しに聴こえる他の楽器とのアンサンブルを聴いて、自分で決めなければならないこともしょっちゅうある。音程にしても弦のヒトは音楽的音程にうるさいからね。よく聴き合わせないとニラまれますから。おーこわ。
 この後はテスト録音→本番。テストは必ずプレイバックされるから、ブースから出て、メインルームのラージモニターで、バランスや音程感を確認します。マイクを通した音は生とは微妙に違って聴こえるし、アンサンブル上、倍音の都合で音程感が違って聴こえることもあるから。
 それらを修正のうえ、もう一度、本番の演奏をして、事故がなければその曲は終了。都合三回しかその譜面を吹いてない。だから次の日になったら、曲名まですっかり忘れてる。なので街中のどこぞからBGMで流れてくるのを、「ノリ悪いフルートだなぁーだれだべ」なんて思ってると、その数秒後に「オレじゃん」てなることもある(-_-メ)


 この後に、ミックスダウンを経て、歌手が歌を「カブせ」るわけですが、演歌だとオケ録りの段階でもう各楽器のバランス取っちゃってるから、スグにウタ録りになることもよくあります。いつかさ、オケ録り終わって楽器片付けてたら、ヨボヨボのおばあちゃんが入ってきて、「ちょっと発声練習いたします…うぉーあーぅおえーーーー○×△〆」って、ニワトリが絞め殺されるような声で歌いだした。ボクはびっくりして、そばにいたインペクの爺さんに「だれ?あの婆さん?」と訊いたら、「おまえ二葉百合子大先生を知らんのかぁ!!!」と、えらいケンマクで怒られた。だって若いんだもーん。

   
























































m(_ _)m

蓄音機

 10年まえくらいかなぁ?京都の法念院へ清水きよしさんとのジョイントコンサートで行った折、近くの喫茶店で生まれて始めて蓄音機の音を聴きました。クレデンザかグラモフォンだったか、いずれにしても大型のフロアタイプで、ルックスもアンティーク家具のような堂々としたものです。これが作られた時代…1920年ころかなぁ…では、「家庭で」これを楽しむことが出来たのはアメリカの大金持ちだけだったのですから当然ではあります。で、その音は…

「○×△♪★◎#?Ωξ!!!!」

 びっくりしたぁのヒトコトですね。うえのハタチのころにはオーディオに凝りまして、スピーカ自作はモチロン、FETアンプに当時発売されたばかりのDATを駆使して「原音再生」目指したもんです。それらが目指していた方向とはゼンゼン違うんです。



 形容としては使い古された言い方ですが、ヴォーカルは目前で歌っているよう、チェロは松ヤニが飛び散っているようです。でもそれって決して「原音再生」じゃないんだな。



 勿論、「再生」には違いないし、当時のエンジニアだって当時のテクノロジーを駆使して「原音再生」に近づこうと苦労したのだろうけど、現代人の感覚で聴くと、蓄音機てのは再生機器ではなくて、「楽器」に聴こえるんだな。
 電気なし。ターンテーブルを廻す動力はゴツいゼンマイです。針で拾った振動も、あいだに一切、電気が介在することなく、ホーンでの増幅のみで豊かな音になります。初期の録音では、盤面への記録すら電気カッティングではなく、再生の真逆にラッパで拾った音のダイレクト・カッティングですから、録音〜再生の間、一切電気のお世話になっていない(まぁまだ電気がなかったのですから当然ですが)。停電したらすべてがアウトの現代テクノロジーに比べ、なんとスガスガしいこと!

 「テクノロジー」の目的のひとつが、「多くのヒトが恩恵を享受できること」であるとすれば、現代の音楽に纏わるテクノロジーは、たしかに「間違って」はいないでしょう。CDラジカセが普及したおかげで、ウチのバァさんさえ、自分で気軽にナツメロを楽しめるようになった。ムカシは気軽も手軽もなかった。ボクの少年時代でも、アンプにあらかじめ火をいれて暖めLPレコードを傷つけないように注意してジャケットから取り出しターンテーブルに置いたらクリーナーかけて針もクリーニングしてトーンアームをそっと下ろして…… あー思い出すだけでメンドくさ。こんなことバァさんはようやらん。




 でもね、インド見てるといつも思い出す、「得るモノの裏に失うモノあり」の原則。けっきょくどっちをとるかなんだけど、仕事で聴く資料としての音はWABやMP-3ですが、自分の好みで聴く音としては絶対に「遺産系」だわね。やはり現代のテクノロジーは、便利さの陰で失ったものが大きすぎ。要するにバーチャルのテクノロジーなんだよね。いまやジャンボジェットの操縦訓練も、軍事作戦の検討もシュミレーターでやるそうですが、これは「おシゴト用・先手必勝・効率最優先・コスト削減」系の価値観から来るわけ。音楽においても、ステレオに始まった「音場再生」。バーチャル音像ですね。もともとが「コンサートホールの雰囲気をご家庭で」ってバーチャル空間の創造が目的だからね。蓄音機が「楽器的」に聴こえる最大の理由のひとつは「モノラル」であることじゃないのかなぁ?音源がないところから音が聴こえたらまさにバーチャル、それってオカシいよ。王さまははだかだぁー。




 バーチャルとなんちゃってだらけの現代。その原因のひとつは、今の20代の親の世代が金儲けにばかりに忙しく、子供に「ホンモノ」を理解する価値観を教えなかったことによると思う。現代ニッポンの基礎をつくってくれた世代ですが、弊害のひとつですね。このまえ烏山に新しく出来た、若い店主の九州ラーメン食ってみたら、ろくにトンコツのスープもとらずに(下手すると業務用粉末スープ)とろみ材タップリの味で、本当にちゃぶ台ひっくり返したろかと思った。まぁそこにちゃぶ台は無かったのがヤツの幸い。トンコツのラーメン屋は店中ブタ臭くてあたりまえ。それがイヤならトンコツラーメンやるな。ブタ臭いのがダメな客はトンコツ喰うな。命捧げてくれたブタに失礼だろうが。
 以前にも「将来はパティシエになりたい」と言うネェちゃんが、「このまえーシモキタでたべたースコーンがしっとりしててとてもおいしくてーワタシも将来ああいうスコーンつくりたいんですぅー」と言うから、オジさんは思わず、「あのねスコーンてのはモサモサしててあたりまえなの。それをミルクティーと一緒に食べるから美味しいあわせワザなの。しっとりがよければ他のモンつくりなさいっ!!!」あー説教ジジイみたいでやだ。音楽でも、たとえばさ数年前にどこぞのアホが仕掛けた「おしゃれなジャズ」。当然のこととしてとっくに過去のコトとなりましたが、それにまぁこれもノセられるほうがアホだが、おかげでロクにアドリブも出来ないエセねーちゃん自称ジャズフルートが増えて、メイワクなんだよ。どうせほとんどの客はパンツかヘソが見えればそれでいいんだからさ。




 失礼。思わずエキサイトしてしまいました。喰いモンに戻るけど、そら忙しい現代人のこと、どうしても時間がなくてとりあえず腹くちくなれば、のファストフードも仕方ないときもあるが、自分で選んで好きなモン食べたいとき、バーチャルはいらんわな。




 いまの時代、あえてこれをやろうというのは大いなる「ムダ」であり、同時に精神的ゼイタクです。こんど柏桜荘で蓄音機コンサートやろう思うんだ。世の中ヘソまがりもそこそこいるので、神保町あたりには「蓄音機屋さん」もあります。ここに頼んで、ボクが以前感動したような大型フロア蓄音機を運んできてもらい、往年のヴィルトーソの名演奏・大正叙情歌昭和歌謡浪曲民謡・スイングジャズ全盛期なんかをオリジナル盤で、っていう企画です。




 まずは自分で把握しとかにゃ、と、卓上型の蓄音機… それでも50cm四方くらいあるのだけど… のを某オークションで見つけて買った。ワクワクしながら針を下ろしてみると…





 10年前の京都の喫茶店の店内の風景が甦った。そして、そのときの思いも脳裏をかすめた。





       「進歩すべてが是ならず」



















































m(_ _)m

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🎵 ナゾの楽器 🎵 2023/07/27

 今までかなり楽器をとっかえひっかえしてきました。一種の「青い鳥症候群」です。どこかに自分にとってもっと理想的な楽器があるだろう、って。疑い深いへそまがりなんで、「これは銘器なんだから楽器には問題なし、あとは練習あるのみ」に納得できなかったからなのですね(笑)。

 「青い鳥探し」に終止符を打たせてくれた最大の功労者はムラマツ製の旧い波型歌口なんですが、そのポイントはボクの「下唇ジャマ」「上がらない口端」「赤筋(疲労しやすい筋肉)」に対応してくれるところ。もうひとつ「歯列に対して低く位置する唇」(笑顔のときに歯が見えにくい)も加わるかも。日本人の場合モンゴロイド的厚めの下唇をお持ちの方は少なくないと思うんですが、ほかの2(3?)条件が重ならなければ他の解決方法があると思う。でもボク自身の身体的特徴であるこれらの要素を、自身の身体の個性であると認識するところから始めるならば、現代の一般的な形状であるストレート歌口に自分のアンブシュアを「あーでもないこーでもない」して合わせるより、凹んだ波型プレートでの下唇の使い方を追求するほうがよっぽど明るい未来がある、と結論しました。ラファンなどにあるアドラーやドイツ系の波型、いっときムラマツ・サンキョウにあったハイウエーブとは目的が違います。

 この「旧ムラマツ波型」はドイツの楽器によくある波型とはプロポーションが異なり、リッププレート手前(唇に当たる側)が凹んでいるのとともに、チムニーの壁も手前側は低くなっています。

 ヘタクソな絵で済みません。断面図的にはこんな感じです。単純に、向こう側へ外転させれば高さ揃うんじゃね?と思えますが、それではチムニーの壁の傾きがおかしなことになるので、どうもこのように捉えるのが正解のようです。

 現代の標準、ストレートのリッププレートに比べてどう違うのか。最初は戸惑いますが、あーでもないこーでもないとやって慣れてくると、ボクにとっては下唇の自由度が高いことに気がつきます。より緩いアンブシュアで吹くことが出来るのですね。ただし、いわゆる「ロックストロ・ポジション」的な持ち方とセットです。今だからこそ白状しますが(笑)、初めてフルートを手にしたときから「下唇がジャマ」でした。左手首の「起こし」を多めにとって唇へのプレスを少なめにすることで、波型プレートの凹みへ下唇を潰さないまま収めることが出来ます。
 この位置関係と、結果出来上がる下唇の形状で、音色変化のため、あるいは跳躍のために口端を締めたときの息ビームが、口周りの他の部分であれこれバイアスをかけなくてもエッジに向かってくれます。
 あと「疲れやすいアンブシュア対策」ですが、前述の要素から、口周り全体を波型歌口に合わせてセットアップすると、バイアス(トリム?)値を設定する必要が減るので基準をより緩めに設定出来て、疲労を招く要因を減らせるわけですね。「短時間的には強力だけど持久力に乏しい」赤筋は「チカラ入れっぱなしにしない」が使い方のコツで、折々に緩めないとイントネーションが悪くなったり、ダイナミクスコントロールがやりにくくなったり、コンディションの維持が難しかったり。実際いっときマイルドに顎関節症になっちまったし。練習を重ねて無意識領域データに落とし込むとしても、操作の総量が多いことはたしかで、これらの操作が少ないほうが「音楽に集中できる」ことは確かよね。

 これも今だから白状しますが(笑笑)、頭部管何本もオシャカにしました。良い子は真似してはいけない悪い子のイタズラです。頭部管を削る… フツー向こう側エッジとか、ショルダーやチムニーのスソだと思うんですが、ボクの場合下唇がいいカンジに収まることを夢見てプレートの手前側を削るわけです。思い出すのは音大受験前にいっときだけお世話になった木下芳丸先生のこと。先生、やっぱり波型のリッププレートの手前側をさらに削って、削りすぎて穴があき、エポキシ接着剤で埋めてた(笑)。ボクは木下門下じゃないし、門下の先輩方はそのへんの事情を詳しくご存知だと思いますが、今にして思えば、木下先生もリッププレートと下唇の一体感を追求していらしたんじゃないかと思えます。木下先生あんまりタラコ下唇じゃなかったし、口角も下がってなかったんですが。

 「はじめに波型歌口ありき」でスタートすると、オリジナルのmodel72ボディではチト役不足なので、こんどはさまざまなボディとの組み合わせを試しました。頭部管のほうはレスポンス・響き・コントロール性などの要素から、銀製よりも洋銀製が良い、との結論になりましたから、この波型リッププレート洋銀製頭部管と相性の良いボディ探しです。

 基本、手持ちの楽器の中から、ですから「ありとあらゆる」は無理です。でもまぁやってるうちに「お!?」てのが見つかるもんです。で、その結果… 1950年くらいのBettoney-CADETなんですが、いろいろとナゾです。
 
 洋銀… フランスのマイショーのように、現代の洋銀とはチト成分が異なるのかもしれませんがとにかく銅・ニッケル合金、銀メッキ。「CADET」のネーミングの通り、ベトニーフルートのなかではステューデントモデルの位置付けのようなんですが、トーンホールはソルダードです。楽器自体の作りは決して良くはなく、カップの水平度が揃ってなかったり、ポストも傾いてたり。ポストのほうは製造クオリティではなくて過去のユーザーがブツけた可能性もありますが、この楽器、メナートの金属管のようにポストリブなしでポストが管体に直付けされているので、ポストをブツけて傾かせれば管に痕跡が残るはず。そのようなところはないので元々傾いて立ってたんですんね(笑)。キィスプリングはホワイトゴールドで、キィタッチは上々です。
 1950年頃と言えばヘインズが開発したと言われるドローントーンホールの技術はとっくに普及していただろうし、ローコストに作るならドローンじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか?(特許とかが絡んでたのかな?)後で手に入れた「CADET」ではない兄貴分の「Bettoney」はドローントーンホール、カーリングなしでした。この「逆転現象」がナゾです。同年代のフランス製にも洋銀管ソルダードはありますが、ステューデントモデルじゃないし。キィスプリング含めなんかミョーなところにコストをかけてる気がします。

 トーンホールの位置、というか管体の設計がナゾです。オリジナルの状態ではたしかに442Hzはキツいんですが、全体のプロポーションをよく観察すると頭部管がほかの楽器よりもあきらかに長く、そのぶん胴部管・足部管が短いのです。胴部管以下は442設計の楽器のプロポーションとほぼ同じなのです。やはり440設計であろうムラマツ波型頭部管を挿すと胴体が短いのでちゃんと(チューニングできるマージンを残して)442が出て、イントネーションも、いっときのヘインズ、ムラマツのような右手部分ダラ下がりのようなクセもありません。前述の兄貴分ベトニーは全長が長く、あきらかに全体が440設計のようなんですが、ほぼ同時代制作に見えるウチのCADETはなぜ胴体が短い?以前吹いていた1912年制作の木管ヘインズは「ヨーロッパ輸出用のハイピッチオールドヘインズ」てことだったんですが、それよりもフツーに442です。

  これはまぁナゾではないかもですが、トーンホールの内径が小さいです。安物のノギスでの測定ですが、Eホール(胴部管下端)で直径13.5mm。最近の楽器だとここは15mmくらいです。たしかテオバルト・ベームのオリジナル設計の寸法がこのくらいとどこかに書いてあった気が… 1912ヘインズ木管のトーンホールもこのくらいの直径でした。


 足部管のC-C#キィの連結もベームの本で見た通りの形状です。ここも1912ヘインズも同じ形状でしたが、たしかこの時代(1950頃)にはもう現在よく見るスタイルに刷新されていたと思います。材質が異なるとは言えこの二本に共通しているのは特に中音域で少し詰まり気味の音質。肯定的にとらえると「甘い音」。このトーンホールサイズから来ているのでは?と睨んでいるのですが。これ以降の楽器はもっと明確な音質、音量の拡大を目指してトーンホールが大きくなっていったんじゃないか、と。

 70年前のボストン、どのような工場で、どのような職人がこのナゾてんこ盛りのフルートを作ったのか、を想像するだけで楽しめます。

 他の楽器とは相当異なるコントロール特性を面白がって吹いているところです。特定の音型のときに響きが揃わない音があったりして替え指必須。それやってて気がついたんですが、先日もMCで「ボクは昔から暗譜が苦手で…」てお話しをしたんですが、暗譜って、単に「楽譜」を覚えているんじゃなくて、それを吹く身体のコントロールもリンクして記憶しているんですね。だから学生時代とかにカリカリさらってそのへんまで記憶されている曲やエチュードなんかはデータを修正する、さらい直す必要がある。こりゃなかなか面白い「自分自身の内面への旅」あるいは「タイムマシン感覚」です。もともと楽器のレスポンス遅れを算入してコントロールする「楽器の演奏」は音響環境が変わるたび、楽器が変わるたびにこの「パラレル時間軸感覚」を日常的に楽しんでるとも思いますが。

 決して扱いやすくはなく、普通のストレート歌口が吹けなくなるんじゃないか?て恐怖感もあり(笑)、仮に同じように「タラコ下唇」に悩んでいるお弟子さんとかがいてもチト勧められないと思いますが… 自分自身は… まぁ自他ともに認めるへそまがりですから。

 それにしても他人からすれば「なんでそうする?」かも。本人的には、還暦も過ぎていろいろな憑き物が落ちてみると、高校生のとき「あの楽器が吹きたい」と決心して初めてフルートを手にしたときに「出したい」と思った音、これはコトバや文章では表現出来ないけど、結局そこなんだと。その音ってその後に知った「名人名演奏」や「超絶技巧曲」的なフルートの世界じゃなかったんだと、今になって改めて思う次第です。

 


 トリルキィの位置高いですよね?この楽器。慣れるまでは意図せずに中指が触ってしまってなんだかな、でしたが、響きを揃えるためにこのトリルキィに限らず替え指を使わなければならない場面が多いので、これは合理性を狙った設計なのかな?とも思います。この時代は現代の楽器よりも替え指がフツーだったんでしょうか?それとも頭部管を変えてデフォルトのバランスを崩したせいなんでしょうか?

 

 

<i>🎵 「KAMEN」の音楽 2022/08/22</i>


 パントマイミスト、清水きよしさんの作品のひとつ、「KAMEN」。能面を製作する技法で創られた面を用いて演じられる作品です。

 40年前に初演されてから再演をかさね、最近では年1回の東京公演のほか、地方公演、また世界各地で公演してきました。

 僕はおそらく(すみませんちゃんと記録していないので…)35年ほど前から毎回、舞台上での演奏者としてお付き合いさせていただいています。曲のほうは、1曲だけグレン・ミラー「茶色の小瓶」のテーマを借用していますが、他はオリジナルの曲… といっても即興の割合が多いので毎回違うんですが… で構成しています。あえて最小のギミックという制約を自ら課して表現するパントマイムの「劇伴」ですから、音が鳴る場面は少なめです。


 これだけの長きに亘って、それも「定期公演」的なペースで同じ作品に関わることはめずらしく、毎回新しいチャレンジを加えてきました。同時に、これも回数を重ねるからこそ出来ることでもありますが、「断捨離」も進んできました。

 これは僕のライフワークでもあるのですが、単音楽器であるフルートで、和声が重要な構成要素である西洋音楽に「ひとりで」どう対峙するか。ピアノやアコーディオンなどの鍵盤の楽器、ギター、ハープならば「ひとりで」和音出せますが、フルートはムリ。かたや東洋の笛は「虚無僧尺八」や「青葉の笛」のように「ふし」だけで成立しますが、長く違う道を歩んできた西洋と東洋の笛は、安易に互いを真似ると「ただのなんちゃって」になってしまいます。

 こだわりたいのは「全編無伴奏」ではなくて「ひとりでできるもん」なので、「KAMEN」の再演を重ねるなかでさまざまな試みをさせていただきました。「重音奏法」や「ボイスミックス奏法」はギミック感マンマンで合いません。そこでシーケンスを併用することにして、今はやりのルーパーエフェクトのようなものから、シーケンサーをダブル、音源モジュールもラック山積み、みたいなのも。

 でもね、「ソロパントマイム」のシンプルな舞台からすると、大掛かりになればなるほど「浮いて」しまう。最初の10年くらいは「膨らませる」時期だったのですが、それからは「断捨離」「シュリンク」の方向性に入りました(笑)。


 この10年くらいは、画像のようにあらかじめ録音したシーケンスを併用する、という範囲に落ち着きました。シーケンスのほうも「バッキング」のレベルまではいかないシンプルなものにとどめておいて、上に乗っけるインプロヴァイズの自由度を上げよう、という方向です。シーケンス再生のほうはMDからPCMレコーダー、CD、ノーパソと進化してきました。新しいもの必ずしも最良ではなく、舞台上での操作性を考えると一長一短なのですが、さすがにイマドキMDとかではメディアが手に入らないし、機材のほうもいつアウトになるか解らない。PCMレコーダーは操作性イマイチです…

 

 35年前って、僕が桐朋中退して、音楽家として生きる道を模索していたころなんですが、そこまでの人生(おおげさですが)を振り返って、自身の「やっぱり単独行動が好き」を理解しはじめたそのころの1988年埼玉博、事務所にブッキングされたアトラクションの仕事で出会ったパントマイミスト清水さんのスタイルは衝撃的でした。「ひとりで、ギミックに依存せずにこれだけの表現が出来るのか」と。もちろんそのためにはその人の人間性や芸術性、不断のトレーニングが重要なわけですが。

 具体的なところで、僕自身の「音楽性」「音質(フルートの)」を考える部分にまで影響しています。

 「KAMEN」中の作品のひとつ、「駝鳥」の冒頭で鳴らす音です。(下はインスパイアされているドビュッシーのシリンクスです)「駝鳥」でフィックスなのはこれだけ。とうてい曲とは言えない「動機」だけで、あとは全部アドリブ。

 「駝鳥」は高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」からインスパイアされた作品で、動物園の檻の中の駝鳥が、ふと生まれ故郷の草原での気配を感じ、そこから故郷のイメージのなかへ帰っていく、という部分なのですが…

 音がその先の展開を導く、という、音楽家冥利に尽きる場面です。台本では彼がアフリカの草原で感じていた「風と匂い」なのですが、それを音で表現するわけですね。なので、ここでは「笛の音」にはこだわっていません。かと言って風の音や動物たち鳥たちの声の模倣でもなく、アフリカの草原のイメージをシンプルに、なおかつ観客のイメージに先入観を与えない抽象的な音で表現したいのです。「明るく」でも「暗く」でもなく。

 譜面にしてしまうとたったこれだけなのですが、「遠くから聴こえてくる音」「記憶のなかで聴こえる音」(台本では「瑠璃色の風」)をどう吹くか。映像ではよく、過去のシーンを表現するのにモノクロ調や、セピアトーンを使いますが、「音」のほうも、遠方から聞こえる音は強弱だけではなく、周波数特性が近くで鳴っている音とは違います。人間はそのへんを経験に基づいて、「音の大小」だけではない情報で「音の遠近・方向」を判断していると思います。逆に救急車のサイレンが、距離感・方向感解りにくいのは、遠達性のためにわざとそういう音にしているからなのですね。

 てことは、救急車の逆をやればいいわけで、ただ「小さい音」だけではなく、音色(倍音特性)のコントロール、ということになります。えーいめんどくさ、ベルリオーズ幻想交響曲」その他のバンダに倣って… とは言ってもそこだけ退場してソデで吹くわけにもいかず、ステージ裏にこの場面専用のスピーカー仕込むか?とも思いますが、「ギミック排除」の方向性が根底にあるパントマイムのステージですから、吹き方でなんとかしましょう。

 

 で、この「駝鳥」冒頭、もっと自分自身のイメージに近づける奏法、を長年に亘って追求することになりました。ある年は、本番の数日前に楽器屋さんの試奏室に一日籠って、頭部管をあれでもない、これでもないと探しまくっていたこともありました(笑)。

 

 「KAMEN」をまだご覧になったことがない方に是非観ていただきたいのと共に、「駝鳥」にどうオトシマエつけたのかを聴きにきてください。もちろんリピートの方も。お待ちしています。

 

清水きよし「KAMEN」
2022年10月28日(金)19:00開演(開場18:30)
座・高円寺2(JR高円寺駅下車・徒歩7分
一般¥4000/18歳以下¥3000

ご予約はカンフェティ予約サイト 0120-240-540(10:00~18:00)
https://www.confetti-web.com/kamen

 

 

 

<i>🎵 固定観念 2023/01/22</i>


階段が鍵盤でなにが悪い?(音は鳴りませんでした)

 ニンゲンともすると固定観念から抜けられない生き物だと思っています。心理的に「囚われやすい」シニアはその傾向強いかも、と。特殊詐欺ってのはこのへんの心理状態をうまく利用してるんだと思いますが・・・


 先週、「ユモレスク」に四苦八苦する生徒さん(シニア)がいたのですね。あれ、Aメロは「ソ、ラソ、ラシ、レミ、レ」って弾くべき(吹くべき)なんですが、どうしても「ソーラ、ソーラ、シーレ、ミーレ」になってしまう。三浦 環のイメージですかね?(たぶん三浦 環聴いたことないと思うんだけど…)

 ボク、「習うより慣れろ」「音符より耳から」をモットーにしているんで、必ず「こういうふうに弾くんですよ」てお手本見せる(聴かせる)ようにするんですが、それでもダメ。本人は「どこが違うのかわからなーい」状態で、ははぁこりゃ聴いてる段階で「ソーラ、ソーラ、シーレ、ミーレ」って脳内変換して聴いてるな、と。そうは弾いてないんだけど。これすなわち固定観念。そう確信したのは、この生徒さん「左手のレ、レ↑レ、↓レソのとこ、弾いてみて」と言っても「どこだかわかりません」。フレーズは小節線のところから始まるもの、と思い込んじゃってるから、1柏めウラウラからのフレーズが認識できないわけですね。


 よく「王様はハダカだ!」って見える目(聴こえる耳)を持とう、て言ってます(笑)。固定観念山盛りのオトナは「王様がハダカで通りを歩くわけがない」と思うわけですが、同じように「楽譜通り(じゃないんだけど…)弾いたし」から抜けられないと自分が弾いた音がちゃんとは聴けないわけですね。その状態だと楽譜も固定観念のひとつになってしまいます…

 現代の五線を使う楽譜って11世紀くらいから(最初は四線だったらしい)みたいだけど、その後の産業革命と同じく、(ヨーロッパの価値観を伝播させるために)さまざまな恩恵をもたらしてくれたと同時に、「便利なモノにはワナがある」の側面も持ち合わせていると思う。音情報の伝達はリアルタイムにそのものを聴いて、多少の口伝で補う、しか出来なかったものが、視覚情報として保存出来るようになったのだから。
でもそれは耳への意識がいくばくか削がれることでもあるよね。

 

 

 

 

<span style="font-size: 150%">🏍原付1種</span>

 先日、あるひと(バイク乗らない)に「昔のヘルメットはベンチレーションなんぞ付いていなくて、アタマ蒸れたんですよ」と話していて、「そうだ俺って30年近くのブランクがあったリターンライダーだったんだ」と思い出しました(笑)。

 ヘルメットのベンチレーションだけではなく、30年も経てばバイクそのもの、周辺器材もいろいろ変わりますよね。でも変わってないことの一つは「原付(一種)30km制限」。
 50ccに関しては変わったこともあります。例えば「二段階右折」。でもこれは50ccの「グレーゾーン」を増大させることになったと思っています。

 10代のころは原付免許しか持っていませんでした。当時の神奈川県は「3ない運動」真っ最中で、大多数の高校生がバイクに乗るには選択肢は50ccしかなかった、と思います。ホントのところは50の原付だって「3ない運動」の対象のうちなんだけど。メーカーのほうもその需要を当て込んで、70年代、各社5速ギヤボックスのスポーツモデルをラインナップしていました。友人も、あいつはRD50、こいつはRG50、ボクはCB50JX-1。軒並み6ps以上のエンジンで、最高速は90km近く出るシロモノです。でもねこれらのバイクで30km/hをキープする忍耐力、高校生は持ってないです。ヤバンな昭和、今は当然原付走行不可になっている横浜新道は、なぜか全線50cc通行可、だったんですね。おこづかい乏しい高校生、電車賃より原付のガソリン代のほうが安くつくんで、CB50でよく藤沢から銀座のヤマハに行ったもんです。

 でもね、横浜新道って当時クルマの制限速度はたしか70km、いくらバイパス然としたつくりで全線片側2車線と言っても、70km、あるいはそれ以上の速度でクルマがバンバン走る横を30kmで走れるもんじゃないです。「走っていいからって言っても、ただその道走らない選択をすればいいだけ」って言われてしまえばまぁその通りなんですが…

 それらが不満ならば他の選択すればいいわけで、リターンした時は普通二輪免許取ってのリターンだったから、50ccを選ぶ理由はなかったんですね。小さいバイクに乗りたくてCD50を持ってたときも、110ccのエンジンに載せ替えて登録変更してたし。今リトルカブがあるのは(クルマの)普通免許しか持たないヨメのバイクだからで、カブ、とてもいいですが自分のバイクとして乗るなら中古の70、90なり今の110、125に乗ればモロモロの面倒はない。でも50ccしか存在しないリトルカブのデザイン、秀逸ですね。

 これも「30年で世の中変わった」ことのひとつだと思うんですが、ヤバンな昭和(笑)とは違って、ほとんどが40km制限の市街地、昔のようにかっ飛ばすクルマはほとんどいなくなりましたね。地方では違うのかも知れませんが。地方の公共交通の便が悪いところで50ccが高校生の重要な通学手段のところ、ってたぶんまだありますよね?禁止しているところもあるみたいですが… でも最近は電動アシスト自転車の進歩がすごい。普通のチャリだとキツいのは長距離と山間部の登り坂だと思うんですが、電アシなら… 

 同じく都市以外で公共交通が期待できない北欧での50ccバイクは45km制限のようです。まぁ免許取得のための試験内容や安全教育とも絡みますが。

 日本での現状ならば、単純に50ccの制限速度を40kmに引き上げれば、もしかしたら二段階右折も見直しが出来て、グレーゾーンのひとつが減るんじゃないかなぁ…

 

 50乗ってると、いまだになんかスッキリしないものをずっと感じて走っています。書いててもスッキリしてないのが「…」の多さに表れる。

 

 


<span style="font-size: 150%">🏍原付2種</span>

 125、いいですね。いまだに社会のはみ出し者的扱いを受ける(ヒガミ根性ですかね?)中型以上のバイクに比べ、公共の駐輪場などでも「125まで」のところはけっこう多く、とは言えウチのは車格は250と同じなんで、50~125のスクーターを想定のスペースじゃデカすぎて近隣に迷惑ですから、中型以上のスペースがあればそちらに停めるようにしてるんですが。

 よく言われるランニングコスト的なこと… 燃費とか、任意保険にファミリーバイク特約を使えるとか、おカネにからむ部分もありますが、なにより性能的な部分が「必要充分」。加速力とか小回りとかですね。加速力は市街地で重要な要素と思います。バイクは乗用車より加速が良くないとキケンです。四輪から素早く離れられないとキケンです。べつに嫌っているわけではなくて(キライですが)、生き方が違う者同士は関わらないのがお互いの為ということですね(笑)。でもべつに際限なく飛ばすんじゃなく、40km/hなり60km/hまでの加速が早い、ってことなんですけどね。

 50ccがキケンなのはここですね。スクーターとかだと、発進加速は乗用車よりいいんですが、あの理不尽な30km/h制限のおかげで、そのあとで「抜かせないと」ならないわけですね。まぁ野蛮だった昭和の時代とは違って、イマドキは40km/h制限の市街地ではクルマもだいたい40km/hプラスアルファで流れていますから、流れにそって走るのは可能ですが。でも突然、自分だけネズミ捕りにかかる、のキケンはあるわけですね。

 市街地の制限速度がほとんど40km/hの現状、50ccの法定速度も40km/hにするべきですね。まぁいまだに四輪の免許を取得すると実技試験もなくオマケでついてくる現状では難しいかとも思いますが・・・

 で、ウチの世田谷通勤車(週イチですが)、XLR125R。数年越しの調整で、なんとかセッティング出しました。楽器でもバイクでも、履歴がわからない中古は本来の状態が解らず、時間をかけて探っていかなければならないことままあります。改造されていないか、手荒な扱いを受けて本来の状態から逸脱していないか。中古楽器もまったく同じ。でもこのバイクは同じ号棟に住む元バイク便ライダーが、「うえのくんボロだけど乘るならあげるよ」「😍」って経緯で手元に来たので、履歴はハッキリしてる。僕よりよほど几帳面なオジさんが新車で買ったワンオーナー車だったのだから。でもオフロードコースでぶん投げられたりもされてたらしいんですが。

 キャブは純正のままのPD52なんですが、これがなかなかデリケートでして… それが元々なのか、過酷な人生の結果ヒネクレた性格になったのかが判断つかないわけですね。

 この手のホンダ単気筒イジりの基礎を教えてくれたのは、コイツの先代世田谷通勤車だったCD50改110なんですが、それに付いてた得体の知れない中華キャブがなかなかセッティング出せなくて、思い切って新品のPC20に変えたら何もせずにあっさりセッティング決まった経験があります。PC20ってある意味おおらかで、神経質にセッティングせずとも快調に走ったんですが、型番違うとはいえ同じケイヒンでしかも純正採用のキャブがこんなに神経質なのって・・・


 やっぱりぶん投げられた過去を恨んでるのかな?

 

 

 

<i>🎵 固定観念 2023/01/22</i>


階段が鍵盤でなにが悪い?(音は鳴りませんでした)

 ニンゲンともすると固定観念から抜けられない生き物だと思っています。心理的に「囚われやすい」シニアはその傾向強いかも、と。特殊詐欺ってのはこのへんの心理状態をうまく利用してるんだと思いますが・・・


 先週、「ユモレスク」に四苦八苦する生徒さん(シニア)がいたのですね。あれ、Aメロは「ソ、ラソ、ラシ、レミ、レ」って弾くべき(吹くべき)なんですが、どうしても「ソーラ、ソーラ、シーレ、ミーレ」になってしまう。三浦 環のイメージですかね?(たぶん三浦 環聴いたことないと思うんだけど…)

 ボク、「習うより慣れろ」「音符より耳から」をモットーにしているんで、必ず「こういうふうに弾くんですよ」てお手本見せる(聴かせる)ようにするんですが、それでもダメ。本人は「どこが違うのかわからなーい」状態で、ははぁこりゃ聴いてる段階で「ソーラ、ソーラ、シーレ、ミーレ」って脳内変換して聴いてるな、と。そうは弾いてないんだけど。これすなわち固定観念。そう確信したのは、この生徒さん「左手のレ、レ↑レ、↓レソのとこ、弾いてみて」と言っても「どこだかわかりません」。フレーズは小節線のところから始まるもの、と思い込んじゃってるから、1柏めウラウラからのフレーズが認識できないわけですね。


 よく「王様はハダカだ!」って見える目(聴こえる耳)を持とう、て言ってます(笑)。固定観念山盛りのオトナは「王様がハダカで通りを歩くわけがない」と思うわけですが、同じように「楽譜通り(じゃないんだけど…)弾いたし」から抜けられないと自分が弾いた音がちゃんとは聴けないわけですね。その状態だと楽譜も固定観念のひとつになってしまいます…

 現代の五線を使う楽譜って11世紀くらいから(最初は四線だったらしい)みたいだけど、その後の産業革命と同じく、(ヨーロッパの価値観を伝播させるために)さまざまな恩恵をもたらしてくれたと同時に、「便利なモノにはワナがある」の側面も持ち合わせていると思う。音情報の伝達はリアルタイムにそのものを聴いて、多少の口伝で補う、しか出来なかったものが、視覚情報として保存出来るようになったのだから。
でもそれは耳への意識がいくばくか削がれることでもあるよね。

 

 

<span style="font-size: 150%">🏍親子</span>


(GSR250S、車格デカいよね。昭和のナナハンと並べても負けていません)

 

 このところ、バイクに目覚める友人が増えてきました。嬉しいです。べつに僕の身近なところだけではなくて世の中にそういう動きがあるみたいですが、それにはコロナ時代で通勤電車を避けたい、があるようですね。でも僕の友人たちはそういうことではないみたい。みんな「通勤」しないからね(笑)。

 大学時代の同級生、ホルン奏者のT君もそのひとり。彼は最初、取得がラクになった「小型AT限定免許」を取ったのだけど、125のスクーターを買うまえに普通二輪免許にグレードアップ(?)して、熟考のうえでスズキGSR250Sを購入しました。


 先日初めてお披露目してもらいました。「2りんかん府中店」で待ち合わせ。昭和のバイク少年はあのころ道端に停めてバイク談義してたものですが(あのころコンビニもまだあまりなかった)時代変わって、こっちもそれなりにトシとって(笑)、他人の目気にしますから。

  2014年式って言ってたから、ウチの1981年式GS750Gとはちょうど親子ほどの年齢差。店のまわり一周運転させてもらいましたが、いやあスムースな現代のバイク(あたりまえですね)。ヨシムラのマフラー付いてて音もグー。その扱いやすさに驚きましたが、自分のGSに乗り替えての帰り道、ウチのは齢41歳にしてよくフツーに走るよなあ、と改めて感心しました。そして「オレやっぱりこっちがいいや」とも。


 奥のDNはわりあい新しいものですが、手前のがこのところもっぱら吹いているムラマツ・スタンダード。ボディは1970年代終わりころのもの、H足は同じころのミヤザワ、ヘッドは1950年代のムラマツ波型。たまに現代のものも試しますがこちらも同じく、オレこっちのほうがいいや、と。

 

 

 

<i>🎵 The 生 2022/06/07</i>

 もう35年ものお付き合いになる、日本を代表するパントマイミスト、清水きよしさんの舞台音楽を務めるときのセットアップ2022バージョン。2021バージョンとの違いは、シーケンスを入れておくデバイスがノートパソコンからiPhone(機種変更で退役した6s)になりました。

 なぜかというと、「見た目」をコンパクト化したかったから。今回はピアニカを使う演目が含まれていたのでテーブル出してますが、そうでなければ客席から見える音響機材は一式を仕込んだ「フーテンの寅さんトランク」と、マイク・iPhone用の2本のスタンドだけで済むから。
 もうひとつは、ノーパソだと操作している手元は客席からはよく見えないですが、スタンドに立てたiPhoneだと丸見えなんで、あえて「そこで操作している」を見せるためでもあります。

 これは昨年のノーパソ時代なのでPCを載せたテーブルが写っていますが、これがiPhone+スタンドに置き換わったわけですね。このトランクってのはアンプその他を生々しく見せたくないからで、足元のペダルやケーブルなどのいかんともしがたいモノが多少残りますが、「電気」や「スピーカー」的なものは極力見せないように、とのこだわりなんです。「見せたいもの」と「見せたくないもの」の仕分けですね。

 そもそも大した音圧では鳴らさないので、マイク1本立てておけばあとは会場側の音響システムに送ればいいんでね?となりますが、ここにもう一つの大きなこだわり、「バーチャル拒否」があるのですね。

 ホールでもライブハウスでも、映画館でも、スピーカーは両ソデにありますよね。映画館のマルチチャンネルでセンタースピーカーがあったとしてもプロセニアムに仕込んである。ド真ん中にあったらジャマだからね。つまりステレオにしてもマルチchにしても、スピーカーのないところに音像が定位するようになってるわけですね。

 あれキライなの。「バーチャル」っていうと聞こえいいけど、「ウソ」だろ、って。ヘンクツですねーイマドキ誰もそんなこと言いませんよね(笑)。

 「生の」舞台、「生の」音楽。「生」の定義ってなんだ?音楽の場合、クラシック系、無農薬農法信奉系のひとたちは「マイク通したら生音じゃないだろ」って言いかねませんが、コンサートじゃないからね。多目的ホールが会場だったとしても、照明吊りますから反響板はゼンブとばしてます。日頃腹筋鍛えてますから音量には自信ありますが、だからと言ってノーマイク(ノーリバーブ)でバリバリ吹いたらそれはガサツなだけ。かといって会場の音響システムに依存してバーチャルな音になるのも嫌なわけです。

 そこまでワガママ言うんだったらそう、ゼンブ自分でやるしかない。トランクに仕込んであるスピーカーからシーケンスとフルートをミックスしたものが点音源的に鳴るようにセットアップするわけです。「会場まんべんなく」なんぞには鳴らさない。「そこで鳴ってるように」聴こえるべく。そして、フィックスの「曲」部分もありますが8割方は即興の、その日その時だけのプレイ。2ステージあったら吹く音は違います。それが「生」だと思うからです。

 まぁお客様にはそのへんの苦労を説明する必要もないし、ひょっとしたら全くムダなこだわりか?とも思うんですが、先日の舞台で「そこで鳴ってる感が素敵でした」と言ってくださった方がいたので、無駄じゃなかったんだ、と(涙)。「見せる手元」のほうも、打ち上げでスタッフのひとりのオジさんが「あれはどういう仕組みなんですか?」とシツコク(笑)食い下がってきたから、してやったり、と。そこで鳴ってる、そこに生きてる、それが俺の考える「生」。

 

 

 

🎵 軽さは正義 🎵  2022/05/27


 たまたまなんですが手元にヤマハの、リングキィのローエンドモデル、281Sと後継281SⅡの両方があるんですね。以前に吹き比べて「なんかだいぶ吹き応えが違うなあ」とは思っていたんですが、製造年代も違うんだしそりゃモデルチェンジするくらいだから何か(おそらくコストダウンのために)変えたんだろ、程度に思っていたのですが…

 今回よーく観察してみました。そしたら思っていた以上に細部が変わったようです。
 ぱっと見た目は同じなんですよ。でも画像のように、ポストが立っている位置や、当然としてポストリブの長さも違います。上が281SⅡ、下が旧い281Sです。画像ないですが、ブリチアルディキィはSⅡではパイプが短くなってポストが太くなっています。ポストリブは主管末端などでも少々異なります。SⅡのほうがポストリブは大きい傾向です。


 ポスト自体の形状も違います。281Sは単純なこけし型ですが、SⅡのほうはスソが広がったこけしです。強度高そうですね。ちなみにYFL-31も手元にあるんですが、こちらは古いほうの281Sと同じ形状。2ケタ番台のモデルは3ケタより古いんで、つまりスソ広がり型のほうが新しい(改良された)型ということですね。

 で、肝心の「軽さは正義」なんですが、281Sが394g、281SⅡが403gで9g「も」違います。たかが9gとおっしゃるかもしれませんが、フルートという楽器、10gも違うと持った感覚は明らかに違います。重心がどこにあるかでも変わりますが。ははぁ吹き比べて感じた違いはかなりここから来てるな、と。念のため頭部管をスワップしてみても同じ印象ですから。いちおうバランス調整はきちんとしてなるべくコンディションを近づけておいて、です。

 楽器に取り付ける、あるいはパーツを交換するアイテムがあれこれ出てますが、そしてそれらも真鍮より銀、銀より金、18金より24金、はたまた水晶(?)と、楽器本体と同じような貴金属崇拝傾向ですが、確かにクラウンに鉄のナット(笑)取り付けてみると音のさまざまな部分が変わります。この場合は鉄ですから貴金属効果(?)ではなく、質量がプラスされたことでの変化ですよね… でも全く「貴金属効果」がないわけじゃないとは思います。同じメーカーのクラウン(ヘッドキャップ)で重量も同じ(キッチンスケールの精度ですが)もの、金メッキと銀メッキのものを取り換えて吹き比べると確かに違うんです。昔、新興宗教の勧誘デモンストレーションで「あなたは暗示にかからないのでダメです」とお墨付き(笑)をもらったことがあるうえののことですから、「プラセボ効果」ではないと思う。感じる違いの90%以上は質量の違いから来ると思いますが、ごくわずか金属自体の効果もあるのかな。たかだかクラウンのメッキでも違いがあるんだから。


 ボクのジャンルだとマイク使うこと多いですが、「コンタクトマイク」(クリップで楽器に取り付ける)だとまぁ楽器が鳴らなくなること。これはクリップが振動を抑えるせいと、トータルでの楽器の質量が増えるからだと思います。

 281SとSⅡどちらがいいか、といえば、個人的にはオリジナルの281Sがだんぜん好みです。ローエンドモデルとは思えないパフォーマンスです。では281SⅡはなぜこうなってしまったのか?

 個人的には(笑)、モノゴトの「真意」は当事者でなければゼッタイにわからない、と思います。察すればいろいろ考えられますが。ヤマハローエンドは、そりゃフルートマニアは造りが粗いの、タンポ蒸してつけてるの(ホンマかいな)と言いますが、この楽器をあの価格で造るには死ぬほどのコストダウンに取組まなければならないはず。やっぱり推察でしかありませんが、最初の、281デビューの時はそれでもそこそこ理想主義に燃えてたんじゃないか、と。コスト上オール洋銀(しか使えない)、パーツも極力他機種と共用、でも逆に洋銀管・インラインストレートを最大限に活かして、出来る範囲のことはゼンブやって軽く造ることでそれらが持つメリットを最大限生かそうとしたんじゃないかな?洋銀製ステューデントモデルでも、400gを切っているものって珍しいですから。まぁすべて単なる偶然の結果、て可能性もありますが。

 そこへレスポンス速めの(SⅡやそのあとの211SⅡなどと比べても)頭部管つけてます。これも一歩間違うと「音出しやすいけど軽薄」と言われかねないんですが、「軽薄」の部分は吹き手がカヴァー出来る設計になっている(と思う)。でもSⅡへのモデルチェンジでは、ポスト・リブ形状の変更からも想像できるように「耐久性アップのためには重量増やむなし」となって「だったら軽やかさよりもしっとり系に」に振られたんじゃないかと思います。

 小中学生だと、「楽器落下事故」はどうしても避けられないことでもあり、多少ブツけても落としても曲がらないポストにしたかったんじゃないか?スクールバンドでのヤマハ200番台の耐久性は圧倒的なものがありますから。で、そこからモノゴトが決まっていって重量は増え、そのことによって従来の「軽やかさ」を手放さざるを得ないのならば方針転換して売れセンでもある「高級機種を思わせる音づくりに」と。ストレートリングキィ本来の目的は置いといて「なんかリングキィのほうがカッコよくみえるし」層を狙おうと。かくして281SⅡはただの穴が開いた211になった。212はまだ吹いたことないですが、211SⅡも「この価格でこんなにしっとりした音なんだ」の印象でしたから、200番台はみんなそちら方向に振ったのでしょうか。途中からインドネシア工場生産になっているそうだから、「造りやすさ」からの要求もあるのかな。

 で、コイツ(古い281S)にとっては「軽さは正義」なのだと理解しましたから、いつも自分の手が小さいことを言い訳に、本当のところは他と同じがイヤだから、の「自分のものマーキング」のためにCキィに張り付けているコインも、いつもは手持ちの1バーツとかなんですが、以前使っていた、たぶん世界最軽量のメキシコのコインを改めて手に入れて貼り付けました。


 大企業ヤマハ、工房系フルートみたいに一人の製作者がすべてを決められるわけはなく、大勢の意見をまとめて製品が生み出されるのだと思いますが、281SとSⅡでは若干のコンセプトチェンジはあったようです。そのへんを勝手に、無責任に想像してみるのが楽しかったりして。

 

 

🎵 狂気 🎵  2022/02/05



 手前は40年以上前のムラマツ・スタンダード。ですが、頭部管は10年ほど前に入手した「波型」のリッププレートのものに替えてあります。銘が無いのではっきりとはわかりませんがおそらくムラマツ製の925銀だと思います。

 波型の歌口って、50年前くらいには日本でそこそこ流行っていたようですね。フルートクラブ版の「アルテフルート教則本」にも図があるし、大学受験前にレッスンしていただいた木下芳丸先生がこのタイプの頭部管を付けた楽器を吹いていらっしゃいました。ムラマツの古いmodel72とか112にはデフォルトでこのタイプの頭部管が付いていたようです。

 model72や112の波型頭部管は洋銀製です。研究用(笑)に1本ずつ持っていますが、形状は銀製と同じ。タネフルートにも波型があり、もう少し後になってサンキョウがハイウエーブという頭部管をラインナップしていましたが、ムラマツの「ムラマツタイプ」はそれらよりもっと露骨に(笑)波打ってプレート中央が凹んでいます。

 波型歌口はその後廃れました。「音量は出るが微妙な音色変化がつけにくい」「アンブシュアが固定され気味で発音が安定はするがppが吹きにくい」と言われていますが、まぁそんなところだと思います。「低音が出しやすい」と書かれていることもありますが、ボク的には現代の楽器のように全音域同じ(ような)アンブシュアで吹けるわけではない、古典的な歌口だと思います。要は下唇が厚めの(ボクもそうですが)ニンゲンにとってはストレートなリッププレートのものよりも下唇の使い方の自由度が広がる、というところでしょうか。それも一長一短ですが…


 じゃあなぜ好き好んでこれを吹くのか?それは一般的なストレートの歌口では出ない「野太い音」が出せるからなのです。言い換えれば下品な音「も」出せる、なんだけど。下品な音「も」出せるフルートなんてそうそうないから。波型のリッププレートの意味は、「緩いアンブシュアでも下唇が安定する」は副次的な産物で、活かすべきは「エッジの長さ」なんじゃないかと思います。マウスホール向こう側のエッジがサイドの盛り上がりに連続しているわけですから実効エッジ長が長い。そしてそれが「野太さ」(倍音に対して基音成分の多さ)に繋がっているんじゃないかと。楽器造りに関しての専門的なことはわかりませんが、「音色の変化がつけにくい」もここから来るんじゃないでしょうか?

 フルート音の倍音成分って、息ビームの両端がマウスホールの左右を「掠って」出ている分があるんじゃないかと思います。息ビームって噴流なわけだから、アパチュアから放出されたあとは拡散しますよね?アパチュアからエッジまではたいした距離じゃないですが、多少なりとも拡散するならばストレートなエッジ(スクエアなマウスホール)だと、エッジ中央部と左右では実効ビーム長が違ってくる気がします。エッジの中央部分とは異なるビーム長、異なる入射角の息ビーム拡散部分が、「音色の豊かさ」を作っているんじゃないか?そう考えると傾向として、スクエアなホールのものは倍音が豊かな派手めな音、丸いホールのものは柔らかく穏やかな音、と言われるのも納得いきます。「ムラマツ波型」ではいわばそのビームが掠めるマウスホール端が「ない」わけですから、そのまま吹くとたしかに倍音成分少ない、音色変化付けにくい、になるわけで、ボク「口内子音」って言ってるんですが、特に低域では口内で発生させる擦過音を補う必要があるんじゃないかと思っています。

 個人的にはジャズフルートてのは「ミスマッチの美」、あるいは「マゾヒスティックな快感」を楽しむもんだと思います。どのようなジャンルの音楽でもさまざまな表情があり表現がありますが、ぶっちゃけフルートでジャズ、やりやすいか?テナー(サックス)でゴリゴリ吹いてたほうがよっぽど苦労が少ない、と思うのはボクだけ?曲はボサノバだけじゃないからね。もちろんどのような場合でもフルートの特性を活かした「軽快さ」「清澄さ」は生きるけど、ジャズスピリッツのメインじゃない。

 たぶん… 歴史的にはエリントン楽団あたりからの伝統… チークタイムのときにサックスセクション休ませとくのはギャラもったいないんで、静かめなフルートでも持ち替えで吹かせっか、ていう、おカネ払う側の都合から始まったと思うんだけど、それは現代まで受け継がれていて、フルバンのサックスのひとは持ち替えでフルート吹きますね。そうすると「フルートとしての理想の音」よりも「ジャズとしての音楽性」のほうが先に立つから(フレージングとか、タンギングとかですね)それらがジャズフルートとして成立するために重要な役割を果たしていると思えます。ゴリゴリ行きたいときはサックスに持ち替えればいいわけだし。


 クラシックから入って、サックス吹かないボクとしては、「自分にとってのジャズフルートの音」を追求することを助けてくれるのがこの、「野太い音も出せる」波型歌口なんです。

 ちなみに画像のむこうはムラマツのDN。14金の頭部管はデフォルトで、ほかの部分もボクの楽器にはめずらしくイジっていません(笑)。それは、たまにコイツ(彼女、ですね。女性名詞だから)を引っ張り出して吹くことで、自分の吹き方があまりに(何かに)特化していないか、を確かめるために、なんです。ベンチマークですね。こっちもちゃんと吹けることを確かめて、安心してまた「狂気の世界」に戻るわけです(笑)。


 ベビーオイルは何に使うかって?ハーモニカのメンテに使います(笑)。